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鬼和尚に聞いてみるスレ part12

1偽和尚★:2018/08/29(水) 22:01:56 ID:???0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。

ルールを守って使用しましょう。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part11
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1523192981/

2糞和尚:2018/08/29(水) 22:22:39 ID:dwzKza6c0
(_´Д`)ノ~~オツカレー

3避難民のマジレスさん:2018/08/29(水) 23:53:48 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

自分の心を観察しても何も変わりません

鬼和尚さんは観察が出来ていないと言いますが
観察すれば変わるというその根拠を教えてください

観察によって自己同一化が解除されるからじゃ
という事かもしれませんが、一向にそのような気配が
感じられません

観察を繰り返しても同じ様な感情、思考が湧いてきて
とらわれてしまいます。どうしたら良いのでしょうか?

4避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 00:02:44 ID:Y5LPInQE0
もう一つ質問です

逃避した場合は逃避したと観察するとのことですが
それはどうやれば良いのでしょうか?

逃避した瞬間を思い出して振り返れば、逃避を観察できたことに
なるのでしょうか?

その逃避の様を観察出来ればもう逃避しなくなるのでしょうか?

蜘蛛が怖くて触れなかった人が逃避を観察出来ればその瞬間から
蜘蛛を触れるようになるんですか?

5避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 15:29:14 ID:ED7coW0E0
鬼和尚、
クリシュナムルティは「観察者が思考を観ている」のではなく「思考が観察者を思考している」「思考の過程の中で観察者が起こっている」的なことを言っていました。
これ、思考ではなく認識のことではないかと思うのです。思考なくとも私を想起させます。
そしてここが阿頼耶識を滅するヒントがあるのではないかと思うのですがどうでしょう。

6避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 18:28:25 ID:0aVLgrsQ0
質問です。
居合道や剣道でやる「型稽古」ですが、観察しながら集中してやれば、ビパッサナー瞑想のかわりになりますか?また、ビパッサナー瞑想で悟る事は出来ますか?

7避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 19:30:27 ID:h5P9mv0k0
「中道」って、どう言うことですか?
どんな事を意識して、何を実践すれば中道と言えますか?
詳しく教えてください。

8避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 20:00:20 ID:0dL7ysKc0
無知な者がしてしまう 教えを汚す とはどんな事がありますか?
またそれによって受ける苦はどんなでしょうか?
複数お願いいたします。

9鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/30(木) 22:07:36 ID:1d4drIFg0
>>1 ご苦労さんなのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。

>>3 何も変らないから観察できていないとわかるのじゃ。

 観察された者は他のものと認識するからなのじゃ。
 観察できていなければ他のものと認識できていないのじゃ。
 
 そのような思考や感情が心の中の原因から起こることを観察するのじゃ。
 原因がないときは起こらないことを観察するのじゃ。

>>4 観察を重ねて今逃避していると気付くのじゃ。
 観察ができていなかったのは逃避しているからと気づくのじゃ。
 今ここで逃避している心の働きに気付くのじゃ。
 逃避はなくなるのじゃ。
 それもできるようになるじゃろう。
 わしのブログ等を参考に実践あるのみなのじゃ。

>>5 そうじゃろう。
 認識なのじゃ。
 翻訳の難しい分野であるからそれで間違うのかもしれん。
 自我の在る限り阿頼耶識を滅するのは難しいのじゃ。
 先ずは無我を目指すと善いのじゃ。

>>6 なるじゃろう。
 心を観察するところまで行けばできるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

10鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/30(木) 22:15:45 ID:1d4drIFg0
>>7 中道とは苦行とか逆に快楽の道を進まずに、瞑想をすることなのじゃ。
 昔はそれらが善いとか思われていたのじゃ。
 瞑想をすれば真の悟りへの近道を行くことが出来るのじゃ。
 極端な説に惑わされずただひたすらに止観を修行すれば中道といえるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>8 実践しないことなのじゃ。
 悟りを得られず死んで又苦を受けるじゃろう。
 尽きることの無い苦が続くのじゃ。

 経典を読まないこともそうなのじゃ。
 知識が増えないから間違ったことをしてもわからないのじゃ。
 それもまた苦への道なのじゃ。

11避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 22:37:43 ID:ED7coW0E0
>>9
鬼和尚、ご返答ありがとうございます。

やはり認識のことでしたか。
「私が認識を観ているのではなく、認識の過程の中に私がある」ですね。

今は思考を静め、無常に絶え間なく起こる認識を常に観察するよう心がけています。

12避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 16:14:50 ID:lJc896wM0
鬼和尚さんいつもありがとうございます。

慈悲の精神と事業が両立するのかどうか
両立させ得るべきなのか

鬼和尚の見解をお聞きしたく思います。

13避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 18:00:15 ID:o7TfOr0I0
事業が計画通りに展開しないとイライラする自分がいます。「計画通りに行かない」のは、在る意味では「発展の契機」だとも思うのです。
計画通りに行かないのは、その計画が、関係する人々の真の欲求を捉えていないからだとも思うからです。しかし、100%好きにやってくれ、と言うのでも経営は破綻します。
経営は何を目指すべきでしょうか?
職員、顧客、経営者、地域住民、国家などの関係者がwinwinの関係になるのが理想だし、それを目指さないとどこかで破綻するように思います。
経営者の視点と神や仏の視点があるでしょうが、
神や仏の視点では経営は破綻する、しかし、破綻しても良いのかもしれない。
破綻覚悟の経営と言うのも必要か

14避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 18:15:48 ID:o7TfOr0I0
悟りの視点から見た経営。
そんなのもあるだろうか。
エゴの計画が破綻するから、真実の流れが見えてくる面もあるのかもしれん。
そういう目で見れば、セブンイレブンやすき屋も、ある意味で凄いよな。時給850円で搾取している面もあるが、ちゃんと従業員の生活を支えている面もあるからな。

15避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 19:24:11 ID:h5P9mv0k0
解脱をしていない生命は一体、何回生まれ変わることになるんですか?
地球が無くなるまでですか?
いつかは全ての生命が解脱する事になるんですか?
それなら今、この人生で解脱をする意味は何なのでしょうか?

16避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 20:28:39 ID:o7TfOr0I0
仮に鬼和尚がセブンイレブンの経営を任されたらどういう経営をするんだろうか?
①慈悲の精神で全パートの時給を300円アップする
②エロ本撤去
③全ての弁当を菜食にする
とかだろうか、それはそれで面白い気もするけどね

17避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 20:54:27 ID:o7TfOr0I0
そもそも「ビジネス」って必要なのか?
人を幸福にするためにあるはずのビジネスが人を不幸にしている面もある。
ビジネスの枠組みで見ると「駄目な奴」とか「出来る奴」などが出てくるが、枠組みを取っ払えば、何の問題も元々無かった訳よ。
学校がなければ良も不良も無いようなもので。
ビジネスを始めたがゆえに、余計な問題が増殖したりもする。
作った作品も売れるか売れないかで判断の対象になる。

18避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 20:57:58 ID:o7TfOr0I0
農家の場合でも、ビジネスがからむと、「出来損ない」が生まれたりするが、自然はあるがままにあるだけである。野菜だけでなく、人間のことも、出来、不出来で判断するようになる。
他者だけでなく、自己自身も、商品価値として評価し始める

19鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/31(金) 21:40:26 ID:1d4drIFg0
>>11 そうじゃ、認識なのじゃ。
 私も認識されたものなのじゃ。
 認識の主体ではなく客体なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>12 両立するじゃろう。
 一時的には慈悲で損をしても後には栄えてくるものじゃ。
 経営者が慈悲の在る者ならば会社も栄え、そうでなくなれば滅んだりするのじゃ。
 これはオカルトとかではないのじゃ。
 経営者が慈悲のある者でみんなによい物を提供しようとすれば品質も上がり、買って得をするからみんな買うのじゃ。
 慈悲の無い者は自分だけが得をしようと品質の悪いものを無理に売りつけようとするからみんな損をすると思って逃げていくのじゃ。
 客も愚かな者ではないから敏感に反応してそうなるのじゃ。
 必然なのじゃ。
 
>>13 そうじゃ、皆が得をする自他の利益を目指すべきなのじゃ。
 自分の利益も大事なのじゃ。
 常に理想のイメージを思い描けば現実も動いていくのじゃ。
 それには忍耐も必要なのじゃ。
 思い通りに行かないことをよく観察して原因を探し、思い通りにすることが真の事業家の為すべきことなのじゃ。
 そこに工夫が必要なのじゃ。
 自他の利益と忍耐と工夫が必要なのじゃ。

>>15 何回でも生まれかわるのじゃ。
 地球がなくなっても生まれかわるのじゃ。
 いつかはなるじゃろう。
 少しでも苦が少ないほうがよいじゃろう。
 この娑婆世界では善い事をしても鞭打たれて磔にされる可能性が在るからのう。
 そんな眼にあう前に解脱すると善いのじゃ。

20鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/31(金) 21:45:37 ID:1d4drIFg0
>>16 そうじゃ、慈悲の経営じゃ。
 残り物をただにするとかなのじゃ。
 
>>17 よいものは必要なのじゃ。
 悪いものはいらないのじゃ。
 そのようにして淘汰されていくのじゃ。

21避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 22:03:15 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚様、ありがとうございます。
真の善きビジネスマンになるべく精進したいと思います。慈悲の経営を展開して参ります。

22避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 22:26:14 ID:o7TfOr0I0
鬼先生、この場を借りて少し分析させてください。まず、思い通りに行かないのは「自分の利益だけを最優先しよう」と言う餓鬼の心があるのが一つの要因だと思います。とは言え、ビジネスパートナーや顧客にも餓鬼の心はある、と、想定される。また、出資者パトロンにも餓鬼の心がある。下手に相談すると、悪代官と越後屋みたいになっちゃうわけです。だから、戦略的に、他人(特に悟りを開いていない人)に相談するのは控えようと思います。特にパトロンはまずい。
しかし、出資者であるパトロンにも利益を出さなくては成らない。マジで、プロ野球の監督になったような気分です。短期戦略しかみないオーナーのことも納得させなくては成らない。
ただ、順序としては、まずは私の餓鬼の心を成仏させる必要がある。

23避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 22:34:04 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。とりあえず、私はビジネスのことは忘れようと思います。純粋に理に合わないような、全く馬鹿馬鹿しいような親切をしようと思います。
親切を目的に親切に終わるのです。
何の計算も、てらいもない、ひたすらお馬鹿な親切です。大損の道です(笑)

24避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 23:28:39 ID:o7TfOr0I0
と言うのも、ビジネスパートナーが、一般的なビジネスの枠組みを外れて行動するので、私の計算合理性の視点からは「馬鹿野郎」にしか見えない訳です。しかし、私はビジネスパートナーや顧客を、都合の良い道具と見ている部分はあるわけです。経済的利益やサービスを与えている事で正当化しても、どこか目標達成のための「駒」と見ている。駒として見ているから、勝手に動くと、イライラする訳です。しかし、彼らはビジネスの枠組みを外してみると、駒ではなく、「実存者」です。「一回限りの人生」を精一杯、自分らしく生きようとしている、同じ仲間でもあるのです。
ビジネスの枠組みを外して見ると、一見無軌道な行動も、自己実現的な、何か意味のある運動なのかもしれませんし、慈悲の精神で、私の会社がではなく、彼ら自身が幸せになれるように関わろうと思います。つい、会社の利益(つまり自分の利益)を考えてしまうのですが、それが彼らの存在の犠牲の上に成り立つのでは、そもそも成り立たない。人々の幸せのために会社を立ち上げたのに、会社の為に人々があるかのような状況にしてしまってはいかん。しかし、私の幸せも犠牲に成らないように。彼らの本当の意味での幸せを応援することは、私の本当の意味での幸せにも繋がるはずだと思うんですよね。だから、利益を脇において、純粋な親切を施すことは、結果的に私自身の利益にもなるはずなのです。だから私は純粋な親切だけをするのです。

25避難民のマジレスさん:2018/09/01(土) 18:20:22 ID:b/Pm4naQ0
鬼和尚さま
過去に生まれ変わることはあるのでしょうか?

26避難民のマジレスさん:2018/09/01(土) 18:28:16 ID:h5P9mv0k0
悪い友を「この人は悪い友だ」と認識した上で、自分に影響が及ばないように気をつけながら
その者を自分の都合のいいように動かすのは、結局は自分も悪い人間になってしまっていますか?

なんと言うか、悪い影響を与えそうな人間を搾取の対象にしたりコントロールするのはダメなんですか?
悪い友なら何をしてもいいわけじゃない、と?
悪い友にわざわざ慈悲を持つ必要はあるんですか?

27鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/01(土) 22:55:27 ID:1d4drIFg0
>>21 そうじゃ、それこそ真の成功への道なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>22>>23>>24 そうじゃ、それでよいのじゃ。
 正しい道なのじゃ。
 自分が餓鬼の心を出せば他人も餓鬼の心を出すものじゃ。
 自分が菩薩の心を出せば他人も菩薩の心を出すのじゃ。
 自分から先に出すのが正しい道なのじゃ。
 実践し続ければ必ず成功するじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>25 全ては心が作り出す故に、過去に生まれたと思えば過去なのじゃ。
 時代も歴史も観念なのじゃ。
 観念の中で観念の輪廻を繰り返しているだけなのじゃ。

>>26 それは動機次第なのじゃ。
 慈悲の心で悪い友を善い道に動かしているならば善いことなのじゃ。
 搾取しようとするのは悪いことなのじゃ。
 全ての者に慈悲を持つのじゃ。
 そうすれば他人もおぬしに慈悲を持つのじゃ。
 悪い友が自分は搾取されているとか気付いておぬしに無慈悲になったならばえらいことが起きるかもしれん。
 慈悲によって生きるのが最も賢い生き方なのじゃ。

28避難民のマジレスさん:2018/09/02(日) 01:53:35 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

この記事↓に書いてる事は本当でしょうか?
http://siran.gjpw.net/Entry/928/

プログラマー視点なんて物があるのですか?

その視点になればホイホイ良い事が起こるんですか?

私も以前はこういう事が本当だろうと思っていたんですが
(というか本当であって欲しかった)そんな視点にもなれないし
良い事も余り起こらないし、この作者に文句の一つも
言ってやろうかと思っているのですが

29避難民のマジレスさん:2018/09/02(日) 01:55:42 ID:Y5LPInQE0
>>9
ご回答ありがとうございます
でも逃避は見えませんし逃避なんかしていないと私の心は言っています
そのような場合どうすれば良いのでしょうか?

30蓮恵:2018/09/02(日) 12:03:31 ID:bBhHG6gQ0
鬼和尚様

人間の見解や分別を付け加えないことが、空というものですか

31避難民のマジレスさん:2018/09/02(日) 13:58:33 ID:0l/rwjZA0
鬼和尚さま

大念処経の現代訳を読んでますが、地水火風の四大要素は方便ですか?
それとも観察や行が進むと四つの要素があり、これはこの要素、この部分はこの要素みたいにハッキリわかる事実なのでしょうか?

細かく観察をするために特徴を分けた方便かなとも思ったのですが、テーラワーダなどでは四大要素を個別に観察したりもしますよね
そのあたりでどうなのかなと思い質問しました。

あるものを観察するとき四大要素のように別々の要素がありその集合として観察されることはわかりますが、
四大要素があるのだという前提でそれらを観察していくことはどう思われますか?

32避難民のマジレスさん:2018/09/02(日) 19:22:58 ID:Tu1eESLY0
鬼和尚さん

自分を観察していたら、私は社会で生活する個体を自分だと思っていると気づきました。
でも、社会で生活する個体が自分であることが自分には当たり前過ぎて、それは自分ではないと気づく方法がよくわかりません。

そもそも社会も観念で、生活も観念で、だから、頭の中にある観念の塊を自分だと思っているだけだ、というのことなのでしょうか?
でも、そうすると、観念ではない自分はどこにあるのでしょうか?

33避難民のマジレスさん:2018/09/02(日) 21:27:58 ID:h5P9mv0k0
自分が得をしたいあまり、他人に施しをしたり優しさを持つ余裕がない人は友達にしない方がいいですか?
また、依存心が強くて他人に寄りかかってばかりの弱者も付き合いは避けた方がいいですか?

なぜか私の周りにはこの手のタイプの人が頻繁に寄ってきます。
自分が無意識に引き寄せているんでしょうか?

34鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/02(日) 22:44:50 ID:1d4drIFg0
>>28 嘘なのじゃ。
 善い事をすれば善いことが起こるのじゃ。
 善い事をしていないのに善いことが起こるはずも無いのじゃ。
 だまされてはいかんのじゃ。

>>29 それがそのまま今の本心なのじゃ。
 逃避はしていないと思っていると心をそのままに観察するのじゃ。

 殆どの者はなんらかの形で逃避しているものじゃ。
 逃避していないと思うのは、逃避していることを認めるのに何かの障害が在るからなのじゃ。
 逃避している事実に気づけば逃避してきたものと対峙しなければならないから、逃避していることをも認めないとかのう。
 そのような心の働きを観察してみるのじゃ。

>>30 それも空なのじゃ。
 一切を無として見るのが空であるからのう。
 見解や分別を付け加えないのが空であり、それすらも無と観るのが空ともいえるのじゃ。
 徹底した観想が必要なのじゃ。

>>31 それらは当時の物理学、医学的な観察法なのじゃ。
 物理、医学的なものとしての肉体を観る法なのじゃ。
 食べるもので肉体が保たれていると観察する法もあるように物としての肉体を見る法なのじゃ。
 肉体の熱が火であり、血が水であり、肉が地であり、神経の伝達が風であり、空間に拠ってあるものと見たりするのじゃ。
 それらの集まりが肉体であると観察する時、そこに自分は無いと気づくこともできるのじゃ。
 物理的な肉体に囚われている者には効果が在るのじゃ。

35鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/02(日) 22:49:20 ID:1d4drIFg0
>>32 善い気付きなのじゃ。
 
 詳細に観察すれば今はわからないことも気付くことが出来るようになるのじゃ。
 それが日々の精進で可能になるのじゃ。

 そうじゃ、社会も観念なのじゃ。
 観念ではない自分というものは無いのじゃ。
 全てひとつで在るだけなのじゃ。
 それに気づくまでただひたすらに観察し続けるのみなのじゃ。

>>33 そうじゃ、相手にしなくて善いのじゃ。
 依存されるのも避けるとよいのじゃ。
 そうかもしれん。
 似た者が引き寄せられるのであるからのう。
 自らの修業によって不動になった心を拠り所にするのじゃ。
 それが最も堅固な拠り所なのじゃ。

36素人A:2018/09/03(月) 10:12:41 ID:gOqWUDAs0
鬼さん未来いや如来を身につけるにはどうしたらよいのですか。
全て修行実践を優先せよと当たり前のこたへが来るだけか
でも修行面倒で苦しい事もあるので鼻先に低い煩悩で少しはストレス解消しな
ければ何も楽しみなきゃ損だし私は小市民だし世界に使われるだけで良いのか
今少し勉強すれば先が開けると思う後で少し学ぶか経験から後はなかなか来ない

37避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 18:24:52 ID:o7TfOr0I0
森羅万象に溶け込んだ感じになると、全てが絶好調なのだが、個我に閉じ込められるような状態になるときもありますね。
鬼和尚は、こう言うときに、何か工夫をしていますか?
経験的には独りで「居すぎているときに」個我と言うか思考に閉じ込められることがあるように思います。

3831:2018/09/03(月) 19:04:28 ID:0l/rwjZA0
>>34
なるほど、現代でいうと世界や自分の身体は原子と分子の集まりに過ぎないとして執着しないようにするようなことですかね。
ありがとうございました。

39避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 19:30:04 ID:h5P9mv0k0
この世の快楽と執着は言わば輪廻の罠、トラップのようなものだと言えますか?
快楽が手放せない人は、輪廻から永久に脱出できない。
なんの意味もなさず、ただただ苦しみだけの罠だと。
それを甘い果実だと人が愚かな錯覚しているところが大きな問題なんですね?

しかし、なぜ快楽は甘い蜜のように魅力的なんでしょうか。

40避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 20:19:31 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚
無理矢理、様々な事を企画しても、「現実」の反乱にあって、努力が水泡に帰してしまう。
本当に必要なことは、向こうからやってくる。
皆が満腹の時にビスケットを配っても、全て棄てられるだけである。
ビスケットが必要なときは、向こうから「ビスケットくれ」と言うだろう。
慈悲の行為を行うにしてもタイミングが重要になる。普段、私に出来る慈悲の行為とは、いざ必要なときにビスケットを配る準備をしておくことなのかもしれない。

4132:2018/09/03(月) 20:32:38 ID:BvB6XB0M0
>>35
鬼和尚さん、ありがとうございます。

社会も観念ならば、結局、私は頭の中にある記憶を自分だと思っているということになります。
だから今度は、頭の中の記憶ではなくて、今ここにいる自分が自分なのかなと思って観察してみました。
すると、今ここにいる自分は一秒一秒すぐに頭の中にある記憶に変わっていくことに気づきました。
自分がすぐに記憶になってしまうので、自分がいないということが少しわかりました。

でも、やっぱり自分がまだいる感じがします。
つまり、一秒一秒過ぎ去る記憶を自分だと思っています。
これも観察していたら厭離されますか?

42避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 20:32:42 ID:o7TfOr0I0
慈悲の行動や経営をするには名誉欲や権力欲などを捨てなくては成らない。
しかし、我々が何か「自発的」に行為するとき、まさに「不安」や「恐れ」「欲望」に支配されていることが多い。
それは根元的には死の不安だ。

43避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 20:48:03 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。欲望や不安に引き摺られず、正しい判断、正しい行動、正しい思索、正しい言葉が発せられる「地平」とはどこにあると思いますか?
勿論、それは悟りを受けとる為の地平(足場・心構え)でもあります。

44鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/03(月) 21:15:42 ID:1d4drIFg0
>>36 その状況も観察すると善いのじゃ。
 自分を小市民と思っていると観察するのじゃ。
 それが正に如来ではないと認識するための思いなのじゃ。
 それに気づくのじゃ。

>>37 もはや何もしないのじゃ。
 何もしなくて善いのじゃ。
 個我は幻想であるからあり続けることはできないのじゃ。
 その思いも消えていくのを観察すれば善いのじゃ。

>>38 そうじゃ、原子や分子も実際には我々には見えないものじゃ。
 えらい学者が言うからそれで確固としたからだが在ると思うだけなのじゃ。 
 それは五大説を信じていたインド人と同じなのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>39 そう言えるじゃろう。
 それが問題なのじゃ。
 孤独や寂しさや恐れが在るからそれに逃避するのじゃ。
 それに魅力が在るのではなく、逃避する対象として求めるのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>40 そうじゃ、思い通りに行くことが少ないのじゃ。
 善事をしていれば幸運もやってくるのじゃ。
 自然に企画も成就するようになるのじゃ。
 どんどん善事を詰むと善いのじゃ。

45鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/03(月) 21:18:58 ID:1d4drIFg0
>>41 そうじゃ、観察を続ければ厭離されるじゃろう。
 それは幻想でしかないからのう。
 日々観察を続ければそれもないと気づくのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>42 そうじゃ、捨てるとよいのじゃ。
 観察していればそれも無意味な観念であったと気付くのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>43 おぬしの心の中にあるのじゃ。
 心は迷い、不安定なものではあるが修業によって整えれば堅固なものとなるのじゃ。
 正しく見て正しく気づくこともできるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

46避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 21:41:33 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚。地平と言う概念を持ち出したのが相応しくなかったかもしれません地盤とか視座みたいな意味で使いました。

不安定な心の持ち主が、不安定な心を基盤に物事を判断するのは、まるで、バスケットのボールの上に乗りながら顕微鏡を覗いているようなもので、ひっくり返ってしまいます。

つまり、心の中には、不安定ではない何か、があるからこそ、それを基盤に、心を研究することも出来るのではありませんか?

47避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 21:53:04 ID:o7TfOr0I0
換言すれば、邪念、妄想、欲心を退ける手段です。これらの煩悩は何から、何故、生まれるのか?
ただ、人間が、己の死を受け入れるとき、このような邪念が吹っ飛ぶ事を、経験上私は知っている。
つまり、正しい見方、正しい思考、正しい判断、正しい行動の地盤、起点は、「死」であろうと思う。己の死を受け入れたとき、人は、もはや利害によって物事を見ない。
死を基盤にして経営するのであれば、人々の千年の幸せも考えることが出来る。
何故ならば、死を受け入れた人はもはや時間に縛られることもないからだ。

48避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 22:43:58 ID:o7TfOr0I0
その道の権威に多いのですが、自分の主張に沿った発言は聞くが、反対意見は一切取り上げない人って居ますね。
やはり、根元的には自分の考えに自信がないのではないかと思ってしまいます。
鬼和尚は、反対意見にもレスポンスをするので、珍しいタイプだと思います。
ソクラテスや釈迦も、反対意見をシャットアウトはしなかったのではないかと思います。
むしろ、そこから、議論を深めたり発展させたと思う。
そもそも端から反対意見を受け付けないオーラを発しているケースも多い。
そして、このような態度に陥らないためには、どうすれば良いのだろうか?
やはり、スタンスとしては「無」と言う基盤に立つべきではないだろうか?

49避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 00:06:01 ID:o7TfOr0I0
無に反対出来るだろうか?
無は、特定の立場を作らないことでもあるので、否定することも出来ない。
無自体が究極の否定だからである。
無の中に、人間や個人や様々な幸福があるし、様々なルールも構築されるが、それらは基盤にはならないから、いつでも再構築出来る。
しかし、信仰やルールを基盤にしている場合は、それを破壊したり再構築出来ないし、それを守ろうとする。
それが他者との軋轢を生むし、論争や紛争、戦争に発展する。

50しろう:2018/09/04(火) 00:24:38 ID:gxsfDx0o0
47さんの書き込み 死 という漢字 下の方 はタビ旅?
なんか 上の一が???

51素人A:2018/09/04(火) 00:45:32 ID:gxsfDx0o0
我々は世界の正解しか選んでいない しかしその正解が不満で物物文句言う
あたりまえ しかし瞬間的に間違いなく正解だと文句がなくなる時があるのかも
それはいゅんかもしれないど ?? 私の今は不平不満ぶつぶつ それも正解だし
間違い用はないでも こうやつて進んでいく
ノーレインノーレインボウ https://www.youtube.com/watch?v=Ww6Lgh3x_7E

52避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 09:32:39 ID:XDgmgXMk0
鬼和尚の先日の記事読みました。一応、下にリンク貼らせてもらいます。↓

http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-178.html

この記事の中で


「この教えによってバーヒヤは即座に悟りを得たのじゃ。
 バーヒヤも外道ではあるが、それなりに集中の修行をしていたのじゃろう。
 見たものに意味が投射されない境地であった故に、自我もそこに無いことに気付けたのじゃ。」

とありますが、見たものに意味が投影されない境地というのは、例えば
目の前のリンゴをみて「これはリンゴだ」「これは赤い」といった観念がないから何の意味も投影されない、ということですか?

そうであれば、バーヒヤがすでに「見たものに意味が投影されない境地」だったというのは
すでに無認識に至っていた、ということでしょうか?

そうでないなら、「見たものに意味が投影されない(境地)」というのと「無認識」
の違いを教えてください。

私は認識を厭離してようやく「りんごは赤い」とか「りんごは食べ物だ」とかの観念がまとめて消える、
と思っていたので上記の記事を読んだ際、何が何だか混乱してしまいました。

53素人A:2018/09/04(火) 09:52:52 ID:gOqWUDAs0
無という字は 無理して字画を増やしているのは私にも解るけど
情けないけど普通しかできないし 誰でも苦しい時はため息深呼吸
暇の数を数える坐禅

54避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 17:55:44 ID:o7TfOr0I0
しかし、自分らしく生きようとすると、変人扱いされるし、世間に埋没して生きると、自己喪失となり、かといって、俺は俺だと我が道を行くと孤独でつまらなくなり、裏目に出る。

55避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 18:04:30 ID:o7TfOr0I0
例えば、女の支持を得ようとすると、「キチンとしたサラリーマン」を演じなくてはならなくなり、しかし、「キチンとしたサラリーマン」を演じ続ける人生ほど苦痛なものもなく、かといって、女無しで世間を生きるのも何かと面倒だったりする。二律背反が沢山ある。

答え「気にしない」しかない。
「女にモテてもモテなくても気にしない」
誤解されても笑われても気にしない。

他人は自分に引き寄せてしか物事を見ないので、気にしないしかない。

56避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 18:20:21 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚とて、悟りの道を選んだがゆえに、家族も子供もなく、世間的には変なおっさんになってしまったが、変なおっさんと言われても良いと言う強い気持ちがないと悟りは得られなかったでしょう?
実存を生きると言うことは色々誤解をうけるが、誤解を受けても良いと言う強い気持ちがないと、実存者であり続けることは難しい。

57避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 19:17:40 ID:h5P9mv0k0
最近、ガンで早逝した芸能人や著名人が民間療法を実践していた事が話題になっています。
民間療法の是非を巡って賛否両論が飛び交っていますが、やや否定的な意見が多いようです。
「だから民間療法はダメだ、詐欺だ、スピリチュアルだ、悪意を感じる」みたいな。

本当のところはどうなのでしょう?
なぜ民間療法はこんな目の敵のように叩かれるのでしょうか。
病院の化学療法だって相当なハイリスクだと思うのですが。

58避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 19:25:20 ID:o7TfOr0I0
人は実存を生きるか世間の価値観に合わせて生きるかと言う選択を常に迫られている。
鬼和尚だって、そうだったのではないでしょうか?
「世間的な幸せ」を求める誘惑にかられたこともあったのではないでしょうか?
しかし、死によって世間的な幸せは消滅する。
死こそは人を実存に向かわせる原理と言える。

59避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 19:54:48 ID:o7TfOr0I0
鬼和尚は世間の無理解や世間に従いたくなる心とどう戦っていたのですか?
また、気にならなくなる方法はありますか?

6032:2018/09/04(火) 20:09:33 ID:l0xJAHYA0
>>45
鬼和尚さん、ありがとうございます。

さらに、自分をいると感じる時といないと感じる時の違いを観察してみたのですが、頭が働いている時と働いていない時の差のように感じます。
これはつまり、頭が働いている時の方が幻想で、頭が働いていない時の方が真実ということなのでしょうか?

61鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/04(火) 21:45:17 ID:1d4drIFg0
>>46>>47 心はほとんど不安定じゃろう。
 お釈迦様も心は揺れ動き見難いものと言っているのじゃ。
 修業によってのみ心は堅固なものとなるのじゃ。

 原因から産まれるのじゃ。
 全ては原因から起こるのじゃ。
 根本的な原因は無明なのじや。

>>48>>49 ただひたすら真実を追い求めるのじゃ。
 そうすれば真実を語る者には耳を傾けられるのじゃ。
真実の前には無に等しいと観るのじゃ。

>>52 それは忘我の境地なのじゃ。
 われは無くとも物はあり、見ることもできるのじゃ。
 見るとか聞くという行為もあるのじゃ。

 悟りはもはや無認識なのじゃ。
 何かを見る事もないのじゃ。
 見るという行為すらも無いのじゃ。
 そのように理解すると善いのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。

62鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/04(火) 21:58:54 ID:1d4drIFg0
>>56>>58>>59 そのような心構えは常に死を思うことでできるのじゃ。
 死を常に思えば世間や社会という幻想に惑わされないのじゃ。
 死こそ人にとっての本当の現実なのじゃ。
 世間や社会という幻想にどれほど従っても死は免れないのじゃ。
 唯一無二の現実を見ることこそ真の実在的な生き方といえるのじゃ。

>>57 西式健康法でもがんがきえたとかいうのじゃ。
 それでは金にならないから医者や医者に金をもらっているマスコミは否定するのじゃ。
 薬や手術が売れないと金にならないからのう。
 抗がん剤などはまるできかないというのじゃ。
 
>>60 そうじゃ、脳が止まっているとき認識も休んでいるのじゃ。
 その時には忘我にもなり易いのじゃ。
 思考や感情が止まっていても意識は在ると気づくじゃろう。
 それは自分ではない証明なのじゃ。
 そのようなありさまをありのままに観察すると善いのじゃ。

63避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 19:06:23 ID:0Dv1F6R.0
>>62

ということはバーヒヤは無認識ではなく忘我の境地にいたのであって、その境地においては
リンゴをみても「これはリンゴだ」「これは赤い」
といったような観念が一時的に投影されなくなる、という理解でいいですか?

64避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 19:16:34 ID:h5P9mv0k0
人間は記憶に囚われているから不幸なのでしょうか?
記憶は人間にとって有害なのでしょうか?
記憶とはどのように向き合うのがいいのでしょうか。

65避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 19:26:52 ID:7c5OAbA.0
この鬼和尚さまのパーヒヤの話の中でパーヒヤが悟ったとありますが、
ありのままの知覚があり私はいないということで無我に至ったのはわかりますが悟った(大悟した)というのがわかりません。

パーヒヤはことのとき無我ではなく悟り(大悟)に至ったのですか?
それはどういうことでしょうか?
私はいないとわかったといえどもパーヒヤには見ることや聞くことの関係性があり私や世界の概念が完全には厭離されてないようにも思えるのですが。

66鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/05(水) 21:28:22 ID:1d4drIFg0
>>63 そのような理解で善いのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>64 そうじゃ、記憶に囚われているから苦が有り不幸なのじゃ。
 有害でも無害でもないのじゃ。
 依存するから苦が起こるのじゃ。
 ただありのままに観察して厭離するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>65 無我になり、直ぐに大悟したのじゃろう。
 わしもそうであったのじゃ。
 よくあることじゃ。

 無我になってもその状態を観るものがあるのじゃ。
 それが阿頼耶識なのじゃ。 
 阿頼耶識が観られて厭離されれば大悟徹底なのじゃ。

67避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 22:04:16 ID:7c5OAbA.0
>>66
なるほどそういうことですか。
合点がいきました。

鬼和尚さまは無我からすぐに悟られたのですね。
そのあたりの心身と意識の状態の経緯をいちど詳しくこちらかブログででも書いていただけたらありがたいです。
(金剛般若経を読んでるときに悟ったようなざっくりした内容は拝見したことはあるのですが)

ありがとうございました。

68避難民のマジレスさん:2018/09/06(木) 06:40:08 ID:h5P9mv0k0
妻帯者が売春婦相手に行為をするのは邪淫に当たりますか?

「邪淫は必ず現世及び後世に悪報を受く」と経典にあります。
一度でも邪淫の罪を犯した者は一生、悟りのチャンスは無いのでしょうか?

69避難民のマジレスさん:2018/09/06(木) 18:54:34 ID:8qFvIk/s0
和尚様質問です。
 よく意識意識といいますが、意識とは何ですか?思考や自我の事でしょうか?
それとも、もっと基本的なレベルでの話ですか?
 よく、寝ているときにも意識はあるのじゃと言いますが、それはつまり、”何が起こっているか分かっている”
存在、アートマン、認識?といわれるものの事を指しているのでしょうか?


 もうひとつ業について質問ですが、これの肝は、本当は自他と言うものはなく、他人=自分なので、
他人に何か行為をするということは、自分にそれをするに等しいという事になると理解してます。
 すると、逆に考えると、たとえば他人が、自分に何かをした場合、その行為は、その行為者に影響する(何かした他人に返る)と理解していいのでしょうか?
 さらに、他人と自分は一体であるのならば、自分に自分で悪い事をした場合、他人にその行為の影響は及ぶように思うのですが、
どうなのでしょうか。逆に、他人が他人同士で悪い事をしあった場合、自分に影響しますか?(自他は無く一体であるなら影響があるはずだと思う)

 そもそも、業の話は、ラマナは個が存在していると考えてる内はあるが、自己が消えると、無意味なものになると、言ったりしていますが、
これは、和尚様がよく言われる、あると思うからあるのじゃ、というような理屈で、自分が存在するという、強烈な思い込みによって生じているものと
考えていいのでしょうか?

 輪廻についても、
  輪廻転生は、無知があるかぎりにおいて存在する。
  今も昔も、実際の輪廻転生などはない。
  これから後もないだろう。
 とラマナは言ってます。真実のように思います。これも同様に、自分が存在するという思い込みの産物ですか?

 ただ、よく考えると、思い込みといっても、思い込んでるのは、目の前にいるよく分からない自分という人間であって、これが死ねば、
意識(アートマン?)、存在?、無?だけ残って、思い込めなくなるので(つまり、寝ているときにもある意識は、考えたりしない)、
それで霧散して認識する存在だけ残って終い、となると思うのですが、どう考えればいいのでしょうか。死後は、意識(認識)だけ残る
と考えて良いですか?(唯識的に考えると、阿頼耶識だけ残った状態?)
 おぬしがそう思うなら、そうであるのじゃ、という禅問答的な回答はできる限り無しでよろしくお願いします(´・ω・`)

70蓮恵:2018/09/06(木) 20:28:25 ID:7BnCBKyw0
>>69さんに便乗しますが、
意識というものは、
認識したときは認識された通りになるのでしょうか

観念や知識、分別を投射すればその通りに認識されるのですか
↑こういうのが苦と呼ばれる

何も投射せず認識すれば、無為ですか?

71鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/06(木) 21:13:01 ID:1d4drIFg0
>>67 書いた気がするのじゃ。
 それ以上には言葉がないのじゃ。
 言葉にすればするほどそれを読んだ者の観念は激しくなるからのう。
 自ら目覚めて確かめるしかないのじゃ。

>>68 邪淫といえるのじゃ。
 懺悔告白したら許されるのじゃ。
 実践すれば悟りもえられるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>69 意識とは意志と認識なのじゃ。
 自らの意によって選択し、認識できるならば意識なのじゃ。
 思考や自我ではないのじゃ。
 アートマンは無いのじゃ。
 意志と認識があるものなのじゃ。

 他人がしたことは他人に還るじゃろう。
 及ばないのじゃ。
 自他が一つとは思っていないからなのじゃ。
 自己がある時自分のしたことが自分に返るといえるじゃろう。

 個我がある時輪廻は在るのじゃ。
 個我がなければ輪廻は無いのじゃ。
 輪廻とは個我が生まれかわるという観念であるからのう。
 意識は常に在るものじゃ。
 死んでもなくならないのじゃ。

>>70 全ては認識されたとおりに在るじゃろう。
 その通りに認識されるじゃろう。
 何も投射しなければ無いじゃろう。
 無為と言えるじゃろう。
 実践によって確かめるのじゃ。


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