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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
18
:
避難民のマジレスさん
:2020/06/27(土) 22:45:06 ID:rPwgLfGQ0
最初と最後の自由 第一部
第三章 個人と社会 6
なぜ社会は、確かにそのとおりなのですが、ぼろぼろに崩れ、崩壊しかけているのでしょうか。基本的理由の一つは、個人が、あなたが創造的であるのを止めたということです。どういう意味なのかを説明しましょう。あなたと私は模倣的になってしまいました。外側でも内側でも、私たちは真似をしています。外側で、技術を学んでいるとき、言葉のレベルで互いに疎通しあっているとき、当然何らかの模倣、真似がなければなりません。私は言葉を真似ます。技師になるには、私は初めに技術を学び、それからその技術を橋を建てるために使わなければなりません。外側の技術には、一定量の模倣、真似がなければなりません。しかし内側の心理的模倣があるとき、確かに私たちは創造的であるのを止めるのです。私たちの教育、私たちの社会構造、私たちのいわゆる宗教生活は、すべて模倣に基づいているのです。すなわち私は特定の社会的または宗教的定式にはまりこむのです。私はほんとうの個人であるのを止めてしまったのです。心理的に私は、ヒンドウ-教徒のでもキリスト教徒のでも仏教徒のでもドイツ人のでもイギリス人のでも、一定の条件づけられた応答を持ったたんなる反復的機械になってしまったのです。私たちの応答は、東洋のでも西洋のでも、宗教的でも唯物的でも、社会の様式に応じて条件づけられているのです。それで社会の崩壊の基本的原因の一つは模倣です。そして崩壊する要因の一つは指導者です-その本質そのものが模倣です。
崩壊する社会の本性を理解するためには、あなたと私が、個人が創造的でありうるかどうかを探究することが重要なのではないでしょうか。私たちは、模倣があるとき崩壊があるにちがいないということがわかります。権威があるとき真似があるにちがいありません。そして私たちの精神的、心理的成り立ち全体が権威に基づいているから、創造的であるには、権威からの自由がなければなりません。創造性の瞬間、それらのむしろ生き生きした興味のある幸せな瞬間には、反復の感覚がない、真似の感覚がないということに、あなたは気づいたことはないでしょうか。そういう瞬間はいつも新しく、新鮮で、創造的で、幸せなのです。それで私たちは、社会の崩壊の基本的原因の一つは真似ること-すなわち権威の崇拝-であるということが、わかるのです。
(´・(ェ)・`)つ
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