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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

260避難民のマジレスさん:2020/09/12(土) 19:02:33 ID:Guh03MSU0
最初と最後の自由 第二部質疑応答四 知識について 2

 仮にあなたが、宗教的または心理学的な書物を、今まで一度も読んだことがなかった。そして生の意味、意義を見つけなければならなかった、とします。あなたはどのようにそれに取りかかるのでしょうか。仮に大師たちも、宗教的組織も、ブッダも、キリストもいなかった。そしてあなたは初めから始めなければならなかった、とします。あなたはどのようにそれに取りかかるのでしょうか。初めに、あなたは自分の考える過程を理解しなければならない、のではないでしょうか-自分自身を、自分の思考を未来に投影して、あなたを喜ばせる神を造り出すのではありません-それはあまりに子供じみている・幼稚すぎるでしょう。それで初めに、あなたは自分の考える過程を理解しなければならないでしょう。それが、何か新しいものを発見する唯一の道なのではないでしょうか。
 私たちは、学習や知識は妨害、障害であると言うとき、技術的な知識-車をどう運転するのか、機械類をどう動かすのか-や、そういう知識がもたらす能率・効率は含んでいません。私たちは全く違ったことを精神に持っています・考えています-どれほどの量の知識や学習ももたらさないであろう [ところの]あの創造的幸せの感覚 [のことです] 。その言葉のもっとも真実の意味において創造的であるとは、瞬間瞬間過去から自由であることです。なぜなら、継続的に現在に影を落としているのは、過去であるからです。情報に、他の人たちの経験に、たとえどんなに偉大でも誰かが言ったことに、たんにすがりついて、自分の行動をそれに近づけようとすること-そのすべては知識なのではないでしょうか。しかし、何でも新しいものを発見するには、あなたは自分自身から始めなければなりません。あなたは、特に知識を完全に剥ぎ取られた旅に、とりかからなければなりません。なぜなら、知識と信念をとおして経験をすることは、とてもたやすいからです。しかしそれらの経験は、たんに自己投影の産物です。ゆえに全く真実ではなく、偽りです。あなたが何が新しいものなのかを自分自身で発見しようとするなら、古いものの重荷を、特に知識-たとえどんなに偉大でも他の一人の知識-を運んでいてはダメなのです。あなたは知識を、自己投影の、安全の手段として使います。そしてあなたは、ブッダやキリストやXと同じ経験をすることを、全く確信したいのです。しかし、知識をとおして常に自分自身を保護している人は、明白に真理を求める者ではありません。
 真理の発見のための道はありません。あなたは海図なき海に入ってゆかなければなりません-それは憂鬱ではありません。それは冒険好きであることではありません。あなたが何か新しいものを見つけたいとき、何でも実験しているとき、あなたの精神はとても静かでなければならない、のではないでしょうか。あなたの精神が、事実、知識で詰め込まれ、充満しているなら、それらは新しいものへの妨害として作用するのです。困難は、私たちのほとんどにとって、精神があまりに重要に、あまりに支配的に・優勢的に意義深くなってしまったこと、それが、何でも新しいかもしれないものに、何でも知られたものとともに同時に存在しているかもしれないものに、常に邪魔をしている・妨害しているということ、です。こうして知識と学習は、求めようとする人たち、時間のないものを理解してみようとする人たちにとって妨害です。
(´・(ェ)・`)つ


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