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鬼和尚に聞いてみるスレ part8

1避難民のマジレスさん:2016/12/05(月) 22:15:12 ID:5WAaNl9c0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争及び自説の主張等はアウトです。

ルールを守って使用しましょう。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part7
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1463059357

557避難民のマジレスさん:2017/03/23(木) 00:05:19 ID:4.ICUonI0
>>555
ありがとうございます。

約2%とはかなり具体的であり、かつほとんど自由意思がなさそうな印象ですね笑

悟り一歩手前の話なのかもしれませんが、人は今この瞬間、認識という選択権を持っているように思えます。
それが約2%の部分なのかもしれません。
物事に対する認識、選択によって如何様にも道筋をざっくりですが変えられる。
それさえも自由意思ではなくすでに決定されていたと言われればそれまでなのですが…。

そのような認識や選択さえも超えたところに悟りがあると思いますが、私はあえて意識の創り出す現実という夢を楽しみたいと最近思うようになってきました。
またいつ悟りへの情熱が噴出するかわかりませんが、しばらくはこのままでいてみようと思います。
お答え頂きありがとうございました。

558鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/23(木) 21:34:14 ID:1d4drIFg0
>>556 善かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>557 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

559としぼっくり:2017/03/23(木) 23:19:20 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
心身を観察するのも、自分を追求するのも、自我に気付くと言う目的を持って、行った方がよろしいでしょうか?

560163:2017/03/24(金) 08:22:28 ID:6ZZgOq8Y0
鬼和尚様、こんにちは。
良寛は悟っていますか?

561避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 08:48:29 ID:6ZZgOq8Y0
また、鈴木正三は悟っていますか?

562避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 18:43:40 ID:czRftzgI0
空の法の「りんごというものが、実はりんごではないとすれば、りんごの認識は止まる。
しかし、りんごで無いならば、他のものであるという認識もできる。
それを止めるには、さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる。
そうすれば認識の働きは、逃げ道がなく、止まる事になる。」の意味についてお伺いします。

りんごをりんごでないものと見た後、そのりんごでないものを再びりんごと見ることでどうして認識が止まるのですか?結局りんごをりんごと見ていることに変わりはないのではないですか?
特に「さらにりんごでないものが、それ故にりんごであると観じる」の意味がわからないので、よろしくお願いします。

563蓮恵:2017/03/24(金) 19:36:12 ID:QZjWADYU0
和尚さま
>>554をお願いします

564避難民のマジレスさん:2017/03/24(金) 22:53:01 ID:XxxP/YTE0
和尚、ごぶさたしています。
仏教関連で必読というかこれは読んどけというもの1冊(多数あるなら何冊でもよいです)勧めてくださいませんか。

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/24(金) 23:04:47 ID:1d4drIFg0
>>559 そうじゃ、そうしていれば向こうから悟りはやってくるじゃろう。
 自分に気付くのじゃ。
 観ようとすれば観えるのじゃ。

>>560 悟っていたじゃろう。
 死ぬときは死ぬが善いのじゃとかいっていたのじゃ。
 その通りじゃ。

>>561 悟ってはいないようじゃ。
 学者じゃな。

>>562 それが認識を壊すからなのじゃ。
 記憶による認識はものごとを記憶と照らし合わせて分別するのじゃ。
 これは赤いからりんごとかのう。
 あかくてもりんなごではなく、りんごでないからりんごとすれば分別は混乱をきたして認識は止まるのじゃ。
 それは認識の仕組みに基づいて創られた方法なのじゃ。
 理解は出来なくて当然なのじゃ。
 思考の元となる認識を混乱させるのであるからのう。
 理解してはいかんのじゃ。
 常に認識を混乱させる方法として実践するのみなのじゃ。

566鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/24(金) 23:10:00 ID:1d4drIFg0
>>563 動中の工夫とは日常生活でも集中することなのじゃ。
 掃除でも洗濯でも常に心がけて集注していれば進歩も早いというのじゃ。
 観察も日常でやれば早いのと同じことなのじゃ。
 日常の一切が修業となるのじゃ。

>>564 法句経、ダンマパダをよむとよいのじゃ。
 わからなくとも読み返せば理解できるようになるのじゃ。
 古本で買うとやすいのじや。

567としぼっくり:2017/03/25(土) 00:15:45 ID:DAY232aw0
>>565ありがとうございます。
自分に気づくように心がけたら良いと言うことでしょうか?

568避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 07:42:42 ID:XxxP/YTE0
>>566
和尚、ありがとうございますいます!
すぐに手に取ります。読み終えたら次の一冊また聞くやもしれませぬがよろしくお願いします!

569避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 08:46:05 ID:czRftzgI0
>>562
なるほどそういうわけでしたか。これは直接聞く以外に知りようのなかったことで、その機会が与えられる和尚さんの存在のありがたさと自分の幸運を改めて認識しました。
どうもありがとうございました

570としぼっくり:2017/03/25(土) 11:13:13 ID:DAY232aw0
すいません>>567スルーして下さい。
ありがとうございます。
自分に気付くのじゃ。とは
自分に気付けば良いと言うことですか?

571避難民のマジレスさん:2017/03/25(土) 17:06:47 ID:6ZZgOq8Y0
>>565
ありがとうございます。では、良寛の書いたものを読むことは悟りに役立ちますか?
もし役立つのなら、おすすめの本はありますか?
私は悟ることが人生の目的です。

572鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/25(土) 20:47:35 ID:1d4drIFg0
>>567>>570 そうじゃ、自分に気付くのじゃ。
 自分とは何か?
 何を自分と認識しているのか観察によって気づくのじゃ。
 それだけで変容は始まるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>568 そうじゃ、読んでみるとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>569 どういたしまして、またおいでなさい。

>>571 あまり役には立たないじゃろう。
 修行法を書いたわけではないからのう。
 ありのままの詩歌が多いのじゃ。

573としぼっくり:2017/03/25(土) 21:34:00 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か?追求すれば良いと言うことでしょうか?

574避難民のマジレスさん:2017/03/26(日) 11:13:02 ID:R./ZkTe.0
鬼和尚、481です。
こんにちは。

しばらく観察してみましたが、認識を観ることについて糸口が掴めずにいます。

認識を観察するについてですが、
例えば音を聞こうとした時、本当は「音」という認識と、「私」という認識がそれぞれ起こっており、「音」→「私」と意識が切り替わっています。
この認識が繋がり「私が音を聞いている」という分離の幻想が出来るているのかと思います。
ここまではわかりました。

今のところ、意識が音を捉えた瞬間には既に「音」として認識しているように思えますが、認識が厭離されると音を音として認識しなくなるということですよね?
音を認識した直後に「音だ」と言う思考は捉えられてはいるのですが、その一歩前の音を音と認識する瞬間がわかりません。
何かアドバイス頂けると幸いです。

575鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/26(日) 21:38:45 ID:1d4drIFg0
>>573 そうじゃ、自分とは何か観察してみるのじゃ。
 そうすれば悟りはやってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>574 その私が起こることをよく観察してみるのじゃ。
 それが観察できれば私が滅するじゃろう。
 無我によって認識も観察できるようになるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

576としぼっくり:2017/03/27(月) 00:24:36 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か観察して行こうと思います。

577481:2017/03/27(月) 00:47:57 ID:JtkEeVqo0
鬼和尚、ご返信ありがとうございます。

私が立ち上る瞬間を観るということですね。

音を認識した直後に、「それを聞く者」として私がイメージされます。
私の場合、ざっくりと「こちら側」だったり、頭の中心の筋肉の収縮感に「私」を投射しているようです。
またこれは非常に微かで瞬間的なイメージであることも捉えています。
そこがわかると、頭の中心には「私」の中心や、音を聞いている者いうものはないことがわかります。

しかし、これが認識を捉えた瞬間なのでしょうか?
相変わらず思考を捉えているように思えるのですが…。
それともこの無我を維持しつつ観察をしなければわからないところなのでしょうか?

578避難民のマジレスさん:2017/03/27(月) 02:30:29 ID:xETinsKE0
F1レーサーであった故アイルトンセナはあるレースで自分がマシンを操縦しているのを
ふと気が付くと体から離れて上から観察していたという有名な話があります。
小説家もいわゆるライターズハイになるとまるで自分以外の何かが勝手に
物語を書いているような感覚に陥るということですね。

これは集中力が極限に高まると起こるみたいなのですが
なぜ集中力が増すとそのような現象が起こるんでしょう?
これが瞑想の数息感と同じ効果ということなんでしょうか?

私以外の何かが常に自分を観察しているが普段は気づけない
集中力が高まるとそれを感じることができやすいということですか?

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/27(月) 21:28:15 ID:1d4drIFg0
>>576 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>577 認識は捉えていないのじゃ。
 私が観えるならばそれを更に詳しく観察するのじゃ。
 そうすれば自然に無我になるじゃろう。
 認識は私が消えた時に観えるようになるのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>578 それは意識が拡大したからなのじゃ。
 普段肉体とか思考などに限定されていた投射が弱まるからなのじゃ。
 瞑想によるものと同じなのじゃ。
 そのようなものじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。

580481:2017/03/27(月) 22:46:51 ID:52V0SuOc0
鬼和尚、
なるほど、無我になればわかる時がくるのですね。
社会生活を送っているとなかなか難しいなと感じますが、できる限り一日中観察に集中してみます。
ありがとうございました。

581避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 01:30:24 ID:lf.lkoB20
和尚、法句経を勧めていただいた者です。
この本が聖書や論語レベルで重要なものだと訳者の説明でわかりました。
喩えがどれも秀逸で思わず膝を叩くようなこともしばしば、心が洗われるようです。
読中ですが感動したのでまずご一報をと思いまして。何度も読み返そうと思います。

582避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 01:43:49 ID:DIiPmWc60
はじめまして、鬼和尚さん。

いつも鬼和尚さんの記事を拝見しとても参考にしております。

今回は、修行の実習における苦の区別についてお伺いします。

2009年4月の記事では、苦の観察の実修について記されています。

そして、苦は因により生じ縁により起き、苦が次々に起き増大し、それに自我を投影して終わるという結果までが一連の展開で、これを順番に観察していくのが順観、逆から順番に観察していくのが逆観とされております。

しかし、自分が今観察して発見した苦について、苦は様々な段階で発現するので、どの苦に該当するかの区別がつきません。

ひいては苦の順観や逆観も不可能であるように思われるのですが、なにか良い方法はないものでしょうか。

ご教授お願いします。

583避難民のマジレスさん:2017/03/28(火) 02:06:20 ID:PlRl0u560
>>579
集中が高まると自我への投射が弱まる ということですか
ありがとうございます

584としぼっくり:2017/03/28(火) 15:06:41 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
悟りを得るためには、タバコをやめた方が良いのでしょうか?

585鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/28(火) 21:18:21 ID:1d4drIFg0
>>580 どういたしまして、またおいでなさい。

>>581 そうじゃ、善いものじゃ。
 どんどん読むと善いのじゃ。
 またおいでなさい。

>>582 それは観察方法の一つに過ぎないのじゃ。
 縁起によって苦を全体的に観察する方法なのじゃ。
 それが困難ならば別の方法で観てよいのじゃ。
 五つの心身の要素を観る時のように、苦を分解して詳細に観察する方法でもよいのじゃ。
 苦の要素を幾つも分解してみるのじゃ。
 或いは苦が起こり消えるままにしておくのもよいのじゃ。
 いろいろ試してみると善いのじゃ。

>>583 そうじゃ、実践によって確めるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>584 無理に辞めなくてもよいのじゃ。
 それに囚われてしまうからのう。
 健康とかもっと集中したいからという理由でやめたくなったらやめたらよいのじゃ。
 自由なのじゃ。

586としぼっくり:2017/03/28(火) 21:29:34 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
スッキリしました。
タバコ吸いながらでも修行続けて行こうと思います。ありがとうございます。

587582:2017/03/29(水) 01:30:32 ID:DIiPmWc60
ご助言ありがとうございました。

逆観のような難易度の高い観察方法にあまり囚われず、かといって、
考えなしに観察はせずに、単純な観察を手を抜かずに丁寧にやって
いこうと思います。

588鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/29(水) 22:11:38 ID:1d4drIFg0
>>586 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>587 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

589避難民のマジレスさん:2017/03/30(木) 14:55:01 ID:UATLzvCM0
むのうしょうげんという方は悟ってましたでしょうか?本は面白かったです

590避難民のマジレスさん:2017/03/30(木) 20:46:17 ID:kV7xIwD.0
鬼和尚さん、感覚が自分ではないということは、どうすればわかりますか?

591鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/30(木) 21:47:58 ID:1d4drIFg0
>>589 悟っていないのじゃ。
 行者じゃな。

>>590 それは観察をすればわかるのじゃ。
 目や耳や鼻や舌やひふの感覚についてそれぞれ詳細に観察すれば、それが自分ではないと気付くじゃろう。
 仏教ではそれらと心の感覚について六の感覚器官とそれぞれの感覚について観察するようにと教えているのじゃ。
 目と目による視覚について観察する。
 耳と耳による聴覚について観察するというようにのう。
 実践あるのみなのじゃ。

592避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 13:00:01 ID:ZmtoUYNs0
>>591
鬼和尚さん、ありがとうございます。

さらに教えてください。
とくに触覚の観察方法についてなのですが、例えば、手を動かして、物に触った時、その感覚はどう観察すれば良いですか?
触った時、同時に自分が存在していると感じるのですが、触った瞬間に感じることを詳しく観察すれば良いのでしょうか?
どうすれば、物に触った感覚と自分の存在を切り離すことができますか?

593避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 17:06:12 ID:czRftzgI0
身体の乖離は手を手と認識しないことなのか手を自分のものと認識しないことなのかどちらですか?
考えているうちにわからなくなりました。

594としぼっくり:2017/03/31(金) 21:34:52 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
瞑想の時間は、出来る範囲で良いのでしょうか?

数息観は20分ぐらいで良いのでしょうか?

595鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/03/31(金) 21:45:39 ID:1d4drIFg0
>>592 者に触ったら物に触ったと観察すればよいのじゃ。
 触らなくなったら触らなくなったとありのままに観察するのじゃ。
 感じることがあればそれもありのままに観察すればよいのじゃ。
 切り離さなくてよいのじゃ。
 触ったときに自分の存在を感じるとありのままに観察するのじゃ。
 そうすれば自分の存在は自然に厭離されるのじゃ。
 切り離そうとか、切り離さなくてはならないとか、そのように思っていると観察は不完全になり、厭離も起こらないのじゃ。
 自分が感じられるのならばそれら全てをありのままに観察するのじゃ。

>>593 おぬしが感じられるままなのじゃ。
 手を手と認識しなくなったならばそれでよいのじゃ。
 手を自分のものと感じられなくなったならばそれでも善いのじゃ。
 変容は考えるのではなく感じるものじゃ。
 観察によって明らかに変化が起こったと感じるならば更に続けて行うのみなのじゃ。
 
>>594 そうじゃ、出来る範囲でよいのじゃ。
 20分でもよいのじゃ。
 毎日続けられる範囲で行うのが善いのじゃ。

596としぼっくり:2017/03/31(金) 21:55:29 ID:DAY232aw0
すいません。ありがとうございます。

597避難民のマジレスさん:2017/03/31(金) 23:08:59 ID:9XP4Lp720
>>595
鬼和尚さん、ありがとうございます。
物に触った時に自分の存在を感じることも、そのまま観察していれば良いのですね。
私は触覚に自我をとても投影しているようなので、厭離されるのには時間がかかりそうですが、正しい観察の方法がわかって良かったです。
ありがとうございました。

598としぼっくり:2017/04/01(土) 07:51:05 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
1.自我に気付くと言う目的が無いと、自分とは何かを観察していても、自我に気づかないのでしょうか?

2.自分とは何かを観察していたら、自分を追求している事になるのでしょうか?

599避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 15:35:41 ID:Dp/qMVVc0
鬼和尚、
相応部経典22の「花の香りのごとし」- 無我 についてお教えください。
病床の比丘ケーマという方が、下記のように我ありと主張したもので、多くの比丘たちを承服せしめたとあります。

 「友よ、わたしが <我あり>というのは、肉体が我であるというのではない。わたしの感覚や意識をさしていうのでもない。あるいは、それらを離れて、別に我があるというのでもない。
 友よ、それは例えば パードンマやプンダリケの花の香りのごときものなのである。もし人あって、弁に香りがあるといったら、正しいだろうか? また茎に香りがあるといったら、正しいだろうか? あるいは、蕊に香りがあるといっても、正しくないだろう。
 それはやはり、花に香りがあるといわねばなるまい。それと同じように、肉体が我であると考えてはならない。感覚、意識が我であるといってもあたらない。あるいは、それらを離れて、別に我の本質があるわけでもない。わたしは、それらの統一態において<我あり>というのである。」

サマーディの時は、どこにも主体の感覚も自分のイメージも無いので、本来我は無いのかと思いつつも、非瞑想時の感覚では上記の見解がしっくりくるようにも思えます。
上記の経に関してどのように自己の追求に役立てたら良いのか、あるいは捨ててよいものなのかどうかを知りたいです。

600避難民のマジレスさん:2017/04/01(土) 19:00:52 ID:czRftzgI0
>>593
なるほど自分のやりやすい方でやればいいのですね。
ありがとうございました

ところで鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実の鬼和尚は和尚さんですか?

601鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/01(土) 21:33:50 ID:1d4drIFg0
>>596 どういたしまして、またおいでなさい。

>>597 そうじゃ、ありのままを観るのじゃ。
 またおいでなさい。

>>598 1自分とは何かを観察していれば自我に気付くじゃろう。
 自我とは自分という観念であるからのう。

 2 なるじゃろう。
  何かと観察することが追求することであるからのう。

>>599 それはその比丘がそれらの統一態を自分と思っていたと気付いたということなのじゃ。
 そうであるからみんな納得したのじゃ。
 参考にはなるが、自ら気付かなければ意味はないのじゃ。

>>600 そうじゃ、わしなのじゃ。

602としぼっくり:2017/04/01(土) 22:09:38 ID:DAY232aw0
いつもありがとうございます。
自分の本心を観察して、自分とは何か観察して行こうと思います。

603としぼっくり:2017/04/02(日) 12:24:01 ID:DAY232aw0
お礼に続けて大変申し訳無いですが、
自分とは何かを観察する時、自我に気付くと言う目的を持っていた方が良いのでしょうか?
いつも沢山の質問申し訳無いです。

604避難民のマジレスさん:2017/04/02(日) 14:06:07 ID:DIiPmWc60
先日はご指導ありがとうございました。

観察についてですが、自分なりに工夫しております。

まず、観察を深く行うために辛い過去の出来事の時の感情を1つだけ思い出して
他のことの連想を禁止しています。

次に、辛い過去の出来事の時の感情を思い出そうとすると、純正な感情を
思い出す前に、辛い目にあった記憶に基づく認識を先に思い出してしまいます。
これに絡み取られると怒髪天を突くように怒りの感情に絡み取られるので、
これを純正な感情と区別して、自分の認識がこれに入り込まないようにします。

このようにして、余計なものを省いて取り出した純粋な感情を自分なりの方法で
観察しているつもりです。ここでいう観察とは、観察というよりはむしろ、感じると
いう方が適当な感覚で、胸から湧き出てきた気持ちをそのまま感じ取っています。

いわゆるゴエンカ式でいう、「ラベリング」は、感情は極めて微妙なため、
言葉によるラベリングがずばりと当てはまることが困難なため、鬼和尚さんは
必ずしも肯定されていないようなので、行っておりません。

また、純正な感情を感じる前に、しばしば記憶に基づく認識が強すぎる場合
があるので、これが自然に消えない場合は、これをこの方法で観察しています。

しかし、観察によって感じる感情は、自己否定的な感情ばかりです。これが新た
な記憶による認識として生み出され、増幅されてしまいます。

理論的には、私が行う仕事は純正な感情の観察だけですので、記憶による認識
の増幅は独立しているようにも思います。しかし、記憶による認識の増幅は、
これと純正な感情との区別を困難とするのでやはり問題です。

そこで、純正な感情の観察の副産物である否定的な感情が、記憶による認識
の増幅の原料にならないように、慈悲の心を持てるような対象を探して慈悲を
実践しています。

自分なりに方法を探究しているとこの方法にたどり着いたのですが、
これで良いのでしょうか。

605避難民のマジレスさん:2017/04/02(日) 17:51:26 ID:Dp/qMVVc0
>>601
なるほど、その比丘が何を自分と思っていたかに気づいたということなのですか。
ということは、それを思想とか我ありとの主張だと解釈するのが間違いで、観察例の参考として捉えれば良いということですね。
思考や感情などの1機能だけでなく、統一態を自分と思い込んでいる可能性もあるということが分かりましたが、囚われずに励もうと思います。
ありがとうございました。

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/02(日) 22:17:06 ID:1d4drIFg0
>>602>>603 そのような目的はないほうがよいのじゃ。
 
 目的を持てば観念を作り出してしまうかもしれんのじゃ。
 自我はただひたすらに観察して気付くものであるからのう。
 何度でも訊くとよいのじゃ。

>>604 自分がやり易い方法でよいのじゃ。
 続けてみて進んでいくところまで行くのじゃ。
 行けなくなったら別の方法を試してみると善いのじゃ。
 そのようにして進歩していくのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 
>>605 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

607としぼっくり:2017/04/02(日) 22:27:37 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
自分とは何か観察続けて行こう思います。
また聞く時が度々あると思いますが、よろしくお願いします。

608604:2017/04/02(日) 23:10:04 ID:DIiPmWc60
度重なるご指導ありがとうございます。

了解いたしました。

ご指導の通り、自分の方法で行けるところまで行ってみようと思います。

609鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/03(月) 21:08:58 ID:1d4drIFg0
>>607 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>608 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

610としぼっくり:2017/04/04(火) 17:39:21 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さんは、悟りを得た時、
瞑想どれくらいしていたんですか?

611鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/04(火) 20:43:44 ID:1d4drIFg0
>>610 時間は測っていなかったのじゃ。
 好きなだけ瞑想していたのじゃ。
 あとは経を読んでいたのじゃ。

612としぼっくり:2017/04/04(火) 21:07:28 ID:6PXnZyyc0
参考になりました。
ありがとうございます。

613としぼっくり:2017/04/04(火) 21:29:44 ID:6PXnZyyc0
お礼に続けて申し訳無いですが、
鬼和尚さんは、何年くらい修行して悟りを得たのですか?

614鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/05(水) 21:08:15 ID:1d4drIFg0
>>612>>613 それも特にこの日から修行しようと決めたわけではないからわからんのじゃ。
 大体十年ぐらいじゃろう。

615としぼっくり:2017/04/06(木) 01:41:33 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さんでも十年かかったんですね。
色々教えて頂きありがとうございます。
これからより精進して行こうと思います。

616避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 17:25:51 ID:4zOm3em.0
鬼和尚、こんにちは。

密教について質問です。
あまり深いところはわからないのですが、密教って現世利益的ですよね。
これと悟りがどう繋がるのか不思議です。
そもそも密教自体、悟りとは関係ないのでしょうか。

時代を経るにしたがってただのおまじないになってしまったのか、それとも現世利益によって悟り的に得るものがあるのか。
鬼和尚は密教についてどのようにお考えでしょうか。

617避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 20:12:49 ID:2mjcL8.g0
鬼和尚さん、逃避や執着がなくなればなくなるほど、集中力が身につきますか?
それとも、集中力はそういうこととは無関係ですか?

618鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/06(木) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>615 そうじゃ、精進あるのみのじゃ。
 またおいでなさい。

>>616 密教は神仏との一体化を修行する体系なのじゃ。
 その素質のあるものには速やかにサマーディに至れるのじゃ。
 空海とかもそうだったのじゃ。
 真摯に悟りを目指せばそれでも悟りを得られるものじゃ。
 チベットのミラレパなどは密教で悟りを得たのじゃ。
 
>>617 それらは無いほうがよいが集中力とはあまり関係はないのじゃ。
 数息観などの集中の瞑想によって集中力は身につくのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

619避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:17:05 ID:VfhJ5ipQ0
>>618
集中力とそれらはあまり関係ないのですね。意外でした。
集中の瞑想がんばります。
ありがとうございます。

620避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:19:58 ID:2jxVV.kg0
神仏と一体化することで悟りを得られるとは、観察とは丸っきりアプローチが違うので想像もつきませんね笑

ミラレパの名前は聞いたことがありましたが、どんな人なのかは知りませんでした。
今調べてみたのですが、神通力を駆使できたようですね。

自分というものの仕組みを知り、現実という夢を夢と見破り明晰夢を自由自在に操っているかのようです。
夢を操り、夢から抜け出した先に悟りがあるのかなと考えましたが、悟りにも様々な方法があるんですね。
ありがとうございました。

621避難民のマジレスさん:2017/04/06(木) 22:59:06 ID:Rf3lgZfw0
和尚、もう一人の自分が感情に右往左往してる自分自身に気づいて、慌てながらも落ち着いてるような状態って、言うなれば何でしょうか。その状態をいう適切な熟語ありますか?

622鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/07(金) 21:09:09 ID:1d4drIFg0
>>619 そうじゃ、集中とは関係ないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>620 そうじゃ、道はいろいろあるものじゃ。 
 自分にあった道を探すのじゃ。
 またおいでなさい。

>>621 乖離とか客観視とかいわれるのう。
 他にもあるかもしれん。
 調べてみるとよいのじゃ。

623蓮恵:2017/04/07(金) 21:49:14 ID:AlNqYyjs0
止観の副産物かもしれませんが、
睡眠もいつもより少ないのに、最近元気が余っています
体を動かしたりしてもあまり疲れないのですが、元気を持て余し過ぎて気持ちが悪いです。
体を動かしたら楽になるのですが、常に運動できる環境でもないです。

和尚さまはこういう時はどのように過ごされましたか?

624避難民のマジレスさん:2017/04/08(土) 17:51:42 ID:czRftzgI0
瞑想、観察などは毎日しないといけないのでしょうか?一日でもサボると戻るのですか?
一週間に一日は休みとするのはだめなんですか?

625鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/08(土) 21:49:23 ID:1d4drIFg0
>>623 歩いているのじゃ。
 おぬしも歩くとよいのじゃ。
 散歩をしながら首の運動などもすると健康になるのじゃ。
 走ると死ぬ者も居るから歩くのが一番なのじゃ。
 
>>624 五分でも毎日やったほうがよいのじゃ。
 しかし休みたいときは休んでよいのじゃ。
 休んでいるときに気付くこともあるかもしれんからのう。
 自由なのじゃ。

626避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 09:05:10 ID:czRftzgI0
>>624
はいわかりました

627避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 12:56:08 ID:g4q.zYEA0
鬼和尚、
アートマンとブラフマンの違いを教えて下さい。

もし過去に説明されているのでしたら、どなたかリンクを教えて頂けないでしょうか。

628避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 15:47:16 ID:DeodeeNs0
>>627 鬼和尚さまのブログでアートマンの解説があり
ブラフマンについても、コメント欄の最後に書かれています。
参考にしてください。
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-55.html

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/09(日) 22:07:40 ID:1d4drIFg0
>>626 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>627 アートマンとは悟りを得るための方法なのじゃ。
 アートマンを実践してブラフマンに至るのじゃ。
 月と月をさす指のようなものじゃ。
 最後には全てが一つと知れるのじゃ。

630鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/09(日) 22:08:17 ID:1d4drIFg0
>>628 ご苦労さんなのじゃ。

631避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 23:46:12 ID:sRbApLlI0
>>628
ありがとうございます!
すでにしっかり説明されてますね。
じっくり読んでみます。

632避難民のマジレスさん:2017/04/09(日) 23:54:31 ID:sRbApLlI0
鬼和尚、ありがとうございます。

鬼和尚の説法で面白いところは、普段真理とされているものが実は悟りへの技術だったというところです。
縁起もそうですが、真我、アートマンもそうだったとは…。

そのように観想することにより悟りを起こすということですよね。

では、私とは一体何なのでしょうか?
やはり一人の人間なのでしょうか。
私も様々な気づきを経て、今は自分とは意識のようなものと捉えておりますが、これさえも観想のように思えてきました。

633避難民のマジレスさん:2017/04/10(月) 12:01:49 ID:KUdA8t9s0
和尚さま

上記で書かれていた無能唱元という人の本を読んでみたところ、
瞑想でトランス状態に入った時に財福が来るように祈る方法のようで、
阿頼耶識に願望を書きこむといった内容などはとても面白いと思ったのですが、

この方法と、無思考になって境地を求める瞑想とでは、
財福を招くという点で言えばどちらが効果あると思いますか?

幸福で言えば後者であることは間違いないと思うのですが、
財福となれば、やはり願望を抱いていた方がよいのでしょうか?

634鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/10(月) 21:01:09 ID:1d4drIFg0
>>632 そうじゃ、それがアートマンなのじゃ。

 おぬしとは観念なのじゃ。
 名前とイメージだけのものなのじゃ。
 それに気付けば観念は無くなるのじゃ。
 人間というのも観念なのじゃ。
 あるといえるのは意識だけなのじゃ。

>>633 どちらも効果は無いのじゃ。
 施しをしていれば財福は向こうからやってくるじゃろう。
 善という種をまかないで財福という実がなる道理は無いのじゃ。
 人の財産を奪う極悪人がそのような技法だけで財福が来る筈も無いとわかるじゃろう。
 善事を行えば自然に財福も身につくじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

635481:2017/04/10(月) 23:55:19 ID:.X2QDRbY0
鬼和尚、
アートマンの質問は481でした。
教えて頂きありがとうございます。


私とは何なのかの私とは、意識のことを指してました。
しかし「私」という概念自体が観念であり、いろいろと削ぎ落としてもなお、この意識に私を投射しているからこのような物言いになってしまうのかなと思いました。

まだ認識の正体を掴めていないのでもどかしいですが、無我を維持することを心がけてみます。
いつもありがとうございます。

636避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 00:14:36 ID:DIiPmWc60
いつもお世話になっています。

鬼和尚さんに悟りにかかる時間に質問です。

鬼和尚さんは、悟りに至るまでおよそ10年かかられたということです。

しかし、昔の修行僧はわずかな成果のために寝る間も惜しんで
修行しても、その効果は少なく悟ったものはほとんどいないとも
おっしゃられております。

一方で、鬼和尚さんは、悟るのはそれほど難しくないともおっしゃって
おります。

悟るまでにどれくらい時間がかかるかと「考える」ことが、すでに修行の
妨げになるというのは理解できます。

しかし、本当のところはどうなのか知りたいです。

昔の修行僧の必死の修行でも成果が出ないほど修行は難しいというのは、
事実ですか、それとも修行の叱咤激励としての言葉でしょうか?

また、悟のはそれほど難しくないという言葉は、真理でしょうか、それとも
そう観念しておくのが修行にとって有用だからでしょうか?

637としぼっくり:2017/04/11(火) 01:25:09 ID:bnbJ4y8w0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を知る為に、自分の本心を観察するのでしょうか?
自分とは何かを観察するのは、自分とは何かを知る為でしょうか?

638としぼっくり:2017/04/11(火) 04:03:52 ID:9dM1dU/w0
>>637スルーして下さい。
気付く為だと思いました。すいませんでした。

639避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 10:00:35 ID:KUdA8t9s0
>>634
いつのまにかおかしな考えになっていたようです。
肝心なことを見落としておりました。
あまり余計なことを考えずに善事を行っていくよう心がけます。
ありがとうございました。

640避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 10:20:38 ID:KUdA8t9s0
>>634
善事で思ったのですが、
仕事がら出歩くことがないために、
外部との接触がほとんどありません。
家で慈悲瞑想などを行う程度でも、善事にあたるのでしょうか。

641避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 12:53:48 ID:Y5LPInQE0
>>634
>善という種をまかないで財福という実がなる道理は無いのじゃ。
>人の財産を奪う極悪人がそのような技法だけで財福が来る筈も無いとわかるじゃろう。

横ですが、ネットで無料で仏教の指導をされている鬼和尚さんが、大金持ちになっていないのはどういうことなのでしょうか?

642避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 17:56:15 ID:FocWw5K20
鬼和尚さん、集中している時の状態について教えてください。

だいぶ前なんですが、鬼和尚さんは強く集中している時は、呼吸が小さくなったり止まったりするものだとこの掲示板に書いているのですが、
同時に強く集中している時の状態はリラックスしている時の状態と同じだとも書いています。

そこで質問なのですが、呼吸が小さくなっているような時もリラックスしていると言えるのですか?
集中している時に呼吸が小さくなったり止まっているような感覚はよくわかるのですが、そういう時は何となくですが、リラックスしているとは言えない気がするのです。
言葉のイメージの問題かもしれませんが、リラックスしているという状態がよくわからなくなってきました。
呼吸が小さくなっていてもリラックスしている状態とは、どんな状態なのでしょうか?
思考がなく、身体の力が抜けていればリラックスしていると言えるのですか?

643としぼっくり:2017/04/11(火) 18:10:24 ID:IOMLtO8.0
>>637>>638
気付く為だと思いましたが、気付く為でよろしいのでしょうか?

644鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/11(火) 21:00:28 ID:1d4drIFg0
>>635 どういたしまして、またおいでなさい。

>>636 それは正しい修業をしているかとか、本人の熱意によるのじゃ。
 正しい止観を行い、死んでも悟りを得たいという熱意があれば三年でも悟れるじゃろう。
 しかし、正しい止観を知らず、熱意も無いならば何年修業しても悟りは得られないのじゃ。
 昔は止観の正しい方法も伝わらなかったために何十年と修業しても悟れなかった者も多いのじゃ。
 止観の止である集中の行だけでも熱意があれば十年ぐらいで悟れるものも居たのじゃ。
 既に正しい止観の方法を実践し熱意があれば簡単に悟りは得られるじゃろう。
 
>>637>>638>>643 そうじゃ、気付くためなのじゃ。
知識を得るためではなく、本心を知るためでもないのじゃ。
 気付くことで全ての厭離は起こるのじゃ。

>>639 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

645避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:09:42 ID:DIiPmWc60
>>644

ご返信ありがとうございます。

つまり、昔の日本ではサマタ瞑想である禅だけでヴィパッサナー瞑想
が伝わっていなかったので、止観の内、「観」の瞑想が不十分であった
ということですね。

646鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/11(火) 21:13:37 ID:1d4drIFg0
>>640 善事は他人のために行うことなのじゃ。
 家族とか仕事仲間とかに優しいことばをかけたりするのも善事なのじゃ。
 無財の七施とかを実践してみるのじゃ。

>>641 わしは財福を望まないからなのじゃ。
 資産を積み上げて金持ち父さんになる実践中なのじゃ。
 それも衆生の為に試しているのじゃ。

>>642 集中が強くなるほど逆にリラックスしなければならんのじゃ。
 体にも心にも力が入っていれば集中も強くならないのじゃ。
 集中しようという意志さえもない完全なリラックスした状態が呼吸も無い集中状態なのじゃ。
 そこでは思考だけではなく自分さえも忘れているから、完全な安らぎがあるものじゃ。
 それが集中の完成であるサマーディの状態なのじゃ。
 そこに至るまで更に力を抜いてみるのじゃ。

647鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/11(火) 21:15:02 ID:1d4drIFg0
>>645 そうじゃ、それでも無理ではないがかなり時間がかかるのじゃ。
 才能も必要なのじゃ。
 止観によってこそ悟りも速やかに得られるのじゃ。

648避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:28:29 ID:Y5LPInQE0
>>646
善事を成せば、自動的に金持ちになるというわけではないのですね。
あくまでも善事を行った本人が望めば、金持ちになると?

では、金持ち父さんの教えを使って資産を増やそうとしてるんでしたら、今行っている善事によって、
金持ちになっても、同じだと思うのですが、どうして金持ち父さんの方法を取るのですか?

649避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:39:28 ID:DIiPmWc60
>>647

ありがとうございました。

悟りにかかる時間と難しさをうかがった趣旨は、時間がかなりかかる
上に悟る難易度が高ければ、修行をする覚悟がなかったからです。

ヴィパッサナー瞑想は悟り

650避難民のマジレスさん:2017/04/11(火) 21:41:35 ID:DIiPmWc60
途中で失礼しました。

ヴィパッサナー瞑想は修行の過程で悟りに近い状態に近づけるということ
なので、悟ることができなくとも、私にとって意義のある止観の法を
やっていきたいと思います。

651としぼっくり:2017/04/11(火) 22:03:41 ID:ihwzTTG60
鬼和尚さんすいません。
本心に気付く為に、本心を観察しているということでしょうか?

652避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 00:33:39 ID:GXTFMGi.0
多くの人の場合は目覚めが起こってもまたすぐに自我が戻ってくるのに、マハルシは
最初のあの目覚めがほぼ恒久的なものでしたよね、なぜマハルシの目覚めだけ
恒久的な目覚めであったんでしょう、鬼和尚はどう思います?

653避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 20:24:50 ID:zC8GWbdY0
>>646
ありがとうございました。
できるだけ善事を心がけていきます。

654入り口の人:2017/04/12(水) 20:40:32 ID:dFAk.kvU0
何か変わった。余計な感情を抱かないというか…

655避難民のマジレスさん:2017/04/12(水) 21:06:34 ID:uTiUxAqg0
>>646
鬼和尚さん、ありがとうございます。
心の力も抜くのですね。
何となくわかってきた気がします。
集中の完成のサマーディーを目指してみます。

656鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/12(水) 21:30:32 ID:1d4drIFg0
>>648 今わしがしている善事で金持ちになったら、わしにしか出来ない方法になるのじゃ。
 誰にでも出来る方法でなければ人には教えられないのじゃ。
 実際に善事と報いに関係なく資産を積み上げてこそ、誰でも資産を積めば金持ちになるという証明になるのじゃ。
 そのために金持ち父さんの方法を試しているのじゃ。

>>649>>650 恐れを超えて本当に心身の観察ができれば、速やかに悟りも訪れるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>651 本心の感情とか思考とか観念に気付くためなのじゃ。
 気付けば厭離が起きてそれらの働きに囚われなくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。


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