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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

163避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 22:28:49 ID:88HzfH7Q0
くまめも13-1
 欲望とは何か。私たちを駆り立て強制しているこのものは何か。私たちはそれに入ってゆけるなら、たんに一つの欲望の対象の代わりにもう一つの対象を用いるだけではない変容をもたらす。一つの特定の欲望の対象で満足しないと、その代用物を見つける。一つの欲望の対象から、より高く、高尚で洗練されていると考えるもう一つへと、永遠に動いている。しかしどんなに洗練されていても、欲望はやはり欲望。この欲望の動きには、終わりなき格闘、対極の葛藤がある。
 ゆえに、何が欲望なのか、それは変容させられうるのかどうかを見出すことが、重要。欲望とは何か。それは象徴とその感動 ・感覚。欲望は、その到達の対象を伴った感動・感覚。象徴は、感動を与えてくれる絵、人物、言葉、名前、イメ-ジ、観念-それが私にそれが好きだとか嫌いだとか感じさせる。その感動が楽しいなら、私はその象徴に到達したい、所有したい、すがりつきたいと思うし、その楽しみにとどまる。時々私は、自分の傾向と強烈さに応じて、絵、イメ-ジ、対象を変える。私は一つの形の楽しみに飽き、疲れ・うんざりし、退屈する。それで新しい感動、新しい観念、新しい象徴を求める。
 欲望の過程全体を観察。精神が、さらなる感動のためにそれに向けられている対象がある。この過程には抵抗、誘惑、修練が関与している。知覚、感覚、接触、欲望がある。精神はこの過程の機械的な道具になる − そこでは象徴、言葉、対象が中心 − そのまわりに欲望すべて、追求すべて、野心すべてが築かれる。その中心が「私」。その構造全体を解消できるか。私は挫折すればするほど、ますます「私」に強さを与えてしまう。希望、あこがれがあるかぎり、いつも恐れの背景・下地がある。それがまた・さらに中心を強める。そして革命は、その中心においてだけ可能 − 表面にではない − それはたんに逸脱・散漫の過程、有害な行動につながる表面的変化であるだけ。
(´・(ェ)・`)


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