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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

142避難民のマジレスさん:2020/07/29(水) 22:01:47 ID:IdZpVTSU0
くまめも11-2
外側に抗争、格闘、苦痛が存在するわけを見出すことにより、内的なものに至る。自分たちの存在の内側の複雑さの究明を進めるにつれて、ますます敏感に、自由になる。本質的 [・不可欠] であるのは、この内側の単純さ。なぜなら、その単純さは敏感さを造り出すから。敏感でなく、気づいていない精神は、どんな受容性、どんな創造的行動 [・作用] の能力もない。自身を単純にする手段としての順応は、ほんとうは精神と心を鈍く鈍感にする。達成という理想などにより課されたどんな形の権威主義的な強制も-どんな形の順応も、内側で単純であることにではなく、鈍感さに役立つ。抑圧、代用、昇華するほど、ますます単純でなくなる。しかし、昇華、抑圧、代用の過程を理解するほど、ますます単純である可能性が大きくなる。
私たちは単純であることによってだけ、それらを解決できるほどに、社会的、環境的、政治的、宗教的な私たちの問題は、あまりに複雑。私たちの精神は、事実、他の人たちが言ったことについての無際限の知識があまりに詰め込まれているために、単純である [能力] 、自身で直接的な経験をする能力がなくなってしまった。単純さは、ただ自己認識をとおしてだけ、訪れる。いかに私たちが恐れをとおして、世論に、他の人たちが言うことに、偉大な聖者たちが言ったことに順応するか-そのすべては、順応しよう、安心しよう、安全であろうとする私たちの本性を表示している − を理解することをとおして。安全を求めているとき、明白に恐れの状態にあるし、ゆえに単純さはない。
(´・(ェ)・`)


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