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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

159避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 22:37:35 ID:fO1sW.K20
最初と最後の自由  第一部

   第十二章 気づき 4

 重要であることは、選択なしに気づくことです。なぜなら、選択は葛藤をもたらすからです。選択する者は混乱 [の状態] にあります。ゆえに彼は選択するのです。彼が混乱 [の状態] にないなら、選択はないのです。混乱している人だけが、何をすべきか、すべきでないかを選択するのです。明晰で単純である人は選択をしません。あるがまま、です。観念に基づいた行動が、明白に選択の行動です。そういう行動は解放しません。反対にそれは、その条件づけられた考えに応じて、さらなる抵抗、さらなる葛藤を造り出すだけです。
 ゆえに、重要なことは、気づきがもたらす経験を蓄積することなく、瞬間瞬間気づくことです。なぜなら、あなたは蓄積した瞬間、その蓄積に応じ、その様式に応じ、その経験に応じてだけ気づくからです。すなわちあなたの気づきは、あなたの蓄積により条件づけられるし、ゆえにもはや観察はなくて、たんに翻訳だけがあるのです。翻訳があるところ、選択があります。そして選択は葛藤を造り出します。葛藤には、理解はありえません。
 生は関係の事柄です。その関係-すなわち静止していないもの-を理解するには、柔軟である気づき [がなければならない] 、攻撃的に活動的なのではなく、鋭敏に受動的である気づきがなければなりません。私が言いましたように、この受動的な気づきは、どんな形の修練をとおしても、どんな実践をとおしても来ないのです。それは、私たちの考えることと感じることに、瞬間瞬間、ただ気づくことです-目覚めているときだけではありません。というのは私たちは、それにもっと深く入ってゆくにつれて、夢を見はじめること、夢として翻訳するすべての種類の象徴を放棄しはじめることが、わかるでしょうから。こうして私たちは隠れたものへの扉を開くのです-それ [隠れたもの] は知られるものになるのです。しかし知られていないものを見つけるには、私たちは扉を越えてゆかなければなりません-確かにそれが私たちの困難です。真実は、精神が知ることのできるものではありません。なぜなら、精神は知られるものの、過去の結果であるからです。ゆえに精神はそれ自体とその機能、その真理を理解しなければなりません。そのときだけ、知られないものがあることが可能なのです。
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