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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

233避難民のマジレスさん:2020/08/30(日) 19:15:17 ID:WWTIEegY0
くまめも21-1
社会に、私たち自身に、個人的、集団的関係に根元的変化が必要。変化が、精神により投影された様式への順応をとおしてであるなら、それはやはり精神の領域の中にある。人間はたんに精神の創造(物)か。それは順応、強制、残忍さ、独裁制、強制収容所という意味を含む。これを悟るなら、修練、制御の無効性がわかるなら、様々な形の抑圧が「私」と「私の」を強めるだけであることがわかるなら、そのとき何をするべきか。
自身と世界の根本的変化という問題を理解すべきであるなら、意識の問題に入るべき。
精神の表面的な水準での意識とは、考える過程、思考。思考は記憶の結果、言語化。それは疎通・伝達することができるように、名づけること、記録すること、一定の経験を蓄えておくこと。様々な抑制、制御、拘束・認可・制裁、修練もある。隠れた動機、集団的と個人的な野心、先入観すべてがある−それは、知覚、接触、欲望の結果。この総合的意識が、「私」という観念、自己を中心に集まっている。
決定・決意、結論、信念、制御、抑制をとおして、欲しいと思う、渇望する表面的な水準と、もっと深い水準の間には、永続的な葛藤がある。
この内的な葛藤、表面的な水準でのたんなる変更は、変化をもたらすか。意識の、「私」の異なった層を理解すること、過去の、私的な経験の覆いを取ること、集団的・集合的経験を、特定の社会の条件づけを検討・分析は、たんなる適応・調節ではない変化をもたらすか。
(´・(ェ)・`)


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