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鬼和尚の仏教購読会 別館
258
:
避難民のマジレスさん
:2019/01/26(土) 00:05:53 ID:LC3de7YgO
>>255
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁
より抜粋
だが、いいかね。思考のない状態は一種の眠りであってはならない。
なぜなら、それはごくありふれたものだからだ。
それは毎日起こっている。
深い眠りのなかで、夢が消えたとき、あなたはその深淵のなかへと落ちてゆく
。
ぐっすり眠ると若返ったように、さわやかになるのはそのためだ。
朝になると再び活力がみなぎり、あなたは新しく生まれ変わっている。
だが、それは無意識に起こることだ。
パタンジャリは、深い眠りとサマーディはひじょうによく似ているが、ひとつ
だけ違いがあると言っている。
眠っている時には人は無意識だが、サマーディの状態では意識している。
だが、あなたは同じ空間―内側にある、同じ測ることのできない不可思議な空
間におもむいている。
そこには思考もなく、欲望 もなく、想念の波動もなく、まったく静かだ。
あらゆる技法はそこに到る。
ヨーガ、タントラ、タオ、ハシディズム、スーフィズム ―あらゆる技法は異な
る角度からそこにたどり着く。
それら はさまざまなタイプの人々のために編み出されたものだ。
(p188)
だが、実修をはじめるにあたり、人は浅いものから深いものへ、粗雑なものか
ら微細なものへと進んでゆかなければならない。
最初は大いなる努力が必要とされる。
人は浅いものから深いものへと進んでゆくしかない。
浅いものとは何だろう?
浅いものとは絶え間のない思考のプロセスだ。
深いものとは何だろう?
思考のない状態のことだ。
粗雑なものとは何だろう?
心の中身はみな粗雑だ。
微細なものとは何だろう?
中身のない状態は微細だ。
人は進みつつ゛けなければならない。
最初のうちは大いなる努力が必要とされる。
最初のうちは行法ワークに完全に身を投じ
なければならない。
そうしてはじめて瞑想は無努力になり、至福の瞬間が生まれてくる。
まず瞑想は男性的エネルギーでなければならない。
それが尽きてはじめて女性的エネルギーになることができる。
私がまず最初に激しい動きをともなう技法を強調するのはそのためだ。
全力をふりしぼり、最大限の努力をするがいい。
しりごみせずに、もてるすべてを賭けるのだ。
そうすれば、やがていつか努力せずにくつろぐことができるようになる。
目を閉じるだけで第三の目に到達することができるようになる。
だが、実修をはじめるにあたり、人は浅いものから深いものへ、 粗雑なものか
ら微細なものへと進んでゆかなければならない。
すべては間断なく持続するかどうかにかかっている。
それを規則正しく行ないなさい。
実修は始めから終わりまで一貫していなければならない。
この間に、冷暖をおのずから知るのである。
だが、目指すべきは 空の広大さと海の深遠さに到ることであり、そうすればあ
らゆる技法をいともたやすく身につけることができる。
そこではじめてそれを体得したと言える。
努力が不要になり、いっさいの努力が落ちたとき、あなたはそれを真に体得し
ている。
技法が不要になり、いっさいの技法が落ちたとき、あなたはそれを真に体得し
ている。
瞑想がもはやすることではなくなり、みずからの境地になったとき、あなたは
それを真に体得している。
あなたはそのなかに生き、歩くときも、坐るときも、そのなかにある―「坐る
ことも禅であり、歩くことも禅だ」
食べるときも、眠るときも、あなたは瞑想の内にあり、それになりきっている
。
いずれはそのときが来る。
だが最初は全身全霊で取り組まなければならない。
いいかね、水が百度の熱で蒸発するように―九九度や九九・九度ではなく百度
で蒸発するように、あなたがもてるすべての力を振り絞って百度に達したとき
には、ただちに卑金属が黄金に変わる。
性エネルギーは、ただちに霊的世界にまで到達する。
流出していたエネルギーはただちに百八十度の転換を遂げ、二つの目はひとつ
になる。
そうなったら内界と外界はくまなく光明で満たされる。
イエスは言った。
「木を切りなさい、そうすれば私がみつかるだろう。石を打ちなさい、そうす
ればそこに私がいる」
これは究極の境地だ。
木を切ると神を見いだし、石を打つと神を見いだす。
あなたは神として、神のなか、神の上を歩いている。
あなたは神を呼吸し、神を食べ、神を飲んでいる。
なぜなら、すべてが神だからだ。
この究極の体験こそ、呂祖師の言う開放だ。
そしてそれは第三の目のなかにある。
(p190)
(´・(ェ)・`)
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