したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

123避難民のマジレスさん:2020/07/24(金) 21:47:01 ID:zr.JxX7M0
くまめも1-9-5
自己の過程全体、それがいかにそれ自体を覆いかくすかがわかるとき、そのときとてつもなく静かになる。精神のあらゆる動きがたんに自己を強める形であることを認識するとき、現実にその状態にあるとき、精神が全く静かであり、創造する力を持っていないことがわかる。精神が創造するどんなものも、循環のなか、自己の領域の中にある。精神が創造していないとき、創造がある。それは認識できる過程ではない。
 真理は認識されるべきものではない。真理が来るには、信念、知識、経験、美徳の追求、このすべては去らなければならない。美徳の人、正義の人は、何が真理なのかを決して理解できない。なぜなら、彼にとって美徳は自己を覆いかくすこと、自己を強めることであるから。彼が「私は無欲でなければならない」と言うとき、彼が経験する無欲の状態は、自己を強めるだけ。そういうわけで世間のものごとにおいてだけでなくて、また信念と知識においても貧しいことがとても重要。世間的な富をもった人や知識と信念の豊かな人は、決して暗闇の他は何も知らないし、すべての災いと悲惨の中心になる。しかし個人として、この自己の働き全体がわかるなら、そのとき愛が何であるかを知る。それがなんとか世界を変えられるかもしれない唯一の改革である。愛は自己のものではない。自己は愛を認識できない。「私は愛している」とあなたは言う。しかし、まさにそれを言うことこそに、まさにそれを経験することこそに、愛はない。しかしあなたが愛を知るとき、自己はない。愛があるとき、自己はない。
(´・(ェ)・`)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板