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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

185避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 19:32:38 ID:.8tmwG3Y0
最初と最後の自由  第一部

第十六章 考えることは私たちの問題を解決できるでしょうか 1

 思考は私たちの問題を解決してきませんでしたし、いつか [解決] するだろうとは、私は思いません。私たちは、自分たちの複雑さからの抜け出し方を示してもらうために、知性に頼ってきました。知性がずるがしこく、恐ろしく大きく、巧妙であればあるほど、体系、理論、観念の多様性が大きくなるのです。そして観念は私たち人間の問題のどれも解決しないのです。それらは [これまで] 決して [解決] してこなかったし、これからも決して [解決] しないでしょう。精神は解決法ではありません。思考のやり方は明白に、私たちの困難からの抜け出し方ではありません。私たちは初めに、この考える過程を理解するべきであるように、私には見えます。するとおそらく越えてゆくことができるでしょう-というのは、思考が止むとき、おそらく私たちは、自分たちの問題-個人的なものだけでなく、集団的なもの-を解決するのを助けてくれるであろう道を、見つけることができるでしょうから。
 考えることは私たちの問題を解決してきませんでした。利口な人たち、哲学者、学者、政治的指導者は、私たち人間の問題-それは、あなたともう一人との、あなたと私自身との間の関係です-のどれも、ほんとうに解決したことがありません。これまで私たちは、問題を究明するのを助けるために、精神、知性を使ってきました。それにより解決を見つけたいと願っているのです。思考はいったい私たちの問題を解消できるのでしょうか。思考は、実験室のなかや製図板の上でないかぎり、いつも自己を保護し、自己を永続させ、条件づけられていないでしょうか。その活動は自己中心的ではないでしょうか。そしてそういう思考は、思考自体が造り出した問題のどれかを、いったい解決できるのでしょうか。精神-すなわち問題を造り出したものは、それ自体が生み出したそれらのものごとを、解決できるのでしょうか。
 確かに、考えることは反応です。私があなたに質問をするなら、あなたはそれに応答します-あなたは、あなたの記憶、先入観、しつけ、気候・風土、あなたの条件づけの背景全体に応じて、応答します。あなたはそれらに応じて返答します。あなたはそれらに応じて考えます。この背景の中心が、行動の過程における「私」です。その背景が理解されないかぎり、その思考過程、問題を造り出すその自己が理解されて終わりにされないかぎり、私たちは内と外に、思考に、情動に、行動に、必ず葛藤を持つことになるのです。どんな種類の解決も-たとえどんなに利口でも、どんなによく考え抜かれても-人と人との間、あなたと私の間の葛藤・抗争を、決して終わりにすることができないのです。これを悟り、思考がどのように [発生し] 、どんな源から発生するのかに気づくと、そのとき私たちは「思考はいったい終わりうるのか」と訊くのです。
(´・(ェ)・`)つ


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