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鬼和尚に聞いてみるスレ part16

1避難民のマジレスさん:2020/03/23(月) 01:11:33 ID:TEyhyzXI0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。

ルールを守って使用しましょう。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part15
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1571060959/

2避難民のマジレスさん:2020/03/23(月) 08:53:03 ID:CBuM5p9k0
小泉純一郎
安倍晋三
小沢一郎
徳川家康
豊臣秀吉
織田信長
の前世を教えてください。

3蓮恵:2020/03/23(月) 19:17:07 ID:wCfwUKq.0
鬼和尚様

牛頭山法融禅師の心銘を解説していただけないでしょうか。
原文が長いので、重要な箇所ございましたらそこだけでも解説いただければと思っております。
お手数おかけしますが、どうぞよろしくお願いします

心性不生何須知見。本無一法誰論薫錬。往返無端追尋不見。一切莫作明寂自現。
前際如空知處迷宗。分明照境隨照冥蒙。一心有滯諸法不通。去來自爾胡假推窮。
生無生相生照一同。欲得心淨無心用功。縱横無照最爲微妙。知法無知無知知要。
將心守靜猶未離病。生死忘懷即是本性。至理無詮非解非纏。靈通應物常在目前。
目前無物無物宛然。不勞智鑒體自虚玄。念起念滅前後無別。後念不生前念自絶。
三世無物無心無佛。衆生無心依無心出。分別凡聖煩惱轉盛。計校乖常求眞背正。
雙泯對治湛然明淨。不須功巧守嬰兒行。惺惺了知見網轉彌。寂寂無見暗室不移。
惺惺無妄寂寂明亮。萬象常眞森羅一相。去來坐立一切莫執。決定無方誰爲出入。
無合無散不遲不疾。明寂自然不可言及。心無異心不斷貪淫。性空自離任運浮沈。
非清非濁非淺非深。本來非古見在非今。見在無住見在本心。本來不存本來即今。
菩提本有不須用守。煩惱本無不須用除。靈知自照萬法歸如。無歸無受絶觀忘守。
四徳不生三身本有。六根對境分別非識。一心無妄萬縁調直。心性本齊同居不攜。
無生順物隨處幽棲。覺由不覺即覺無覺。得失兩邊誰論好惡。一切有爲本無造作。
知心不心無病無藥。迷時捨事悟罷非異。本無可取今何用棄。謂有魔興言空象備。
莫滅凡情唯教息意。意無心滅心無行絶。不用證空自然明徹。滅盡生死冥心入理。
開目見相心隨境起。心處無境境處無心。將心滅境彼此由侵。心寂境如不遣不拘。
境隨心滅心隨境無。兩處不生寂靜虚明。菩提影現心水常清。徳性如愚不立親疎。
寵辱不變不擇所居。諸縁頓息一切不憶。永日如夜永夜如日。外似頑 内心虚眞。
對境不動有力大人。無人無見無見常現。通達一切未嘗不 。思惟轉昏汨亂精魂。
將心止動轉止轉奔。萬法無所唯有一門。不入不出非靜非喧。聲聞縁覺智不能論。
實無一物妙智獨存。本際虚沖非心所窮。正覺無覺眞空不空。三世諸佛皆乘此宗。
此宗毫末沙界含容。一切莫顧安心無處。無處安心虚明自露。寂靜不生放曠縱横。
所作無滯去住皆平。慧日寂寂定光明明。照無相苑朗涅槃城。諸縁忘畢詮神定質。
不起法座安眠虚室。樂道恬然優遊眞實。無爲無得依無自出。四等六度同一乘路。
心若不生法無差互。知生無生現前常住。智者方知非言詮悟。

4避難民のマジレスさん:2020/03/23(月) 19:19:36 ID:GVjYewFU0
鬼和尚さん、前スレの977です。

執着はありのままに観察すれば滅せられるということなので、やってみます。
体の記憶に頼っていることもありのままに観察してみます。

いつも質問に答えて下さって本当にありがとうございます。
とてもありがたいです。

5普通の者:2020/03/23(月) 21:29:19 ID:LDw7RhVo0
和尚様
いつもご指導ありがとうございます。
私-私に集中し、体験に囚われてはいけないと言われましたが、体験と意識の源と繋がる違いについて非常に見分けるのが難しく、どうしてよいかわかりません。また、自分を見るについても、自分がない瞑想状態では見ることが不可能な気がします。どのようにすればよいのでしょうか?

6避難民のマジレスさん:2020/03/23(月) 22:34:50 ID:XLfKnmcw0
鬼和尚様

昨日も私の質問に答えていただき本当にありがとうございます。

7鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/03/23(月) 23:06:55 ID:1d4drIFg0
>>1 ご苦労さんなのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。

>>2 侍じゃな。
 小商人じゃな。
 金貸しじゃな。
 神官じゃな。
 農民じゃな。
 坊主じゃな。

>>3 心の本性は本来無いものじゃ。知識を用いて理解できないのじゃ。
 元から一つの法すらないのに誰が修行するのか。
 何もなすことの無い無為に居れば悟りは自ずからやってるのじゃ。
 元から取るべきものも無いので捨てることも無いのじゃ。
 何かが有るといえば魔が起こり、空と言う名称ですら形象の観念を起こすのじゃ。
 
 欲を全て滅する必要は無く、ただ想うことを休めるのじゃ。
 思うことが無ければ心は滅し、心が滅すれば分別も止むのじゃ。
 空を体現することも無く、自然に悟りも訪れるのじゃ。
 その時一つのものもなく、妙なる智慧があるのみなのじゃ。
 その真実の境地は虚にして平等であり、心にはもはや苦は無いのじゃ。

 正しい悟りは悟りがない境地であり、真の空とは空という法すらも無いのじゃ。
 過去現在未来の諸仏は皆このように悟るのじゃ。
 その叡智は絶えることなく、瞑想は光り輝いているのじゃ。
 分別の無い庭園を照らし、涅槃の城を明らかにするのじゃ。
 諸々の縁が無く、心は本質を明らかに定めるのじゃ。

 法の座を立つことも無く、虚ろなる部屋に安眠するのじゃ。
 何かをなすことも無く、得ることも無く、無によって自ずから出るのじゃ。
 心がもはや生じることなければ、法が誤まりなく行われたのじゃ。
 生じることと生じないことを知れば、もはや刹那に常住の境地なのじゃ。
 知者は正に言説にあらずして悟ることを知るのじゃ。

 というような意味じゃな。
 これはもはや修行の最後に知るべき銘なのじゃ。
 法という筏を捨てるための教えなのじゃ。
 空とか瞑想を極めて最後の境地に行く時に読むと善いのじゃ。

8鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/03/23(月) 23:10:31 ID:1d4drIFg0
>>4 そうじゃ、ありのままに観るのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>5 それをありのままに観るのじゃ。
 体験と意識の源に繋がることの違いがわからないことや、自分が無いことを観るのじゃ。
 自分が無いとわかるということは、その状態でも観ているものがあるからなのじゃ。
 それが何なのかどこまでも追求して行くのじゃ。
 何が体験なのかもどこまでも観察して追求し行くのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>6 どういたしまして、またおいでなさい。

9避難民のマジレスさん:2020/03/24(火) 06:24:07 ID:4uJwclqg0
侍じゃな。
 小商人じゃな。
 金貸しじゃな。
 神官じゃな。
 農民じゃな。
 坊主じゃな。

それぞれ前世も名の知れた人だったのでしょうか?


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