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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
102
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/18(土) 22:02:00 ID:U9p6ScNE0
くまめも1-8-2
私が生を永久的欲望としてではなくて、常に変化している一連の一時的欲望として見るなら、そのとき矛盾はない。
精神が欲望の固定点を持つときだけ、矛盾は生じる。一つの欲望をつかんで、それを永久的なものにする、そのときだけ、矛盾がある。欲望に固定点はない。しかし精神は固定点を確立する。なぜなら、それはあらゆるものごとを、到達し、獲得するための手段として扱うから。それで、到達しようとしているかぎり、矛盾、葛藤がある。あなたは到達したい。成功したい。永久的満足になる究極的な神や真理を見つけたい。ゆえにあなたは真理を求めていない。あなたは永続する満足を求めているし、その満足に、観念を、神や真理といった言葉をおおいかぶせる。しかし現実には私たちは皆満足を求めているし、その喜び、満足を最高点に位置づけて神と呼ぶ。最低点は飲酒。精神が満足を求めているかぎり、神と酒の間に違いはない。ほんとうに真理を見つけたいなら、極めて正直で、明晰でなければならない。
私たちは皆何ものかになりたい。私たちが時間、達成、地位という見地に立って考えるかぎり、矛盾がある。精神は時間の産物。思考は過去に基づいている。思考が時間の領域の中で機能し、未来という見地、なる、獲得する、達成するという見地に立って考えているかぎり、矛盾がある。なぜなら、そのとき私たちはあるがままに正しく向き合う能力がないから。あるがままを悟り、理解し、無選択に気づくなかでだけ、その崩壊の要因-すなわち矛盾-からの自由の可能性がある。
ゆえに考える過程全体を理解することが不可欠。というのは、矛盾を見つけるのは、そこであるから。思考自体が矛盾になってしまった。なぜなら、自分たち自身の総合過程を理解してないから。そしてその理解は、自分たちの思考に充分に気づくときだけ、可能。思考を操作している観察者としてではなくて、統合的に選択せずに気づく。そのとき、有害で苦痛なその矛盾の解消がある。
(´・(ェ)・`)
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