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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

160避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 22:43:55 ID:fO1sW.K20
くまめも12-4
重要なのは、選択なしに気づくこと。なぜなら、選択は葛藤をもたらすから。選択する者は混乱にある。ゆえに彼は選択する。彼が混乱にないなら、選択はない。混乱している人だけが、何をすべきか、すべきでないかを選択する。明晰で単純である人は選択をしない。あるがまま。観念に基づいた行動が、選択の行動。そういう行動は解放しない、反対にそれは、その条件づけられた考えに応じて、さらなる抵抗、さらなる葛藤を造り出すだけ。
 ゆえに、重要なことは、気づきがもたらす経験を蓄積することなく、瞬間瞬間気づくこと。なぜなら、あなたは蓄積した瞬間、その蓄積に応じ、その様式に応じ、その経験に応じてだけ気づくから。すなわち気づきは、蓄積により条件づけられるし、ゆえにもはや観察はなくて、たんに翻訳だけがある、翻訳があるところ、選択がある。そして選択は葛藤を造り出す。葛藤には、理解はない。
 生は関係の事柄。その関係-すなわち静止していないもの-を理解するには、柔軟である気づき、攻撃的に活動的なのではなく、鋭敏に受動的である気づきがなければならない。この受動的な気づきは、どんな形の修練をとおしても、どんな実践をとおしても来ない。それは、私たちの考えることと感じることに、瞬間瞬間、ただ気づくこと− 目覚めているときだけではない。というのは、それにもっと深く入ってゆくにつれて、夢を見はじめること、夢として翻訳するすべての種類の象徴を放棄しはじめることが、わかるから。こうして隠れたものへの扉を開く-隠れたものは知られるものになる。しかし知られていないものを見つけるには、扉を越えてゆかなければならない-それが困難。真実は、精神が知ることのできるものではない。なぜなら、精神は知られるものの、過去の結果であるから。ゆえに精神はそれ自体とその機能、その真理を理解しなければならない。そのときだけ、知られないものがあることが可能。
(´・(ェ)・`)


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