[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
134
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/27(月) 21:34:00 ID:hdQ2/nGg0
最初と最後の自由 第一部
第十章 恐怖(恐れ) 3
恐れは様々な逃避を見つけます。普通の種類は同一化なのではないでしょうか-国との、社会との、観念との同一化です。あなたは軍隊の行進や宗教的行列など、行進[・行列]を見るとき、または祖国が侵略される危機にあるとき、自分がどのように反応するかに気づいたことはないでしょうか。あなたはそのとき祖国と、或る存在[神・人]と、イデオロギーと自分自身を同一化します。あなたは自分の子供、自分の妻、特定の形の行動や無行動と自分自身を同一化する他の時があります。同一化は[忘我の・]自分を忘れる過程です。私は、「私」を意識しているかぎり、苦痛があり、格闘があり、常なる恐れがあることを知っています。しかし何かもっと偉大なもの、何か価値のあるもの、美、生命、真理、信念、知識と自分自分を同一化できるなら、少なくとも一時的に「私」からの逃避があるのではないでしょうか。私は「祖国」について話をするなら、一時的に自分自身を忘れるのではないでしょうか。私は神について何かを言えるなら、自分自身を忘れるのです。私が自分の家族、集団、特定の党派、一定のイデオロギーと自分自身を同一化できるなら、そのとき一時的な逃避があるのです。
ゆえに 同一化は、一つの形の自己からの逃避です―まさに美徳が一つの形の自己からの逃避であるように、です。美徳を追求する人は、自己から逃避しているのです。彼は狭い精神を持っているのです。それは美徳のある精神ではありません。というのは美徳は、何か追求できないものであるからです。あなたは美徳を持とうとすればするほど、ますます自己に、「私」に強さを与えるのです。恐れは、私たちのほとんどにとって、形は違っても共通していますが、いつも代用物を見つけるにちがいないし、ゆえに私たちの格闘を増加させるにちがいないのです。あなたは代用物と同一化されればされるほど、ますますそれにすがり付く強さが大きくなるのです―あなたはそのために進んで格闘し、死ぬ準備ができているのです。なぜならその裏には恐れがあるからです。
私たちは今、恐れとは何かを知っているでしょうか。それは、あるがままを受け入れないことではないでしょうか。私たちは「受け入れる」という言葉を理解しなければなりません。私はその言葉を、受け入れるために為される努力という意味で使っているわけではありません。私があるがままを知覚するとき、受け入れるという問いはありません。あるがままを明確に見ないとき、そのとき受け入れの過程を持ち込みます。ゆえに恐れは、あるがままを受け入れないことです。これらすべての反応[反動]、応答、記憶、希望、絶望、挫折の束である [私] 、塞がれた意識の動きの結果である私-その私はどうして[それらを]越えてゆけるでしょうか。精神は、この塞さがりと障害をもたずに意識できるでしょうか。障害がないとき、なんととてつもない喜びがあるかを、私たちは知っています。あなたは、身体が完ぺきに健康であるとき、一定の喜び、幸福があることを知らないでしょうか。精神が完全に自由であり、どんな塞がりもないとき、「私」という認識の中心がないとき、一定の喜びを経験することを、知らないでしょうか。自己が不在であるとき、この状態を経験したことがないでしょうか。確かに私たちは皆 [経験したことが] あるのです。
私がそれを一つの全体として完全に統合的に見つめられるときだけ、理解と、自己からの自由があるのです。そして私は、願望-すなわちまさに思考の表現そのもの-から生まれた活動すべての過程全体を理解するときだけ、それができるのです-正当化せず、非難せず、抑圧せずに、です。というのは、思考は願望と異ならないからです。私はそれを理解できれば、そのとき私は自己の [諸々の] 制限を越えてゆく可能性があるかどうかを知るでしょう。
(´・(ェ)・`)つ
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板