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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

191避難民のマジレスさん:2020/08/15(土) 22:03:29 ID:dnNbHAY60
くまメモ16-3複雑な生きることの問題が見えて、自身の考える過程に気づいて、それが現実にはどこへもつながらないことを悟るとき、智恵の状態がある。そのとき個人と社会、個人と真実との関係の問題は止む。なぜなら、そのとき智恵だけがあるから。それは私たちの計り知れない問題を解決できるのは、この智恵のみである。それは結果ではありえない。それは、この考えることの過程全体、総体を理解するときだけ、生じる。これらのどんな問題を理解するにも、私たちはとても静寂な精神を持ち、そのため精神が観念や理論を介入させずに、どんな逸脱・散漫もなしに問題を見つめられるようにしなければならない。それが私たちの困難の一つ。なぜなら思考は散漫になってしまったから。何かを理解したい、見つめたいと思うとき、それについて考えなくてもいい。それを見つめる。それについて考え、観念、意見を持ち始めた瞬間、すでに散漫の状態にあって、理解しなければならないものから離れて見ている。それで思考は、問題を持つとき、散漫になる。思考は観念、意見、判断、比較。それは、問題を見つめ、よって理解し、解決するのを妨げる。どのようにして考えることなしに存在し、有りうるのか。どのようにして空白の精神を持てるのかと、あなたは言う。空白の精神を持つことは、無感覚、白痴、などの状態にいること。本能的反応はそれを拒絶する。しかし確かに、とても静かである精神、それ自身の思考により散漫になっていない精神は、とても直接的に、単純に、問題を見つめられる。それでただ一つの解決であるのは、問題をどんな散漫もなしに見つめられるこの能力。そのためには、平静な精神がなくてはならない。そういう精神は、思考のどんな努力も、修練や強制や昇華をとおしてでもなく、生じる。それは、考える過程全体を理解するとき-どんな散漫もなく事実が見えるとき、生じる。ほんとうに静寂である精神の平静のその状態に、愛がある。そして人間の問題すべてを解決できるのは、愛のみです。
(´・(ェ)・`)


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