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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

478鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 00:04:27 ID:1d4drIFg0
↑それはブラフマンの法なのじゃ。
全てであるとイメージするのじゃ。
実践してみるとよいのじゃ。

二元性とはものごとを分割して認識する観念なのじゃ。
生と死とか天と地とかのう。
全てが一つとイメージすれば天も地も 一つであると気付くのじゃ。
それがブラフマンの法なのじゃ。

479素人A:2018/12/31(月) 09:21:33 ID:gOqWUDAs0
年末だけど太陽は明日からも同じ様に一日一年繰り返すのか
如来いや未来が存在しないぶら不満は無数の過去の思いでのDVD繰り返し
視るだけしか許されていなかつたりして いま過去に手を出し作り変えようと
すると物発生しびっくりバーンと宇宙が起きてしまい?てたらめだあ的は外れた
さあまあよいかこたえなんて 来年は知ん寝ん

480避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 14:47:45 ID:LC3de7YgO
>>476
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ただの習慣からなのだ。
 あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
 それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
 あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
「私は本当に生まれたのだろうか?」
「私とは本当にこれなのだろうか?」
「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」
「誰が私の親なのだ ろうか?」
「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろうか?」
「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないのだろうか?」
「私とは誰なのか?」と。
 あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
 ぎこんできた。
 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
 事実、破壊することはたやすい。
 なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
 すべては「私は在る」という想念にかかっている。
 それを徹底的に調べるがいい。
 それはあらゆる困難の根底に存在している。
 それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
 実在は皮の内側にも外側にもある。
 しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
 この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
 あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
 それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
 それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
 それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
 そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

481避難民のマジレスさん:2018/12/31(月) 19:17:02 ID:LC3de7YgO
>>480
『I AM THAT 私は在る』
【63 行為者という概念が束縛だ】(つづき)

  質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
 ければならない。
 あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
 落ち着いているときを見守りなさい。
 それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
 それを得るのかを見なさい。
 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
 ひとつだ。
 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。
 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
 らだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
 が――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
 離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
 質問者 私には明確な霊的野心があり
ます。それを満たすために努力しなけ
 ればならないのではありませんか?
 マハラジ
 いかなる野心も霊的なものではありえない。
 すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
 もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
 えは、あきらめなければならない。
 いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
 純真なものだ。
 マインドとは詐欺師なのだ。
 より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。
 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
 へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
 うかを知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
 私には人びとに対応するための企画化
された手順といったものはない。
 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
 びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
 きるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
 い。
 もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
 あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
 ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
 全に気づいていることだ。
 もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

482鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/31(月) 23:02:42 ID:1d4drIFg0
全ての苦は自分があるという観念から起こるのじゃ。
それが無明とお釈迦様は説いたのじゃ。
自分があるという観念がある時、全ての苦は起こり、それがなければ゜苦は無いのじゃ。
それを観察して悟りに至るのじゃ。

483避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:16:00 ID:LC3de7YgO
>>482
鬼和尚、あけおめであります。
本年もよろしくであります。
(´・(∀)・`)つ

484避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 00:23:00 ID:LC3de7YgO
>>481
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】

 質問者 私は公認会計士を引退し、妻は貧しい女性たちのための社会奉仕活
 動に従事しています。息子がアメリカへと旅立つため、見送りに来
 たのです。私たちはパンジャブ地方出身ですが、現在、デリーに暮
 らしています。私たちにはラダ・ソアミ教* のグルがいます。そし
 て、サットサン、聖者との交わりを高く評価しています。ここに連
 れてこられたことをたいへん幸福に感じています。今まで多くの聖
 者たちに出会ってきました。そして今、もうひとりに出会えること
 を嬉しく思っています。
 (*訳注 ラダ・ソアミ教 開祖シヴァ・ダヤール・サーヒブによって1861年
 に創設された宗派。シーク教徒とヒンドゥ教徒が主な信奉者。第三
 の目を通して内なる光と音の流れに意識を向けることが彼らの主要
 な修練。またサットサンを重視している。)
 マハラジ
 あなたたちは多くの隠者や苦行者に出会ってきた。
 だが、神性(スワルーパ)を意識した完全に真我実現した人を見いだすこと
 は困難なのだ。
 聖者やヨーギたちは計り知れない努力と犠牲によって多くの奇跡的な力を習
 得し、人びとを助け、信仰心を起こさせるといった善行を施すことができる。
 それでも、それらが彼らを完全にすることはない。
 それは実在への道ではなく、単に偽物に豊かさを与えただけなのだ。
 すべての努力はより多くの努力へと導く。
 何であれ構築されたものは維持されなければならない。
 何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。
 何であれ失われるものは自己のものではないのだ。
 そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役に立つ
 というのだろう?
 私の世界では、何も強要されることはない。
 すべてはひとりでに起こるのだ。
 すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され一時的なものだ。
 私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。
 私の立場はその彼方に在る。
 私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。
 多くの努力と苦行を終えてその野心を満たし、より高次の体験と行為を確保
 した人たちは、たいていの場合、彼らの地位を鋭敏に意識している。
 彼らは人びとを最低の未達成者から最高の達成者までに分類し、階級のなか
 に類別してしまう。
 私にとっては皆が同等だ。
 現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。
 金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受
 けることはない。
 この同等の感覚が欠乏しているならば、それはつまり、実在には触れられて
 いなかったということだ。
 単なる知識では充分ではない。
 知る者が知られなければならないのだ。
 学者やヨーギは多くのことを知っているかもしれない。
 だが自己が知られていないとき、単なる知識が何になるというのか?
 それは間違いなく誤用されてしまうだろう。
 知る者の知識なしには平和はありえな
いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

485避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 11:21:56 ID:LC3de7YgO
>>484
1『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 人はどのようにして、知る人を知るのでしょうか?
 マハラジ
 私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。
 私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。
 「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何で
 あるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの
 真我を見いだしなさい」と。
 私は彼に服従した。
 なぜなら彼を信頼したからだ。
 私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を
 見つめることに費やした。
 そして、何という変化をもたらしたことか!
 それもこんなに早く!
 三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。
 私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。
 だが、それは何の違いももたらさなかった。
 私は彼が私に言ったことを、たゆまず
覚えつづけていたのだ。
 その成果は、私とともにここにある。
 質問者 それは何なのですか?
 マハラジ
 私は真の私自身を知っているのだ。
 私は身体でもマインドでもなく、知的能力でもない。
 私はそれらすべてを超えているのだ。
 質問者 あなたはただの無なのでしょうか?
 マハラジ
 ばかなことを言ってはいけない。
 もちろん、もっとも実質的に、私は存在している。
 ただ、私はあなたが考えているような私ではないのだ。
 これがあなたにすべてを伝えるだろう。
 質問者 それは私に何も伝えていません。
 マハラジ
 なぜなら、それは語ることのできないものだからだ。
 自分自身の体験をもたなければならないのだ。
 あなたは物質的、精神的なものを扱うことには慣れている。
 私はものではなく、あなたもまたものではない。
 私たちは物質でもなくエネルギーでもない。
 身体でもなくマインドでもない。
 ひとたびあなたが自己の存在の一瞥を得るなら、私を理解するのは難しくな
 いと知るだろう。
 私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。
 遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたという
 だけで信じてしまうのだ。
 同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などにつ
 いて話を聞いてきた。
 一度もその真偽を確かめることなしに。
 真実への道は虚偽の破壊を通っていくものだ。
 偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなけれ
 ばならない。
 そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。
 身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている
 神が現れる。
 このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類(たぐい)の体系
 がはじまるのだ。
 すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保
 護し、支持するためのものだ。
 あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさ
 い。
 そうすれば恐れは去る。
 すべての苦しみは終わるのだ。
 マインドが発明したものは、マインドが破壊する。
 だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。
 マインドの力が及ばないそれをつかま
えなさい。
 私があなたに話していることは、過去のなかにも、未来のなかにもない。
 また、今起こっているような日々の生活のなかにもないのだ。
 それは永遠であり、その永遠性の全体はマインドを超えている。
 私のグルと、そして彼の言葉、「あなたは私自身だ」は、永遠に私とともに
 ある。
 はじめのうちはそれらにマインドを固定させなければならなかったが、今で
 はそれも自然なものとなった。
 グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって自発的にそ
 れによって生きるようになったそのときが、真我の実現の戸口に立ったとき
 なのだ。
 ある意味では、それは信頼による開放だ。
 だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
 しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。
 信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。
 それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。
 信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。
 実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、盲信なのだ。
 信頼は盲目的なものではない。
 それは試みようとする意志なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

486鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/01(火) 22:21:37 ID:1d4drIFg0
>>483 あけおめことよろなのじゃ。

日々精進し続けるならばただ一つの教えでも悟りに至れるものじゃ。
シュリハンドクと同じなのじゃ。
法を何度も変えているとそれが逃避に成り、どこにも辿りつけないのじゃ。
自我が消える恐れからこの法は自分に合わないと思うようになるからのう。

487避難民のマジレスさん:2019/01/01(火) 23:31:52 ID:LC3de7YgO
>>486
うむ。
そうでありますね。
くま、長期間失業してた際に、中途半端ではありますが、ケッカフザもできるようになり、小周天みたいなこともできるようになり、何よりも、生きるのがかなり楽になったのであります。
その間ずっと、鬼和尚が相談にのってもらってるのであります。
今は仕事にも就き、瞑想とかはサボってるでありますが、マハラジ流に、できるだけ常に意識を内側に向けている習慣はだいぶついてきたであります。
方向性は間違ってないと思うので、細かいテクニックには拘らず、ただ一つの意識を追求して行こうと思うのであります。
今後ともよろしくお願いしたいのであります。
   /⌒⌒ヽ
  /⌒  ⌒ヽ
 (_(   )_)
 (_)V ̄V(_)

488避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 00:14:53 ID:LC3de7YgO
>>485
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 すべての霊的修練のなかでもっとも効果的なのは、単なる観照の態
     度だと聞きました。それは信頼とどのように比較されるのでしょう
     か?
 マハラジ
 観照の態度もまた信頼なのだ。
 それは自分自身への信頼だ。
 あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見
 ることだ。
 観照に努力はいらない。
 あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。
 それ以上何も必要ないのだ。
 ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。
 もし観照の状態のなかで「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは
 直ちにやってくる。
 ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
 起こっているすべてのことの主体となり、客体であることをやめなさい。
 ひとたび内側に向きを変えたなら、あなたは主体を超えたあなた自身を見い
 だすだろう。
 あなた自身を見いだしたとき、あなたは客体をも超えていることを見いだす。
 主体と客体はともにあなたの中に存在するが、あなたはそのどちらでもない
 のだ。
 質問者 あなたはマインド、マインドを超えた観照意識、そして気づきを超
     えた至高なるものについて語ります。それはつまり気づきさえも実
     在ではないという意味なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが実在―非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるの
 は気づきだけだ。
 だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」とい
 う言葉は適用しない。
 なぜなら、そのなかではすべてが実在
だからだ。
 それゆえ、そのように名づけられる必要もない。
 それは実在の源そのものだ。
 それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。
 質問者 しかし、誰が世界を創造したのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙のマインド(チダカーシュ)がすべてを創造し、破壊する。
 至高なるもの(パラマカーシュ)が、何であれ存在のなかに現れたものに実
 体を与えるのだ。
 それを宇宙的な愛と呼ぶことが、言葉によってはもっとも近いものと言える
 だろう。
 それは愛のように、すべてを真実に、美しく、望むべきものにするのだ。
 質問者 なぜ、望むべきものなのでしょうか?
 マハラジ
 いけないかね?
 創造されたすべてを互いに反応し合うようにさせ、人びとを結びつける強引
 に引きあう力は、もし至高なるものからでなければ、どこからやってくると
 いうのだろうか?
 欲望を避けてはならない。
 ただそれが正しい経路を流れていることを見なさい。
 欲望なしには、あなたは死んだも同然だ。
 だが、低次の欲望とともにあるなら、あなたは亡霊と同じなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

489素人A:2019/01/02(水) 09:39:41 ID:gOqWUDAs0
注意不足生涯者の私が下記映しても実行は泣く世界は白いキャンバスに精神統一して凝念如雨露三昧でアートなんだろうけど
私が心の中心の曼荼羅である、他の人は他の人の中心点の曼荼羅の中心から見ているのか、でも全体的にバラ薔薇バランスは
とれていて阿弥陀のネットは満天のクリスマスのデコレーションの様に輝いているのかなあ。今は私のつまらない正月風景だ画?
全体性・部分・輝き 宇宙意識より 何とか三昧? 夢中の説明化 絵や音楽や詞や芸術?自然の風景?坐禅や名僧の中?仏仏?
アクイナスはこう言っている「『三つのものが美には必要である翻訳すれば、全体性、調和、そして光輝』となる」。全体性この
原理の機能は、みずから規定されかつ規定するような、実践とは関わりの無い、閉じた錬金術的な場を創り出すところにあります
それがどんな効果をもつかを見るには、何でもいいからいくつかの事物の集まりー例えばテーブルの上の品物の集まりを眺めて、
創造の中でその周囲に枠をおいて見て下さい。すると枠の中の事物の総てが「ひとつのもの」と見なされるでしょう。それはもは
や、いろんな用途をもつ無関係な事物の集合では無く、ある構成の部分であり、相互に関係づけられています。その枠の外にある
ものー例えばテーブルの部分は、いまや「他のもの」となり、枠の中にある事物のすべては一つのものになります。スティブの言
葉では、「君はそれを一つの全体として見る。その全体性を認識しているわけだ、これが全体性なのさ」というわけです。(続く
あおめでとうと言うの忘れた

490素人A:2019/01/02(水) 09:47:26 ID:gOqWUDAs0
(続き)調和 さてこのような構成ができると、次に重要なことーそして重要な事のすべてーは構成の中のそれぞれの
対象ないし事物が此処にあるのか、あちらにあるのかという事、つまり部分に対する関係、各部分の全体に対する関係、全体の各
部分に対する関係です。これが審美的な道具としてのリズム、すなわち調和です。その要素になるのは、事物、色彩、言葉とその
音、楽器、建築の部分とその比率などが考えられます。スティブンの言葉によれば、「君はそれの形の線に導かれ、点から点へと
眼を移してゆく君はそれを、その限界内で均斉のとれているものとして認識する。その構造のリズムを感じるわけだ」ということ
になります。輝き リズムがぴつたりあつたとき、人は喜びの中にとどまり、それに何か他の効用があるかどうかまったく考えま
せん。スティブンはこう言っています「君はまさにそのものであって、他の何ものでもないということを知ったわけだ。(続く)

491素人A:2019/01/02(水) 09:48:25 ID:gOqWUDAs0
(続き)〔アクイナス〕がスコラ学派の「クイッディタス」つまり事物の「そのものであること」について言つているの
がこの光輝なのさ。この至高の徳性は審美的映像が芸術家によつて感じられるものなんだ。こういう審美的瞬間の心を、シェリー
は燃え尽きる炭という美しい比喩で説明している。美の全体性によってとらえられ、美の調和によって魅惑されていた心が、美の
こういう至高の徳性、審美的映像の明るい光輝を輝かしく認識するこの瞬間こそは、審美的快楽の輝かしく静寂な状態だよね。こ
れはイタリアの生理学者ルイジ・ガルヴァーニがシェリーのものに劣らず美しい言葉で心の魅惑とよんだ心臓の状態に、非常に近
い霊的状態なんだ。」まさにこれひそが芸術の存在理由であり、その治癒力と奇跡を説明するものなのです。つまり認識された美
がこのような諸感覚を照明し、精神を鎮め、心を魅惑する力をもつということです。(続く)

492素人A:2019/01/02(水) 09:49:54 ID:gOqWUDAs0
(続き)「芸術は自然と相似した偉大な線を浮かび上がらせるという言葉を自分の座右の格言の一つとして挙げていたことを
思い出します。周知のとおり、自然は私たちの外部にあると同時にに、私たちの内部にもあるからです。芸術はこの両者の境界に
ある鏡なのです。儀式もそして神話も同じであって「自然の偉大な線を浮かび上がらせ」、それによって私たち自身の奥底にある
真理、あらゆる存在と共有している真理において回復させるのです。したがつてこのような「本来的な」やりかたで仕事をしてい
る芸術家は、その世紀の真の見者にして予言者であります。彼は生の擁護者です。生の擁護者でありますから、もちろん一人の
革命家です。その時代の社会的仮面を貫いてその背後にあるものに到達するという点において、単にもう一人の不自然な仮面の名
において舗道を血に染める狂信的な理想主義者よりもはるかに根本的な革命家なのです。」

493避難民のマジレスさん:2019/01/02(水) 10:28:54 ID:LC3de7YgO
>>488
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 至高なるものにもっとも近い体験とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 計り知れない平和とかぎりない愛だ。
 何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべ
 てあなたから現れたのだと自覚しなさい。
 あなた自身がその源なのだ。
 世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。
 それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使いの
 ようなものなのだ。
 質問者 どのようにして人は至高なるものに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。
 より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
 何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。
 すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべて
 のエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。
 その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの
 招きなのだ。
 身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。
 ひとたび束縛はあなたが創りだしているということを理解し、あなたを拘束
 する鎖を鋳造することを止めれば、あなたは自由なのだ。
 質問者 どのようにして、グルへの信頼を見いだせばいいのでしょうか?
 マハラジ
 グルを見いだし、また彼を信頼することはまれな幸運だ。
 それはそうそう起こることではない。
 質問者 それは運命に定められているのでしょうか?
 マハラジ
 それを運命と呼ぶことでは何も説明されない。
 それが起こったとき、あなたにはどうしてそれが起こったのかを言うことは
 できない。
 そして、それをカルマや恩寵(おんちょう)、また神の意志と呼ぶことは、
 単にあなたの無知を覆(おお)い隠すだけだ。
 質問者 クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。
 マハラジ
 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。
 クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。
 ある意味では、彼は正しい。
 ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。
 彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。
 そのような弟子たちにとっては、グルを持たない方が、そして導きを得るた
 めに、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。
 生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。
 これらのことを軽く扱ってはならないのだ。
 あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそ
 れを与えてくれると想像している。
 わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。
 あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

494鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/02(水) 22:45:29 ID:1d4drIFg0
本来人は師匠なくして悟れるものじゃ。
お釈迦様も無師独悟と言っているのじゃ。
自分を救う者は自分しか居ないのじゃ。
師匠はその道を指し示す道標に過ぎないものじゃ。

495避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 00:07:31 ID:LC3de7YgO
>>493
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 あなたはグルから、「あなたは至高なるものだ」と言われました。
     そして彼を信頼し、その通りに行動したのです。何があなたにこの
     信頼を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 私はただ、道理を聞き分けただけだ。
 彼を疑うとしたら、愚かなことだっただろう。
 私を惑わせることで、いったい彼がどんな利益を得るというのだろうか?
 質問者 あなたはある質問者に、私たちは同じであり、同等だと言われまし
     た。私にはそれが信じられません。私に信じられないのなら、あな
     たの表明が私にとって何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの不信は問題ではないのだ。
 私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。
 これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。
 質問者 ただあなたの近くに座っているだけで、それを霊的な修練だと考え
     ることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 生命の川は流れている。
 その水のいくらかはここにある。
 だが、大変な量の水がすでに目的地に到達しているのだ。
 あなたは現在しか見ていない。
 私は遙か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何にな
 ることができるのかを見ているのだ。
 私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。
 違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ。
 質問者 どうすれば、あなたが私を見るように、私自身を見ることができる
     ようになるのでしょう?
 マハラジ
 もしあなた自身を身体だと想像しなければ、それで充分だ。
 災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。
 それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。
 ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。
 あなた自身にいかなる名前も形も与え
てはならない。
 実在は闇と沈黙の中で見いだされるのだ。
 質問者 私が身体ではないという確信を持って考えなくてはならないのでし
     ょうか? どこにそのような確信を見つけることができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
 単なる言葉が何の役に立つというのだろう?
 マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。
 しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

496避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 00:13:42 ID:LC3de7YgO
>>495
>あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
 そうすれば、確信はやってくるだろう。
・・・・非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった
 行為が、あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。

うむ。
日常的に慈悲ある行為、善事をなす事、をすることが、完全に得心したかのように振る舞うことになるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

497避難民のマジレスさん:2019/01/03(木) 12:49:14 ID:LC3de7YgO
>>495
『I AM THAT 私は在る』
【64 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める】(つづき)

 質問者 確信なしに行為する勇気を、私はどこから得るというのでしょうか?
 マハラジ
 愛があなたに勇気を与えるだろう。
 あなたが誰か本当に賞賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あ
 なたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだ
 ろう。
 質問者 賞賛すべき人を賞賛するということを、誰もが知っているわけでは
     ありません。ほとんどの人々はまったく感受性に欠けているのです。
 マハラジ
 生命が彼らに進化を認めさせるようにするだろう。
 積まれてきた体験の重みが、彼らに見る目を与えるだろう。
 賞賛に値する人に出会ったなら、あなたは彼を愛し、信頼し、彼の助言にし
 たがうことだろう。
 他の者たちが賞賛し、愛するに足る完全な模範を示すこと、これが自己実現
 した人の役目だ。
 その人の人生と人格の美しさは、公益のための途方もない貢献なのだ。
 質問者 私たちは成長のために苦しむべきではないでしょうか?
 マハラジ
 そこに苦しみがあり、世界は苦しんでいるということを知るだけで充分だ。
 快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。
 ただ理解だけがそれをもたらすのだ。
 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
 う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
 すだろう。
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

498鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/03(木) 21:53:02 ID:1d4drIFg0
>>496 そうじゃ、慈悲の行いと心が広がって意識も知れるのじゃ。
 慈悲の心が体からどこまでも広がっていくというのがお釈迦様の説いたブラフマンの法なのじゃ。
 慈悲の心がなければそれも出来ないからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

499避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 00:36:55 ID:LC3de7YgO
>>497
1『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】

 質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どう
     すればいいでしょうか?
 マハラジ
 誰の調子が悪いのかね?
 あなたか、それとも身体だろうか?
 質問者 もちろん、私の身体です。
 マハラジ
 昨日、あなたは具合が良かった。
 何が良いと感じたのだろうか?
 質問者 身体です。
 マハラジ
 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲
 しむ。
 ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?
 質問者 マインドです。
 マハラジ
 マインドがそれを知る者だ。
 知る者を知るのは誰だろうか?
 質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?
 マハラジ
 マインドは断続的なものだ。
 眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。
 そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。
 質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。
 マハラジ
 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。
 それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティ
 ティの感覚を説明はしない。
 その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。
 質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あ
     なたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。
 マハラジ
 マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。
 彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならな
 いのだ。
 質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての方向はマインドのなかにあるのだ!
 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。
 ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、
 「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。
 「私は在る」は方向ではない。
 それはすべての方向を否定したものだ。
 最後には「私は在る」さえも去らなければならない。
 なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。
 「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてか
 らそむけることなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

500避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 00:45:45 ID:LC3de7YgO
>>498
鬼和尚、ありがとうであります。
>非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為

とは、自他の別ののない行為と言うことであり、そのように振舞え、無我を体得したように振る舞えと言ってるのでありますよね。

(´・(ェ)・`)つ

501避難民のマジレスさん:2019/01/04(金) 10:23:38 ID:LC3de7YgO
>>499
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?
 マハラジ
 マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静か
 になる。
 もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たことも
 ない光と愛にあふれていることを知るだろう。
 しかも、あなたはそれをあなた自身の
本性だとすぐに認識するのだ。
 ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろ
 う。
 気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもし
 れない。
 だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それ
 はかならず戻ってくる。
 そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。
 質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?
 マハラジ
 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。
 質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはもはや恐れがないのだ。
 質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいるこ
     とができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。
 それでも、あなたはそれを恐れはしない。
 あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。
 あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる
 必要はないということだ。
 あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。
 個人的身体は来ては去っていく。
 宇宙的身体はいつもあなたとともにある。
 創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。
 あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。
 この盲目がひとりでに終わることはない。
 それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。
 すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の
 区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

502鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/05(土) 00:24:14 ID:1d4drIFg0
>>500 そうじゃろう。
 なかなか難しいことであるがのう。
 
本来全ての者は宇宙も含んだ全てであるのじゃ。
謬見によって身体だけが自分とか認識しているのじゃ。
その幻想がなくなければ全てに戻るのじゃ。
それが完全な状態ということなのじゃ。

503避難民のマジレスさん:2019/01/05(土) 20:55:49 ID:LC3de7YgO
>>501
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 私は個人であり、それゆえ空間と時間に限定されています。私はわ
     ずかばかりの空間を占め、ほんの瞬間存在するだけです。
 マハラジ
 それにもかかわらず、あなたは在るのだ。
 あなたが真の本性の探求へと深く入って行くにしたがって、小さいのはあな
 たの身体であり、短いのはあなたの記憶であって、広大な生命の大海があな
 たのものであることを発見するだろう。
 質問者 「私」と「宇宙」という言葉自体が相容れないものです。
 マハラジ
 そうではない。
 同一であるという感覚は普遍的に浸透しているのだ。
 探求しなさい。
 そうすれば、あなたはあなた自身であり、かぎりなくそれ以上である宇宙的
 個人を発見することだろう。
 とにかく、まず世界はあなたのなかにあり、あなたが世界のなかにいるので
 はないということを自覚することからはじめなさい。
 質問者 どうしてそうありうるのでしょうか? 私は世界のなかの一部分で
     しかありえません。鏡のような反映による以外に、どうして部分の
     なかに世界全体が含まれるというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 あなたの個人的身体は一部分であり、その中に全体が不思議にも反映されて
 いるのだ。
 しかし、あなたは宇宙的身体もまたもっている。
 それを知らないとさえ言えないのだ。
 なぜなら、あなたはつねにそれを見て、体験しているからだ。
 ただ、それを「世界」と呼び、恐れているだけなのだ。
 質問者 私は、私の小さい身体は知っていると感じますが、もうひとつの身
     体は科学を通してしか知りません。
 マハラジ
 あなたの小さな身体は、あなたの知らない神秘と不思議で満ちている。
 そこでもまた、科学があなたの唯一のガイドだ。
 解剖学と天文学がそれらを説明するだろう。
 質問者 たとえ、私があなたの基本的な論理としての宇宙的身体の教義を受
     け入れたとしても、いったいどのようにそれを考査することができ、
     また、それが私にとって何の役に立つと言うのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが両方の身体に宿ることを知ることで、あなたはすべてを所有するこ
 とになるのだ。
 宇宙のすべてがあなたの関心事となり、すべての生きるものたちをあなたは
 もっとも優しく賢明に愛するようになるだろう。
 あなたと他者との間には利益の衝突がなくなるだろう。
 すべての搾取(さくしゅ)は絶対的に消えるだろう。
 あなたのあらゆる行動は恩恵となり、あらゆる瞬間は祝福となるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

504鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/05(土) 23:14:27 ID:1d4drIFg0
実に興味深いブッダと悟っていない者の会話なのじゃ。
マハラジが何度も全てであると語るのにも関わらず質問者はあくまでそれを何かの理想としか捉えていないのじゃ。
マハラジがそれは今ここで感じられるというのに、あくまでも自分は矮小な身体でしかないと悩んでいるのじゃ。
信者ならば適当に話をあわせたりするのに、どこまでも身体が自分というのじゃ。
それは少なくとも本心を語っていることになるのじゃ。
知識は役立たず実践と実感を通してのみ人は悟りの境地を知ることが出来るとわかるのじゃ。

505避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 03:04:00 ID:LC3de7YgO
>>503
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 それはとても私の関心を引きますが、しかし、宇宙的存在を実現す
     るためには、どのようにはじめればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたには二つの道がある。
 真我を実現するために、あなたのマイ
ンドとハートを捧げること、あるいは
 私の言葉を信頼して受け入れ、それにしたがって行動することだ。
 あなたは自己に対して完全に利己的になるか、完全に非利己的になるかのど
 ちらかだ。
 「完全に」という言葉、それが重要なのだ。
 至高なるものに到達するためには、あなたは極端にならなければならない。
 質問者 小さく限定された私に、どうしてそのような高遠なるものへの大望
     を抱くことができるでしょう?
 マハラジ
 あなた自身が、そのなかですべてが起こる意識の大洋なのだと認識しなさい。
 それは難しいことではない。
 わずかな注意力と自己への緊密な観察で、あなたはどのような出来事も意識
 の外側で起こっているのではないことを知るだろう。
 質問者 世界は私の意識のなかに現れない出来事でいっぱいです。
 マハラジ
 あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいな
のだ。
 これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろ
う。
 あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っ
ているのだ。
 あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなた
のマインドだ。
 これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。
 質問者 私に理解できないのは、あなたが言われる意識を超えていくという
     ことです。言葉は理解できますが、その体験を視覚化できないので
     す。結局、あなた自身が言われたように、すべての体験は意識のな
     かにあるのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。
 それでも、そこにはただ在るという体験がある。
 そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。
 ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。
 それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。
 質問者 私は神智学を学んできました。そして、あなたの言われることは何
     ひとつ聞き慣れないことばかりだと気づきました。神智学が顕現の
     みを扱うことは私も認めます。それは宇宙とそこに住む生きものに
     ついて、たいへん詳細に描写します。多くの物質の階層と、それに
     相応する体験の層があることを、それは認めています。しかし、ど
     うやらそれを超えていくことはないようです。あなたの言われるこ
     とはすべての体験を超えていきます。もしそれが体験不可能ならば、
     いったいどうしてそれについて話しあうのでしょうか?
 マハラジ
 意識は隙間だらけの断続的なものだ。
 それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。
 もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい
 何によるというのだろう。
 質問者 もし私がマインドを超えているならば、どのようにして私を変えて
     いくのでしょうか?
 マハラジ
 何かを変える必要がどこにあるというのだろう?
 いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。
 あなたのマインドを冷静に見てみなさい。
 マインドを平静にするにはこれで充分だ。
 静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。
 いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。
 それをやめ、ただ在りなさい。
 もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと
 力強さを回復するだろう。
 絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

506避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 03:17:59 ID:LC3de7YgO
>>504
なるへそ。これもまた実にわかりやすい鬼和尚の解説なのである。
くまは何度も鬼和尚やマハラジの解説を読み、ただ一つの意識を当たり前のように「在る」ものとして捉えて、それを追求してるのであるが、
それは知識であって、未だ実感を伴うものではないのである。
OSHOも言ってるように、知識を疑って、ありのままを観察するように、精進するであります。
(´・(ェ)・`)つ

507避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 14:38:03 ID:LC3de7YgO
>>505
『I AM THAT 私は在る』
【65 あなたに必要なのは、静かなマインドだけだ】(つづき)

 質問者 もし私の真実の存在がつねに私とともに在るなら、どうして私はそ
     れを知らないのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なもの
 だからだ。
 あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。
 そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。
 質問者 わたし自身を知るためにマインドが必要なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
 いうことは明らかだ。
 あなたの手段を改善しなさい。
 そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
 質問者 完全に知るためには、完全なマインドが必要です。
 マハラジ
 あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
 ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こ
 るだろう。
 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与
 えるのだ。
 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなた
 の努力なしに奇跡をもたらすのだ。
 質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされ
     ると言うのでしょうか?
 マハラジ
 まさにそのとおりだ。
 あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさ
 い。
 あなたの運命に協力しなさい。
 それに抗ってはいけない。
 それを妨げてはいけない。
 それが運命を全(まっと)うするのを許しなさい。
 愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのする
 べきすべてなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

508鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/06(日) 21:37:36 ID:1d4drIFg0
>>506 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

マインドとはまだ意識に到達していない心の働きなのじゃ。
感覚とか思考とか感情とか分別とか認識なのじゃ。
それしか感じられない人間はそれをもって進んでいくしかないのじゃ。
やがてはそれを超えた意識もあるとわかるのじゃ。

509避難民のマジレスさん:2019/01/06(日) 22:56:55 ID:LC3de7YgO
>>507
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】

 質問者 私はイギリスから来て、マドラスへ向かう途中です。そこで私は父
     親に会い、一緒に車でロンドンまで陸路を通って帰る予定です。私
     は心理学を学んでいるのですが、学位を取得してからどうするかは、
     まだわかりません。産業心理学、または精神療法を試みるかもしれ
     ません。私の父は一般開業医です。私も同じ道を行くのかもしれま
     せん。
     しかし、これで私の興味が尽きるわけではありません。そこには時
     間を経ても変わることのない、ある質問があるのです。あなたはそ
     のような質問への答えをもっていると理解しています。そのために、
     私はあなたのもとへ来たのです。
 マハラジ
 私はあなたの質問に答えるのに正しい人間かどうだろうか。
 私はものごとや人びとについては何も知らないのだ。
 私は私が在るということだけを知っている。
 そして、それくらいはあなたもまた知っている。
 私たちは同等なのだ。
 質問者 もちろん、私は私が在ることを知っています。しかし、それがどう
     いう意味なのか知らないのです。
 マハラジ
 「私は在る」のなかで、あなたが「私」と見なしているものは、あなたでは
 ないのだ。
 あなたが在ることを知っているのは自然なことであり、あなたが何なのかを
 知ることは多くの探求の結果なのだ。
 あなたは意識界全体を探査しなければならない。
 このためには、正しい師を見いだし、発見に必要な条件をつくり出さなけれ
 ばならないのだ。
 一般的には二つの道がある。
 外的なものと内的なものだ。
 あなたは真理を知る誰かとともに生き、彼の導きにあなた自身を完全に服従
 させ、彼の影響のもとにマインドを形づくるか、あるいは内なる導きを探し
 だし、それがどこへあなたを導こうと、内なる光にしたがうことだ。
 どちらの場合も、あなたの個人的な欲望や恐れを顧みてはならない。
 あなたは師と近接していること、あるいは探求することのどちらか、受動的、
 あるいは能動的な道のどちらかで学ぶのだ。
 生命の川とグルの愛によって、あなた自身が運ばれていくことを許すか、あ
 るいはあなたの内なる星に導きを受け、自らの努力を重ねていくかのどちら
 かだ。
 どちらの場合もあなたは進んでいかなければならない。
 そして真剣でなければならない。
 愛し、信頼するに足る誰かを見つける幸運な人はまれなのだ。
 ほとんどの人が厳しい道を行かなければならない。
 知性と理解、洞察と無執着(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)の道だ。
 これはすべての人たちに開かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

510避難民のマジレスさん:2019/01/07(月) 19:32:53 ID:LC3de7YgO
>>509
1『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私はここに来ることができて幸運でした。明日発(た)たなければ
     なりませんが、一度あなたと話をしたことが私の全人生に影響を及
     ぼすかもしれません。
 マハラジ
 そうだ。
 ひとたびあなたが「真実を見いだしたい」と言ったなら、全人生はそれに深
 く影響を受けることになるのだ。
 あなたのすべての精神的、身体的習慣、感情と感覚、欲望と恐れ、計画と決
 定はもっとも革新的な変容を通り抜けることだろう。
 質問者 ひとたび私が真実を見いだすことに心を定めたならば、つぎには何
     をするべきなのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたの気質によるのだ。
 もしあなたが真剣ならば、選んだ道がどれであれ、あなたを目的地へと連れ
 ていくだろう。
 真剣さ、それが決定要因なのだ。
 質問者 真剣さの源は何でしょうか?
 マハラジ
 鳥を巣に帰らせ、魚を生まれた川へと帰り着かせる帰巣本能だ。
 果実が成熟したとき、種子は大地に返る。
 成熟がすべてなのだ。
 質問者 では、何が私を成熟させるのでしょう? 体験が必要なのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。
 そうでなければここには来なかっただろう。
 これ以上体験を積む必要はない。
 むしろ体験を超えていかなければならないのだ。
 あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、
 それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。
 本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。
 それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。
 だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。
 もし探求から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなた
 は要点をはずしているのだ。
 真理はいかなる利点もあなたに与えない。
 それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。
 あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。
 質問者 真理は他者を助ける力をあなたに授けるに違いありません。
 マハラジ
 たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。
 真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。
 なぜなら他者というものは存在しないからだ。
 あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い
 人を助けるように頼むのだ。
 あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。
 真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。
 真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。
 なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。
 真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。
 このために、あなたは偽りを偽りとして見(ヴィヴェーカ)なければならな
 い。
 そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。
 偽りを放棄することが、解放と活力を与える。
 それは完成への道を切り開いていく。
 質問者 真理を発見したことを、いつ知るのでしょうか?
 マハラジ
 「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。
 真理が自らそれ自身を主張することはない。
 それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。
 マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探究は無駄になって
 しまう。
 真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

511鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/07(月) 21:40:56 ID:1d4drIFg0
悟っていない者が自分と思っているものは自分ではないのじゃ。
ただの観念なのじゃ。
観念を自分と思っているのじゃ。
それが主体であるとか。、
自分の記憶が在るとか。
感じているとか。
そのような観念から自分と思っているのじゃ。

512避難民のマジレスさん:2019/01/08(火) 02:48:45 ID:LC3de7YgO
>>510
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、偽りとは何でしょうか?
 マハラジ
 存在をもたないものは間違いなく偽りだ。
 質問者 存在をもたないとはどういう意味でしょう? 偽りは厳然として事
     実です。
 マハラジ
 それ自身で矛盾するものが、存在をもたないのだ。
 あるいはつかの間の存在しかもたないもの、どちらも同じことだ。
 なぜなら、はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
 それは空っぽだ。
 それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
 ないのだ。
 質問者 もし過ぎ去っていくものすべてが存在をもたないとしたなら、宇宙
     もまた存在をもたないということです。
 マハラジ
 誰がそれを否定しただろうか?
 もちろん、宇宙は存在をもっていない。
 質問者 何が存在をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
 去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
 それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
 一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
 真実は偽りの父だとも言えるだろう。
 しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。
 質問者 どのようにして、私は偽りを除き、実在を確実にすればいいのでし
     ょうか?
 マハラジ
 何の目的のためにかね?
 質問者 より良い、統合され、幸福な、より満足できる人生を生きるためで
     す。
 マハラジ
 何であれ、マインドによって考えられたことは偽りに違いない。
 なぜなら、それはかならず相対的で限定的になるからだ。
 実在は人知の及ばないものであり、ある目的のために利用できるものではな
 い。
 それはそれ自体のために求められなければならないのだ。
 質問者 人知の及ばないものを、どうやって私が望むことができるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 ほかに何か望む価値のあるものがあるだろうか?
 ものを求めるように実在を求められないことは確かだ。
 しかし、あなたは偽りを偽りとして見て、それを放棄することができる。
 真実への道を開くのは、偽りを放棄することなのだ。
 質問者 理解はします。しかし、日常の実生活のなかで、それはどのように
     見えるのでしょうか?
 マハラジ
 利己主義と利己心が偽りの焦点だ。
 あなたの日々の生活は、欲望と恐れの間を揺れ動いている。
 それを余念なく見守りなさい。
 そうすれば、川が岩の合間で泡を立てるように、あなたはマインドがいかに
 して無数の名前と形を装うのかを理解するだろう。
 あらゆる行為を、その利己的な動機までたどっていきなさい。
 そしてその動機を余念なく、それが消
え去るまで見つづけなさい。
 質問者 生きるために、人は自分自身の面倒を見なければなりません。自分
     のためにお金を稼がなくてはならないのです。
 マハラジ
 あなた自身のために収入を得る必要はない。
 だが、妻や子供のためにそうしなければならないかもしれない。
 ほかの人のために、あなたは働きつづけなければならないかもしれない。
 ただ生きつづけることでさえ犠牲となりうるのだ。
 利己的になる必要などどこにもない。
 あらゆる自己本位な動機を見るなり、すぐに放棄しなさい。
 そうすれば、あなたが真理を探究する必要はない。
 真理があなたを見いだすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

513避難民のマジレスさん:2019/01/08(火) 02:55:44 ID:LC3de7YgO
>>512
> はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。
 それは空っぽだ。
 それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももた
 ないのだ。

> 質問者 何が存在をもっているのでしょうか?
 マハラジ
 存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え
 去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、
 それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。
 一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。
 真実は偽りの父だとも言えるだろう。
 しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。

←「実在」とは何か?それは否定によってしかあらわせないものの解説として、くまでもわかるわかりやすさであります!
(´・(ェ)・`)つ

514鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/08(火) 22:57:21 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、偽りのものを全て否定して真実が現われるのじゃ。
 自分の名前とイメージの全てを否定した後にそれはあるのじゃ。
 それだけがあると言えるものなのじゃ。
 否定する主体すらも無いから否定も出来ないものなのじゃ。

515避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 02:16:48 ID:LC3de7YgO
>>514
> 否定する主体すらも無いから否定も出来ないもの

うむ。
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

516避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 02:34:54 ID:LC3de7YgO
>>512
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 最低限必要なものがあります。
 マハラジ
 あなたがそれを思ったことで、それは供給されはしなかっただろうか?
 利己主義への囚われを捨て去りなさい。
 そして行為における知性と愛である、ありのままのあなたでありなさい。
 質問者 しかし、人は生き残らなければならないのです!
 マハラジ
 生き残ることはどうすることもできないのだ!
 真のあなたは時間を超え、誕生と死をも超えている。
 そして、身体はそれが必要とされるまで生存するだろう。
 長く生き残ることが重要なのではない。
 充実した人生の方が、長い人生より良いのだ。
 質問者 何が充実した人生かを、誰が言えるのでしょうか? それは私の文
     化的な背景によるものです。
 マハラジ
 もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方の
 パターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。
 男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべ
 きなのだ。
 生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。
 まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考える
 のをやめなさい。
 あらゆる利己主義を放棄しなさい。
 物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。
 粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。
 いかなる類(たぐい)の達成についても考えることをやめなさい。
 あなたは今ここで、完璧なのだ。
 あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
 それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだという
 ことではない。
 ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。
 あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。
 しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはな
 いだろう。
 想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。
 質問者 もし、私が人間でなければ、何だというのでしょうか?
 マハラジ
 あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。
 それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。
 あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。
 あなたは純粋な存在―意識―至福だ。
 それを実現することが、すべての探求の終焉(しゅうえん)なのだ。
 あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そ
 して一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとし
 て、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れ
 て見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。
 それは難しいことではない。
 だが、無執着が必要とされる。
 真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。
 ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれ
 ば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。
 実在の間近にいるのだ。
 時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。
 それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。
 実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異な
 った、活気あふれるものにする。
 もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。
 真実はつねにあなたとともにある。
 あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。
 ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。
 何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。
 「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。
 そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

517鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/09(水) 21:25:07 ID:1d4drIFg0
>>515 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

自分が人間であり、文化的な背景と価値観をもっているというのも幻想なのじゃ。
生き残らなければならないというのも幻想なのじゃ。
なぜならば人はいずれ必ず死ぬからのう。
人という観念を持つ者は誰も生き残れないのじゃ。
マハラジが実在と呼ぶものだけが時間という観念を超えて永遠に在り続けるものなのじゃ。

518避難民のマジレスさん:2019/01/09(水) 22:03:38 ID:LC3de7YgO
>>516
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私は幸福になるべきではないのでしょうか?
 もしあるものが必要で、しかも、もしそれが私を幸せにするなら、それを手
に入れるべきではないでしょうか?
 マハラジ
 あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはな
 い。
 幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。
 価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。
 質問者 そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必
要なのではないでしょうか?
 マハラジ
 体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。
 あなたにこれ以上の体験は必要ない。
 過去のものだけで充分だ。
 そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなか
 に見入るがいい。
 何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。
 他者の悲しみから学びなさい。
 そしてあなた自身を救うがいい。
 あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。
 体験に貪欲(どんよく)になってはいけない。
 あなたには何も必要ないのだ。
 質問者 あなた自身、体験を通り抜けてきたのではないでしょうか?
 マハラジ
 私のまわりで、ものごとは起こる。
 しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。
 私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。
 私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。
 体験が私にとって何の役に立つというのだろう?
 質問者 人は知識と教育を必要とします。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、ものごとの知識が必要だ。
 人びとに対応するには、洞察と共感が必要だ。
 自分自身に対するには、あなたには何も必要ない。
 意識的存在である、あるがままのあなたでありなさい。
 そして、あなた自身からさ迷い出てはならない。
 質問者 大学教育はもっとも有益なものです。
 マハラジ
 疑いなく、それはあなたに生活の糧(かて)を得る助けを与えてくれるだろ
 う。
 だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。
 あなたは心理学の学生だ。
 それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。
 しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?
 行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。
 死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」
 と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。
 私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。
 あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。
 ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。
 彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。
 しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しか
 もそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしま
 うのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

519鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/10(木) 22:31:41 ID:1d4drIFg0
生きることは知識によっては解明できないのじゃ。
誰もが試行錯誤して生きているのじゃ。
知識だけで安楽に暮らせるならば膨大な知識がある現代の者は皆安楽なはずであるがのう。
実際は苦に迷っているのじゃ。
自らを知り、心を観たものだけが進歩していくことが出来るのじゃ。
それは学校では教えてくれないことなのじゃ。

520避難民のマジレスさん:2019/01/11(金) 00:23:52 ID:LC3de7YgO
>>518
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 しかし、体験はもっとも有益なものです。体験を通して、人は炎に
 触れないことを学ぶのです。
 マハラジ
 ものごとを扱うには、知識はもっとも有益だとすでに話したはずだ。
 しかし、それはあなたに人びとや自分自身とどうつき合うか、人生をどう生
 きるかを教えはしない。
 私たちは車の運転や金銭を稼ぐ話をしているのではない。
 そのためには体験が必要だ。
 しかし、あなた自身の光となるためには、物質的知識は助けにならないだろ
 う。
 本当の意味でのあなた自身になるためには、間接的知識よりもさらに深く親
 密な何かが必要となるのだ。
 あなたの外面的生活は重要でない。
 あなたは夜警にでもなり、幸福に生きることもできる。
 内面におけるあなたが何なのか、それが重要なのだ。
 いかなる大学もあなた自身として在ることを教えはしない。
 学ぶ方法は実践しかないのだ。
 たった今、あなた自身として在りはじめなさい。
 あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。
 井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あ
 なたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなる
 まで捨て去らなければならないのだ。
 あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見る
 だろう。
 あなたは人間でさえないのだ。
 あなたはただ在る。
 時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因の
 ない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。
 もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。
 「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。
 質問者 もしあなたが特定の何かではないとすれば、あなたは普遍的な何か
 であるはずです。
 マハラジ
 普遍的であることとは何だろうか?
 理念としてではなく、ひとつの生き方として。
 何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛することが
 普遍的に生きることだ。
 わたしは世界であり、世界は私だ。
 世界は私のものであり、世界は我が家だと本当に言えること。
 すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。
 すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。
 これが普遍的な人生なのだ。
 それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうであるように宇宙
 を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅう)をも超えている。
 それは、それであるものだ。
 完全に自己充足し、独立しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

521鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/11(金) 22:39:55 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、マハラジがいうように全てが私であり全てなのじゃ。
宇宙も意識も世界も何もかもすべて一つなのじゃ。
数えることも無いから無数無量なのじゃ。
ただ意識だけが在る全てが全てなのじゃ。

522避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 10:00:48 ID:LC3de7YgO
>>520
『I AM THAT 私は在る』
【66 幸福へのすべての探求が不幸だ】(つづき)

 質問者 私には理解しがたいことです。
 マハラジ
 これらのことを実行するには、しばらく自分自身に時間を与えなければなら
 ないだろう。
 新しい轍(わだち)をつくることなく、あなたの脳から古い轍を消し去らな
 ければならない。
 あなたはあなた自身が不動なものであること、起こることすべての沈黙の観
 照者であることを認識しなければならないのだ。
 質問者 つまり、私は活動的な人生という考えすべてを捨て去らなければな
 らないということでしょうか?
 マハラジ
 まったくそうではない。
 そこには結婚が、子どもが、そして家族を維持するために収入を稼ぐことが
 あるだろう。
 すべては出来事の自然な流れに沿って起こるだろう。
 運命はそれ自身を満たしていかなければならないからだ。
 あなたはやってくる大小含めた仕事を注意深く周到にこなし、抵抗なく通り
 抜けていくことだろう。
 だが全体的な姿勢は愛情深い冷静さ、かぎりない善意、見返りを期待せず、
 求めることなく、絶え間なく与えつづけていくことだ。
 結婚においては、あなたは夫ではなく、妻でもない。
 あなたはその二つの間の愛なのだ。
 あなたはすべてに秩序と幸福をもたらす明晰性と優しさだ。
 それはあなたにとって、つかみどころのないものに見えるかもしれない。
 しかし少し考えてみれば、神秘的なことがもっとも実際的であることを知る
 だろう。
 なぜなら、それはあなたの人生を創造的で幸福にするからだ。
 あなたの意識はより高い次元に上昇し、そこからは、すべてがより明瞭でよ
 り強烈に見える。
 誕生時に個人となり、死において存在を終えるその人はつかの間の偽物だと
 あなたは悟るのだ。
 あなたは欲望と恐れに捕らえられた感覚的、感情的、知的個人ではない。
 あなたの真の存在を見いだしなさい。
 私とは何なのか?
 これがすべての探求の根本的な質問だ。
 そのなかへ深く入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

523避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 15:21:18 ID:LC3de7YgO
>>522
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 探求者とは彼自身を探している人だ。
 じきに彼は、身体が彼ではありえないと発見する。
 ひとたび「私は身体ではない」という確信がしっかりと確立されれば、もは
 や彼は身体に代わって感じ、考え、行動することはできなくなる。
 彼は普遍的な存在、知識、行為なのだということを容易に発見するだろう。
 彼のなかで、彼を通して宇宙全体が真実で、意識的で、活動的になるのだ。
 これが問題の核心だ。
 あなたは身体意識として環境の奴隷となるか、あるいはあなたは普遍的意識
 そのものであり、あらゆる出来事を完全に制御するかだ。
 しかし、それでも意識、個人、普遍なるものは私の真の居場所ではないのだ。
 私はその中にはなく、それは私のものではない。
 その中に「私」はない。
 どのようにして人が意識でもなく、無意識でもなく、ただ彼方に在ることが
 できるのかを説明することは容易でないが、私は彼方にあるのだ。
 私は神の中にいる、あるいは私は神だ、とは言えない。
 神は普遍的な光と愛、普遍的な観照者だ。
 私は普遍的なものさえ超えているのだ。
 質問者 それでは、あなたには名前も形もないということです。いったい、
 あなたはいかなる類(たぐい)の存在なのでしょうか?
 マハラジ
 私は私であるものだ。
 形がなく、形がないということでもない。
 意識ではなく、無意識でもない。
 私はこれらすべての範疇の外に在るのだ。
 質問者 あなたは「ネティ・ネティ」、これではない、これではないという
 アプローチについて語っているのでしょうか?
 マハラジ
 単なる否定によって私を見いだすことはできない。
 私はすべてであり、無なのだ。
 その両方であり、その両方でない。
 そういった定義は宇宙の支配者には当てはまるだろうが、私には当てはまら
 ないのだ。
 質問者 あなたはただの無だということを伝えたいのでしょうか?
 マハラジ
 そうではない。
 私は完全であり完璧なのだ。
 私は存在の中の存在性、知ることの中の知、幸福の充足だ。
 私を虚空に引き下げることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

524鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/12(土) 21:11:42 ID:1d4drIFg0
観念がないということは無ですらないのじゃ。
無もまた観念の一つに過ぎないのであるからのう。
無である観念によって知識を増やそうとするならばそれもまた否定されるべきなのじゃ。
観念が無いことによって全ては正しく見えるようになるのじゃ。

525避難民のマジレスさん:2019/01/12(土) 22:27:45 ID:LC3de7YgO
>>523
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 もしあなたが言葉を超えているならば、私たちは何について話すと
 いうのでしょう? 形而上学的には、あなたの言われることは筋が
 通っていて、内面的な矛盾はありません。しかし、あなたの言われ
 ることは、私の糧(かて)になっていないのです。それは完全に私
 の緊急の必要性を超えています。私がパンを求めているときに、あ
 なたは宝石を与えているのです。それらが美しいことは、疑うまで
 もありません。しかし、私は空腹なのです。
 マハラジ
 そうではないのだ。
 私はあなたがまさに必要としているものを差しだしている――気づきだ。
 あなたは空腹ではなく、パンも必要ない。
 あなたに必要なのは停止、放棄、開放だ。
 あなたが必要だと信じているものは、あなたに必要なものではないのだ。
 あなたが本当に必要としているものを知っているのは私だ。
 あなたではない。
 あなたは私がいる状態に戻らなければならない――あなたの自然な状態に。
 ほかの何であれ、あなたの考えるものは幻想であり、障害だ。
 私を信じてほしい。
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。
 質問者 言うは易く行うは難し、です。苦痛を抱えた人があなたのもとへや
 ってきたとします。そして、あなたは彼に胃の中のものを吐き出す
 ように勧めるのです。もちろん、マインドがなければ何の問題もあ
 りません。しかし、もっとも明白に、マインドはそこにあるのです。
 マハラジ
 マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

526避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 08:58:32 ID:LC3de7YgO
>>525
> マインドがそこにある、とあなたに言うのはマインドなのだ。
 騙されてはいけない。
 マインドについての果てしない議論はみな、マインドそのものによってそれ
 自身を保護し、継続し、拡張するために生みだされたのだ。
 それを超えた彼方へとあなたを連れていくことができるのは、マインドの回
 旋や動乱を完全に拒絶することだ。


うぅむ。
拒絶。
何があっても、大丈夫、あるいは仕方がない、と平常心で受け止める覚悟があればよいのでありますね。
悟ってなくても、そのように振る舞えるようになればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

527避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:16:02 ID:LC3de7YgO
>>525
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 マハラジ
 いかに高尚であっても、体験は実在のものではない。
 体験はその本性からして、来ては去っていくものなのだ。
 自己実現は獲得されるものではない。
 それはもっと理解の本質に近いものだ。
 ひとたびそれに到達すれば、けっして失われることはない。
 その反対に、意識は変化し、流れ、瞬間から瞬間へと変容を通り抜けていく。
 意識とその内容をとどめようとしてはならない。
 意識をとどめれば、それは止まる。
 洞察のひらめきと至福の爆発を永続させようと試みることは、それを維持し
 ようとするものにとって破壊的になる。
 来るものは去らなければならない。
 永遠なるものは、去来するすべてのものの彼方にあるのだ。
 すべての体験の根底へ、存在の感覚へと行きなさい。
 無限の実在は存在と非存在の彼方にある。
 何度も繰り返し試みることだ。
 質問者 試みるには信頼が必要です。
 マハラジ
 まず、熱望がなければならない。
 欲望が強力なとき、試みようとする意志が現れるだろう。
 欲望が強いとき、あなたは成功への確信も必要ない。
 あなたには賭をする用意があるのだ。
 質問者 強い欲望、強い信頼――最後にはどちらも同じことです。これらの
 人々は彼らの両親も、社会も、自分自身さえ信頼しません。触れる
 ものすべてがくずれてしまうのです。彼らに絶対的に真正で、疑う
 余地のない、マインドによる議論を超えたひとつの体験を与えてく
 ださい。そうすれば彼らは世界の果てまであなたにしたがうでしょう。
 マハラジ
 だが、私はほかでもない、それをしているのだ!
 休むことなく、私はひとつの論争の余地のない要因へと彼らを引き寄せてい
 る。
 存在に証明は必要ない。
 それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
 もし彼らが存在の事実の中に深く入っていき、「私は在る」が扉となる広大
 さと栄光を見いだし、その扉を通り抜けて、さらに彼方へと進んで行くなら、
 彼らの人生は幸福と光に満ちたものとなるだろう。
 私を信じてほしい。
 到達したとき、発見されるものに比べれば、必要とされる努力など無に等し
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

528避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 09:18:12 ID:LC3de7YgO
>>527
うむ!信じるであります。
(´・(∀)・`)つ

529鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/13(日) 20:48:55 ID:1d4drIFg0
>>526 そうじゃ、全て流してしまうのじゃ。
 囚われなくて善いのじゃ。

全てを手に入れるのであるからどれほど努力してもその甲斐はあるといえるのじゃ。
一生を費やしても悟りを得ようと精進するべきなのじゃ。
いずれは誰もが心身の全てを死によって失うのであるからのう。
有限な心身を使って無限の意識に参入するのじゃ。

530避難民のマジレスさん:2019/01/13(日) 22:02:45 ID:LC3de7YgO
>>527
『I AM THAT 私は在る』
【67 体験は実在のものではない】(つづき)

 質問者 あなたの言われるとおりです。しかし、これらの人々は自信も忍耐
 ももってはいないのです。
短期間の努力でさえ彼らを疲れさせてしまいます。
彼らが盲目のうちに手探りをし、しかも救いの手をつかむことさえできずにい
るのを見るのは心痛むことです。
彼らは根本的に本当にすてきな人たちなのですが、完全に道に迷っています。
 私は彼らに言うのです。
「真理をあなたの要求額で手に入れることはできない。条件を受け入れなけれ
ばならないのだ」と。
それに対する彼らの答えはこうです。
「何人かは条件を受け入れ、何人かは受け入れないでしょう。
受容や非受容は表面的で偶然のものです。
 実在はすべての中にあるのです。
すべての人が無条件で歩いていける道がか
ならずあるはずです」と。
 マハラジ
 あらゆるレベルで、人生のあらゆる領域において、すべてに対して開かれた
 そのような道はあるのだ。
 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

531避難民のマジレスさん:2019/01/14(月) 00:58:29 ID:LC3de7YgO
>>530
> 誰もが自分自身に気づいている。
 自己覚醒を深め、広めていくことは王道なのだ。
 それを留意、観照、あるいはただ注意と呼んでもいい。
 それはすべての人たちのためにある。
 誰もそれにとって未熟ではない。
 そして誰にも失敗はありえない。
 しかし、もちろんただ注意するだけではない。
 あなたの留意はマインドをも含まなければならないのだ。
 観照とは、根本的に意識とその動きへの気づきなのだ。

注意深く、意識的にあろうとせよと言うことでありますね。
老いぼれても、つまずいて転んだりしないように注意せよと言うことであり、
老いぼれても、何でも知ってると思わず、注意深く本心を見守れと言うことでありますね。
(´・(∀)・`)つ

532鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/14(月) 22:22:28 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、始めて観るが如く注意深くみるのじゃ。
 同じものを観ると思うと人はどうしても手抜きするからのう。
 初心に帰るのじゃ。
 初心禅心なのじゃ。

533避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 07:00:01 ID:LC3de7YgO
>>530
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】

 質問者 私たちは先日、現代における西洋人のマインドのあり方と、それが
 ヴェーダーンタ* の道義的、また知的修練に服従することの困難さ
 について語りました。その障害のひとつは、若いヨーロッパ人やア
 メリカ人は、世界の悲惨な状態と、それを正そうとする緊急の必要
 性に没頭することにあるのです。
 彼らは、あなたのような世界の改善の必要条件として個人的な改善
 を教える人に対する、忍耐力をもっていません。彼らは、それは可
 能ではなく、必要でもないと言うのです。人類はその社会的、経済
 的、政治的な組織体系を変える用意があると彼らは言います。世界
 政府、世界警察、世界計画、そしてすべての物質的、観念的境界線
 を廃棄することだけで充分であり、個人的変容は必要ないのだとい
 うことです。確かに、人びとが社会を形成しますが、社会も人びと
 を形成するのです。人間社会のなかで、人は人間らしくあることで
 しょう。それだけでなく、科学は以前宗教の領域になった多くの質
 問の答えを供給しています。

 * 訳注 ヴェーダーンタ Vedanta 「ヴェーダ(知識)の終焉」を意味する。
 『ウパニシャッド』『バガヴァッド・ギーター』、『ブラフマ・ス
 ートラ』を根本においたヒンドゥー教の教義の体系。純粋な非二元
 性と限定された(条件つき)非二元性の二つの教義を提示している。

 マハラジ
 確かに、世界の改善のために努力することは、もっとも賞賛に値する仕事だ。
 非利己的に為されることで、それはマインドを明晰にし、ハートを浄化する。
 しかし、じきに人ははかない夢を追求していることを自覚するのだ。
 特定の地域の、一時的な改善はつねに可能だ。
 そして、それは偉大な王や教師の影響のもとで何度も達成されてきた。
 だが、それはすぐに終局を迎え、人類を新しい悲惨な循環の輪のなかにおき
 ざりにするのだ。
 質問者 あなたは逃避を勧めているのではありませんか?
 マハラジ
 その反対だ。
 再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。
 新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状
 態に溶かさなければならない。
 世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。
 そうでなければ、それはけっして起こらない。
 影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。
 彼らのレベルに到達しなさい。
 そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。
 質問者 私たちが救いたいのは山や川ではなく、人びとなのです。
 マハラジ
 世界には、何も間違ったことはない。
 ただ、それを悪くする人たちのせいなのだ。
 行って、彼らに正しくふるまうように言いなさい。
 質問者 欲望と恐れが彼らにそのようにふるまわせるのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 人間の行動が恐れや欲望に支配されているかぎり、そこには何の希望もない。
 そして、どのようにして効果的に人びとに話をもちかけるかを知るには、あ
 なた自身、すべての欲望と恐れから自由にならなければならないのだ。
 質問者 一定の基本的な欲望や恐れは不可避なものです。それらは食べ物、
 セックス、死に関連しているのです。
 マハラジ
 それらは必要なものであり、必要なものとして容易に満たされる。
 質問者 死でさえも必要なのでしょう
か?
 マハラジ
 長く、充実した人生を生き、あなたは死ぬ必要性を感じるのだ。
 欲望と恐れが誤って適用されたときにだけ、それは破壊的になる。
 確かに欲望は正しく、恐れは誤りだ。
 だが、人びとが間違ったものを欲望し、正しいものを恐れるならば、それら
 は混沌と絶望を生み出すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

534鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/15(火) 22:14:07 ID:1d4drIFg0
世界を救うとか、統一するとか宣伝して独裁者達が多くの血を流してきたのじゃ。
今もまた世界を救おうと努力して更に悲惨な世界が作られていくのじゃ。
欲を離れていない人間には無理な仕事なのじゃ。
悟りを求めることはそのような仕事から離れるから逃避に見えるが、実際にはそれだけが唯一の救いなのじゃ。
政治にも社会にも知識や学問にも出来ない真の救いが在るのじゃ。

535避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 22:20:22 ID:LC3de7YgO
>>534
うむ。
それしかないでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

536避難民のマジレスさん:2019/01/15(火) 22:41:38 ID:LC3de7YgO
>>533
68の1『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 何が正しく、何が間違いなのでしょうか?
 マハラジ
 相対的には、苦しみの原因となるものが間違いで、苦しみを和らげるものが
 正しい。
 絶対的には、あなたを実在に連れ戻すものが正しく、実在を見えなくするも
 のが間違ったものだ。
 質問者 私たちが人類の救済について話すとき、それは無秩序と苦しみに対
 しての努力を意味しているのです。
 マハラジ
 あなたは単に救済について話すだけだが、かつて一度でも、ひとりの人を本
 当に助けたことがあるだろうか?
 あなたは今まで、ひとりの魂を助けの要らなくなるところまで導いたことが
 あるだろうか?
 彼の真の存在への洞察をもった人ではないにしても、少なくとも義務と機会
 を完全に自覚した人物を挙げることができるだろうか?
 あなたが自分自身にとって何が良いのかも知らないときに、どうして他者の
 ために何が良いかを知ることができるだろうか?
 質問者 生活手段の適切な供給は、すべての人たちにとって良いことです。
 あなたは神自身かもしれませんが、私たちに話しかけるにも、栄養
 の充分行きとどいた身体が必要なはずです。
 マハラジ
 あなたに話しかける私の身体を必要としているのは、あなたなのだ。
 私は身体でもなく、それを必要としてもいない。
 私は観照者でしかない。
 私は私自身の形をもっていないのだ。
 あなたは、それほどまで自分自身が意識をもった身体だと考えることに慣れ
 ているため、意識が身体をもっているということが想像もできないのだ。
 身体的存在は意識のなかの動き、マインドの状態でしかなく、意識の大洋は
 無限で永遠であるとひとたび認識し、意識に触れるとき、あなたは観照者で
 しかないと自覚したなら、完全に意識の彼方へと行くことができるだろう。
 質問者 存在のなかには多くのレベルがあると聞きました。
あなたはそれらすべてのレベルのなかに存在し、機能しているのでしょうか?
 あなたは地上に在りながら、同時に天国(スワルガ)にもいるのでしょうか?
 マハラジ
 どこにも私を見いだすことはできない。
 私はほかのもののなかにあるひとつのものではない。
 すべてのものごとは私のなかに在る。
 だが、私はものごとのなかにはいないのだ。
 あなたは私に、表層について語っている。
 だが、私は土台に関わっている。
 表層は現れては衰えていく。
 しかし、土台にあるものは継続するのだ。
 私は移りゆくものに興味をもたない。
 一方、あなたはそれ以外のことは何も話さないのだ。
 質問者 奇妙な質問を許してください。もし誰かが鋭い刀で突然あなたの首
 を断ち切ったならば、あなたにとってどのような違いがあるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 まったく何の違いもない。
 身体がその頭を失うだけだ。
 伝達経路が断ち切られるだろう。
 それだけだ。
 二人の人が電話で話をしている。
 そして、線が切られたのだ。
 その人たちには何も起こらない。
 ただ、彼らはほかの伝達手段を探さなければならないだけだ。
 『バガヴァッド・ギーター』は、「刀はそれを切らない」と言っている。
 文字通りそうなのだ。
 媒体の死にもかかわらず、生きつづけるのが意識の本性だ。
 それは火のようなものだ。
 それは燃料を燃やし尽くすが、それ自体をではない。
 ひとつの炎が燃料の山を長い間燃やしつづけていくように、意識も無数の身
 体を通して生きつづけていくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

537素人A:2019/01/16(水) 08:11:05 ID:gOqWUDAs0
個の用も2045年問題泣くAIの発達により見回りロボットの人間の物質的役は解決され?観るだけで物質的責任は
亡くなりバーチャルなテレビの劇のなかで泣き笑いの感動するだになるのか?どうせ人間は役立たずで動物の体維持する
無駄遣いはやめ合理的な機械いやAIロボットに動物はおきかえられるのか?もともと悟ツタ聖者たちは物質的欲望は
最低限で観るだけのバーチャル観で生きていたしまあ良い時代が来たのか?兎に角あくせく汗流して働かなくても生き
られで永遠のテレビの盤だとみな悟らされ、それは凡仏にはつまらない正解の鴨で痛いは困るけど女性を触れなくなるのが
辛いのか?親子でもそれはバーチャルな役目で半分の観るだけの半分のあの世うの無責任な淡い現実感しかなあ
アートため息が出で現実に迷つた時代を懐かしく思う野鴨。でもブラフマンの親心で観るだけの存在として許されているだけ
でも有りがたいのかイラン人としてゴミ箱に捨てられるよりましか?本当は捨てられる運命なら怖い。
来てほしい遊んで楽に暮らせるなら2045年は問題無しなんだが?美味い汁のAIは金持ちが独占するなら不味い世
が来るのか?サイコロの眼は目出たい法に出るのか丁半勝負?いままで人類は核問題も金さんも乗り切ってきたし
心配ないのかも知れないけどホーキンズ放棄するか なるようになるしか無い。

538鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/16(水) 21:49:11 ID:1d4drIFg0
>>535 そうじゃ、悟りを求めることこそ人が真に行うべきことなのじゃ。

 マハラジは救済を口にする者に、かつて本当に一人の人でも助けたことがあったかと聞くのじゃ。

 例えば飢えている者に食べ物をあげれば命は一時的に助かるじゃろう。
 家とか服とか医療を与えればかなり長く生きられるじゃろう。
 更に畑とか仕事とかを提供すれば老病死がくるまでは生きられるじゃろう。
 しかし、その先にある老病死からは助けられないのじゃ。
 それが他人への救済の限界なのじゃ。

 自ら悟りを得て他人をも導かなければその限界は突破できないのじゃ。
 他人を導いて悟りを得さしめてこそ真の救済が出来たといえるのじゃ。

539避難民のマジレスさん:2019/01/16(水) 22:49:53 ID:LC3de7YgO
>>538
うむ。
一切をありのままに受け入れることできるように、よぼよぼよたよたと、がんばるであります。
(´・(ェ)・`)つ

540避難民のマジレスさん:2019/01/16(水) 22:59:57 ID:LC3de7YgO
>>536
『I AM THAT 私は在る』
【68 意識の源を探求しなさい】(つづき)

 質問者 燃料は炎に影響を与えます。
 マハラジ
 それが続くかぎりはそうだ。
 燃料の性質を変えてみなさい。
 炎の色と姿も変化するだろう。
 今、私たちは互いに話しあっている。
 このために、存在は必要となる。
 存在しなければ、話しあうことはできない。
 だが、存在だけでは充分とは言えない。
 そこには話したいという欲望もなければならないのだ。
 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
 えない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 質問者 あなたは沈黙の観照者であり、また意識の彼方に在ると言われます。
 そこには矛盾があるのではないでしょうか?
 もしあなたが意識の彼方に在るのなら、あなたは何を観照するというのでしょ
うか?
 マハラジ
 私は意識と無意識だ。
 意識と無意識であり、そして意識ではなく、無意識でもない。
 これらすべてに対して、私は観照者なのだ。
 だが、実はそこに観照者はいない。
 なぜなら、そこに観照されるものが何もないからだ。
 私はすべての精神構造を完全に空にした、空っぽのマインドなのだ。
 それにもかかわらず、完全に気づいている。
 これが、私はマインドを超えていると言うことで表現しようとしていること
 なのだ。
 質問者 それでは、どのようにしてあなたのいるところに到達できるのでし
ょうか?
 マハラジ
 意識していることに気づいていなさい。
 そして意識の源を探求しなさい。
 それだけだ。
 言葉ではほとんど伝えることはできないのだ。
 私があなたに話すことではなく、私の言うように、それをすることが光をもた
らす。
 手段はさして重要ではない。
 重きをなすのは熱望、衝動、真剣さなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

541鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/17(木) 21:52:22 ID:1d4drIFg0
>>539 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。

真剣であり、悟りを熱望し、激しい衝動を持っている者ならば悟りも速やかに達成できるのじゃ。
マハリシは死を超えるものを知ることに激しい衝動があったのじゃ。
そうであるから一日で悟りを得たのじゃ。
方法はそのような悟りへの真の衝動を持たないものの為にあるものじゃ。
更に激しく悟りへの情熱を燃やすのじゃ。

542避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:13:01 ID:LC3de7YgO
>>541
人に生きる目的があるとすれば、死ぬことでありますよね。
他に目的・・・て、言うか、目標は、ないでありますよね。

死んで生きるのが、覚者の教えでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

543避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:19:46 ID:LC3de7YgO
>>540
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 私の友人はドイツ人です。そして私はイギリス生まれで、両親はフ
 ランス人です。私はアーシュラムからアーシュラムを巡りながら、
 一年以上もインドにいます。
 マハラジ
 何かサーダナ(修練)をしているのかね?
 質問者 研究し、瞑想しています。
 マハラジ
 何に瞑想しているのだろうか?
 質問者 私が読んだことに瞑想しています。
 マハラジ
 よろしい。
 質問者 あなたは何をされているのでしょうか?
 マハラジ
 座っているのだ。
 質問者 ほかには?
 マハラジ
 話している。
 質問者 あなたは何について話をされるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは講義が聞きたいのかね?
 あなたが深く感じられるように、本当に心に触れるような何かを尋ねるほう
 がいい。
 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
 もしあなたが「何も私を悩ますことはない、問題はない」というのなら、そ
 れはそれでいい。
 私たちは静かに黙っていよう。
 だが、本当にあなたの心に触れる何か
があるのならば、話す目的もあるとい
 うものだ。
 私があなたに尋ねようか?
 あなたがひとつところから別のところへと、移動しつづける目的は何だろう
 か?
 質問者 人びとに出会い、彼らを理解することです。
 マハラジ
 人びとの何をあなたは理解しようとしているのだろう?
 正確には、あなたは何を求めているのだろうか?
 質問者 統合です。
 マハラジ
 もしあなたが統合を望むのなら、誰を統合するのか知らなければならないだ
 ろう。
 質問者 人びとに出会い、彼らを見守
ることで、人は自分自身をもまた知る
 ことになるのです。それはともに進むのです。
 マハラジ
 それはかならずしもともに進むとはかぎらない。
 質問者 一方が他方を改善していきます。
 マハラジ
 それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

544避難民のマジレスさん:2019/01/17(木) 23:24:18 ID:LC3de7YgO
>>543
> 感情的に関わらないかぎり、私と議論をしたとしても、本当の理解は私たち
 の間に生まれないだろう。
←うむ。で、ありましょう。
> それはそのように働かないのだ。
 鏡はイメージを映しだすが、イメージが鏡を改善することはない。
 あなたは鏡ではなく、鏡のなかのイメージでもない。
 鏡を完全なものにし、それが正確に、真実に投影するようにしてから鏡の向
 きを自分自身の方向に変え、鏡が反映できるかぎりの、真実のあなたの投影
 を見なさい。
 しかし、投影はあなた自身ではないのだ。
 あなたは投影を見る者だ。
 それを明確に理解しなさい。
 あなたが何を知覚しようとも、あなたはあなたが知覚するものではないのだ。
←マハラジさんはユーモアがあり余裕でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/18(金) 22:13:58 ID:1d4drIFg0
>>542 そうじゃ、死んで生きるのじゃ。

マハラジの言葉は悟っていなければ理解するのは難しいじゃろう。
一体何が鏡で何が投影なのかもわからんじゃろう。
心が鏡であり、イメージが投影されるものと見ることもできるのじゃ。
しかし、イメージは自分ではないのじゃ。 
投影をみるものであり、知覚出来ないものとはアートマンに他ならないのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 00:37:44 ID:LC3de7YgO
>>545
うむ。
くま、昔からわかっていたような気もするし、永遠にわかるわけがないと言うような気もするのであります。
それではいけないのでありましようか?、どうでもよいのでありましょうか?。
自分に問うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

547避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 07:48:47 ID:LC3de7YgO
>>543
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)
 質問者 私が鏡で、世界は投影なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは鏡と投影の両方を見ることができるのだ。
 あなたはそのどちらでもない。
 あなたは誰なのか?
 決まり文句で答えてはならない。
 答えは言葉のなかにないからだ。
 言葉で表せるもっとも近い表現は、「私は知覚を可能にし、体験者とその体
 験を超えた生命だ」と言えよう。
 さて、あなたは鏡と鏡のなかのイメージから自分を引き離し、完全にひとり
 で、まったくあなただけで立つことができるだろうか?
 質問者 いいえ、できません。
 マハラジ
 どうしてできないと知っているのかね?
 どのようにやっているのかも知らずに、あなたはたくさんのことをしている
 のだ。
 消化し、血液やリンパ液を循環させ、筋肉を動かしている。
 すべて、どのようにしているのかさえ知らずに。
 同じように、あなたはなぜ、どのようにしてるのかも知らないまま、知覚し、
 感じ、考えている。
 同じように、あなたは知らなくてもあなた自身なのだ。
 真我としてのあなたに何も間違ったところはない。
 それはそれとして完全だ。
 正しく澄んでいないのは鏡なのだ。
 それゆえ、それがあなたに偽りのイメージを与えるのだ。
 あなた自身を正す必要はない。
 ただあなた自身に関するあなたの考えを正しなさい。
 あなた自身を鏡と鏡のなかのイメージから引き離すことを学びなさい。
 つねに、「私はマインドでも、その考えでもない」ということを覚えておき
 なさい。
 信念とともに、忍耐強くそれをしなさい。
 そうすればあなたは、すべてを包容し、すべてに遍在する永遠の存在―知識
 ―愛の源としての、あなた自身の直接の姿を知るときがかならず来るだろう。
 あなたは身体のなかに焦点を合わせた無限なるものだ。
 今、あなたは身体しか見ていない。
 真剣に試みてみなさい。
 そうすれば、無限なるものだけを見るようになるだろう。
 質問者 実在の体験、それはいつやってくるのでしょう、それは続くものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は、かならず一時的なものだ。
 だが、すべての体験の根底にあるものは不動なのだ。
 出来事と呼ばれるものは何ひとつ永続しない。
 だが、ある出来事はマインドを浄化し、ある出来事はそれを汚(けが)して
 しまう。
 深い洞察とすべてを包容する愛の瞬間はマインドを浄化する。
 だが、欲望と恐れ、妬(ねた)みと怒り、盲目と知的慢心は精神を汚し、鈍
 くしてしまうのだ。
 質問者 真我の実現はそれほどまでに重要なのでしょうか?
 マハラジ
 それなしには、あなたは果てしない苦しみのなかで、無意味に欲望と恐れを
 繰り返しながらそれらに食い尽くされてしまうだろう。
 ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないのだ。
 しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべての争いや
 葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の仕事となるだろう。
 あなたは自由になれることを知っている。
 そして今、それはあなたにかかっているのだ。
 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、つねに失
 い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り
 去ることもない永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。
 そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
 それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなったからなの
 だ。
 質問者 ここまでは、あなたの言われることを理解しました。さて、私は何
 をすべきなのでしょうか?
 マハラジ
 何もすることはないのだ。
 ただ在りなさい。
 何もしてはいけない。
 在りなさい。
 山に登って洞窟のなかに座ることはない。
 私は「あなた自身で在りなさい」とさえ言わない。
 なぜなら、あなたはあなた自身を知らないからだ。
 ただ在りなさい。
 あなたは知覚可能な「外側」の世界でもなければ、思考可能な「内側」の世
 界でもない。
 あなたは身体でもマインドでもないことを見極めたのだ。
 ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

548鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/19(土) 21:23:25 ID:1d4drIFg0
>>546 今はわからなくてよいのじゃ。
 悟れば自然にわかるのじゃ。
 目覚めた者の言葉とはそのようなものじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

悟りをもとめることは知識や記憶を増やすことではないのじゃ。
目覚めた者の言葉をいくら多く記憶していても無意味なのじゃ。
自ら自分を追及してその言葉を確かめるしかないのじゃ。
その実践をただ在ることとマハリシはいうのじゃ。

549避難民のマジレスさん:2019/01/19(土) 21:50:50 ID:LC3de7YgO
>>547
『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我の実現には、確かに段階があるはずです。
 マハラジ
 真我の実現に段階などない。
 何も漸進的なところはないのだ。
 それは突然起こり、後戻りできないものだ。
 あなたは新しい次元のなかに入り、そこから以前の次元が単なる抽象的観念
 でしかなかったことを見る。
 日の出とともに、ものごとをあるがままに見るように、あなたは真我を実現
 することですべてをあるがままに見るのだ。
 幻想の世界は後に残されたままだ。
 質問者 真我の実現の状態のなかでは、ものごとは変わるのでしょうか?
 それらは色彩豊かになり、深い意味をもつようになるのでしょうか?
 マハラジ
 その体験はまったく正しい。
 しかし、それは実在(サダヌバーヴ)の体験ではなく、宇宙との調和(サッ
 トヴァヌバーヴ)の体験だ。
 質問者 それでも、そこには進歩があるのでしょうか?
 マハラジ
 準備(サーダナ)のなかに進歩はありうる。
 実現は突然のものだ。
 果実はゆっくり熟していく。
 しかし、落ちるのは突然であり、しかも、もとに戻ることはないのだ。
 質問者 私は身体的にも精神的にも安らかです。これ以上何が必要なのでし
 ょうか?
 マハラジ
 あなたの状態は究極の状態ではないかもしれない。
 あなたは自然な状態に戻ったことを、すべての欲望と恐れの完全な不在によ
 って自覚するだろう。
 結局、すべての欲望と恐れの根本には、あなたがあるがままではないという
 感覚があるのだ。
 関節がはずれているかぎり、脱臼(だっきゅう)したところが痛むように、
 そして関節がはめられたとたん、忘れ去られるように、すべての利己的関心
 は、ひとたび正常な状態に戻れば消えてしまう精神的な脱臼の症候なのだ。
 質問者 そのとおりです。しかし、自然な状態に達するためのサーダナとは
 何なのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」という感覚をつかみ、それ以外のすべてを除きなさい。
 こうしてマインドが完全に沈黙したとき、それは新しい光とともに輝き、新
 しい知識とともに振動するのだ。
 すべては自発的にやってくる。
 ただ、「私は在る」という感覚をつかむ必要があるだけだ。
 眠りから覚めたときのように、あるいは歓喜の状態にいるように、あなたは
 休息した感覚をもち、しかもなぜ、どのようにしてこれほど良い感じがする
 ようになったのか説明ができない。
 真我実現も同じように、あなたは完全で、充足し、快楽―苦痛から自由であ
 ると感じ、それにもかかわらず、何が、どうして、どのように起こったのか
 を説明できないのだ。
 あなたはそれを否定的な言語でしか表せない。
 「私には、もはや何も間違ったところがない」と。
 ただ過去との比較においてだけ、それから自由になったことを知るのだ。
 そうでなければ、あなたはただ、あなたのままなのだ。
 ほかの人たちに伝えようとしてはならない。
 もしそうできるとしたら、それは本物ではなかったのだ。
 沈黙しなさい。
 そして、それは行為のなかで、それ自身を表現するのを見守りなさい。
 質問者 もし私が何に成るのかを言うことがあなたにできるのなら、それは
 私の成長を見守る助けになるかもしれません。
 マハラジ
 何かに成るということなどないとき、どうして誰かに、あなたが何になるの
 か言うことができるだろうか?
 あなたはただ、あなたで在ることを発見するのだ。
 自分自身をひとつのパターンに鋳造することなど、悲惨なる時間の浪費だ。
 過去も未来も考えず、ただ在りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

550避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 13:58:50 ID:LC3de7YgO
>>549
69の3『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】の3回目

 質問者 どうしてただ在ることができるでしょうか? 変化は不可避なので
 す。
 マハラジ
 変化の絶えないなかにあっては、変化は不可避だ。
 だが、あなたがそれに支配されることはない。
 あなたはそれに対して変化が知覚される、不変の背景なのだ。
 質問者 すべては変化します。背景もまた変化するのです。変化に気づくた
 めの不変の背景など、必要ありません。自己は一時的なものです。
 それは単なる過去と未来の遭遇(そうぐう)点でしかないのです。
 マハラジ
 もちろん、記憶をもとにした自己は一時的なものだ。
 しかし、そのような自己は、その背後に不断の継続性を必要とする。
 あなたの体験からも、自己を忘れてしまう隙間があることを知っているだろ
 う。
 何がそれを蘇らせるのだろうか?
 朝、あなたを目覚めさせるのは何だろうか?
 意識のなかのその隙間を橋渡しする、何か不断の要因がなければならない。
 もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。
 それにとっては、マインドもノー・マ
インドもひとつなのだ。
 質問者 霊的な成就のためにあなたが勧める、私が行くべき特定の場所があ
 りますか?
 マハラジ
 唯一、正しい場所は内側だ。
 外側の世界は、助けにもならなければ妨げにもならない。
 どのような体系的方法も、どのような行動様式も、あなたを目的地へ連れて
 いきはしない。
 未来へ向けてのあらゆる働きかけを放棄しなさい。
 完全に、今に集中するのだ。
 起こるがまま、人生のあらゆる動きに反応することだけで関わっていきなさ
 い。
 質問者 放浪しようとする衝動は何が原因なのでしょうか?
 マハラジ
 原因はない。
 あなたはただ、放浪しているという夢を見ているだけだ。
 数年後には、あなたのインドでの滞在も夢として現れることだろう。
 そのころ、あなたは何かほかの夢を見ていることだろう。
 夢から夢へと動きまわるのは、あなたではない。
 夢があなたの前を流れていき、あなたは不変の観照者なのだ。
 いかなる出来事もあなたの存在に影響を与えることはない。
 これが絶対的な真理なのだ。
 質問者 物理的には動きまわりながら、内面においては動じずにいることは
 できないでしょうか?
 マハラジ
 それはできる。
 しかし、それが何の役に立つというのだろう?
 もしあなたが真剣なら、最後にはうろつき回ることに飽きて、今まで時間と
 エネルギーを浪費してきたことを後悔するだろう。
 あなた自身を見いだすためには、一歩を踏みだすことさえ必要ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

551避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 14:09:55 ID:LC3de7YgO
>>550

> もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。

←うむ。
車道を走る自動車の数え方に二通りあり、自動車その物を数えるか、走る自動車と自動車の間隔を数えるかであると、OSHOが例えてるのと同じでありますね。
その隙間こそが、まさに、
>永遠なる真の実在だ。

と言う理解で良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

552鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/20(日) 21:05:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 言葉ではそのようにいえるのじゃ。
 自ら確かめてみるしかないのじゃ。

常に自らの心を観るように導くのが正しい指導なのじゃ。
どこに行こうと自分の心を観る以外に解放への道は無いのじゃ。
自らの心の中に入っていくのじゃ。

553避難民のマジレスさん:2019/01/20(日) 21:50:43 ID:LC3de7YgO
>>550

『I AM THAT 私は在る』
【69 一時性は非実在の証拠だ】(つづき)

 質問者 真我(アートマン)の体験と絶対なるもの(ブラフマン)の体験の
 間には、何か違いがあるのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものの体験などありえない。
 それはすべての体験を超えているからだ。
 その反対に、自己はあらゆる体験のなかの体験要因だ。
 それゆえ、それはある意味で体験の多様性を有効にするのだ。
 世界は偉大な価値あるもので満ちているかもしれない。
 だが、誰も買う人がいなければ、それらに価値はない。
 絶対なるものは、体験可能なあらゆるものを包含している。
 体験を可能にするもの、それが絶対なるものだ。
 それを現実のものにするのが真我なのだ。
 質問者 私たちは段階的な体験を通して絶対なるものに到達するのではない
 でしょうか? もっとも粗雑な体験からはじまり、もっとも崇高な
 体験で終わるように。
 マハラジ
 それを熱望しないかぎり体験はありえ
ない。
 欲望の間に段階はありうる。
 しかし、もっとも崇高な欲望とすべての欲望から自由になることの間には、
 渡らなければならない深遠がある。
 実在ではないものが実在に見えることはあるかもしれない。
 しかし、それは一時的なことだ。
 実在は時間を恐れてはいないのだ。
 質問者 非実在は実在の表現ではないのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうありえよう?
 それは、あたかも真理は夢のなかでそれ自体を表現すると言うようなものだ。
 実在にとって、非実在は存在しない。
 あなたがそれを信じるために、それは実在として現れるのだ。
 疑ってみなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 誰かを愛するとき、あなたはそれに実在を与える。
 あなたはあなたの愛が全能で、永遠だと想像する。
 それが終局を迎えるとき、あなたは言う、「わたしはそれが本物だと思って
 いたが、そうではなかった」と。
 一時性は非実在の最高の証拠なのだ。
 時間と空間のなかに限定され、ひとりの人にしか適用しないものは実在では
 ない。
 実在はすべてのためにあり、永遠のものなのだ。
 ほかの何よりも、あなたはあなた自身を大切にする。
 あなたはあなたの存在を、何ものとも交換することを許さないだろう。
 在ることへの欲望は、すべての欲望の
なかで最強のものだ。
 そして、あなたが真我を実在したときだけ、それは去るだろう。
 質問者 非実在のなかにさえ、そこには実在の感触があります。
 マハラジ
 そうだ。
 それを実在と見なすことで、あなたはそれに実在性を分け与えるのだ。
 あなたは自分を納得させた上で、自分の確信によって束縛されてしまうのだ。
 日が照るとき、色彩が現れる。
 日が沈むとそれらは消え去る。
 光なしに、色彩はどこにあるだろうか?
 質問者 それは二元性のなかでの考えです。
 マハラジ
 考えることはすべて二元性のなかにある。
 本質のなかではいかなる思考も生き残らないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

554鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/21(月) 22:34:56 ID:1d4drIFg0
アートマンを法として使うことでブラフマンにも至れるのじゃ。
それは体験ではないのじゃ。
体験とは一時的に味わい、記憶としてのみ残る刺激なのじゃ。
そのようなものは記憶と共に消えてしまうものじゃ。
消えることの無いものだけが実在しているといえるのじゃ。

555避難民のマジレスさん:2019/01/21(月) 23:00:57 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

556避難民のマジレスさん:2019/01/21(月) 23:01:02 ID:LC3de7YgO
>>553
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】

 マハラジ
 あなたはどこから、何のために来たのかね?
 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
     来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
     と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
 マハラジ
 あなたは何を見てきたのだろうか?
 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
     れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
     うかがえるでしょうか?
 マハラジ
 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
 しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
 あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
 だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
 マハラジ
 おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
 あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
 あなたはあなた自身であると考えているものだ。
 だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
 はできないのだ。
 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
     には何を学ばなければならないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすべてを忘れなければならない。
 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
     なると言われるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望が放棄されなければならない。
 なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 完成を知ることはできない。
 あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
 あなたはあなたではないものを知ることができる。
 だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
 あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
 そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
 それは偽りを偽りとして見るというものだ。
 しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
     す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
     顕現の知識は信頼できるはずです。
 マハラジ
 非顕現の知識といったものはない。
 それは不可知だ。
 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
 マハラジ
 知る者は知られるものを知っている。
 あなたは知る者を知っているだろうか?
 誰が知る者を知る者なのだろうか?
 あなたは非顕現を知りたいと言う。
 あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
     らの総計が私のすべての経験なのです。
 マハラジ
 すべて?
 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
     ことができないのは認めます。
 マハラジ
 もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
 どをあなたが知っていると言うのだろう?
 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
 マハラジ
 それでさえもない。
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

557鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/22(火) 21:53:12 ID:1d4drIFg0
全ての知識や体験は実感することの邪魔になるだけなのじゃ。
それらは自ら実感することのための方法を教えるだけであるからのう。
体験したことも不要な観念に他ならないのじゃ。
それは既に消えてしまったものであるからのう。
囚われずに進むのじゃ。

558避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:18:53 ID:LC3de7YgO
瞑想とか修行を通して実感できることは、それを体験して、囚われずに実践してる間は、続くのでありますが、それが知識になり、囚われて、求めだすと得られなくなるのであります。
ただくまの場合、基本的な気の実感みたいなものはいつでも得られるので、訓練方法によってはなんとかなると思うのであります。
囚われずに進むであります。
(´・(ェ)・`)つ

559避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:27:21 ID:LC3de7YgO
>>556
70の2『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】2回目

 質問者 私は顕現を知っています。なぜなら、私はそれに参加しているから
     です。そのなかでの私の部分はたいへん小さいものであり、それは
     認めます。それでも、それはその全体性と同じほど現実なのです。
     そして、もっと重要なことは、私がそれに意味を与えるということ
     です。私なしには、世界は暗く沈黙しているのです。
 マハラジ
 ホタルが世界を照らすというのかね!
 あなたが世界に意味を与えるのではない。
 あなたはそれを見いだすのだ。
 あなた自身のなかに深く潜っていきなさい。
 そしてすべての意味があふれだす源を見いだしなさい。
 間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。
 質問者 何が私を限定し、表面的にしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 全体は開いていて、手に入るものだ。
 だが、あなたはそれを手にしない。
 あなたは自分自身だと考えている小さな個人に執着している。
 あなたの欲望はかぎられていて、野望は取るに足らないものだ。
 結局、知覚の中心がなければ、どこに顕現があるというのだろう?
 知覚されなければ、顕現は非顕現と同じだ。
 あなたは知覚する点、すべての次元に対する無次元の源なのだ。
 全体としてのあなた自身を知りなさい。
 質問者 ひとつの点が、どのように宇宙を包含できるというのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつの点のなかには、無限の宇宙を包むに充分な空間がある。
 許容量に欠けることはない。
 自己限定だけが唯一の問題なのだ。
 しかし、あなた自身から逃げだすことはできない。
 どれほど遠くへ行こうとも、あなたは自分自身に、そして無であり、しかも
 すべての源であるこの点を理解する必要性に戻ってくるのだ。
 質問者 私はインドにヨーガの教師を探しに来たのです。いまだに私は探し
     ています。
 マハラジ
 どの類(たぐい)のヨーガをあなたは学びたいのだろうか?
 獲得のヨーガだろうか、放棄のヨーガだろうか?
 質問者 それらは最終的には同じ結果になるのではないでしょうか?
 マハラジ
 どうして同じでありうるだろう?
 一方は隷属させ、他方は解放する。
 動機がもっとも重要なのだ。
 自由は放棄を通してもたらされる。
 すべての所有は束縛なのだ。
 質問者 私が力強さと勇気をもってつかむものを、なぜ放棄しなければなら
     ないのでしょうか? そして、もし私が強さをもっていなければ、
     どうして放棄できるでしょう? 私にはこの放棄の必要性が理解で
     きません。私が何かを欲しいとき、どうしてそれを追求すべきでは
     ないのでしょうか? 放棄は弱者のためのものです。
 マハラジ
 もしあなたが放棄する智慧(ちえ)と力をもっていないのなら、ただあなた
 の所有物を見てみなさい。
 ただ見るという行為がそれらを焼き尽くすだろう。
 もしあなたがマインドの外側に立つことができるなら、じきに所有物と欲望
 を放棄することがもっとも明白な分別ある行為だと知ることだろう。
 あなたが世界をつくり出しておいて、それからそれについて心配するのだ。
 利己的になることはあなたを弱くする。
 あなたに欲望をもつだけの勇気と力があると考えるなら、それはあなたが若
 く、経験不足だからだ。
 例外なく、欲望の対象物はそれを獲得する手段を破壊する。
 そうして、それ自体も衰え果ててしまうのだ。
 結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

560避難民のマジレスさん:2019/01/22(火) 22:31:16 ID:LC3de7YgO
>>559
最後の
>すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

←このすべて とは、放棄する智慧(ちえ)と力 でありましょうか?
あるいは、タートマンとかブラフマンのことでありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

561避難民のマジレスさん:2019/01/23(水) 18:43:58 ID:LC3de7YgO
>>559
『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】(つづき)

 質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?
 マハラジ
 訓練の必要はない。
 放棄という行為さえ必要ない。
 ただ、あなたのマインドをそらしなさい。
 それだけだ。
 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
 それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
 質問者 それだけですか?
 マハラジ
 そうだ。
 それだけだ。
 欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。
 自分で試みてみなさい。
 ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 だが、それは問題ではない。
 すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試み
 ることだ。
 質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょう
     か?
 マハラジ
 あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。
 だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。
 完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。
 より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄
 ではない。
 あきらめなさい。
 なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。
 放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、
 喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。
 質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調さ
     れるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?
 マハラジ
 それらは自然なものではない。
 完全にマインドによって作られたものだ。
 あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しな
 ければならないのだ。
 あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
 あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。
 あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離
 れたものであることを自覚しなさい。
 あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。
 それから立ち去りなさい。
 人格化を拒否しなさい。
 質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?
 マハラジ
 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。
 それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマ
 インドの状態を理解しようとしてみなさい。
 私は真理から話している。
 両手を開き、受け取りなさい。
 あなたはあなたが考えているものではないのだ。
 私が保証しよう。
 あなたがもっているあなた自身のイメ-ジは記憶によってつくられたまった
 く偶然の産物なのだ。
 質問者 私は私のカルマの結果です。
 マハラジ
 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。
 カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。
 あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。
 あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。
 自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。
 あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?
 質問者 カルマとは、私を完成へと衝(つ)き動かす神秘の力だと私は思っ
     ています。
 マハラジ
 それは人びとがあなたに言ったことだ。
 あなたはすでに今ここで完成している。
 完成することができるようなものはあなたではない。
 あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。
 やめなさい。
 重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではない
 のだ。
 質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませ
     んか?
 マハラジ
 何も駆りたててはいない。
 あなたはあなただと信じるものだ。
 信じるのを止めなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

562鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/23(水) 23:42:44 ID:1d4drIFg0
>>560 それはマハラジが初めに語ったただ見るという行為のことなのじゃ。
 ただ見るだけで欲しかったものはありふれた重荷となり、欲は苦に変わることがわかるのじゃ。
 そのようにして欲望も避けるようになるのじゃ。
 観察の法といえるのじゃ。

563避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 19:36:51 ID:LC3de7YgO
>>562
ありがとうであります。
なるへそ!
>ただ見るという行為がそれらを焼き尽くす

ことによって、

>  結局、すべては最善の結果をもたらす。
 なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。

なのでありますね。

すっきりしたであります。
(´・(ェ)・`)つ

564避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 19:44:54 ID:LC3de7YgO
>>561
70の4『I AM THAT 私は在る』
【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】4回目

 質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いる
     のはカルマです。
 マハラジ
 何ひとつ、私に強いるものはない。
 私はする必要のあることをするだけだ。
 だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。
 調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。
 あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。
 質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何で
     しょうか?
 マハラジ
 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。
 質問者 この衝動に私の方からであいに行くことができるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなた自身の状態を見てみなさい。
 世界の状態を見てみるがいい。
 質問者 私たちはカルマ、輪廻(りんね)、進化、ヨーガ、師と弟子につい
     ての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいの
     でしょう?
 マハラジ
 すべてを捨て去っていくがいい。
 忘れるのだ。
 概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。
 すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄
 しなさい。
 絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。
 半端な気持ちではいけない。
 質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような
     何かがあるでしょうか?
 マハラジ
 ある。
 それが「私は在る」という感覚だ。
 それからはじめなさい。
 質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?
 マハラジ
 ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。
 それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。
 一時的なものは神秘的だ。
 質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう。
 実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばし
 いものだ。
 それは矛盾からの完全な自由なのだ。
 それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。
 存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。
 質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマイン
     ドを消し去ることができるでしょうか?
 マハラジ
 マインドとはそれが考えていることなのだ。
 マインドを真実にするために、真実を考えなさい。
 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それら
     は何なのでしょうか?
 マハラジ
 実際には、知覚だけがある。
 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実
 のものだ。
 質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?
 マハラジ
 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。
 それが知覚を可能にするのだ。
 しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。
 あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。
 あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。
 日常生活のなかで、それを表現しなさい。
 そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。
 マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。
 だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かな
 ければならない。
 質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるので
     しょうか?
 マハラジ
 ある。
 愛の力だ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/24(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>563 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


カルマも観念に過ぎないものじゃ。
報いを説明するために作り出されたものじゃ。
それが人の意志にかかわることは無いのじゃ。
ましてそれが人の本質であることも無いのじゃ。
心の働きによってあるように見えるだけのものなのじゃ。

566避難民のマジレスさん:2019/01/24(木) 22:21:07 ID:LC3de7YgO
>>565
ふむふむ。
カルマとか無くてもよいと思うのでありますが。
報いは、どのように説明されるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

567避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 02:21:13 ID:LC3de7YgO
>>564
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】

 質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験して
     きたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それ
     を実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしのない心配が
     残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。
 マハラジ
 そうだ。
 それは起こる。
 質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強(し)いるのでしょ
     うか?
 マハラジ
 グルは基本的に欲望をもたない。
 彼は選択をせず、決定もしない。
 純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。
 質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。
 マハラジ
 勝利はつねに彼のものだ――最終的には。
 グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶ
 だろうということを知っているのだ。
 内面的には、彼は静かに沈黙している。
 彼には分離した個人という感覚がない。
 彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。
 何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。
 あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。
 質問者 グルの恩寵(おんちょう)というものはないのでしょうか?
 マハラジ
 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。
 それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。
 質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるもの
 なのだ。
 そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。
 それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。
 そして、それはすべての人にとってそうなのだ。
 質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たち
     はそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないで
     しょうか?
 マハラジ
 グルは究極なるものを知っている。
 そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。
 弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。
 グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。
 それは重力のようなものだ。
 果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。
 質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極める
 ことができるのでしょうか?
 マハラジ
 目的地はグルによって示される。
 障害は弟子によって発見されるのだ。
 グルに選り好みはない。
 だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見え
 るのだ。
 実際には、弟子はグルと異ならない。
 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。
 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
 まうだけだ。
 師は個人には関心がない。
 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。
 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。
 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。
 質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。
 マハラジ
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 師は見守る者に言う。
 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。
 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。
 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
 あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
 に帰したのだ。
 ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。
 あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
 で、不変なるものとともにとどまりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/25(金) 22:23:28 ID:1d4drIFg0
>>566 それは自らの心が行うことなのじゃ。
 自分の心は誤魔化せないから報いも確実に訪れるのじゃ。
 他人が見ていないところで行った悪事も自分の心は知っているから誤魔化せないのじゃ。

個我とか個人とは存在しないとマハラジはいうのじゃ。
それは記憶に拠って作られた幻なのじゃ。
人の体はプラーナや空間を通じて常に全て繋がっているのであるからのう。
一枚の葉が樹木と繋がっているようなものじゃ。

569避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 23:37:51 ID:LC3de7YgO
>>568
世にはまれに、サイコパスもいるようであります。
そのようなものの心に反省はないのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ

570避難民のマジレスさん:2019/01/25(金) 23:50:29 ID:LC3de7YgO
>>567
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 それはいつ起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたが障害を取り去ったとたんに起こるのだ。
 質問者 どの障害でしょう?
 マハラジ
 偽りへの欲望と真実への恐れだ。
 個人としてのあなたは、グルが個人としてのあなたに興味を持っていると想
 像している。
 まったくそうではない。
 彼にとって、あなたは排除すべき厄介な障害だ。
 彼は実際に、意識のなかの要因であるあなたを排除することを目指している
 のだ。
 質問者 もし私が排除されたなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らない。
 あるいはすべてが残るのだ。
 アイデンティティの感覚は残る。
 だが、特定の身体との同一化はもはやなくなる。
 存在―気づき―愛が最高度に輝きだすだろう。
 解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という実体から解
 放されることなのだ。
 質問者 そして、個人の痕跡は何も残らないのでしょうか?
 マハラジ
 夢や子ども時代の記憶のような、漠然とした記憶は残る。
 結局、覚えておくような何がそこにあるというのだろうか?
 たいてい偶然の、そして無意味な一連の出来事でしかない。
 欲望と恐れの連鎖と、愚かな失敗だ。
 覚えておくような何かがそこにあるだろうか?
 個人とは、あなたを監禁する殻(から)でしかないのだ。
 殻を破りなさい。
 質問者 殻を破るよう誰に頼めばいいのでしょうか? 誰が殻を破るのでし
     ょうか?
 マハラジ
 記憶と自己同一化の拘束を破りなさい。
 そうすれば、殻はひとりでに破れるだろう。
 そこには、何であれそれが知覚するものに実在性を分け与える中心がある。
 あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得るのではな
 く、あなたが実在を与えるということだけだ。
 あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。
 ものごとはそのままだ。
 なぜなら、あなたがそれをそれとして受け入れるからだ。
 受け入れるのをやめなさい。
 そうすればそれは消え去る。
 何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実となってあなた
 の前に現れる。
 それを欲望と恐れなしに見なさい。
 そうすればそれは実体を失う。
 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
 そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいのだ。
 質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうして
     はじめからそれらは現れるのでしょうか?
 マハラジ
 創造は意識の本性そのものなのだ。
 意識が現れを起こす原因なのだ。
 実在は意識を超えた彼方にある。
 質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただ
     の現れにすぎないと意識しないのでしょうか?
 マハラジ
 マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。
 マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかでマインドを見る能
 力である知性が必要なのだ。
 質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無
     知と幻想が起こったのでしょうか?
 マハラジ
 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 そうすればあなたの質問は答えられるだろう。
 あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
 り動かされているかのように見ている。
 だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。
 気づきなさい。
 これがあなたを自己へと連れていくだろう。
 そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。
 それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
 という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

571鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/26(土) 22:28:26 ID:1d4drIFg0
>>569 それは表面の思考とか感情で行われることではないのじゃ。
 自他を一つとみる深い意識で行われるのじゃ。
 そうであるから他人にしたことが自分に還って来るのじゃ。
 罪の意識がなくても報いはそのように起こるのじゃ。

記憶と自己同一化の拘束を破るようにとマハラジはいうのじゃ。
それこそ阿頼耶識の働きなのじゃ。
阿頼耶識が観察によって滅すれば悟りも訪れるのじゃ。

572避難民のマジレスさん:2019/01/26(土) 23:50:34 ID:LC3de7YgO
>>571
うむ。
確かにそうでありますね。
くまが無我を実感できるようになれば、サイコパスがいなくなるわけではないが、その様な者も報いを受ける、あわれな者として、受け入れられるようになるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

573避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 08:23:03 ID:LC3de7YgO
>>570
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?
 マハラジ
 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。
 それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
 れを止めることができる。
 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 それは彼には起こらなかった。
 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。
 質問者 それで充分だったのですか?
 マハラジ
 それは充分だった。
 質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?
 マハラジ
 あなたが私を信頼しないからだ。
 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?
 マハラジ
 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
 それには洗い落としが必要だ。
 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?
 マハラジ
 容赦なく、それを見守ることによってだ。
 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。
 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?
 マハラジ
 ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
 のだ。
 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。
 悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。
 それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。
 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらはみな偽りであることを見
 て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務
 から仕事を再開するのだ。
 もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
 それも敏速にしなさい。
 あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。
 だが、善行を職業にしてはいけない。
 質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見
     受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足りない
     葛藤(かっとう)に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちが
     ないのです。
 マハラジ
 そのような利己主義は一時的なものだ。
 そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。
 長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。
 ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。
 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたはより知的に成長するのだ。
 気づきのなかであなたは学ぶ。
 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。
 もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。
 あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければな
 らない。
 質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないでしょうか?
 マハラジ
 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点な
 のだ。
 気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なる
 ものを探すのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

574素人A:2019/01/27(日) 10:36:05 ID:gOqWUDAs0
インドの神話「始まりにおいて、この宇宙は人間の形をした自己にすぎなかった。かれはあたりを見回したが、自分以外に何も
みなかった。それでかれはこう叫んだ。『私は彼だ』。そこから『わたし』という名が出てきた。今日でも人が話しかけるとき
かれがまず『わたしは』といい、それからかれが世間に通用している名前を告げる理由はここにある。かれは恐れた、これが人
々の一人でいるのを恐れる理由である。かれは考えた。『しかし私はなにを恐れているのだ。わたしの外にはなにもないのだ』
それで彼の恐れは消えて去った。彼は不幸だった。これが人々の一人でいると不幸である理由である。かれは仲間を求めた。彼
は抱き合っている女と男ほどに大きくなった。彼は彼自身であるこの身体を二つの部分に分けた。そこから夫し妻が出来た。・
・そこで人間の身体は(人がその妻と結婚する前には)割れたえんどう豆の片割れに似ているのである。・・かれはかの女と結ば
れた。そこから人間達が生まれるのである。かの女は考えた。『どうやつて彼は自分から私を産み出したあと、私と結ばれるこ
とが出来たのか。いいわ隠れてみよう』。かの女は牝牛になった。かれは雄牛になつてかの女と結ばれた。これから牛が生まれ
た。かの女は山羊になった。・・・こうして彼は蟻にいたるまでひとつがいで存在するあらゆるものを作り出した。こうして彼
は解った。『たしかに私は、私自身から創り出すものである。なぜなら私が全世界を創り出したのだから』そこで彼は創造と呼
ばれた。」固体と大宇宙の生みの親との恒久的な基層は以上の神話によれば一にして同じ。・創造主が「自己」と呼ばれる理由

575避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 18:56:40 ID:LC3de7YgO
>>573
『I AM THAT 私は在る』
【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】(つづき)

 質問者 私は気づきが内面の沈黙の状態、精神的空の状態をもたらすことを
     見いだしました。
 マハラジ
 それはそれでよいが、充分ではない。
 あなたはそのなかで宇宙が青空の白雲のように漂う、すべてを包括する虚空
 を感じただろうか?
 質問者 まずは私自身の内なる空間をよく知るようにさせてください。
 マハラジ
 「私は身体だ」という分離をもたらす壁を壊しなさい。
 そうすれば、内面と外面はひとつになるだろう。
 質問者 私は死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 身体的崩壊は無意味だ。
 感覚的な生にしがみつくことがあなたを束縛するのだ。
 もしあなたが内面の虚空を完全に体験するなら、全体性のなかへの爆発は間
 近なのだ。
 質問者 私自身の霊的成長には、それなりの時期があるのです。ときおり私
     は荘厳に感じ、そしてふたたび落ちこむのです。私はまるでエレベ
     ータ・ボーイのようです。上がったり下がったり、上がったり下が
     ったり。
 マハラジ
 意識における変化はすべて、「私は身体だ」という観念によるものだ。
 この観念を取り除くことで、マインドは安定する。
 特定の体験から自由な、純粋な存在がある。
 だが、それを実現するには、あなたは師の言うことをしなければならない。
 ただ聞くだけ、あるいは覚えることさえ充分ではないのだ。
 日常生活のなかで、師の一言ひとことを適用するよう懸命に専念しないかぎ
 り、あなたに進歩がないと不平を言ってはならない。
 本当の進歩とは、みな後戻りできないものだ。
 上がったり下がったりは、教えがマインドに届いていず、完全に行動に移さ
 れていないことを示しているのだ。
 質問者 先日、あなたはカルマなどというものはないと言われました。それ
     にも関わらず、私たちはあらゆるものごとに原因を見ます。それゆ
     え、すべての原因の合計がカルマと呼ばれるのかもしれません。
 マハラジ
 あなた自身を身体だと見なすかぎり、あなたはすべてに原因を帰するだろう。
 私はものごとに原因がないとは言ってはいない。
 それぞれのものごとには無数の原因がある。
 それはあるがままだ。
 なぜなら世界はあるがままだからだ。
 すべての原因とその支流は宇宙を覆っている。
 あなたにはあなたが承諾するものになる絶対の自由があり、あなたがあなた
 であるように見えるのは無知あるいは無関心のためだと自覚したなら、反抗
 し、変わることはあなたの自由だ。
 あなたはあなた自身ではないものとして在ることを許している。
 あなたはあなたではないものの存在の原因を探しているのだ!
 それは無駄な探求だ。
 すべての因果関係を超えた、完全なる真の存在に対するあなたの無知以外に
 原因などない。
 なぜなら、何が起ころうとも、責任はすべての宇宙にあり、そしてあなたが
 宇宙の源だからだ。
 質問者 私は宇宙の原因であることなど何も知りません。
 マハラジ
 あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、
 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。
 質問者 はじめのうちは、私たちが真我の探求をする用意ができるまで、し
     ばらくの間、祈りと瞑想をするべきなのかもしれません。
 マハラジ
 もしあなたがそう信じるなら、そうすればいい。
 私にとっては、あらゆる遅れは時間の浪費だ。
 あなたはすべての準備を飛び越え、内なる究極の探求に直接進むことができ
 るのだ。
 すべてのヨーガ(修練)のなかで、それがもっとも簡単で、最短なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

576避難民のマジレスさん:2019/01/27(日) 19:02:20 ID:LC3de7YgO
>>575
> 解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄
 な行動を追求しはじめる。
 あなたは集中し、あなたは瞑想し、あなたはマインドと身体を苦しめて、あ
 らゆる類(たぐい)の不必要なことをする。
 だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。

←マハラジは瞑想に否定的なのでありましょうか?

それとも、
>  あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のな
 かに現れるのだ。
 だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、

身体との自己同一化を放置したままの瞑想は、無駄だと言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

577鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/01/27(日) 23:40:09 ID:1d4drIFg0
>>572 そうじゃ出来るじゃろう。
 それもまた観念の虜であるからそのような異常を示すのじゃ。
 哀れな者なのじゃ。

>>576 それらは瞑想という行為に囚われて自己を追求することを疎かにする者のためにいうのじゃ。
 瞑想も自己を追求するための方法の一つに過ぎないのじゃ。
 それに囚われて自己を追求しなくなれば何の意味も無いのじゃ。

 クリシュナムルティも瞑想ばかりをして自己を観察しないことを否定したのじゃ。


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