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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

189避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 22:17:06 ID:87zFCRkc0
くまめも16-2
問題について考えるほど、ますます複雑になる。思考は問題の完全性と充足が見えない。部分的に見えるだけ。部分的な答えは完全な答えではない。ゆえにそれは解決ではない。
どうやって問題を全体として包括的に理解するか。それは、全体として見られるときだけ、解決できる。それは、考える過程が終わったとき、可能。考える過程の源は、「私」、自己に、伝統、条件づけ、先入観、希望、絶望の背景にある。この自己を、分析することによってではなく、あるがままのものごと見ることにより、理論としてではなく事実としてそれに気づくことによって理解できるか。結果を達成するために自己を解消しようと求めるのではなく、常に行動において自己、「私」の活動を見ることによって理解できるか。破壊したり助長・促進したりするどんな動きもなしに、それを見つめられるか。それが問題。各自に、「私」という中心が、その力、地位、権威、継続、自己保存への欲望とともに存在していないなら、確かに私たちの問題は終わる!
自己は思考が解決できない問題。思考のものではない答えがある。非難や正当化なしに自己の活動に気づくこと-ただ気づくことで十分。あなたがどのようにして問題を解決すべきかを見出すため、それを、変容させるため、結果を産み出すために気づくなら、そのとき、それはやはり自己、「私」の領域の中にある。分析をとおし、気づきをとおし、あらゆる思考の常なる検討をとおして結果を求めているかぎり、やはり思考の領域の中にある。すなわち「私me」、自我の領域の中にある。
(´・(ェ)・`)


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