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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
212
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/23(日) 17:31:54 ID:cvVqWIyM0
くまめも18-4
信念は協力をもたらさない。反対にそれは分割する。問題解決につき、敵対・対抗する者たちがそれぞのやり方を信じ、互いに戦いあっているが、それらは、現実には問題自体に関心があるわけではなくて、問題が解決されるであろう方法、理論(観念)に関心がある。ゆえに二つの間に争いがある。内側で、彼らの信念、意見、経験は、彼らを破壊しているし、分離している。
経験は、人間関係を分割させる要因。経験は欺瞞の道。何かを経験したなら、それにすがりつく。経験する過程の問題全体に入ってゆかない。なぜなら経験をしたし、それで十分であるし、それにすがりつくから。それによりその経験をとおして自己欺瞞を課す。
私たちの困難は、各自が特定の信念と 、幸せ、経済的適応をもたらす特定の形や方法とあまりに同一化しているために、精神がそれに捕らえられ、問題の中にもっと深く入っていく能力がない、ということ。ゆえに自分の特定のやり方、信念、経験のなかに、個人的に離れて・遠ざかっていたいと願望する。理解をとおして、それらを解消するまでは、世界に平和はありえない。そういうわけで、この問題全体を-なりたい、達成したい、獲得したいという欲望を根本的に深く理解することが、重要。そうでないと、世界に平和はありえない。
真理は獲得されるものではない。愛は、それにすがりつきたいという願望を持ったり、それと同一化したいと思う人たちのところへは、来ない。精神が求めないとき 、精神が完全に静かであり、もはや動きと信念を造り出していないとき、来る−動きと信念は、精神が 頼れるもの、 そこから一定の強さを引き出してくるもの -すなわち自己欺瞞の表示であるもの。精神が静寂でありうるのは、この願望の過程全体を理解するときだけ。そのときだけ、精神は、あろうとしたり、あるまいとする動きのなかに、ない。そのときだけ、どんな欺瞞もない状態の可能性が、ある。
(´・(ェ)・`)
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