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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
224
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/27(木) 20:41:20 ID:HgpRjtdk0
くまめも20-1
時間のないもの、真実であるものの豊かさ、美しさ、意義は、時間の過程全体を理解するときだけ経験されうる。意義のある生、真の幸せの豊かさは、時間のものではない。時間のないものを理解するには、時間を理解しなければならない。時間のないものに到達する手段として、時間を利用してはならない。時間から自由であることは可能。時間を、部分的にではなく全体として理解することが、重要。
私たちの生がほとんど時間に費やされているということを悟ることは、興味がある。私たちは時間によって生きている。精神は、多くの昨日の産物。そして現在は、たんに過去から未来への通路。私たちの精神、活動、存在は、時間に基づいている。思考は時間の結果であるから、時間なしには、考えられない。二種類の時間、年代的なものと心理的なものがある。時計による昨日としての時間と、記憶による昨日としての時間がある。あなたは年代的な時間を拒絶できない。それは不合理。しかし、年代的な時間から離れて、何か時間があるのか。確かに、心理的な時間は、精神の産物。思考の基礎なしに、時間はない。昨日の経験の記憶が、現在への応答において未来を造り出している。それもやはり思考の過程、精神の道。思考過程は、時間における心理的な進歩をもたらす。しかしそれは、年代的時間と同じように真実なのか。そして精神のものである時間を、永遠のもの、時間のないものを理解する手段として使えるのか。幸せは昨日のものではない。幸せは時間の産物ではない。幸せはいつも現在に、時間のない状態にある。恍惚を、創造的喜びを、経験するとき、その瞬間には時間がない。現在において経験した後に、それを憶えていて、継続させたいと願い、ひとりでにますます多くを集め、よって時間を造り出す。ですから時間はもっと多くによって造り出される。時間は取得、また執着。ゆえに、たんに精神を時間において修練すること、時間の枠組の中で思考を条件づけること−すなわち記憶−は、時間のないものを開示しない。
(´・(ェ)・`)
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