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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

122避難民のマジレスさん:2020/07/24(金) 21:43:32 ID:zr.JxX7M0
最初と最後の自由  第一部
   第九章 自己とは何か 5

 あなたは、自己の過程全体、ずるがしこい、とてつもない考案、智恵 [ がわかるとき]、同一化をとおし、美徳をとおし、経験をとおし、信念をとおし、知識をとおして、それがいかにそれ自体を覆いかくすかがわかるとき-精神がそれ自体が作った循環、檻のなかで動いていることがわかるとき、何が起きるでしょうか。あなたはそれに気づき、充分に認識するとき、そのときとてつもなく静かではないでしょうか-強制をとおしてではなく、どんな報賞をとおしてでもなく、どんな恐れをとおしてでもなく。あなたは、精神のあらゆる動きがたんに自己を強める形であることを認識するとき、あなたはそれを観察し、わかるとき、行動においてそれに完全に気づくとき、その地点に至るとき-イデオロギ-として、言葉としてではなく、投影された経験をとおしてではなくて、現実にその状態にあるとき-そのとき、精神が全く静かであり、創造する力を持っていないことがわかるでしょう。精神が創造するどんなものも、循環のなか、自己の領域の中にあるのです。精神が創造していないとき、創造があるのです-それは認識できる過程ではありません。
 真実、真理は認識されるべきものではありません。真理が来るには、信念、知識、経験、美徳の追求-このすべては去らなければなりません。美徳の追求を意識している美徳の人は、決して真実を見つけられません。彼はとてもまともな人であるかもしれません。しかしそれは、真理の人、理解する人であるのとは全く異なっているのです。真理の人にとって、真理は生じたのです。美徳の人は正義の人です。正義の人は、何が真理なのかを決して理解できません。なぜなら、彼にとって美徳は自己を覆いかくすこと、自己を強めることであるから、彼は美徳を追求しているからです。彼が「私は無欲でなければならない」と言うとき、彼が経験する無欲の状態は、自己を強めるだけです。そういうわけで世間のものごとにおいてだけでなくて、また信念と知識においても貧しいことがとても重要なのです。世間的な富をもった人や知識と信念の豊かな人は、決して暗闇の他は何も知らないでしょうし、すべての災いと悲惨の中心になるでしょう。しかしあなたと私が個人として、この自己の働き全体がわかるなら、そのとき私たちは愛が何であるかを知るでしょう。それがなんとか世界を変えられるかもしれない唯一の改革であることを、私はあなたに保証します。愛は自己の[もの] ではありません。自己は愛を認識できません。「私は愛している」とあなたは言います。しかしそのとき、まさにそれを言うことこそに、まさにそれを経験することこそに、愛はないのです。しかしあなたが愛を知るとき、自己はないのです。愛があるとき、自己はないのです。
(´・(ェ)・`)つ


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