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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

230避難民のマジレスさん:2020/08/29(土) 18:39:18 ID:hDzlT5kk0
くまめも20-3
人間的な、または科学的な問題を理解するには、何が重要か。静かな、理解することに向けられている精神。それは、排他的で、集中しようとしている精神ではない-それもまた抵抗の努力。何かを理解したいなら、即時に精神の静かな状態がある。葛藤を理解したいとき、もはや全く時間に頼っていない。単にあるがままに直面している。そのとき即時に精神の静寂が訪れる。もはやあるがままを変容させる手段として時間に頼らない。なぜなら、その過程の偽りが分かるから。あるがままを理解することに興味があるので、自然に、静かな精神がある。その鋭敏で受動的な精神の状態に、理解がある。精神が葛藤にあって 、咎めたて、抵抗し、非難しているかぎり、理解はありえない。変容をもたらすのは、静寂な精神。
精神は興味があるとき、 理解しようとする意図を持つとき、いつも静寂。困難は、理解しようとする意図を持たないこと。なぜなら、もしも理解したなら、それが生に革命的作用をもたらすかもしれないということを、恐れているから−ゆえに抵抗する。時間や理想を段階的変容の手段として使うときに働いているのは、防御的機構。
幸せを獲得したり、真理を悟ることのできる手段として時間に頼る人は、たんに自分自身を欺いているだけ。彼は無知において、ゆえに葛藤において生きている。時間は困難から抜け出す道ではないということがわかり、ゆえに偽りから自由である人は当然、理解しようとする意図を持つ。ゆえに彼の精神は、強制なく実践なく自発的に静か。精神が静寂であり、何の答えも何の解決も求めていない、また抵抗したり避けたりしていないとき-革新がありうるのは、そのときだけ。なぜなら、そのとき精神は、何が真実であるかを知覚する能力があるから。そして解放するのは真理−自由であろうとする努力ではない。
(´・(ェ)・`)


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