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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

110避難民のマジレスさん:2020/07/21(火) 20:08:52 ID:hp0r5VXk0
くまめも1-9-2
何が真理なのかを理解したい。それが私の願望。そのとき、私が真理であると考えるものの投影が後に続く。そして私は経験する。なぜなら、その投影された状態を認識するから。もしも私がその状態を認識しなかったら、それを真理とは呼ばない。私はそれを認識するし、それを経験する。そしてその経験が自己、「私」に強さを与える。それで自己は経験のなかに立てこもる。そのときあなたは、「私は知っている」、と言う。
経験はいつも「私」を強めている。結果として、あなたは一定の性格、知識、信念の強さを持つ。それを他の人たちに見せびらかす。それであなたの信念はすべて孤立化の過程。ゆえにそれらは争いをもたらす。この自己という中心を正当化するのではなく、完全に解消しなければならない。そういうわけで私たちは経験の過程を理解しなければならない。
 精神、自己が投影、願望、経験しないことは可能か。私たちは自己の経験すべてが否定、破壊であることがわかる。それでもそれらを肯定的行動、生き方と呼ばれる。この過程全体を取り消すことは、あなたにとっては否定。私たちは、個人として、その根に遡り、自己の過程を理解できるか。何が自己の解消をもたらすのか。宗教的集団は同一化を提供してきた「あなた自身をより大きなものと同一化しなさい。すると自己は消えさります」という。しかし同一化も自己の過程。より大きなものは単に「私」の投影。それを私は経験するし、それは私を強める。
(´・(ェ)・`)


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