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鬼和尚の仏教購読会 別館
377
:
避難民のマジレスさん
:2019/03/10(日) 22:39:30 ID:LC3de7YgO
>>375
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋
最もすぐれた聖者とは、みずからの手で最も自分の身体をひどく傷つけた者だ
った。
人々はやって来て、彼らの傷を数えたものだった。
他人の傷を数えるとは、いったい どういう連中だろう?
彼らもまた倒錯した喜びに浸っていたにちがいない。
インドではジャイナ教の行者ムニたちが身体を傷つけている。
ディガムパラ派に属する ジャイナ教の僧侶は毎年髪の毛をむしり取る。
そして彼らが髪の毛をむしるときには 大勢の人が集まってくる。
それは苦痛に満ちているが、人々は「立派な苦行が行なわれ ている」と楽しみ
にしている。
その男はたんなる倒錯した精神病者にすぎない。
彼には 電気ショックが必要だ。
それ以外のものでは役に立たない。
髪の毛をむしりはじめる行為には、ある種の狂気が含まれている。
そして、 あなたが夫であれば知っているように、怒り狂った妻は、ときどきそ
れをやる ことがある。
妻のほうがそれをよくやるのは、妻は夫を殴るべきではないと教え られてきた
からだ。
ではどうすればいい?夫を殴りたいが、殴るわけにゆかない。
経典には夫は神であると述べられている。
それがまったくのたわごとであることは わかっているが、経典は経典だ。
彼女は夫のことを知り尽くしている――夫が神だと したら、いったい悪魔は誰
だろう?
だが、それは口にしてはならない。
彼女は夫の 足に触れなければならない。
妻が夫に愛の便りを送るときには「あなたの下僕」と 書かなければならない。
どちらが下僕か彼女は知っているのだが!
誰もが実情を知っているが、うわべを取り繕わねばならない。
妻が夫を殴れば、何か 罰当たりなことをしたような、罪を犯したようなやまし
さが湧いてくる。
だから夫を 殴るわけにはゆかない。
だが、彼女は 本 当 に 殴りたいのだ!
だったらどうすれば いい?皿を割るか――そんなことをしたら損をするだけで
、自分が苦しむだけで、何の 役にも立たない――それとも最も手軽で、安価で
、経済的な方法を取り、自分自身を 叩き、髪の毛をかきむしり、壁に身体を打
ちすえ、壁に頭をぶつけるか。
これが一番安上がりな方法だ。
彼女は夫の頭をぶちたいのだが、そうすることはでき ない。
それは許されておらず、倫理にもとる。
誰がこの観念を彼女に吹き込んだのだ ろう?
夫や彼の仲間の僧侶や政治家たちだ。
精神病院に行けば、髪の毛をかきむしっている人が大勢いる。
人々が髪の毛をかきむしることには一種の狂気がある。
さて、髪の毛をむしり取っているジャイナ教の僧侶は、本当は病気だ。
だが、人々は 集まってお祝いをする――「とても偉大なことが行なわれている
!見ろ!なんと すばらしい聖者だろう!」
こういった人々は病気だ、と言ったばかりに、私は反感を 招いてしまった。
ことは単純だ、ごく単純だ。彼らは私に反発せざるをえない。
キリスト教の宗派には……かつてロシアには性器を切り取る一派があって、盛大
な 集会が開かれたものだった。
ある定められた日に、人々はそれを行なった。
それは 精神錯乱だった。
ひとりが自分の性器を切り取り、それを投げ捨てると、あたり一面 に血がまき
散らされる。
するとその錯乱状態が、ただ見物にきていた人たちに乗り移る 。
つつ゛いて誰かが飛び込んで、その行為に加わってゆく。
祭りが終わる頃には、 性器の山ができている。
こういう連中が偉大な聖者と見なされた。
女性たちはどうしていいかわからなくなり、乳房を切り落としはじめた。
負けてはいられないからだ。
女性たちは乳房を切り落としはじめた。
単純な錯誤からあらゆる種類の愚かな行為が起こりかねない。
あなたが内側に向かいはじめると、それまで他人の人生に難癖を つけてきた古
い思考様式マインドが、あなた自身の生に難癖を つけようとする――そういっ
た錯誤が起こりかねない。
いいかね、内なる探求者はゆったりとした気分でいなければならない。
ゆったりとくつろいでいるときにのみ、何かが起こりうるからだ。
緊張し、不快な気分を味わっているときには、何も起こらない。
緊張し、不快な気分を味わっているときには、心が乱れ、 穏やかな気分ではい
られない。
腹が減っているのに、どうして穏やかな気分でいられるだろう?
ところが人々は断食を説いてきた。
彼らは断食は瞑想の助けになると言っている。
ときおり断食が体調をよくする助けになることはあるだろう。
不要な体重がいくらか減るかもしれない。
だが、断食は瞑想の助け にはならない。
断食していると、食べ物のことばかりが頭に浮かぶ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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