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鬼和尚に聞いてみるスレ part16
7
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2020/03/23(月) 23:06:55 ID:1d4drIFg0
>>1
ご苦労さんなのじゃ。
正に菩薩の行ないじゃ。
>>2
侍じゃな。
小商人じゃな。
金貸しじゃな。
神官じゃな。
農民じゃな。
坊主じゃな。
>>3
心の本性は本来無いものじゃ。知識を用いて理解できないのじゃ。
元から一つの法すらないのに誰が修行するのか。
何もなすことの無い無為に居れば悟りは自ずからやってるのじゃ。
元から取るべきものも無いので捨てることも無いのじゃ。
何かが有るといえば魔が起こり、空と言う名称ですら形象の観念を起こすのじゃ。
欲を全て滅する必要は無く、ただ想うことを休めるのじゃ。
思うことが無ければ心は滅し、心が滅すれば分別も止むのじゃ。
空を体現することも無く、自然に悟りも訪れるのじゃ。
その時一つのものもなく、妙なる智慧があるのみなのじゃ。
その真実の境地は虚にして平等であり、心にはもはや苦は無いのじゃ。
正しい悟りは悟りがない境地であり、真の空とは空という法すらも無いのじゃ。
過去現在未来の諸仏は皆このように悟るのじゃ。
その叡智は絶えることなく、瞑想は光り輝いているのじゃ。
分別の無い庭園を照らし、涅槃の城を明らかにするのじゃ。
諸々の縁が無く、心は本質を明らかに定めるのじゃ。
法の座を立つことも無く、虚ろなる部屋に安眠するのじゃ。
何かをなすことも無く、得ることも無く、無によって自ずから出るのじゃ。
心がもはや生じることなければ、法が誤まりなく行われたのじゃ。
生じることと生じないことを知れば、もはや刹那に常住の境地なのじゃ。
知者は正に言説にあらずして悟ることを知るのじゃ。
というような意味じゃな。
これはもはや修行の最後に知るべき銘なのじゃ。
法という筏を捨てるための教えなのじゃ。
空とか瞑想を極めて最後の境地に行く時に読むと善いのじゃ。
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