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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば

108避難民のマジレスさん:2020/07/20(月) 23:00:41 ID:uLoVuJFE0
くまめも1-9-1
 観念、記憶、結論、経験、意図、無意識の蓄積された記憶。その全体が、自己の意味。このすべてを求める奮闘が自己。それには競争、願望が含まれる。その過程全体が自己。自己は邪悪。自己は分割するから。自己は自己閉鎖的。その活動はどんなに高尚でも、分離的で孤立させる。私たちは、自己がないときの瞬間をも知っている。そこには尽力、努力の感覚がないし、それは愛があるとき起きる。経験がいかに自己を強めるかを理解することが重要。経験とはどういう意味か。経験する→その印象を翻訳する→それに応じて反応したり行動する。客観的に見られるものとそれに対する反応との間には相互作用があり、意識と無意識の記憶の間にも相互作用がある。記憶に応じて、自分が見るもの、感じるもの、知っているもの、信じているものへのこの反応の過程において、経験が起きている。何か見られるものへの反応、応答が経験。その反応に名づけることが経験。その反応に名づけないなら、それは経験ではない。あなた自身の応答と、あなたのまわりで起きていることを見守れ。名づける過程が同時に起きているのでないかぎり、経験はない。自分の記憶に応じ、自分の条件づけに応じ、自分の先入観に応じて反応しないなら、自分が経験したと知れない。
願望の投影がある。保護されたい、内側に安全を得たいと願望する 自分が投影したものを経験する。すなわち形を取った願望、名をつけた願望を投影し、それにたいして反応する。私に経験を与えるその願望が、私に「私は経験をする」と言わせる。
精神の静寂を願望するとき、何が起きるか。静寂な精神を持つことが重要。なぜなら私の精神が一日中あまりにおしゃべりであるから。時々私は、平和な精神、静寂な精神を持つことがどんなに楽しいかを感じる。願望は静寂を経験すること。私は、瞑想や修練をとおして、静寂を経験しようと求める。ゆえに自己、「私」は静寂の経験において自己を確立した。
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