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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
221
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/26(水) 19:52:11 ID:5PNHw7hQ0
くまめも19-3
時間の過程は革命的でない。認識だけがある。連続性だけがあって終わりはない。革命、変容、新しいものが生じるのは、時間の過程、自己の活動の完全な停止するときだけ。
創造の瞬間には、 認識をとおした活動としての「私」が止んでしまった状態がある。その状態には、憶えていて、翻訳し、認識し、同一化する経験者がいない。思考過程、すなわち時間の過程がない。その創造の状態、新しいもの−すなわち時間のないもの−には、「私」の作用が全くない。
精神が瞬間的にではなく、その状態にあることは、各自がなすべき重要な発見.なぜなら、それが愛への扉であるから。他の扉はすべて自己の活動。自己の作用があるところ、愛はない。あなたは愛を実践できない。実践するなら、それは、結果を獲得したいと願う「私」の自意識的な活動。
意識的な努力、修練、同一化をとおして、愛に出会えない−それはすべて時間の過程のもの。愛が唯一の永遠に新しいもの。私たちは、精神−すなわち時間の結果であるもの−を育成してきたから、愛が何であるかを知らない。私たちは愛していることを意識した瞬間、自己の活動が生じる。ゆえにそれは愛であることを止める。
この精神の総合過程は、私たちのまわりのあらゆるものごととの関係をとおしてだけ、理解される。生は関係。関係から自身を孤立させようと試みるとしても、それなしには存在できない。この方法はすべて自己の活動の表示.どんな選択も、目的のある意図も、結果への欲望もなく、この全体を見るとき、意識としての時間の過程全体に気づくとき、この時間の過程が自発的に終わる。愛−すなわち永遠に新しいもの−があるのは、その過程が終わるときだけ。
真理を求めなくてもいい。真理は遠く離れたものではない。それは精神について、瞬間瞬間のその活動についての真理。私たちがこの瞬間瞬間の真理に、この時間の過程全体に気づくなら、その気づきが、意識を、または智恵、愛であるエネルギ-を、解放する。精神が自己活動として意識を使うかぎり、時間が、その悲惨、葛藤・抗争、災いすべて、その目的のある欺瞞とともに生じる。そして愛がありうるのは、精神がこの総合過程を理解して止むときだけ。
(´・(ェ)・`)
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