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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

154避難民のマジレスさん:2020/08/02(日) 18:29:39 ID:Cu43pdJw0
くまめも12-2
あなたは気づくとき、自分の考えと行動の過程全体がわかる。それは、非難がないときだけ起こりうる。私は何かを非難するとき、それを理解しない。それが、どんな種類の理解をも避ける一つの仕方。私たちは意図的にそうする。即時に非難する。そして理解したと思う。それを非難するのではなく、見守り、気づくなら、そのときその行動の内容・中身、意義が開き始める。ただ気づけ。どんな正当化の感覚もなしに-それは否定的ではない。それは、直接的行動である受動性の性質を持つ。実験してみれば、これを発見する。
 何かを理解したいなら、受動的な・無抵抗の気持ちでなければならない。それについて考え、憶測し・思索し、それを問い続けられない。それの内容を受け取るほど充分に敏感でなければならない。私はあなたを理解したいなら、受動的に気づかなければならない。そのときあなたはあなたの物語すべてを私に語りはじめる。それは能力や専門化の問題ではない。その過程において、自分自身を-意識の表面的な層だけではなくて、より深い、もっと重要であるものを-理解しはじめる。なぜなら、そこに、動機や意図、隠れた混乱した要求、心配、恐れ、欲望すべてがあるから。外側では、それらをすべて制御しているが、内側では、それらは沸き立っている。それらが気づきをとおして完全に理解されてしまうまでは、自由は、幸せは、智恵はない。
 智恵は私たちの過程への総合的気づき。そしてその智恵は、何かの形の専門化をとおして育成されるべきものはない。なぜなら、それが起きていることであるから。私たちはその専門化の精神性を持っている。
 最高の形の智恵-真理、神、叙述できないもの-を悟るには、自分自身を専門家にしなければならない。私たちは研究し、手探りし、探し出す。そして能力-すなわち葛藤、悲惨を解きほぐすのを助けてくれるであろうもの-を発達させるために、専門家の精神性や専門家に頼ることをもって、自分自身を研究する。
(´・(ェ)・`)


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