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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
223
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/27(木) 20:36:51 ID:HgpRjtdk0
最初と最後の自由 第一部
第二十章 時間と変化 1
私は、時間とは何であるかについて、少し話したいように思います。なぜなら、時間のないもの、真実であるものの豊かさ、美しさと意義は、私たちが時間の過程全体を理解するときだけ経験されうると、私は思うからです。結局私たちは、各自が自分自身のやり方で、幸せの、豊かさの感覚を求めています。確かに、意義のある生、真の幸せの豊かさは、時間のものではありません。愛と同じように、そういう生は時間がないのです。時間のないものを理解するには、私たちは時間をとおしてそれに接近するのではなく、むしろ時間を理解しなければなりません。時間のないものに到達し、実現し、掴む手段として、時間を利用してはなりません。それが、私たちが自分たちの生のほとんどを費やしていることです-時間のないものを把握しようとすることに時間を費やすことです。ですから、私たちのいう時間とはどういう意味なのかを理解することが、重要です。なぜなら、時間から自由であることは可能であると、私は思うからです。時間を、部分的にではなく全体として理解することが、とても重要です。
私たちの生がほとんど時間に費やされているということを悟ることは、興味があります-年代的継起・連続の [意味] 、分、時間、日、年の意味においてではなく、心理的な記憶の意味における時間です。私たちは時間によって生きています。私たちは時間の結果です。私たちの精神は、多くの昨日の産物です。そして現在は、たんに過去から未来への通路です。私たちの精神、活動、存在は、時間に基づいています。時間なしには、私たちは考えられません。なぜなら、思考は時間の結果であるからです。思考は多くの昨日の産物です。記憶なしに思考はありません。記憶は時間です。というのは、二種類の時間、年代的なものと心理的なものがあるのです。時計による昨日としての [時間] と、記憶による昨日としての時間があるのです。あなたは年代的な時間を拒絶できません。それは不合理でしょう。あなたは列車に乗り遅れるでしょう。しかし、年代的な時間から離れて、いったいほんとうに何か時間があるのでしょうか。明白に、昨日としての時間はあります。しかし精神がそれについて考えるような時間はあるでしょうか。確かに、時間、心理的な時間は、精神の産物です。思考の基礎なしに、時間はありません-時間はたんに今日と結合した昨日としての記憶です-それが明日を型どるのです。すなわち、昨日の経験の記憶が、現在への応答において未来を造り出しているのです-それもやはり思考の過程、精神の道です。思考過程は、時間における心理的な進歩をもたらします。しかしそれは、年代的時間と同じように真実なのでしょうか。そして私たちは、精神のものであるその時間を、永遠のもの、時間のないものを理解する手段として使えるのでしょうか。私が言いましたように、幸せは昨日のものではありません。幸せは時間の産物ではありません。幸せはいつも現在に、時間のない状態にあるのです。あなたは恍惚を[経験するとき] -創造的喜びを、一連の明るい雲が暗い雲によって取り囲まれるのを-経験するとき、その瞬間には時間がないということに気づいたことがあるかどうか、私は知りません。即時の現在だけがあるのです。精神が、現在において経験した後に入ってきて、それを憶えていて、継続させたいと願い、ひとりでにますます多くを集め、よって時間を造り出すのです。ですから時間はもっと多くによって造り出されます。時間は取得です。時間はまた執着です-それもやはり精神の取得です。ゆえに、たんに精神を時間において修練すること、時間の枠組の中で思考を条件づけること-すなわち記憶-は、確かに、時間のないものを開示しません。
(´・(ェ)・`)つ
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