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鬼和尚に聞いてみるスレ part8

901避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 05:54:16 ID:eAIt472s0
>>893
ご教授ありがとうございました。
私にとってはなのですが、今日死んでしまう、とか、むかし親に抑圧を受けていなかった、とか
過去の記憶と矛盾する状態をイメージすることは、とても難しく感じます。
まず、イメージする力を付けるにはどうすればよいのでしょうか?

902蓮恵:2017/05/27(土) 12:06:03 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

和尚さまの仰る本心は、全ての観念を離れた所の心のことでしょうか。
修行とは観念を離れて、本心を見つけるために行うものでしょうか。

全ての観念に依存しない自己を見つける、ということでしょうか。
観念を離れるにはただ独りで座って、観察するのが良いのでしょうか

903としぼっくり:2017/05/27(土) 12:55:02 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、全てを正しく観察する事でしょうか?

904避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 12:55:45 ID:ep2Vij3g0
質問です。

鬼和尚の言う自我とは、「ただひとつの意識」から切り離された分離感覚のことをおっしゃっているのでしょうか?

これは私のもので、これは私以外という感覚。
本当は私も私以外もなく、ただひとつの意識に現れているもの。

それとも、五感と思考を観ている「観ているもの」のことでしょうか?
大いなる存在とか、すべて観ている視点とか言われているものです。
普段の感覚の自分ではありません。
これが自我なのでしょうか?

905としぼっくり:2017/05/27(土) 19:40:45 ID:DAY232aw0
>>903スルーして下さい。すいません。
正しく観察する事を基本に置こうと思います。ありがとうございます。

906避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 21:15:56 ID:Daf3Ag0M0
>>899
鬼和尚さん、ありがとうございます。

なるほど、感情の方ではなく主体を観察するのですね。
死ぬのを想像する時に、そのように客観的になるためには、ふと我に返る感じなのでしょうか?

じつは、昨日は死ぬのが怖かったのでうまく観察できませんでした。
死ぬことを想像すると、すべてが真っ暗になるように思えて、恐怖心が襲ってきました。
そうやって感情に飲まれてしまう時も、ふと我に返ると良いのでしょうか?

907鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/27(土) 21:23:02 ID:1d4drIFg0
>>900 イメージを思い浮かべて集中する方法もあるのじゃ。
 例えば太陽とか月とかを体内にイメージするのじゃ。
 太陽は下丹田、月は頭頂にイメージするのじゃ。
 そのような集中はイメージを思い浮かべるのじゃ。
 イメージを使わない方法はただ呼吸とか体の一部に集中するのじゃ。

>>901 集中力が身につけばそれも容易になるじゃろう。
 イメージする集中法を実践してみるのじゃ。
 いま自分が海辺に居るとか、草原に居るとかをイメージするのじゃ。
 気分もよくなるじゃろう。
 上手くなれば自然にウミネコの声が聞こえたり、草のにおいがするとかするのじゃ。
 それまで実践あるのみなのじゃ。

>>902 本心も観念なのじゃ。
 ただ自分の今の想いをそのまま認め、受け入れて現すのじゃ。
 怒ったならば、怒った心が本心なのじゃ。
 自分は怒っていないと無理に誤魔化したりするのは本心ではないのじゃ。

 自己も観念なのじゃ。
 観察し続ければ観念も滅するじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/27(土) 21:33:01 ID:1d4drIFg0
>>904 おぬしがその分離感覚が自分であり、主体であると認識しているならばそれが自我なのじゃ。
 そうでないならばそれは自我ではないのじゃ。
 観ているものが自分であり、主体であると認識しているならばそれがおぬしの自我なのじゃ。
 何を自分であり、主体であると認識するかは人によって違うのじゃ。
 それ故に人は自らの自我を各自で観察しなければいかんのじゃ。

 それが自分と想っているものであったとはっきり気付いたならば、観照が起こるじゃろう。
 自我と想うものがそれかもしれないとするならば詳しく観察してみるのじゃ。
 そうすれば厭離も起こり、無我もやってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>905 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>906 そのような感じなのじゃ。
 恐れている自分を観るのじゃ。
 恐怖心が襲ってくるのはよいことなのじゃ。
 ちゃんと死がイメージできていることであるからのう。
 そのようなときも恐れている自分を観るとよいのじゃ。

909避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 21:57:53 ID:H5Bsi8Hk0
>>908
ありがとうございます。

人それぞれ自我と思っている場所が違う…すごくガツンときました。

以前私は、肉体と思考は私ではないとわかりましたが、「それらを観ている者」「大いなる存在」という概念に自我が移っただけということがわかりました。
今度はそのような自我を持ってしまっているということですね。
観照目指して観察続けてみます。

910としぼっくり:2017/05/27(土) 22:22:41 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
念処経で観察する法とは、どの様な法なのでしょうか?

911避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 05:57:09 ID:eAIt472s0
>>907
ご教授ありがとうございました。
イメージする集中を実践していきます。
イメージする光景は、実際や写真などでみたことのある過去の記憶からのものがよいのか、
できるかぎり想像的なものがよいのか、どちらでしょうか?
こまかい質問で恐縮です。

912避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 06:42:34 ID:czRftzgI0
>>900
わかりました、精進します

913避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 12:42:59 ID:Y5LPInQE0
>>886
鬼和尚さん、お返事ありがとうございます。

私も体の凝りが原因なのだろうかと思って、難病治療に効果を上げているというマッサージ師の
治療を受けた事がありますが、無駄でした。

数息観などの瞑想を続けて、心を観察することで、心の病から解放されたと鬼和尚さんに報告しに来た人は居ますか?

914としぼっくり:2017/05/28(日) 14:58:03 ID:DAY232aw0
連投すいません。スルーして貰ったのにすいません。
質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、どういう事でしょうか?

915鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/28(日) 20:41:46 ID:1d4drIFg0
>>909 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>910 自分を身受心法を通して観察する方法なのじゃ。
 身とは肉体なのじゃ。
 受とは感覚なのじゃ。
 心とは心の働きなのじゃ。
 法とは四諦とか因縁の法なのじゃ。
 それらを通して自らを観察すればやがて無我にも至るのじゃ。

>>911 できれば実際に行ったところがよいじゃろう。
 なければ写真やイメージでもよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>912 そうじや、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

916鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/28(日) 20:55:03 ID:1d4drIFg0
>>913 正確な原因がわからなければ無意味なのじゃ。
 自分で原因を探すしかないのじゃ。
 相談のスレで何人も報告しているのじゃ。
 何もしなければいつまでもそのままなのじゃ。
 
>>914 不正に観察しても何も起こらないのじゃ。
 手があるのに無いとか観察しても不正であるから何も起こらないのじゃ。
 手がそこにあるならは゛手があると見るのが正しい観察なのじゃ。
 全ての観察はそのように正しくなければ無意味なのじゃ。

917としぼっくり:2017/05/28(日) 21:37:45 ID:DAY232aw0
2つ質問お答え頂きありがとうございます。身受心法の教えは大変勉強になりました。ありがとうございます。
正しく観察する事を心掛けて行こうとと思います。
毎回質問に答えて頂き本当にありがとうございます。

918481:2017/05/29(月) 02:02:06 ID:Zf/J12A.0
鬼和尚、
観照と無我の違いは何でしょうか。

自我を観ている状態が観照で、ただ映像が流れている状態が無我でしょうか。

私は、ただ映像が流れている状態に簡単に入れるようになってきております。

まるで、深夜の人気のない、誰も見る者のいない山奥の自然の姿を見てしまったかのような感覚です。

919避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 10:50:52 ID:Y5LPInQE0
>>916
ありがとうございます。

>相談のスレで何人も報告しているのじゃ。

URLを教えて頂けないでしょうか?

920そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/29(月) 18:55:35 ID:ohctFj6.0
>>919
たぶんここのことじゃないでしょうか
違ってたらごめんなさい

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】57 [無断転載禁止]
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1494198815/

921避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 19:42:51 ID:kV7xIwD.0
>>908
鬼和尚さん、ありがとうございます。
まだ上手く行きませんが、死を恐れている自分を観るようにします。
何度も挑戦していれば、恐れている自分を観ることができますか?

ところで、死ぬ時のことを想像していて思ったのですが、私は何となく輪廻転生を信じていて、そのせいで自分がなくなるということを普段はあまり実感しないでいるみたいです。
それはそれで必要なことだと思いますが、ただ、やはり死というものはそんなに都合の良いものではないはずだという気もします。
これはつまり、輪廻転生という観念が死からの逃避に上手く使われているということなんでしょうか?
想像していると、実際の死というのは、輪廻転生のように連なるものではなくて、むしろ突然すべてが断ち切られるようなもののように感じてきたのですが、どうでしょうか?

922避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 20:30:58 ID:RB87rmAY0
鬼和尚
ニサルガの私は在るという意識に集中する瞑想(ニサルガヨガ)をする場合、
数息観も併用してやってもいいでしょうか?
ニサルガヨガを単独でやるよりも
数息観で集中力を高めたあとでニサルガヨガをした方が効果があるような
気がしますがどうでしょうか?

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/29(月) 20:53:54 ID:1d4drIFg0
>>917 どういたしまして、またおいでなさい。

>>917 それは無我ではないのじゃ。
 自我は自分と思っているものなのじゃ。
 それが観られるのが観照なのじゃ。
 観照が起これば無我になり、日常でも無我の状態でいられるのじゃ。
 自分とか私とかそのような観念から考えることすらなくなるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>919 >>920なのじゃ。

>>920 ご苦労さんなのじゃ。

924避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 20:55:58 ID:czRftzgI0
止観中の思考の観察は、思考の内容をじっくり観察するのか内容に踏み込まず思考が起きていることを観察するのかどちらですか?

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/29(月) 21:08:21 ID:1d4drIFg0
>>921 観られるじゃろう。
 意志によって恐れも克服できるのじゃ。
 
 そのように言えるじゃろう。
 全てが断ち切られるようなものでよいのじゃ。
 そのような恐れも克服できたならば、もはやこの世で恐れることはないのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>922 よいのじゃ。
 そのほうが効果はあるじゃろう。
 それが本来の止観とも言えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 21:18:19 ID:Y5LPInQE0
>>920
>>923
ありがとうございます。
このスレの何番に報告がありますか?

927としぼっくり:2017/05/29(月) 21:32:35 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
仏教で言う因縁とは何なのでしょうか?
縁起と因縁は違うものなのでしょうか?

928避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 22:07:45 ID:Y5LPInQE0
紹介のスレをザーッと読んでみましたが、心の病が良くなったなんて報告は一つもありませんでした。

929481:2017/05/29(月) 22:27:03 ID:j2IV6FWs0
>>925
鬼和尚、ありがとうございます。

観照の起きた状態が無我であるのかなと理解しました。
しかし私のこれは無我ではないのが残念です。

今のところ音を聞いた時、「音を聞いている私」のイメージが起きているということ。
また音と私の間の距離感もイメージであること。
ここまでは観察しております。
このイメージが自我なのか?と思っていましたが、無我が起きていないということはまだ観るべき自我があるということですね。
より精進して参ります。

930避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 00:03:13 ID:...Cb81Q0
>>928 横レス、長文、失礼します。
私は親からの暴力やモラハラで、生きる意欲もなく自殺を考えていました。
自殺未遂も経験しています。毎日が苦しくて、不幸のどん底だったので
死ぬ前にダメ元で、数息観や苦滅の法を始めました。
1年程たったある日、夢の中で近づいてきた幽霊のようなものを
手で払いのけた瞬間、爆発が起こりました。
何が起こったのか、今でもよくわかりませんが、目覚めると
心が本当に静かになっていて、過去の記憶と苦しみを結んでいた回路が
ちぎれたように無くなっていました。トラウマからも解放されていました。
信じられない気持ちはよくわかります。私もそうでした。
でも心は本当に変わりたいを思ったときに劇的に変わります。
鬼和尚様に教わることができるこの機会を大切にしていただきたいです。

931そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/30(火) 01:06:43 ID:ohctFj6.0
>>928

参考までに、前スレの919から似たようなレスがあります。

鬼和尚に聞いてみるスレ part7
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1463059357/

私はあれからさらに症状が減りました。

932避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 01:46:29 ID:Y5LPInQE0
>>930
>>931
ありがとうございます。

私の症状の一つなのですが、文字とか言葉というものに非常に苦痛を感じます。
今も、脚を痛めたので、医者に行く為に、医者にどう説明しようか考えていた所、
スネの骨が痛いというべきだろうが、スネの骨とは何だろう?スネと骨との関係を
表しているであろう「の」とは何だろう?とか思考が始まってしまい、
身動きがとれなくなるのです。

こんな症状が本当に原因に気づくことで治るのでしょうか?

933避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 01:48:03 ID:Y5LPInQE0
皆さんが出してくれた例は明確に原因を認識されている場合ばかりですよね?

私には、原因なんて思い当たらないのです。生まれつきとしか思えません。
そういう状態から良くなった例はありませんか?

934そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/30(火) 02:36:21 ID:ohctFj6.0
>>933の質問に対する直接の回答ではありませんが参考までに。

鬼和尚はよく「原因を探せ」「原因がわかれば解消する」などと言っていますが、
私のことについて言えば、原因がわかって解消した、と明確に言えるものはありません。
例にあげた症状のことも、特に書き込みをしていないその他のことも、
修行する前より楽になったことは幾つもありますが、そのどれもがそうです。
ただありのままを観察しようと日々努めてきましたが、
観察による気付きによって変化していったのではないかと思います。

あと、鬼和尚は「原因がなければそれは起こらないと観察するのじゃ」などと言いますが、
私の場合、無理矢理原因をあてはめて、それは起こらないと観察しました。
原因がわからないのでそういう方法をとりました。
今、その事例を思い出そうとしているのですが、思い出せません。
観察によって滅してしまったものを思い出すことは難しいです。
もう思い出す必要がないからだと思います。
だから、大事なのはそのように観察するという行為であって、実は原因はどうでもいいのかもしれません。
観察という行為によって、本来の原因と結果の連鎖が止まればいい、ということではないでしょうか。

ついでに書きますが、「観察」という言葉についてですが、これはあくまで私の解釈ですが、
鬼和尚は「観察」という言葉を二種類の行為(意味)に使っていると思います。
一つは、ありのままを観察すること、言葉によらない観察をすることです。
これは文字通りの観察です。
もう一つは、原因がなければそれは起こらない、の場合の観察です。
これは「そのように思う」「そのようにイメージする」ということだと思います。

935避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 05:48:57 ID:EVX9bf.A0
寝ているときにみる夢は、自我があるからと観ました。夢はアラヤシキの機能でしょうか?

936避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 12:09:48 ID:Y5LPInQE0
>>934
ありがとうございます。

私の「原因」という言葉の捉え方がおかしいのでしょうか?

そらいろさんや他の方の場合、思い出したくない事、トラウマなどの苦(の原因)が存在し、
自分にはそういった事は特に思い当たらないので、原因が無いと書きました。

私の思考能力が劣っているせいで、妙な事を言って、混乱させてしまっていたらすみません。

いずれにしろ観察することで、観察対象と距離が出来、是が非でも変えなければいけないのに
変えられないという苦悩が若干薄らいだようには感じています。それほどまでに苦悩して
成し遂げないとならない事なのだろうか?と思うようにはなりました。

937避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 12:35:29 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

丹田の位置は、下の画像の通りでしょうか?

http://丹田鍛え方.com/wp-content/uploads/2015/07/丹田.jpg

938としぼっくり:2017/05/30(火) 12:50:14 ID:DAY232aw0
連投すいません。
質問ですが、正しく観察する事が基本とは、正しく観察して行けば良いと言う事でしょうか?

939避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 19:08:07 ID:4r9Nyxn.0
>>925
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自分が死ぬことの恐怖とできるだけ向き合ってみます。

今までは、自分がいつかなくなるということを考えてみたことがなかったのですが、実際に考えてみると新たな発見もありました。

私は四六時中ずっと雑念が出ている方なのですが、それらはすべて自分がなくなることと向き合うのを無意識のうちに避けるためだったように思えてきました。
自分がなくなることと向き合って見ると、今まで自分がそれを避けるために莫大なエネルギーを消費していた気がしてきました。
今はまだ、すぐに今までの思考に戻ってしまいますが、自分がなくなることと常に向き合えるようになったら、なんだか人生観も変わりそうです。

そして、鬼和尚さんの言うように、この世で恐れることがなくなったら安心できるので、さらに試してみようと思います。
ありがとうございました。

940鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/30(火) 21:26:10 ID:1d4drIFg0
>>927 因縁とは原因のことなのじゃ。
 直接の原因を因といい、間接的な原因を縁と呼ぶのじゃ。
 
 縁起はものごとが縁によって起こる状態なのじゃ。
 因縁によって起こるということもできるのじゃ。
 そのような違いがあるのじゃ。

>>929 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>932 原因は観察を完全にするために必要なだけなのじゃ。 
 今ここにある反応だけでも観察は出来るのじゃ。
 そのようなことが起きたら今自分は思考によって身動きが取れなくなると観察するのじゃ。
 思考が無ければ身動きが取れると観察するのじゃ。
 そのように症状だけでも観察していけばよくなっていくじゃろう。
 心が落ち着けば真の原因も見出せるようになるのじゃ。

 大抵は親が虐待したり、支離滅裂な言動をしていたりするせいなのじゃ。
 混乱を乗り越えて進むのじゃ。

>>935 そうともいえるのじゃ。
 観念があるからのう。
 観念が無くなれば夢も見ないのじゃ。

>>937 少し違うのじゃ。
 自ら作り出すものなのじゃ。

941鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/30(火) 21:27:53 ID:1d4drIFg0
>>938 そうじゃ、正しく観察していけばよいのじゃ。
 正しく観察できれば変容は訪れるのじゃ。
 何も変化が無いのは正しく観察できていないからなのじゃ。

>>939 善いことじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

942としぼっくり:2017/05/30(火) 21:48:24 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。大変勉強になります。
正しく観察して行こうと思います。
いつも沢山の質問お答え頂きありがとうございます。

943避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 23:04:00 ID:u2BbO1ug0
>>940
それは観念がなくなれば、アラヤシキも機能しないということですよね?

944避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 23:41:53 ID:Y5LPInQE0
>>940
鬼和尚さん

確かに親の支離滅裂さは感じて居たようにも思います。
ただそのことを今思い出そうとすると思考がブロックされて
思い出せないというのは、何が原因なのでしょうか?

この事だけでなく、あるときは、思い出そうとも思わずに
意識上に上がってくるのに、意識して思い出そうとすると
ブロックされるような感じで思い出せなくなるのです。

症状の観察方法を教えていただき、ありがとうございます。
そのように努めます。

945避難民のマジレスさん:2017/05/31(水) 05:00:46 ID:czRftzgI0
和尚さん>>924をお願いします

946避難民のマジレスさん:2017/05/31(水) 19:35:07 ID:czRftzgI0
私は思考に自己を投影していることに気付きました。思考を観察して自分が考えていないと思うことがどうしてもできません
根気よくやるしかないのでしょうか

947鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/31(水) 21:34:47 ID:1d4drIFg0
>>942 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 何度でも訊くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>943 そう言えるじゃろう。
 阿頼耶識も観念によって総てを認識しているのであるからのう。
 実践によって確めるのじゃ。

>>944 それは思い出すと苦が起こるから無意識に逃避しているのじゃ。
 しかし、いつまでも避けられる訳ではないから時々思い出してしまうのじゃ。
 数息観により心を鎮め、少しずつ探求していくのじゃ。
 そうすればよくなっていくのじゃ。
 親も無知と無力によってそのような言動をしていたと気付く時、心の病もかなりよくなっているじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>945 最初は思考が起きているとだけ観るとよいのじゃ。
 思考に自己同一化しないでいられるようになったら思考の内容も観察してみるのじゃ。
 詳しく観察できる程、思考が自分ではなく自分のものではないと気付くことになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>946 何も想わなくてよいのじゃ。
 ただひたすらに観察していれば厭離は自然に起きるのじゃ。
 余計な想いがあれば逆に気付きは遠ざかるのじゃ。
 思考を初めてみるもののように、ただありのままに観るがよいのじゃ。

948そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/31(水) 22:09:45 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画によりますと、現在の日本人の死因は、
若いころは自殺が多く、歳をとってくるとガンが増えるとなっています。
ガンは自分が死にたいと思うから、自分の細胞の一部がガン化して死ぬ、とのことです。
ガンで死ぬのは自殺と同じでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=kijvK_bI384
【永久保存版★武田邦彦】 「〜人の死に方〜」

動画は10分40秒以降は同じ内容の繰り返しになっています。

949としぼっくり:2017/05/31(水) 23:26:39 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
苦を滅するためには、自分の本心を観察して、苦があると観察して、苦の原因を観察すれば良いのでしょうか?

950としぼっくり:2017/05/31(水) 23:38:05 ID:DAY232aw0
>>949追記です。
苦があると観察して、苦の原因を追求した方がよろしいのでしょうか?

951蓮恵:2017/05/31(水) 23:42:11 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

自我とは、ただの一連の現象に対して名前をつけたものであると見えました。

952そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/31(水) 23:50:01 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
瞑想中に人の形をした影のようなものが見えました。
まさしく人形で、人形自体に何かをする力はありません。
これが私の自我というものでしょうか。
それとも単にイメージを投射しただけでしょうか。
自我ならば、これがもっと明らかにはっきりと見えるようになればいいのでしょうか。

953そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 00:16:32 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私は、自分が被害者であるとずっと思っていた、と気付きましたが、これは正しいですか。

954そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 00:20:29 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
他人に説法することと、
他人のしたこととしなかったことを見たことに基づいて他人に何か言うことはまたは説法することは、
同じですか、違いますか。
そして、それはなぜですか。

他人のしたこととしなかったことを見たことに基づかないで説法することはできますか。
それはどうやるのですか。

955そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 01:11:20 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
ブッダのことば(岩波文庫)で、
五の堅固なものの解説で、

事物のうちに堅固なものを見出さない、というのは、つまり〈空〉であるいうことである。〈空〉の思想は、最初期にまでたどることができるのである。

とあります。
私の理解では、空は思想ではなく、空観という悟るための技法ですが、空は思想ですか?

堅固なものを見出さない、というのは、確たるものはないのだからそれを探そうとはしない、というような意味かと思いますが、どうでしょうか。

956避難民のマジレスさん:2017/06/01(木) 06:27:43 ID:czRftzgI0
>>945
はい、ありがとうございました

957そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 20:11:07 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
昨年書き込んだことで、職場に嫌な人がいたけれどもだんだんと気にならなくなってきた人のことですが、
あれからその人は私の仕事ぶりを勝ってくれたり職場環境について様々な配慮をしてくれたりするようになり、
私にとってはとてもありがたい存在になりました。
しかし、その人が異動で私とは別の部署に変わりましたので、これまでのような関わりはなくなりました。
このような出来事は、私の試しが一つ終わったようなものでしょうか。

958鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/01(木) 21:33:29 ID:1d4drIFg0
>>948 嘘なのじゃ。
 ストレスが多かったり、生活が荒れていればがんになるものじゃ。
 自殺と同じではないのじゃ。

>>949>>950 そこに苦があるならば、苦があると観察するのじゃ。
 そして原因を追求するとよいのじゃ。
 苦が無ければ苦がないと観察するがよいのじゃ。
 今ここにあるものだけをありのままに観察するのじゃ。

>>951 それも一つの気付きなのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>952 それはただのイメージなのじゃ。
 雑念なのじゃ。
 囚われずに捨ててしまうがよいのじゃ。
 今ここにある心身をありのままに観察するがよいのじゃ。

>>953 それによって苦が無くなったのならば正しいのじゃ。
 苦があるままならば正しくないのじゃ。
 自分だけがそれを知れるのじゃ。

>>954 説法としては同じじゃろう。
 説法であるから同じなのじゃ。
 
 出来ると思えば出来るじゃろう。
 出来ると思うことで出来るのじゃ。

>>955 思想ではないのじゃ。
 学者には思想としか捉えようが無いのじゃ。

 そのような意味でよいのじゃ。

959鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/01(木) 21:34:40 ID:1d4drIFg0
>>956 どういたしまして、またおいでなさい。
 
>>957 そうじゃろう。
 更に善事を重ねるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

960としぼっくり:2017/06/01(木) 21:52:56 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
質問ですが、原因を追求して苦の原因に気付けば苦はなくなるのでしょうか?

961481:2017/06/01(木) 22:15:24 ID:j2IV6FWs0
鬼和尚、
自我とは言葉ではないでしょうか?
そして言葉とは記憶から。

私に意識を向けると、瞬間的に私というイメージが起こります。
私を私としているのは、言葉です。

などと言ってはいますが、未だ無我にはなっておりません。
ただの理解なんでしょうね。
観察で実際に観ようと思います。

962としぼっくり:2017/06/01(木) 22:32:02 ID:DAY232aw0
>>960追記です。
原因を追求して苦の原因が判ったら、順逆に観察したらよろしいのでしょうか?

963避難民のマジレスさん:2017/06/01(木) 23:32:29 ID:Em5yagvA0
仕事の苦しみを観ていく中、その原因は想定外の色々な問題が発生し、自分のイメージの通りにいかないことが多く、落ち着けないためと観ました。
原因を観ましたが、解決は一筋縄ではいきません。ここから何を観察するといいのでしょうか?

964そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/02(金) 01:05:21 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
他人のしたこととしなかったことを見たことに基づいて他人に説法することは
善いことですかそれとも悪いことですか。

他人のしたこととしなかったことを見たことに基づかないで他人に説法することは
善いことですかそれとも悪いことですか。

金剛経(中公文庫)に、
「この法門の中の、たとえ四句からなる詩頌(しじゅ)1つだけでも、(自ら学んで)把握し、他の人々にも詳しく示し、説明するとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より大きな功徳の集積、はかりしれない無数の(功徳の集積)を生み出すことになろう。」
とありますが、これは他人に説法すると善い、ということですか。

965避難民のマジレスさん:2017/06/02(金) 12:45:59 ID:SaY5JPM20
>>881
ありがとうございます。
自我への執着の原因を探してみました。
どうやら、これまで本心では本当だと信じている世界が、全て嘘であることを知ることが怖いようです。
これを苦滅の要領で滅しようとしたのですが、うまくいきません。

瞑想が深まり主体の感覚が薄まると、反射的に自我を取り戻そうとする働きがあることから、
自我への執着は未だあると思います。
また、自我を追求していると吐き気のような気持ち悪い感覚が生じることからも、正しい道を進んでいるだろうということも判ります。

何か助言をいただけますでしょうか。
自我を滅する障害になるものを取り除きたいです。

966そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/02(金) 18:52:07 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私が他人に対して
「自殺すると死んだ後も苦しみ、より悪い所に生まれ変わる。これは真実だ。だから自殺はしない方がよい。」
と言った場合、私は嘘をついていることになりますか、それとも正しいことを言っていることになりますか。

967鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/02(金) 21:47:09 ID:1d4drIFg0
>>960>>962 そうじゃ。
原因に気付いた後に原因から苦が起こる事を観察し、原因がなければ苦が起きないことを観察するのじゃ。
 観察が完全に出来れば苦は消えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>961 言葉もあるが、イメージもあるじゃろう。
 言葉以前にイメージが自我を構成しているのじゃ。
 それ故に言葉によっては自我は観えないのじゃ。
 言葉に囚われずに進むのじゃ。

>>963 自分のイメージ通りに行かないとなぜ落ち着けず、苦が起こるのか原因を心の中に探すのじゃ。
 ものごとが思い通りにいかないことはよくあることじゃ。
 それが苦になるのは原因があるからなのじゃ。
 原因からその苦が起こる事を観察するのじゃ。

>>964 そのことに善悪は無いのじゃ。
 慈悲の心で説法するならは゛善なのじゃ。
 怒りとか攻撃欲で説法するのは悪なのじゃ。
 そのような違いがあるとしるがよいのじゃ。

 その経を説法留守とよいというのじゃ。

>>965 更にその原因を心の中に探してみるのじゃ。
 それは自分があくまでもあるという観念からかもしれん。
 自我の前に自分があるとはどのような状態なのか観察して見るとよいのじゃ。
 何があるとき、自分はあると感じるのか、
 何がないと自分はないと感じるのか
 観察にょって明らかにするのじゃ。

968鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/02(金) 21:48:51 ID:1d4drIFg0
>>966 おぬしがそれを真実と知っていれば正しいことじゃろう。
 嘘でも慈悲にょって言うならば善事なのじゃ。
 想いが善悪を決めるのじゃ。

969龍氣:2017/06/02(金) 21:52:01 ID:JrW3ee6Q0
すみません、鬼和尚、
もう適当なことは言いません。
名はお返しいたします。

970としぼっくり:2017/06/02(金) 22:12:47 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行きます。

971避難民のマジレスさん:2017/06/02(金) 23:14:06 ID:q6NCKTlA0
963です。
その原因は家族を護らなければいけないこと、
そのためには仕事できちんとした結果を残さなければならないこと、それをさらに深堀すると自身のキャリアを傷つけたくないこと、保身がキーワードのような気がします。ここからは何を観察するとよいでしょうか?

972481:2017/06/03(土) 00:29:55 ID:bSLl/kTY0
鬼和尚、ありがとうございます。
まず、ある映像が起き、それに言葉で名を付けているということですね。
例えば「私」とか。

言葉を捨てて観察してみようと思います。

973としぼっくり:2017/06/03(土) 01:01:46 ID:DAY232aw0
お礼に続けて申し訳ないです。
質問ですが、鬼和尚さんは、自分の本心を観たからこそ、自我、自分に気付いたのでしょうか?

974避難民のマジレスさん:2017/06/03(土) 13:03:36 ID:BVPIT6kM0
>>967 ありがとうございます。
自分があくまでもあるという観念ですが、確かに心の中にありました。
自分を実在として前提し、物事を見ていることがわかりました。
さらに詳しく観察してみます。

> 自我の前に自分があるとはどのような状態なのか観察して見るとよいのじゃ。
> 何があるとき、自分はあると感じるのか、
> 何がないと自分はないと感じるのか

とありますが、少し詳しく教えてください。
ここでの自我は、例えば座っている自分のイメージとかで、自分があるというのが、「自分」が座っている
という主体の感覚ということでしょうか。
そして、主体の感覚の有無や強弱を縁起によって詳しく観察するということでしょうか?

自分のイメージはイメージとして見られるのですが、主体は今の所イメージとしては見られず、実在する感覚として知覚されています。

975避難民のマジレスさん:2017/06/03(土) 20:00:22 ID:kV7xIwD.0
鬼和尚さん

先ほど自分の行動を観察していたら、自分を守ろうとしているつもりで、自分だと思っていたイメージ?のようなものを守ろうとしていたことに気づきました。
これは、自分の一部が観念だったと気づいたことになりますか?
もし似たようなことを続けたら、自分というものは、減っていくと思うのですがどうなのでしょうか?

それから、自我を観察してそれが観念に過ぎないことに気づくのも、これと似たようなものですか?
それとも、もう少し違う感じのことですか?

976鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/03(土) 21:16:51 ID:1d4drIFg0
>>969 返さないでよいのじゃ。
 ただひたすらに己の本心を観るのじゃ。
 それはこれから死ぬまで続ける作業なのじゃ。
 一時の感情でやめたりするべきものではないのじゃ。
 絶望を超えて進むのじゃ。

>>970 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>971 更に本心を観察するのじゃ。
 本当はもっと楽にしても家族は守れるじゃろう。
 欲に取り付かれた心が更なる執着を生み、苦を起こすのじゃ。
 そのような働きが無いか観察して観るのじゃ。

>>972 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>973 そう言えるじゃろう。
 本心を観なければ変容は起こらないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

977鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/03(土) 21:34:05 ID:1d4drIFg0
>>974 それは言わば自分の定義なのじゃ。
 例えば肉体が自分と定義する者は肉体があればもう自分はあると認識するじゃろう。
 感覚や感情や思考が無くとも肉体があれば自分はあると認識するのじゃ。
 肉体が無ければ自分はないと想うのじゃ。
 そのような定義から自分というものを追求していけば自我も見やすくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>975 気付いたことになるじゃろう。
 減らないのじゃ。
 観念が観念と気付いただけであるからのう。
 そのような恐れが生じることで自我も見えてきているとわかるのじゃ。
 似たような気づきが増えていけば自我も滅するじゃろう。
 恐れずに進むのじゃ。

978蓮恵:2017/06/03(土) 21:50:09 ID:F4cyaZX20
和尚さま
人としてどのように生きるかという問題があります。いわゆる善悪、幸福、道徳、功利の問題です。全ての人間が求めてやまないものです。

しかしながら、それらよりも根本的な問題が存在するものと存じます。
うまく説明できませんが、己という存在そのものに対する向き合い方といいますか、受け止め方といいますか。

ここが足らないと、全ての行動が逃避で終わってしまうようなそんな気がするのです。

979としぼっくり:2017/06/04(日) 01:03:15 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行きます。

980としぼっくり:2017/06/04(日) 02:02:40 ID:DAY232aw0
またお礼続けてすいません。
質問ですが、自分の本心を観察する事によって、自分とは何か観察出来たり、心身を観察出来たり、苦を滅っしたり出来るのでしょうか?

981としぼっくり:2017/06/04(日) 07:26:44 ID:DAY232aw0
>>980スルーしてください。すいません。
ありがとうございます。

982避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 12:56:31 ID:QoQZrmNc0
>>977
鬼和尚さん、ありがとうございます。

苦を滅する時に、その原因が無意味な観念だったと気づくことは多いのですが、
今回は、それがまさに自分という観念の一部だったので、これが自我なら自我の仕組みが少し実感できた気がします。
でも、自分が減らないのは意外でした。

じつはこの気づきは、自分が無意識のうちに死を避けようとして何かを守っていることに気づき、さらにそれを守っても死は避けられないから、それは自分ではないと気づきました。
こういう観察ができるから、死を思うことは修行には良いということなのでしょうか?

ただ、どうも私は常に死を避けようとしているので、観察方法としては曖昧でキリがないかもしれません。
というか、自我が漠然としていて曖昧な感じです。
自我を滅するには、自我が限定されたはっきりとしたものになっている必要があると思うのですが、どうでしょうか?
そのために気づきを増やして自我の幻想を減らしていく必要があるということですか?

983そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 13:43:40 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画の中の【超能力を使い過ぎてしまったせいで】という話しで、
(話しの長さは動画の初めから約2分間です)
「知っているのは理解しながら、それが誰だか分からなくなっている。」
「音としては聞こえているのに、言語として意味を理解できない。」
とあるのですが、これは、記憶による認識が止まり、観念が浮かばなくなった、ということでしょうか。

このような状態なら苦は起こり得ないでしょうか。

悟る時はこのような状態を経るのでしょうか。

不思議な話 忍び寄る不思議な力
https://www.youtube.com/watch?v=8wzwipT3wV4&lc=z134f3y4wkezxnofm235epmgqp2kgrj1j

984そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 14:51:41 ID:ohctFj6.0
>>983
すみません。念のため。

オカルト注意

です。

985蓮恵:2017/06/04(日) 16:13:32 ID:AlNqYyjs0
和尚さま
根本的な問題と向き合わずに、仏道に精進しても天地の開きが生じると思います。
仏道は何かを得るとか、身に付けるプロセスではないでしょう。
滅することで本来の生が得られるといいましょうか。

986そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 16:29:41 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
毎朝起きるたびに、私とはこういうものだ、というのを作り上げていて、
それをいつのころからか、毎日毎日その都度続けている、という気がします。

987避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 18:00:09 ID:czRftzgI0
大乗仏教は間違いが多いという持論の和尚さんは、法然を悟ってないとお考えでしょうか?

988そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 20:01:10 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記のまとめサイトで(オカルト注意)

妖怪退治の仕事してるけど、何か質問ある?
http://world-fusigi.net/archives/6972808.html?p=9
――――――――――――――――――――――――――――――
265: 1 ◆cvtbcmEgcY 2013/07/17(水) 21:54:06.00 ID:vVAg8PUK0
最初のほうにいったけど、式神とかを今実際に使える人はいないと思う。

表現しずらい点が多くて、俺も理解できてない部分も多いけど
とりあえず先生に聞かされたこと

なぜ使えないかというと、現代日本に住む人間なら無理な可能性が高いからだ。

入道とか道行うんぬんって話覚えているよね。
道行ってのはそのまま道を行くって感じで理解していいと思う。
つまり、実際に道を行って、その体感とか、世界に対する理解とか
そういう口では説明できないものを実感して、そして入道に至るみたいな感じかな?

しかし、その入道を一番邪魔をするもの。それは何かというと文字なんだ。

266: 1 ◆cvtbcmEgcY 2013/07/17(水) 21:54:07.00 ID:vVAg8PUK0
まぁ、あと言葉もそうかな?
すごい抽象的で申し訳ないんだけど
例えば「一」って漢字があるじゃん。
これは一を表現していて、これをみると「あ、一だ。」
みたいな感じになるんだけど。実際の「いち」って概念はこんな「一」という
文字では表せない。一個とか、一枚とかいろいろあるんだけど

でも、俺たちがその一という字を知ってしって。
そうすると、俺たちは一という言葉というかそういうもので自分の見解を縛ってしまって
本当の意味で「いち」を理解することを阻害してしまう。

昔の力持ちたい人とかは、小さいころから決して文字の勉強はしなかったとか。
――――――――――――――――――――――――――――――

とあるのですが、これは、言葉とイメージによる観念に囚われてしまうことを防ごうとしているのでしょうか。
文字、言葉によらず、実践あるのみ、ということでしょうか。

989避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 20:37:27 ID:fuOAkotI0
>>977
定義から自分というものを追求するのですね。
実践してみます。
ありがとうございました。

990鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/04(日) 21:09:31 ID:1d4drIFg0
>>978>>985 それが何なのか観察によって明らかにするのじゃ。
 自ら気付かなければ他人に話すことも出来ないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>979>>981 どういたしまして、またおいでなさい。

>>982 それもあるのじゃ。
 老病死は常に人の壁となり、修行を推進する追い風ともなるものじゃ。
 
 そうじゃ、既に少しは幻想が減っているじゃろう。
 たまねぎの皮をむくように芯に何もないと気付くまで観察し続けるのじゃ。
 悟りも自ずから起こるじゃろう。

>>983 それは脳が疲れて外部からの刺激を認識しなくなったのじゃ。
 苦はまだあるのじゃ。
 自我もあるからのう。

991鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/04(日) 21:13:47 ID:1d4drIFg0
>>986 そうじゃ、自我は毎朝毎刹那起こるものじゃ。
 朝は自我を思い出すのじゃ。
 一日の中でも何度か自我を忘れたりしているものじゃ。

>>987 悟っていないのじゃ。
 悟りを目指してもいなかったじゃろう。
 浄土を目指していたのじゃ。

>>988 そうじゃろう。
 実践によってのみ心は変るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>989 そうじゃ、常日頃意識していないが自分の定義は誰にでもあるものじゃ。
 参考にして実践するとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

992としぼっくり:2017/06/04(日) 22:43:32 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を観察する事を元にして、自分とは何か観察したり、心身観察したり、苦を滅して行けば良いのでしょうか?

993としぼっくり:2017/06/05(月) 00:36:28 ID:DAY232aw0
>>992
苦を滅したり、して行けばです。

994そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 00:48:46 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
>>987に関連して
浄土宗は、南無阿弥陀仏を口に出して唱えれば、浄土に生まれることができる、ということであり、
それは悟りを目指したわけではなく、南無阿弥陀仏を口に出して唱えても悟れない、ということですね。

浄土はあると思えばあり、ないと思えばないのでしょうか。

995そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 00:49:44 ID:ohctFj6.0
偽和尚
すみませんが、そろそろ次スレを用意していただけませんでしょうか。

996偽和尚★:2017/06/05(月) 00:58:46 ID:???0
次スレ作っておきました。

鬼和尚に聞いてみるスレ part9
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1496591715/

しかしこの板のスレは設定で2000まで大丈夫なようになっているのでまだストップさせません。
切りのいいところまで書かれてからストップさせます。

997そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 01:07:06 ID:ohctFj6.0
>>996
ありがとうございました。

998避難民のマジレスさん:2017/06/05(月) 15:41:39 ID:t8PlW.qA0
>>990
鬼和尚さん、ありがとうございます。
とにかく観察して、自我の幻想を減らしていこうと思います。
できるだけ自我の幻想を減らしていけば、それが起こる瞬間を捕らえられる気がしてきました。
またわからなくなったら教えてください。

それから、以前はよくわかっていなかったのですが、最近は鬼和尚さんに出会えたことの幸運の大きさがわかってきました。
こんなにいつも質問に答えてくださって、感謝しています。
いつもありがとうございます。

999避難民のマジレスさん:2017/06/05(月) 18:08:22 ID:rIFRVnQI0
先日このスレの存在を知りました。
鬼和尚様、ここの皆様、管理人様、心より感謝申し上げます。

「私の主体」を探していたのですが、「主体」とは、複合的な感覚から生じた観念(感覚?)でしょうか?
物心ついてから漠然とあると感じていた「主体」とか「自分」という感じ、この「感じそのもの」でしょうか?

「感じ」があるだけで、実際に主体があるわけではないと言いますか…
少しそれがわかった気がしたのですが、この観察(理解?)は正しいでしょうか?

普段、ことある事に生じる「私」という感じ、その感覚がどのようなものか、どのように生じているか、詳細に観察していくことが、
自己の観察となりますでしょうか?

1000鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/05(月) 21:16:40 ID:1d4drIFg0
>>992>>993 そうじゃ、本心を観察することが基本なのじゃ。
 偽りの心を観察しても何も起きないのじゃ。
 本心を観察してこそ変容も自ずから起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>994 そうじゃ、それは悟りを求める法ではないのじゃ。
 サマーディにまではいけるがのう。
 
 浄土もあると思う者の心の中にのみあるものじゃ。

>>996 いつもご苦労さんなのじゃ。

>>998 何度でも聞くとよいのじゃ。
 どういたしまして、またおいでなさい。

>>999 それはおぬしがそう気付いたならばそうなのじゃ。
 おぬしの気付きによるものなのじゃ。
 肉体が主体と認識していた者には肉体であり、感覚が主体と認識していた者には感覚になるのじゃ。
 自分という観念の素となるものじゃ。
 完全に気付いたならば変容が起こり、それとわかるものじゃ。
 自ら判断するべきものなのじゃ。

 それも観察になるじゃろう。
 普段から行えばやがて観察も神妙の域に達するものじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。


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