したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

227避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 21:03:18 ID:RoJ3t8Ms0
くまめも20-2
時間は変容のために必要であると考えることに、慣れている。あるがままの私をあるべき私に変えるには、時間を必要とする。
私は貪欲である→変容すなわち無欲をもたらすには、時間が必要。つまり時間は、偉大なものに進化する手段として考えられている。
なぜあるがままを変えたいのか→あるがままは、不満にさせるから→葛藤、動揺を造り出す→もっとよいもの、高尚な、理想的なものが欲しい→私たちは変容を願望する
葛藤は時間によって打ち勝たれるだろうと言うなら、あなたはやはり葛藤 にある。葛藤を取り除くには、あるがままを変えるには、時間がかかる。その時間の間、やはり葛藤 にある。ゆえに時間は変化をもたらさない。
性質、美徳、存在の状態を取得する手段として時間を使うとき、たんにあるがままを延期したり避けたりしているだけ。この点を理解することが重要。貪欲や暴力は、他の人と私たちの関係の世界における苦痛、動揺を引き起こす原因になる。
葛藤の状態にあると、葛藤のない状態を達成したいと思う。葛藤のない状態は、時の継続の結果ではない。なぜなら、非暴力の状態を達成しようとしている間、やはり暴力的でありつづけるし、ゆえに葛藤 状態にあるから。
「私は一定期間の間、非暴力を実践しようとしている」と言うとき、何が起きるか。まさに実践こそが、葛藤にあるということを示している。もしも葛藤に抵抗していなかったなら、実践しない。葛藤への抵抗は、葛藤に打ち勝つために必要だし、その抵抗のために時間を持たなければならないと言う。しかし、まさに葛藤への抵抗自体一つの形の葛藤。葛藤に抵抗することに、自分のエネルギ-を費やしている。しかし精神は、やはり葛藤にある。だから暴力に打ち勝つ手段として時間に頼る過程の偽りがわかり、よってその過程から自由であることが重要。そのときあなたは、あるがままのあなた-暴力それ自体である心理的動揺−であることができる。
(´・(ェ)・`)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板