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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
131
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/26(日) 18:49:48 ID:6kL7WP160
くまめも10-2
恐れは、知っているものの蓄積があるかぎり存在する。蓄積が、失うことへの恐れを造り出す。蓄積における意図は、苦痛をかわすことだが、苦痛は蓄積の過程において本来的にある。防御の種が攻撃をもたらす。物理的・身体的な安全が欲しい。自己保護への願望があるところは、恐れがある。安全を要求することの虚偽がわかるとき、もはや蓄積しない。それはわかるが蓄積せざるを得ないと言うなら、本来的に蓄積には苦痛があるということが、ほんとうにわからないから。
恐れは蓄積の過程に存在する。何かへの信念は蓄積過程の一部。外に向かって物を蓄積して戦争をもたらし、内に向かって信念を蓄積して苦痛をもたらす。苦痛をかわすためにしていることが、恐れ、苦痛をもたらす。
恐れは、特定の様式(枠)のなかにいたいと願望するとき、生じる。恐れなしに生きることは、特定の様式なしに生きるという意味。枠が原因として恐れを引き起こし、この恐れが枠を強めているという真理がわかるときだけ、枠を壊せる。恐れから自由になりたいから、枠を壊さなければならないと言うなら、そのときたんにもう一つの様式を追っているだけ。それはさらなる恐れを引き起こす。枠を壊したいという願望に基づいた行動も、もう一つの様式を造り出し、恐れを造り出すだけ。恐れを引き起こすことなく、すなわち枠に関する意識的、無意識的などんな行動もなく、どのようにして枠を壊すべきか。枠について何もせずに単にそれを見ているとき、精神自体が、枠、様式であることがわかる。それは、それ自身で造り出した習慣的な様式のなかに生きている。ゆえに精神自体が恐れ.精神は何をしても、古い様式を強めるか、新しいものを進める方へ向かって行く。これは、精神が恐れを取り除くためにすることは何でも、恐れを引き起こす、という意味。
(´・(ェ)・`)
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