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鬼和尚の仏教購読会 別館
386
:
避難民のマジレスさん
:2019/03/14(木) 23:22:42 ID:LC3de7YgO
>>384
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える
より抜粋
子供たちと一緒に微笑み、笑うことができる。
生のあらゆる状況にくつろぐことができる。
それが自由だ。
それは自我エゴからの自由だ。
自我は人を深刻にする。
そのようにして人は暗黒の世界に沈んでゆくのである。
深刻になり過ぎると、暗黒の世界に、否定的な世界に沈んでゆく。
そこではエネルギーは冷え、息は荒くなり、 寒さと衰亡のメッセージが頻繁に
現れてくる。
いいかね。冷淡になってはいけない。
世のいわゆる聖者たちは冷えきっている。
彼らは要点をすっかり取りちがえている。
冷静クールになるのはいいが、けっして冷淡コールドになってはいけない
――この二つには大きな違いがある。
そこにはとても深いパラドックスがある。
私は「涼しいクール」と言う。
それは熱を帯びた情熱と比べれば涼しいが、死の冷たさと比べたら温かい。
死の冷たさと比べれば温かいが、ぎらぎらした生への欲望に比べれば涼しい。
それは温かくもあり涼しくもある。
真に宗教的な人間は情欲をもたないがゆえに涼しい。
彼は悲しんだり深刻になることがないので温かい。
そういう状態に長くとどまっていると、植物や石の世界に入ってゆく。
あまりに冷え過ぎると、やがてあなたは岩のようになり、無意識になってしま
う。
あなたは人間から転落する。
私の観察によれば、巷の聖者の多くは人間から転落してしまっている。
彼らは超人になるのではなく、人間以下に落ちてしまった。
彼らは岩や石の世界に属している。
(p335)
また人は数知れない誘惑に惑わされてはならない。
これが起こるのは、静かな境地がはじまった後、突然 あらゆる妄想のつながり
が続々と現れてくるときである。
それを打ち破ろうとしても、どうにもならない。
その妄想を追うと、気分が軽くなったような感じがする。
精神分析が道を誤ったのはここだ。
精神分析は自由連想の技法になってしまった。
あなたはどこまでもつつ゛けてゆくことができる。
想念が次から次へと現れ、それが無限につつ゛いてゆく。
次から次へと現れる想念から身を引いたままでいなければいけない。
想念はやって来て、四方からあなたを取り囲む。
想念は雲に似ている。
わずかに顔をのぞかせていた青空さえも消えてゆく。
そして想念ではち切れそうになると、人は本能的に闘いはじめる。
瞑想とは無念無想の状態であることを読んで知っているからだ。
だが、
闘ってもけっして無念無想にはなれない。
闘っても負けるだけだ。
闘うことそのものが敗北の原因になる。
影と闘うことはできない。
闘っても負けるだけだ。自分の影と
闘おうとしたら、あなたは負けるしかない――
影がとても強いからではなく、
影など 存 在 し な い からだ。
存在しないものと闘って、どうして勝つことができるだろう?
想念は影だ。闘ってはいけない。
闘わなければ、もうひとつの道が開かれる――精神分析が選んだのはそれだ。
その場合には、想念とともに動き、想念を自由に漂わせ、自由に連想を起こら
せる。
ひとつの想念が別の想念に結びつき、またその想念が別の想念に結びついて次
々と連想が起こり、それが延々と果てしなく、うんざりするほどつつ゛いてゆ
く。
これには一種のくつろぎに似た感覚がともなう。
精神分析が終わると、人々が安堵し、救われた気持ちになるのはそのためだ。
救われたわけでもないし、助かったわけでもない。
たんに闘いが消えただけだ。
あなたが緊張するのは闘うからだ。
闘わなければ緊張は消える――そして緊張が消える ことで、あたかも救われた
ような気分になる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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