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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
105
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/19(日) 22:01:47 ID:lyY6c8gM0
くまめも1-8-3
心理的な結果達成や内側の安全を欲しがるかぎり、生には矛盾がある。その矛盾は生きる刺激を与えてくれる。
精神の静けさは、生の意義全体を理解するに不可欠。思考は決して平静ではありえない。思考は、時間のないものを見つけられない。まさに考えるということの本性こそが矛盾。なぜなら、いつも過去や未来という見地に立って考えているから。ゆえに決して現在を充分に認識し、充分に気づいていない。
現在に充分に気づくことはとてつもなく難しい作業。なぜなら精神は直接的に事実に向き合う能力がないから。思考が、それが造り出す矛盾と問題すべてを除去しようとするかぎり、たんに結果を追求していて、目的を達成しようとしているだけ。そういう考えはもっと多くの矛盾を造り出すだけ。
矛盾から自由であるには、選択なしに現在に気づかなければならない。思考が、なる、変える、改めるという見地に立って事実を操作しようとしているかぎり、事実についての理解は不可能。自己認識なしには、矛盾は継続する。自分自身の過程全体、総体を知るには、私たちの関係− ものごととの、財産との、人々との、観念との関係においてだけ、それに気づける。関係において私たちは、行動が観念に自らを近似させているとき、矛盾が生じるということを、発見する。観念はたんに象徴としての思考の凝結化。象徴に添って生きようとする努力は、矛盾をもたらす。
思考の様式を終わらせ、矛盾を終わらせるには、自己認識が必要。自己は、日常の話し、考え方と感じ方、他の一人を見る仕方において理解されるべきもの。あらゆる思考、あらゆる感情に、瞬間瞬間気づけるなら、そのとき関係において自己のあり方が理解される。そのときだけ、そこにのみ究極の真実が生じうるところのあの精神の平静の可能性がある。
(´・(ェ)・`)
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