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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
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:
避難民のマジレスさん
:2020/07/25(土) 22:24:19 ID:oeQgDAXg0
最初と最後の自由 第一部
第十章 恐怖(恐れ) 1
恐れとは何でしょうか。恐れは、何かとの関係においてだけ存在できるのです、[それだけが]孤立して存在できません。どうして私は死を恐れることができるでしょうか。どうして私は知らないものを恐れることができるでしょうか。私は知っているものだけを恐れることができるのです。私は死を恐れていると言うとき、ほんとうは、知らないもの-すなわち死-を恐れているのでしょうか。それとも知っているものを失うことを恐れているのでしょうか。私の恐れは、死についての [恐れ] ではなく、自分に属しているものごととのつながりを失うことについての [恐れ] です。私の恐れはいつも、知らないものと [の関係において]ではなく、知っているものとの関係においてあるのです。
そこで私の探究は[今や]、知っているものへの恐れ―すなわち私の家族、評判、人格、銀行預金、欲望などを失うことへの恐れ-からどのようにして自由になるのか、です。恐れは良心から生じると、あなたは言うかも知れません。しかしあなたの良心は、あなたの条件付けにより形成されています。ですから良心はやはり、知っているものの結果です。私は何を知っているでしょうか。知識は、[せいぜい]観念を持つこと、ものごとについて意見を持つこと、知っているものとの関係における [継続性の] ように、継続性の感覚を持つことです-それ以上ではないのです。観念は、記憶であり、経験の結果です-それは挑戦に対する応答です。私は知っているものを恐れています-それは、 [こういう意味です-] 私は人々やものごとや観念を失うことを恐れている。あるがままの自分を発見することを恐れている。途方に暮れることを恐れ [ている] 、失ってしまったり、獲得しなかったり、もはや楽しみを得られないとき生じるかもしれない苦痛を恐れている、という意味です。
苦痛への恐れがあります。身体的苦痛は神経的応答ですが、心理的苦痛は、自分に満足を与えてくれるものごとに取りすがるとき、生じるのです。というのは、そのとき私は自分からそれらを取り去るかもしれない誰でも、どんなものごとをも恐れるからです。心理的な蓄積物は、動揺させられていないかぎり、心理的な苦痛を防いでくれるのです。すなわち、私は蓄積物、経験の束です-それらが、どんな深刻な形の動揺をも防いでくれるのです。そして私は動揺したくないのです。ゆえに私は、誰でもそれら[蓄積物]を動揺させる者を、恐れるのです。こうして私の恐れは、知っているものについて [の恐れ] です。私は物質的、心理的な蓄積物-私が苦痛をかわしたり、悲しみを防いだりする手段として集めてきたもの-を恐れています。しかし悲しみは、心理的苦痛をかわすために蓄積する、まさにその過程こそにあるのです。知識もまた苦痛を防ぐのを助けてくれます。医学的知識が身体的苦痛を防ぐのを助けてくれるように、信念もまた心理的苦痛を防ぐのを助けてくれるのです。そういうわけで私は自分の信念を失うことを恐れるのです―そういう信念の真実性について完全な知識や具体的証拠を持っていないにもかかわらず、です。私は自分に押し付けられてきた伝統的信念のうち或るものを拒絶するかもしれません。なぜなら私自身の経験が、私に強さ、確信、理解を与えてくれるからです。しかし、私が習得してきたそういう信念と知識は、基本的に同じものです―苦痛をかわす手段です。
(´・(ェ)・`)つ
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