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鬼和尚の仏教購読会 別館

39避難民のマジレスさん:2018/11/05(月) 06:32:04 ID:LC3de7YgO
>>36
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

黄金の華とは光だ。人は黄金の華を象徴として用いる。
「水の領域の鉛にはひとつの味しかない。」という詩句はそれをさす。
黄金の華は象徴だ、あなたのエネルギーがもはや二元的ではなくなり、ひとつにな
ったときの象徴だ。
まるで黄金の光の華があなたのなかで咲いたかのようだ。
しかし、それはたんなる象徴にとどまらない---
象徴ではあるが、文字通り真実だと言ってもいい。
それはまさにそのように起こる。
たった今、あなたは闇として、暗い夜として存在している。
それが起こるとき、あなたは日の出の姿をとって現れてくる。
どこにも太陽を見ることはできないが、光はそこにある。
その光には光源がない---それは光源のない光だ。
だが、ひとたびその内にある黄金の光を知れば、あなたは不死なる者になる。
そうなったら死は存在しない。
光はけっして死ぬことがないからだ。
生命のすべて、森羅万象のすべては、ただ光のみで成り立っている。
すべては光の現れに過ぎない。
現代の物理学者に尋ねてもいい。現代の物理学者たちの見解は、「すべては光だ。
形は変化し続けるが、光は続いてゆく。光は永遠だ。」
という点で、タオと完全に一致している。
世にある聖典の多くは、「光」という言葉で始まる。
「太初に・・・神は『光あれ』といわれた」それが始まりだ。
もしも始まりがあったとすれば、他の始まり方はありえなかっただろう、きっと光
とともに始まったはずだ。
だが、始まりなどというものはけっしてなかった。
これはたんなる寓話にすぎない。
光はつねに存在している。
 『コーラン』は「神は光だ」と言う。
スーフィたちが神に与えた名前のひとつはヌルだ。ヌルとは光のことだ。
その味は変わらない---それが私に起ころうが、あなたに起ころうが、その味は変わ
らない。
仏性の味は同じだ。仏陀はこう言った。
「仏性の味は大海のようだ。北で味わったとしても、岸辺で味わったとしても、沖
で味わったとしても、大海の味は変わらない。仏性の味もそのようなものだ」
この永遠の光を達成した瞬間、その人の生はただひとつの香りを放つようになる 。
その香りは完全な覚醒によって包まれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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