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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
139
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/28(火) 21:46:13 ID:9Bjm15Z60
くまめも11-1
単純さとはたんに外側の表現、退くことではない。単純さは不可欠。単純さは、自己認識の意義を理解しはじめるときだけ、生じうる。
単純さは、たんに様式への適応だけではない。たんなる外側の表現は、内側の存在の単純さという意味を含んでいない。なぜなら、外側から、ますます多くのものごとが、私たちを駆り立てているから。生はますます複雑になりつつある。それから逃避するために、断念したり、無執着であろうとする。私たちは退くことにより単純であろうとする。そういう放棄は問題を解決しない。根本的で真実である単純さは、内側に生じうるだけ。そのとき、どのようにして単純であるべきかが問題。なぜなら、単純さはますます敏感にするから。敏感な精神、心は不可欠。というのは、そのときそれはすばやい知覚、すばやい受容の能力があるから。
人は、無数の妨害、執着、恐れに囚われているが、それらを理解することによってだけ、内側で単純でありえる。しかし私たちは人々、所有物、観念により、囚われることを好む。単純さは、内側で自由でないかぎり、見つけられない。ゆえに、それは内側で始まらなければならない。
信念の過程全体を、なぜ精神は信念に執着するのかを理解するとき、とてつもない自由がある。信念からの自由があるとき、単純さがある。その単純さは智恵を必要とする。そして智恵を持つには、自分自身の妨害に気づかなければならない。気づくには、思考や行動のどんな特定の様式にも確立されないで、常に見守っていなければならない。社会、またはどんな形の行動も、私たち自身の投影。内側で変容させることなきたんなる法制度は、外側でほとんど意義がない。内側で貪欲で、野心的で、一定の理想を追求しているなら、その内側の複雑さが、たとえどんなに気をつけて計画されていても外側の社会を、結局は転覆させ、打倒する。
(´・(ェ)・`)
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