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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

174避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 21:42:42 ID:HMHJI/pY0
くまめも14-2
自分たちの生を、他の人と私たちの関係を検討するなら、それが孤立(化)の過程であることがわかる。私たちはほんとうは他の人に関心がない。その関係が私たちを喜ばせて満足させてくれる限り、避難所を与えてくれる限りにおいてだけ、誰かと関係している。しかし関係に動揺があった瞬間―動揺が自身に不愉快さを生み出し− その関係を切り捨てる。言い換えれば、喜んでいる限りにおいてだけ、関係がある。これはきびしく・不快に聞こえるかもしれない。しかし、ほんとうに自分の生をしっかりと検討するなら、それが事実であるとわかる。そして事実を避けることは無知において生きることだし、それは決して正しい関係を産み出さない。自分たちの生を覗いてみて関係を観察するなら、それが、他の人に対して抵抗を築く過程、壁であることがわかる−その壁越しに他の人を見て観察する。しかし、いつもその壁を保持・確保してその裏にとどまりまる。壁の裏で孤立の状態において生きる限り、他の人との関係はない。そして閉じこもって・閉鎖的に生きている。なぜならそのほうがもっと喜びがあり、安全であると思うから。世界がこんなに分裂し、こんなに多くの悲しみ、苦痛、戦争、破壊、悲惨があるので、そのため自身の心理的存在の安全の壁の中に逃避して生きたいと思う。ですから関係は、私たちのほとんどにとって、現実に孤立化の過程。そしてそういう関係は、これまた孤立してゆく社会を築く。あなたは自分自身の制限にすがり付きながらも、世界統一、世界平和を造り出せると思う−それは不可能。境界を持っているかぎり―国家・民族的でも経済的でも宗教的でも社会的でも-世界に平和はありえないということは明白な事実。
(´・(ェ)・`)


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