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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
180
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/11(火) 22:07:55 ID:PGnztOo20
くまめも15-1
経験すべてには、いつも経験者、観察者がいる。それはまちがった過程。そうなら、それを一掃できないか。それは、経験するときだけ生じる。偽りの過程に気づいて、思考者が思考である状態だけがあるということがわかるとき、生じうる。
私が経験をしているかぎり、私がなろうとしているかぎり、この二元的行動がある。思考者と思考が、二つの分離した過程が働いている。集団的に、個人的に、あろうとする、またはあるまいとする行動の意志をとおして作動している中心が、いつもある。努力が、経験者と経験に分割されているかぎり、退廃・堕落がある。統合は、思考者がもはや観察者でないとき、可能であるだけ。すなわち、私たちは現在、思考者と思考、観察者と観察されるもの、経験者と経験されるものがあるのを、知っている。二つの違った状態がある。私たちの努力は、二つのものに橋を架けること。
行動の意志はいつも二元的。分離的であるこの意志を乗り越えて、 この二元的行動のない状態を発見することは、可能か。それは、思考者が思考である状態を、直接的に経験するとき、見つけられる。私たちは今、思考は思考者から分離している、と考える。しかしそうなのか。私たちはそうであると考えたいように思う。なぜなら、そのとき思考者は、自分の思考をとおして事柄・事態を説明できるから。思考者の努力は、もっと多くなる、またはもっと少なくなること。ゆえにその格闘、その意志の行動、「なること」には、いつも退廃・堕落する要因がある。真の過程ではなく、いつも偽りの過程を追求している。
思考者と思考の間が分離し分割されているかぎり、私たちの努力は浪費される。私たちは、破壊的であり退廃・堕落する要因である偽りの過程を追求している。私たちは、自分が貪欲で、残忍であることを見つけるとき、そうあるべきでないと考える。思考者はそのとき、自分の思考を改めようとする。ゆえに努力をして「なろう」とする。その努力の過程において彼は、二つの分離した過程がある 偽りの幻影を追求する。ところが、ただ一つの過程だけがある。そこに、退廃・堕落の根本的要因がある。
(´・(ェ)・`)
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