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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
130
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/26(日) 18:45:17 ID:6kL7WP160
最初と最後の自由 第一部
第十章 恐怖(恐れ) 2
恐れは、知っているものの蓄積があるかぎり存在しています-それ[蓄積 ] が、失うことへの恐れを造り出すのです。ゆえに知らないものへの恐れはほんとうは、蓄積された知っているものを失うことについての恐れです。蓄積はまちがいなく恐れを意味します―それ [ 恐れ]が今度は苦痛を意味します。それで「私は失ってはならない」と言った瞬間、恐れがあるのです。蓄積における私の意図は、苦痛をかわすことですが、苦痛は蓄積の過程において本来的にあるのです。まさに私の持っているものごとが、恐れを造り出すのです-それが苦痛です。
防御の種が攻撃をもたらすのです。私は物理的[・身体的]な安全が欲しい。こうして私は主権[独立]政府を造り出します-それは武装した軍隊を必要とします-それは戦争を意味し、それは安全を破壊します。自己保護への願望があるところはどこでも、恐れがあります。安全を要求することの虚偽がわかるとき、私はもはや蓄積しません。それはわかるが、蓄積せざるを得ないと、あなたが言うなら、それは、本来的に蓄積には苦痛があるということが、ほんとうにわからないからです。
恐れは蓄積の過程に存在しています。そして何かへの信念は蓄積過程の一部です。私の息子が死にます。すると私は心理的にこれ以上の苦痛を持つのを防ぐために、輪廻転生を信じます。しかし、まさに信じる過程こそに、疑いがあるのです。外に向かって私は物を蓄積して戦争をもたらします。内に向かって私は信念を蓄積して苦痛をもたらします。私が安全でありたい、銀行預金、楽しみなどを持ちたいと思うかぎり、生理的または心理的に何ものかになりたいと思うかぎり、苦通があるにちがいありません。まさに私が苦痛をかわすためにしていることこそが、私に恐れ、苦痛をもたらすのです。
恐れは、私が特定の様式のなかにいたいと願望するとき、生じます。恐れなしに生きることは、特定の様式なしに生きるという意味です。私が特定の生き方を要求するとき、それ自体が恐れの源です。私の困難は、一定の枠のなかで生きたいという願望です。私はその枠を壊せないでしょうか。私は、真理 [がわかるとき] -枠が原因として恐れを引き起こしているということ、この恐れが枠を強めているということ-がわかるときだけ、そうできるのです。私は恐れから自由になりたいから、枠を壊さなければならないと言うなら、そのときたんにもう一つの様式を追っているだけです-それは [原因として] さらなる恐れを引き起こすでしょう。枠を壊したいという願望に基づいた私の方のどんな行動も、もう一つの様式を [造り出し] 、ゆえに恐れを造り出すだけでしょう。恐れを引き起こすことなく、すなわちそれ [枠] に関する私の方の意識的、無意識的などんな行動もなく、どのようにして枠を壊すべきでしょうか。これは、私が行動してはならない、枠を壊すためのどんな動きもしてはならない、という意味です。私が枠について何もせずに単にそれを見ているとき、私に何が起きるでしょうか。精神自体が、枠、様式であることがわかるのです-それは、それ自身で造り出した習慣的な様式のなかに生きているのです。ゆえに精神自体が恐れです。精神は何をしても、古い様式を強めるか、新しいものを進める方へ向かって行くのです。これは、精神が恐れを取り除くためにすることは何でも、恐れを引き起こす、という意味です。
(´・(ェ)・`)つ
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