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鬼和尚に聞いてみるスレ part7

407避難民のマジレスさん:2016/07/25(月) 22:16:25 ID:TEQEnl1A0
>>405
食料としてなら釣りも良い、売ってる魚も自分が釣る魚も特に違いはない
ですね。わかりました。

私は子供のころから趣味で釣りを結構しましたしただ遊びで釣るのが目的の
食料としての目的ではないことをいっぱいしてきました。

懺悔します。遊びの釣りはもうしません。(といってもずいぶんしてませんが)
許されますか?

408避難民のマジレスさん:2016/07/25(月) 22:33:38 ID:dFAk.kvU0
お風呂は大切ですね。入った後は全然精神的に違ってきます。(シャワーでなくちゃんと沸かして)

409避難民のマジレスさん:2016/07/25(月) 23:21:45 ID:67ZplKNw0
>>395
教えていただきありがとうございました。

本心とは、我在りという観念の大元となる観念ですか?
それとも、この世に生まれた目的意識というものがあり、それが本心ですか?
本心では本心のことなど知りたくないということもありうるのですか?
本心と観念は別のものですか?

410避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 10:45:52 ID:.qo2VmiU0
鬼和尚、よろしくお願いします
死の恐怖の症状についてですが初めて発症した時、苦を受け入れる瞑想をしてたのですが
無理に苦を受け入れすぎて自我に極度に執着して(自我が熱くなったので)自我から火が出て体が火だるまになって
死ぬのではないかと思い激しい死の恐怖を感じました
 執着対象を失って自我そのものに極度に執着すればこのようなことは起きるものなのでしょうか?
激しい恐怖から本当に自我や体から火がでてしまいそうな感覚に襲われましたがこれで死ぬことはないのでしょうか?
どのような理由でこのようなことが起きたのか未だにはっきり分からないです

411避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 12:04:00 ID:iAqEqzAU0
会社ぐるみの不正(最悪時には法律違反や人の命に影響する恐れあり)に対して、関係上長に是正・改善提案をしたのですが、一蹴されました。
自分ではどうすることもできない壁にぶつかってしまい、絶望を味わっています。
今後、観察していくことで、今の会社でやっていくことが可能となる気持ちになるでしょうか。

412避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 12:38:07 ID:czRftzgI0
障害者20人が殺害された事件がありましたが、自分に関係ないと考えて悟りの修行に専念すればいいのですよね

413避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 20:15:05 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞこんばんは、鬼和尚。
「私は誰か?」続けてるであります。
思ったんでありますが、これを公案のように続けてると、
そのように自問してるのがまさに「私」であり、「自分とは何か?」の答えは、「自分とは何か?」と問うものであるという気になるのであります。
で、自分とは何かと問わない瞬間に気づいた時に、自分が無いこと=無我に気づく。
これが、公案の仕組みなのかなと思ったんでありますが、違うでありましょうか?

414鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/26(火) 21:28:12 ID:30Lz1sus0
>>406 そうじゃ、忘我の状態なのじゃ。
 人は睡眠や夢によってサマーディを常に体験しているのじゃ。
 そうであるから誰でもサマーディに到達し、悟りも得られるのじゃ。

 自分の意識もただひとつであり、今の自分には夢として認識される意識状態なのじゃ。
 死とはただ意識が睡眠と夢の意識に変わるだけとも言えるのじゃ。
 誰の意識も消えることなく、変化するだけなのじゃ。

>>407 おぬしは懺悔告白したから許されたのじゃ。
 これからは善事を心がけて生きるのじゃ。
 そうすれば生きているうちには福楽があり、死んでも善いところに行けるのじゃ。

>>408 そうじゃ、健康にもよいのじゃ。
 温冷浴ならばもっと健康によいのじゃ。
 
>>409 本心とはただ偽らない心なのじゃ。
 例えば怒っても怒っていないと思えば嘘なのじゃ。
 怒ったら怒ったと認めて受け入れるのが本心なのじゃ。
 本心では本心を知りたくないと思うこともあるじゃろう。
 本心も観念なのじゃ。

>>410 そのようなことも起きるじゃろう。
 それで死ぬことは無いのじゃ。
 心の奥に火に対する恐れがあったのかもしれん。
 それも観察すれば消えていくじゃろう。
 恐れずにただひたすら観察に励むのじゃ。

415避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 21:59:48 ID:LC3de7YgO
>>414
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、ありがとうございます。
> 死とはただ意識が睡眠と夢の意識に変わるだけとも言えるのじゃ。
 誰の意識も消えることなく、変化するだけなのじゃ。

その意識は記憶を伴うのでありましょうか?
記憶は肉体(脳)とともに消滅するのではないでしょうか?

416鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/26(火) 22:04:15 ID:CFdzkeZQ0
>>411 そのようなことはないじゃろう。
 人の命を危険にする不正を見逃したならば今後も続けられる不正に加担したことにもなるからのう。
 それも悪といえるのじゃ。
 自分や家族が何も知らずその不正で命を落としたらどのうよな気になるか考えてみるのじゃ。
 
 悪事に加担していてもよいことはないのじゃ。
 いずれは発覚して会社もつぶれるかも知れん。
 今の内に警察などに通報したらよかろう。
 それが善事なのじゃ。
 
>>412 おぬしに何か出来ることがあるならば助けると善かろう。
 出来ないならば修業するとよかろう。
 
>>413 そのような理解でよいのじゃ。
 気付きはそのように起こるとは限らないがのう。
 実際に自我の働いている瞬間を捉えることもあるじゃろう。
 自分を限定することなく、ただひたすらありのままに観察に励むのじゃ。

417鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/26(火) 22:05:27 ID:30Lz1sus0
>>415 記憶は脳にあるだけではないのじゃ。
 手や足や他の体内の部分にもあるのじゃ。
 肉体の外にもあるのじゃ。
 限定することなく観察に励むのじゃ。

418避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 22:32:36 ID:LC3de7YgO
>>416>>417鬼和尚、ありがとうございます。
気づきと理解は別物でありますね。
理解が先行すると、気付きがおくれるような気もするであります。

>記憶は脳にあるだけではない
←そういえば、第2の脳と言われる腸とか、心臓にも記憶する機能があると言う話も聞いたことがあるであります。

419避難民のマジレスさん:2016/07/26(火) 23:26:23 ID:67ZplKNw0
>>414
教えていただきありがとうございます。
本心とニセ心はどのように区別できますか?
どちらも観念なのに、本物と偽物があるのは何故ですか?
怒ったら怒ったことをありのままに観たくない、ということが本心である場合はないのですか?
本心では本心など知りたくないという観念を持つ人は、
本心を知ることは不可能ですか?

自分の場合、怒りを観察しようとすると、怒りに続いて自らの怒りをなだめようとしたり、
誤魔化したりしようとする反応が起こることがよく認められます。

420411:2016/07/27(水) 05:05:10 ID:9U0v1cQ60
>>416
ありがとうございます。
実行後は会社が傾くという恐れもあり、まだ居たいという欲との間に挟まれています。
気づきへの道にまだ入れそうにないです。

421避難民のマジレスさん:2016/07/27(水) 05:45:54 ID:czRftzgI0
>>412
修行します

422410:2016/07/27(水) 11:44:38 ID:.qo2VmiU0
>>414
ありがとうございました

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/27(水) 21:29:01 ID:30Lz1sus0
>>418 そうじゃ、記憶はどこにでもあるじゃろう。
 それもまた夢幻であるがのう。
 観念の遊戯はどこまでも続けられるのじゃ。

>>419 おぬしが受け入れようとした時に本心は区別できるじゃろう。
 おぬしが事実を受け入れない時、観念は嘘になるのじゃ。
 観たくないと言う本心もあるじゃろう。
 本心を知りたくなくとも寝る時などに忘我になれば本心は自然に現れるのじゃ。
 或いは死ぬ時などに事実を受け入れずにおれなくなるのじゃ。
 それが嘘偽りの無い心であるからのう。
 誰も嘘をついたままではいられないのじゃ。

 それが本心なのじゃ。
 そのように観察していくのじゃ。

>>420 他人の命さえも軽視する不正を行なう会社ならば、いずれは滅びるしかないじゃろう。
 確率によっていずれは事故が起こることは目に見えているからのう。
 その被害者が自分や自分の家族である場合も考えて正しい選択をするのじゃ。
 
>>421 そうじゃ、修行あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>422 どういたしまして、またおいでなさい。

424420:2016/07/27(水) 21:35:24 ID:yQkU3nA.0
>>423
ありがとうございました。

425避難民のマジレスさん:2016/07/27(水) 22:02:34 ID:LC3de7YgO
>>423
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、ありがとうございます。
意識か遍在するだけではなく、更に生命、DNAの記憶や、宇宙の記憶があるだけでもなく、更に更に個々の記憶もあり続ける。
けと、それらはみな夢幻である。
夢幻と言うことは、本当は無いものをあるととらえて、「苦」の種を抱えこんでしまう。

生きている間に、無いものは無いとの実感に至ることが悟りであると言うことでありますね。

426避難民のマジレスさん:2016/07/27(水) 22:40:01 ID:LC3de7YgO
>>425
(´・(ェ)・`)ゞあれ?
もしかしたら・・・生きていると思ってること自体が夢幻でありますか?

無我ってことは、認識主体がないってことで、認識してると思ってることこと自体が錯覚であって、・・・・やっぱり、無我なら全ては夢幻でありますね。
全ては夢幻と言っても、
肉体や物や宇宙が無いと言うのではなく、それらを認識しているということが夢幻であると言うことでありますね!

427避難民のマジレスさん:2016/07/27(水) 23:53:50 ID:dFAk.kvU0
和尚さまいつもありがとうございます。
数息観で自分の変化というほど大きなものではありませんが、
何か怒涛のような勢いの雑念を超えたら気持ちが落ち着いたのを感じました。
これを励みに更に頑張ります。

428避難民のマジレスさん:2016/07/28(木) 20:52:28 ID:J/EBaLO.0
>>423
なんとなくわかったような気がしました。
本心もニセ心も同じものだが、自我のフィルターを通すと
ニセ心になるから、このことを留意しながら、
気をつけて観察しなければならないということですね。
ありがたいご教授に感謝いたします。

429鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/28(木) 21:45:05 ID:30Lz1sus0
>>424 どういたしまして、またおいでなさい。

>>425>>426 そのような理解でよいのじゃ。
 後は実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>427 善かったのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>428 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

430避難民のマジレスさん:2016/07/28(木) 22:56:51 ID:aChxr9u60
亡くなった親。
骨になった姿をみて浄化されたように感じていました。
しかし、もし彼が私の理解を超えて、今もなお苦しんでいるのならば魂を慰めたい。
彼が生きているときにできなかったことを後悔はしてませんが、今も苦しみと共にあるのならば慰めてあげたい。
私がこの世界で、自分らしく生き抜くこと、そして悟りを得るだけでは足りないのでしょうか?
私は彼に何かしてあげるべきなのでしょうか?
何をしてあげるとよいのでしょうか?

431避難民のマジレスさん:2016/07/29(金) 00:04:43 ID:67ZplKNw0
バカにされても馬耳東風になるにはどうしたらよいですか?
そんな者にはならないほうがよいですか?

432避難民のマジレスさん:2016/07/29(金) 17:10:31 ID:lqJ/O0ao0
鬼和尚さん
いつもお世話になっています
臨床動作法という心理療法ではこころの問題は必ずからだに表れると聞きました
これは正しいのでしょうか?
からだに表れないこころの問題は存在するのでしょうか?
もしあるとすればそれはどのようなものでしょうか?
よろしくお願いします

433鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/29(金) 21:52:12 ID:30Lz1sus0
>>430 そのように思うならば心で供養するとよいのじゃ。
 清浄な家に親を招き、好きだった食べ物とか音楽とかを供えるイメージを行なうのじゃ。
 それらを受けとる親のイメージも行なうのじゃ。
 そうすれば実際に受けたと感じるじゃろう。
 夢の中で会う事もあるじゃろう。
 聞きたいことを聞くとよいのじゃ。
 答えてくれるじゃろう。

>>431 なぜそれに反応するのか原因を追求してみるのじゃ。
 自分のイメージが壊されるとか、傷つけられると思うからかも知れん。
 そのような原因がわかれば何度もばかにされてもこれはイメージが傷つくとか思うからであると気付いて感じなくなるのじゃ。
 そのような者になると善いのじゃ。
 犬に吼えられて吼え返せば犬と同じ程度に落ちるように、
 ばかにする者に反応していてはそのものと同じ程度のものになるのじゃ。
 受け流して修業に専念するとよいのじゃ。

>>432 正しいのじゃ。
 心とは体の機能であると語る昔の哲学者も居たのじゃ。
 心に何か苦があれば体も反応するのじゃ。
 体の機能が不善になったからのう。
 
 純粋な思考の問題などは現れないかもしれんのじゃ。
 頭の中でのみ問題じゃ、と考えているだけであるからのう。

434432:2016/07/29(金) 23:21:27 ID:lqJ/O0ao0
鬼和尚さん
ありがとうございます
こころの問題がからだに表れるということはからだがあるからこころがあるのでしょうか?
ロボットとか人工知能とかもこころができるのに必要なからだがあれば
こころをもつこともありますか?

こころの問題がからだの不調となって表れるのなら
そのからだの不調をなおすとこころの問題をも解決できますか?
解決できるものとできないものがありますか?
もし解決できるものとそうでないものがあるならば
どのようなものが解決でき、どのようなものが解決できないのですか?

からだについては姿勢を整えたり、リラックスすること、不調に気づくことなどが
本心をみる手助けになるけど、やはり本心をみることでしかできないことがあるのですか?
よろしくお願いします

435避難民のマジレスさん:2016/07/30(土) 11:02:30 ID:LC3de7YgO
   /⌒ヽ
 ⊂ ̄ ̄ ̄⊃
  ( ・(ェ)・)
  .(つ∪と)
....と_)_)
悠久の時の流も、人の一生も、個も全もなく、ただ、あると思うからある。
どうせあると思うなら、全ては自分の中にあると思えばよいのでありますね。

436蓮恵:2016/07/30(土) 13:15:42 ID:YJFXcqrQ0
和尚様
怠け者なんですが、どうすれば変わるのでしょうかね。
やろうと思う心があるが、
実行に写せないというか、怠けや惰性に引っ張られるというかで、あまり良い結果が残せません。

437蓮恵:2016/07/30(土) 15:41:04 ID:YJFXcqrQ0
少々、内観してみると自分がこの数十年間やる気だと思っていたものは、己を動かすための仮説の観念だったようです。
それに気づくと無に近い状態になれました。
しかしながら、怠け者に拍車がかからないと良いですが笑

438避難民のマジレスさん:2016/07/30(土) 21:00:33 ID:IPAtoYAc0
怠けていてはアカンがな。

439鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/30(土) 21:30:40 ID:30Lz1sus0
>>434 心と呼ばれる機能のうち、感覚、思考や感情、分別の働きなどは体があるからあるといえるのじゃ。
 ロボットなどもその機能を持つことが出来るじゃろう。

 体を直すことで心も治ることもあるじゃろう。
 解決しないものもあるじゃろう。
 何かのきっかけで気分が悪くなるなど条件反射によるものは肉体の機能を直せば治るのじゃ。
 老病死の問題などは体をいくら直してもなくならないのじゃ。

 そうじゃ、本心がわからなければ何もわからないのじゃ。
 本心がわからなければ間違った情報しか伝わらないのであるからのう。
 何が真の原因で、実践でどのように変化したかということすらわからないのじゃ。
 本心を追求するのじゃ。

>>435 そうじゃ、それでよいのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>436>>437 常に死を想うのじゃ。
 自分が死ぬまでになにをしたいのか、何を残して死ねば満足するのか考えてみるのじゃ。
 そして今すぐ死が来てもよいように、準備するのじゃ。
 もはや生きている時間が少ないとわかれば精進する気になるじゃろう。

440避難民のマジレスさん:2016/07/30(土) 21:49:57 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞこんばんは、鬼和尚。
ゴキブリがどうしても苦手なのであります。
できるだけ殺生はしないようにと、捕まえて逃がそうとしたのですが、むりでありました。
暗闇で瞑想中、ゴキの6本の足音を観察してると、私の気配を伺うようにして、徐々に近づいて来ました。
たまらず、電気をつけると、膝の近くに大きなのがいました。
決意して殺虫剤を買いに行きました。
ゴキへの嫌悪感を克服度合いが、私の修行の進捗度合いと言えるような気もします。
何か良い方法はないものでありましょうか?

しかし、さっきまで聞こえてたゴキの足音が消えてます。殺気を感じたのでありましょうか?

441避難民のマジレスさん:2016/07/30(土) 22:17:51 ID:4pasyIqk0
>>440 横ですが、キッチン用アルコールスプレーがゴキブリに良く効きます。
急性アルコール中毒でお亡くなりになることもありますが、
大抵は酩酊状態で動きが鈍るだけなので捕まえて外に離すことができます。
ゴキブリはよく観察するとカマキリに似ています。
祖先が共通なので、考え方を変えると少し嫌悪感も薄れるかもしれません。

442避難民のマジレスさん:2016/07/31(日) 10:44:52 ID:LC3de7YgO
>>441
おはようございます。ありがとうございます。それなら安上がりでありますね!試してみたいであります。
   /⌒ヽ
 ⊂ ̄ ̄ ̄⊃
  ( ・(ェ)・)
  .(つ∪と)←コーヒ
....と_)_)
鬼和尚、夢は、私の記憶の断片の組合せにより構成されてるのでありましょうが、そこに私が登場することはあまりなく…、と言うか、
主体と言うものが感じられず、確かに何かを語ったりしたりしてる登場人物は、私の記憶の断片に基づき何かを語ったり、行為したりしてるのでありますが、
主体ではない、自分ではないと感じられるのであります。
だからと言って、スクリーンを見ている観客と言うわけでもない。
同じように記憶に照合しながら認識してるようでありながら、なぜ夢の中では主体ではないと明瞭に意識できるのか?
これは夢であるとの明確な意識のないままに客観視できてる気分になれるのか?
単に記憶をバラバラにしての組合せを変えて再生してるだけかもしれませんが、
日常でこのような夢の中と同じような実感に至れたら、私の「無我」を求める旅も終わるのでありましょうか?
うぅ〜ん。何か重要な発見に近づいたような気がするのでありますが、勘違いでありましょうか?

443避難民のマジレスさん:2016/07/31(日) 10:56:02 ID:LC3de7YgO
>>442
日常で何かを感じたり思考がわいたりした時に、そのように思ってるのは誰か?と問い→それは私である。→「私とは誰か?」と更に問う。
と言うのをやってるので、それが習慣化して、夢の中での主体感のなさを感じたのかなと思いました。
(´・(ェ)・`)ゞ

444避難民のマジレスさん:2016/07/31(日) 11:33:36 ID:LC3de7YgO
>>442
(´・(ェ)・`)ゞ
夢の中でゴキを嫌悪してる自分や何かを恐れる自分がいたとして、
それに巻き込まれずに、主体感の無さに気づいていれるかどうかが、今後の夢修行の課題であります。

445避難民のマジレスさん:2016/07/31(日) 12:58:49 ID:wH0JIS760
鬼和尚、
集中も観察も長時間続いていると精神的な疲労と飽きが感じられますが、それらは観念なのでしょうか?
もし正しく集中や観察が行なわれていれば、疲労は生じないのですか?

446避難民のマジレスさん:2016/07/31(日) 13:05:24 ID:adbJwsWI0
鬼和尚さん、こんにちは。>>302です。

鬼和尚さんから回答をいただいてから、普賢菩薩と観音菩薩の瞑想と観察をしてきました。
それで、常に愛や評価を求めてしまう原因となっている記憶が徐々にわかってきました。
観察して思い出してきたことは、自分は幼い頃は親や周りの大人をとても信頼していたということです。
でも、それが何回も裏切られて、その度にショックを受けていたことが思い出されてきました。
例えば、親や周りの大人は自分を応援してくれたり、愛してくれたり、他の子と公平に扱ってもらえると信じ切っていたのに、
それが実はそうではない、という出来事が何度も起こっていたのです。
学校の先生についても同じような記憶がありました。
それは現実には当たり前のことかもしれませんが、幼い自分にはそれらのすべてがショックだったことがわかりました。

そして、今でも、人間関係などで予想外のことが起こると、その度に自分は愛されていない、駄目な人間だ、期待されていない、他の人より大切にされていないなどと、その時の辛い気持ちが同じように湧き起こっていました。
それで私は、人間関係にとても苦を感じていたのです。
でも、こうして原因となっている記憶がわかってきて、もしその記憶がなければと仮定することによって、少しずつ苦が減ってきました。
SNSなどでも他人の評価が以前より気にならなくなってきて、楽になってきました。
また、苦が起こったら、普賢菩薩と観音菩薩の瞑想と観察をしたいと思います。

鬼和尚さん、ありがとうございました。
また、質問が生まれたら教えてください。いつもありがとうございます。

447432:2016/07/31(日) 17:32:50 ID:lqJ/O0ao0
鬼和尚さん
いくつもの質問に答えてくださりありがとうございます。
心の機能のうち感覚、思考や感情、分別の働きなどの
体があるからあるといえるもの以外にはどのような心の機能がありますか?
その機能はロボットなどが持つことができませんか?
よろしくお願いします。

448鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/07/31(日) 21:00:29 ID:30Lz1sus0
>>440 特に危険でもない虫を恐れるのは原因があるからなのじゃ。
 原因がわかればなくなるのじゃ。
 親などに汚いと教わったとか、そのような原因から起こるのじゃ。
 そのような原因がわかれば嫌悪感も無くなるじゃろう。

>>442 日常でも時々そのようであることを気付けば忘我になるじゃろう。
 そして無我にも至れるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじや。

>>445 観念もあるじゃろう。
 肉体が疲れたこともあるじゃろう。
 サマーディにまでいたれば疲労は感じないが、肉体は疲れたり痛んだりするのじゃ。
 適度に休んで励むがよいのじゃ。

>>446 よかったのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>447 肉体には囚われない意識があるじゃろう。
 それは全てにあるからロボットの部品にもあるじゃろう。
 常にあるものなのじゃ。

449避難民のマジレスさん:2016/08/01(月) 12:02:07 ID:zXulYfnQ0
>>448
集中や観察における精神的な疲労には観念と肉体疲労の両方があるのですね。
つとめ励むことと、中道を行くことのバランスが難しいです。
疲労を感じた場合には心と肉体を観察し、本当の疲労かどうかを確かめて進もうと思います。
ありがとうございました。

450避難民のマジレスさん:2016/08/01(月) 20:10:08 ID:md035VSE0
全てに記憶があるなら、隕石の記憶や鉱物の記憶も読み取れるんでしょうか?
できるなら、試してみたいです。

451鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/01(月) 21:11:07 ID:30Lz1sus0
>>449 そうじゃ、休み休み進んだらよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>450 あるじゃろう。
 読むことも出来るじゃろう。
 それもまた観念であるがのう。
 全て夢幻なのじゃ。

452避難民のマジレスさん:2016/08/02(火) 20:32:16 ID:J/EBaLO.0
>>433
ご教授ありがとうございました。
観察を続け、悪意は受け取らないように努めます。

観察について教えて下さい。
思考を観察しようとすると、思考は眉間から内部に入ったあたりの場所で発生しているような感覚があります。
思考を見ている感覚も同じところにあるために、我が考えているのだ、という感覚になるような気がするのです。
思考が観察できている人は、この2つの場所がずれているのでしょうか?

453鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/02(火) 20:34:32 ID:30Lz1sus0
>>452 そうじゃ、違うのじゃ。
 腹とか胸から観ているようになるとよいのじゃ。
 思考とは別に意識があるとわかるからのう。
 思考が止まってもその意識はあると感じることが出来るのじゃ。

454避難民のマジレスさん:2016/08/02(火) 21:13:54 ID:Svi9SdtU0
便乗質問失礼します。
観察を腹や胸から行うコツや心がけのようなものはあるでしょうか。
私は思考も観察も頭頂葉の後ろ半分あたりで行っているように感じます。

455蓮恵:2016/08/02(火) 21:50:17 ID:Tmz36tVU0
延髄や脊椎辺りに意思や思考を超えた意識があるそうですが、この意識にきづいて同化するという手法もよろしいでしょうか。

私の場合、延髄あたりに意識を置いて呼吸すると確かに快楽が得られます、まだ精進が浅いので荒い快楽ですが

456避難民のマジレスさん:2016/08/03(水) 09:44:55 ID:i7A/ZTDE0
和尚さま

ひとりなら思考を流せたり出来るようになってはきたのですが、
人が絡むと、とたんに妄想や自我が暴れはじめてしまいます。

なにかよい静めかたはないでしょうか。

457避難民のマジレスさん:2016/08/03(水) 12:36:15 ID:cVn6W8No0
鬼和尚、
瞑想中に体の外にも意識が広がっているのを感じることがありますが、その体の外の意識に視点を置いて心や身体を観察することはできるのでしょうか?
もしできる場合、体の外の意識やそこから観察された対象が、作り出されたイメージではなく真正なものごとであると、判別する方法はありますか?

458天泣仙人:2016/08/03(水) 16:02:05 ID:ek2vUGio0
ブログでの助言有難うございました。
あれからいくつか気づきがあり、本当に真の悟りに到達出来るのかという不安で
安心の境地に留まってしまっていたようです。
初めて真の悟りに到達出来るという、言葉にするなら確信が生まれました。
究極の悟りに至るまで精進してまいります。


先日座禅でサマーディに入っていた時いつもなら身体が動いた時に
止めていたのですが、そのまま任せるといつもと違う座禅の姿勢になり、
その中で一本の軸が左に少し湾曲していると気が付いたら全身が動き出しました。
終わって観察してみると腹と腰が自然とつり合いがとれて肩が開いて脱力して
足の指が上がって目は開いて思考しようとしても出来ず、全身から力みが抜けていました。
まだ無我を見るものを滅してはいませんがまた少しずつ進めそうです。


ブログで健康についてと私への助言の中でも老病死についてありましたが、
確認してみると突き詰めると死だけが越えられないのだなと思いました。
病に関しては、人は病によって死するにあらずといった通り、
現代医学で何故死んでいるのか分からないと言われた方や、私の曽祖父も
特に病気もしていなかったのに急に朝亡くなっていて警察が入りましたが原因が分からず
結局心臓病という事になりました。
老いについても病より努力は必要になりますが、鬼和尚様の修行法に出会うまでに
ひたすら健康について研究していたこともあり、30過ぎても見た目も体力も10代のままです。
効果のあったものだけを教えた彼女は未だに高校生より若いままです。
全くこのままだとは思いませんが老病は努力で防げると感じます。
しかし死だけはどうやっても防げない。
今まで大きく分けて二度程自ら死に近づいたものは克服しましたが、
10歳頃に何の理由もなく、夜ベッドの中で死について考えて一晩中恐怖で
泣いた事を今でも覚えています。
迷った時はこれが克服出来たかを確認して修行をしていきたいと思います。
色々助言有難うございました。

459鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/03(水) 21:36:10 ID:30Lz1sus0
>>454 いろいろ方法はあるが自分に合ったものを続けるのじゃ。
 例えば腹や胸に目があって呼吸を見ている感じにするとか、
 腹や胸から呼吸音を聞いている感じにするとか、
 小さな自分が腹や胸にいるつもりになるとかなのじゃ。
 自分に合った方法を続けていればそこに意識が移るじゃろう。

>>455 そのような方法でよいのじゃ。
 自然に出来るようになれば一番なのじゃ。
 そのまま続けるとよいのじゃ。

>>456 それもまた流すべき雑念とするがよいのじゃ。
 困難があればそれを超えるために力も身につくのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>457 それも出来るようになるじゃろう。
 本当のものならば観察によって厭離は起こり、心は変化するじゃろう。
 その気付きによる厭離は一瞬で起こるものじゃ。
 どのような時でもわかるじゃろう。

>>458 そうじゃ、そのまま進んだらよいのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

460避難民のマジレスさん:2016/08/03(水) 22:10:30 ID:i7A/ZTDE0
>>459
なるほど。
これはステップアップと捉えて精進いたします。

ありがとうございました。

461避難民のマジレスさん:2016/08/04(木) 12:33:49 ID:DR8a3KFQ0
>>459
ありがとうございます。
体の外の視点からの観察を試してみたのですが、厭離が起きることはありませんでした。さらなる精進が必要そうです。

またその時、空間にも観察する主体を感じたのですが、これは肉体以外の空間に自我が投射されていたということなのでしょうか。

462避難民のマジレスさん:2016/08/04(木) 20:34:04 ID:lqJ/O0ao0
鬼和尚さん
自分はかつてなにかしてもらったことや失敗したことをもとに
要求されたことがあってそれで感謝することや謝ることが
億劫になっていることに気づきました
感謝や謝罪・償いについてどのようなもの、どのような仕方が正しいか教えてください
よろしくお願いします

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/04(木) 21:06:44 ID:CFdzkeZQ0
>>460 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>461 そうじゃ、主体という観念があれば空間にもそれがあると投射してしまうのじゃ。
 主体も客体も無くただ在り続ける意識こそが真にあるものなのじゃ。
 それは主客のない混沌の様に感じられるかも知れんが、分別を離れたありようこそ本来の意識なのじゃ。
 そこに到達するまで精進あるのみなのじゃ。

>>462 自らの偽らない心によってするべきなのじゃ。
 本当はしたくないのに無理にするならば、しないほうがよいのじゃ。
 ただ単に嘘をついていることになるからのう。
 自らの本心からしたいと思うことをするべきなのじゃ。

 世間の付き合いでしなければならない時はそのように付き合いでして居ると自ら認めて行なうとよいのじゃ。
 それによって自分に嘘をついていることにはならなくなるのじゃ。

464避難民のマジレスさん:2016/08/04(木) 22:58:34 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、こんばんは。
夢修行のつづきであります。

今朝は、感情を伴う夢で目覚めたのであります。
ただひたすら、「それが自分じゃないか!」「それが自分ってものだろ!」と、多分、無我の主張に対してイライラしながら、そう思ってるのが自我であると言い張りながら目覚めたのであります。

「自分とは誰か?という」問いの部分がなかったのであります。
肝心なのはこの問いに対して、自我感覚を感じないということの再現性なのであります。
従いまして、くまの夢修行はまだまだ続くのであります。

465避難民のマジレスさん:2016/08/05(金) 20:13:47 ID:dFAk.kvU0
精神的な問題が体質によるものだと分かりました。
体調に難があるので少しずつ無理せず続けていきます。

466鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/05(金) 21:18:50 ID:30Lz1sus0
>>464 そうじゃ、どんどん続けると善いのじゃ。
 またおいでなさい。

>>465  善い気付きなのじゃ。
 自分の性質に気付いたならばそれがもはや見性といえるのじゃ。
 休みながら実践するとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

467入り口の人:2016/08/06(土) 13:40:40 ID:dFAk.kvU0
>>466
ありがとうございます。とても励みになります。

468鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/06(土) 21:28:25 ID:CFdzkeZQ0
>>467 どういたしまして、またおいでなさい。

469避難民のマジレスさん:2016/08/07(日) 06:41:18 ID:J/EBaLO.0
>>453
ご教授いただきありがとうございました。
試みとして観察の起点を頭から首の後ろに変えて、数息観をしてみました。
そこで思ったのですが、数息観においては観察の終点だけがあり、
起点はない状態をめざすのだから、そのような計らいはしないほうがよいのでしょうか?

470避難民のマジレスさん:2016/08/07(日) 13:16:33 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、こんにちは。
夢修行のつづきであります。

「止観」のお陰で感情のコントロールはだいぶできるようになってるのでありまして、それも、感情を抑制したり散らしたりしてるのではなく、抜本的に解消する術を体得しつつあるように思っていたのでありますが、
抜本的解消は自我が有る限り無理なようであります。
夢の中で怒ったりしてるのであります。
その時に、怒ってるのは誰か?→それは私だ。→私とは誰が? とマハリシ問答を試すチャンスであったのでありますが、
怒りにまかせて暴力(敷き布団を殴っただけでありますが)をふるい、拳の痛みで目覚めてしまったであります。

471鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/07(日) 21:22:59 ID:30Lz1sus0
>>469 何でも試してみるとよいのじゃ。
 それが何であろうと実践した事は役に立つのじゃ。
 努力したことは無駄にはならないのじゃ。
 それによって集中力が身につくこともあるじゃろう。
 迷わず実践あるのみなのじゃ。

>>470 そのように夢の中でも己を追及しているならば、無意識に観察していることになるのじゃ。
 気付くことも多くになるじゃろう。
 そのまま自らの追及に励むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

472避難民のマジレスさん:2016/08/07(日) 21:29:15 ID:LC3de7YgO
>>471
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、ありがとうであります。
マハリシ問答は夢とセットで、超有効な気がするであります。
精進精進であります!

473鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/08(月) 20:39:40 ID:30Lz1sus0
>>472 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

474避難民のマジレスさん:2016/08/09(火) 07:32:10 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)鬼和尚、おはようございます。
何かを感じたり、思考したりする主体のことを「自分」と定義してみるであります。
その上で普段私が自分であると思っているものが、本当に自分であるか検証してみるであります。
1)まず、身体は自分でありましょうか?
例えば指先を見つめる。その指でガラ携から文字を打ち込んむ。
定義からすると、指は見られるものであり、また、ガラ携のボタンを感じ押すものであって、言い換えると、見られるものであり、感じる対象であって、主体ではない。
従って、身体(=指)は自分ではない。
2)私は、私の思いを書いてる。
私は、その記憶や思いを、(正しいか間違ってるかは別として)知ることができる=知る対象であるので、「思い」は自分ではない。
客体になる以上主体ではあり得ない。

けど、反省とか自問自答とかたりすることもあり、主体、客体を主観、客観と言い換えるとわからなくなる。
仮に上記のようであったとしても、実感が伴わないのであります。

475避難民のマジレスさん:2016/08/09(火) 19:59:27 ID:LC3de7YgO
今朝の続きであります。今朝投稿してから、いつものように、満員電車瞑想法をやってて、思いついたのであります。
名付けて、日常のなんちゃって無我瞑想であります。、
これは、「止」の応用であります。
雑念、思い、感情がわいきたことにただできるだけ気づいてればよいのであります。
思いや感情は、巻き込まれないように注意さえして、放っておけば消えちゃうのでありますが、なんちゃって無我瞑想においては、雑念が消えるかどうかは取敢ずどうでもよいのであります。。
朝の書き込みの理屈で、思いや感情は客体として気付かれる対象であり、それに気づいてる意識を取敢ず、「自我」と仮定するのであります。
思いに気付いてる意識。うん、これは普通に素直に自我かなと思うところなのでありましょうが、ここで大変なことに気づいたのであります。

気づいている意識とその客体である思いの区別と言うか境界線がわからない、ていうか、同じものとしか思えないのであります。
ここからちょぴっと無理矢理なんでありますが、客体である思いは朝の理屈で自分ではない。
その自分ではない「思い」と区別のつかない気付いてる意識も、自分ではないとする(?)のであります。
自我と思ったものが、あら不思議、自我のでも誰のでもない意識であることを発見してしまったという。
自分を探してみたら、自分のでも誰のでもない意識のみが見つかっちゃったとい・・・
名付けてなんちゃって無我瞑想であります。
で、ところでこの意識はだれの意識かと言うと、ただ一つの意識であり、みなの意識であり、当然自分の意識でもある・・・・
鬼和尚、こんなんで良いのでしょうか?
(´・(ェ)・`)ゞ

476鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/09(火) 21:49:42 ID:30Lz1sus0
>>474>>475 そのようなものでもよいのじゃ。
 いろいろ試していくうちに自分のやり方がわかるのじゃ。
 それらの努力もまた後には役立っていたとわかるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

477避難民のマジレスさん:2016/08/10(水) 21:26:32 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、ありがとうであります。
くまが、止観の止を始めたばかりの時に、かなり早い段階で感情に苦しめられることが少なくなり、瞑想の効果を実感できたのは、、
もしかしたら、このなんちゃって無我を実感できてたからなのかもと思うのであります。
集中するという目標を設定することにより、雑念=観念がわいても、放置して目標に戻るだけで、雑念が儚く消え去る。

その事を繰り返し、
思いや感情に気づく習慣がついてくると、その思いは自分の思いであり、それに気づいているのも普通に自分であると疑わなかったのでありますが、
気づく対象でとしての「思い」や「感情」は記憶に基づく、ひとかたまりの思いや感情であり、
気づく意識は、まんべんなく存在する意識のようにも思えるのであります。
実感として、その両者(主体と客体)を区別できないので、なんちゃってがつくのでありますが、
対象としての思いは、夢の中の思いと同様、儚く消え去るものであり、それは自分ではないと思えるのであります。
でありますから、残るテーマは、なんちゃってただ一つの意識な取り扱いなのであります。

何かよい方法はないでありましょうか?

478鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/10(水) 21:40:12 ID:30Lz1sus0
>>477 それがあると分かるのならば後は観察するだけなのじゃ。
 それがある時、対象もあるとか、ないときは対象も無いとか観察してみるのじゃ。
 観察を続けることで自己同一性がなくなり、厭離が起こるのじゃ。
 そのために縁によって起こるものを観察するようにと、お釈迦様は教えられたのじゃ。
 見えにくい心の表れも、そのように縁によって起こる心の働きを観察し続けるのじゃ。

479避難民のマジレスさん:2016/08/10(水) 22:10:20 ID:LC3de7YgO
>>478
(´・(ェ)・`)ゞ鬼和尚、ありがとうございます。
そう言えば、この前満員電車でなんちゃって無我瞑想法を思いついたとき、いつもは目を閉じて心を観察していたのですが、目に見えるものを観察してみたのであります。
随分前に鬼和尚のブログで読んだ時は観察による厭離ということは実感できなかったのでありますが、見える対象についてその名称を出来るだけ思い浮かべないようにしてひたすら視界に映るもの(吊革)(手)を見ていると、それらが等質と言うか、少なくとも「自分の」手という感じではなく感じられたのであります。
これがブログに書いてあった厭離かなという感じがちょぴっとしました。
はじめてのことではありましたが、格別の驚きとかはなく、ごく当たり前の実感として受け止められました。

未だサマディの経験もないままなので、出来るだけ頭でっかちにならないようにしようとは思うのですが、
すごく、無我の実感に近いところまで来ている気がするので、どうしても知識を求めてしまいます。

瞑想を通して経験してきた小さな実感の多くは、求めると遠ざかり、忘れた頃にあらわれる的なものが多い気がするのですが、、
今回は、思い、観念にとらわれないと言うベースの部分がある程度身に付いてきてるような気がして、あと一息と期待し執着してしまい、こりゃイカン!
とか思うのであります。

兎に角鬼和尚のご助言に従い観察に徹します。
がんばります。

480避難民のマジレスさん:2016/08/11(木) 15:01:38 ID:Nfs/DUgU0
山岡鉄舟やその師の龍沢寺の星定、天龍寺の滴水はどこまで悟っていたのですか?

481鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/11(木) 21:14:35 ID:30Lz1sus0
>>479 そうじゃ、それが厭離なのじゃ。
 観察が完全になれば肉体も常に自分のものではないと感じるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

>>480 鉄舟は衝気があるという歌を残しているから気が上昇し、サマーディには達していたのじゃろう。
 見性もしていたようじゃ。
 自分の本性を観たのじゃ。
 しかし悟っては居ないのじゃ。
 
 それを大悟徹底という師匠もそれと同じゃろう。

482480:2016/08/12(金) 01:15:12 ID:Nfs/DUgU0
>>481
悟っていないんですね。凄そうな人達だったんでしょうけれど。
どうもありがとうございます。

483鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/12(金) 21:40:29 ID:30Lz1sus0
>>482 どういたしまして、またおいでなさい。

484避難民のマジレスさん:2016/08/13(土) 00:21:04 ID:LC3de7YgO
(´-(ェ)-`)鬼和尚、こんばんは。
瞑想時に浮かぶ雑念、「思考」はひとかたまりの対象としてあり、それが浮かんだことに気付き、放っとけば消えちゃうのであります。
それに気づいている意識も、その儚く消え去る思考の一部なのか、別のものなのか、 それを観察して見極めたいであります。
無分別が、「観」の基本的手法でありましょうから、そもそも主体と客体に分けない方がよいのでありましょう。
主客を分別しなければ、未だ区別のつかない思考とそれに気付く意識も、ともに自分ではないという方向によって行くのか、
はたまた「自分の」気付いてる意識というかたちで、気付いている意識にへばりつく「自分の」の部分だけ剥げ落ち、意識だけ残るのが、見極めたいのであります。
見極めるだけではダメでありまして、実感できるかだと思うのであります。
なんちゃってただ一つの意識からなんちゃってをはずせるかどうかの正念場であります!

485鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/13(土) 21:16:05 ID:30Lz1sus0
>>484 善いことじゃ。
 精進していれば悟りは向こうからやってくるじゃろう。
 またおいでなさい。

486避難民のマジレスさん:2016/08/13(土) 23:32:29 ID:VTWLbfFA0
>>471
ご教授ありがとうございました。
首の後ろも意識しつつの数息観を続けてみます。

487避難民のマジレスさん:2016/08/14(日) 19:55:20 ID:czRftzgI0
明日20時から阿部敏郎氏と向禅師がラジオ番組をするそうです。
和尚さんもここの人たちも興味があればどうぞ
アドレスは「リーラ」という阿部氏のブログにあります。

488避難民のマジレスさん:2016/08/14(日) 20:24:55 ID:z45cW9Sc0
阿部さんはサマーディまで行った人ですね?

489鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/14(日) 20:52:22 ID:30Lz1sus0
>>486 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>487 興味はないのじゃ。
 
>>488 本人が本当のことを言っているならばそうじゃろう。
 違うなら違うのじゃ。

490避難民のマジレスさん:2016/08/16(火) 19:29:55 ID:AipjnUiU0
鬼和尚さん

私は観察する心と、思考する心の区別がついていない気がします。
思考している自分を観察しようと思ったとたん、思考が消えてしまうので、思考する心が観察する心に変わっただけのように感じます。

どうやったら思考する自分を観察できますか?

491鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/16(火) 21:49:42 ID:CFdzkeZQ0
>>490 それには集中の瞑想をするのじゃ。
 集中力が身につけば思考も観察できるのじゃ。
 数息観などの集中の瞑想わすれば集中する意識とは別に、思考が流れていくことが認識出来るのじゃ。
 最初は思考に巻き込まれてしまうが、次第に集中力が身につけば、思考をそのまま流れるままにしておけるのじゃ。
 そのようになれば思考は意識とは別に流れていくことを観察できるのじゃ。
 
 集中と観察は二つで止観としてお釈迦様が伝えているのじゃ。

492避難民のマジレスさん:2016/08/16(火) 22:17:46 ID:LC3de7YgO
>>491
(´-(ェ)-`)鬼和尚、こんばんは。
1)>集中する意識とは別に、思考が流れていくことが認識出来る
2)> 最初は思考に巻き込まれてしまうが、次第に集中力が身につけば、思考をそのまま流れるままにしておける
3)>そのようになれば思考は意識とは別に流れていくことを観察できる

↑その通りになったのであります。

確かに、思考と意識は別にあるのであります。
で、思考だけでなく、視覚、聴覚等の感覚とかも、その意識でそれらが生じたことを捉えるのであります。
意識は器のようなものであり、内容は無いのでありますが、常にそれらとともにあるので、区別がつきにくく、
折角儚い思考感情が自我ではないと思えても、それに気付いている意識そのものが自我と感じてしまうのであります。

理屈で考えると、内容であるところの思考や感覚は個としての記憶に照らし会わされてあるものだから、自分であると感じたとしても、
内容のない器である意識を自分と感じるのは何故なのか・・・・

なかなかどうして無我は近くて遠いいと感じるであります。

493避難民のマジレスさん:2016/08/16(火) 22:31:44 ID:LC3de7YgO
>>492
(´・(ェ)・`)b 自分でかいててひらめいたであります!

>内容のない器である意識を自分と感じる

←これは、自分とは内容のない者・・・というと何か愚か者みたいでありますが、そういうことではなく、
思考や視覚等が自分ではないと言う実感を徹底することができれば、残るのは内容のない器のような意識だけであり、仮にそるが自分という感覚が最後まで残ったとしても、
内容が無いとは、「無」ということであり、「無」の「意識」が「自分」で無我。

こんなんでも「無我」の実感と言えるでありましょうか?

494避難民のマジレスさん:2016/08/16(火) 23:02:50 ID:Autu12zY0
>>492
数息観を続けているものの>>490さんと同じ状態で1年半進歩なしでいます。
不躾ですが、もしよければ
どのくらいの期間で出来るようになったか
教えていただけないでしょうか

495避難民のマジレスさん:2016/08/17(水) 07:58:26 ID:LC3de7YgO
>>494
恐縮であります。
>そのようになった。
と言うのは、思考とその思考が生じたことに気付く意識が別のものであると自覚できると言う意味で書きました。
ちょぴっと違うはなしでありますが、ブログで鬼和尚が投射と言う言葉をもちいてアラヤシキを説明してましたが、その説明を読んでも、いったい何が何に投射するのか、さっぱりわかりませんでした。
今読めば少しはわかるかもしれないと思ったりします。
投射に気付くためのスクリーン、私がここで書いた内容の無い器みたいなものが、意識であり、明らかにその内容物とは別のものであるという感じであります。

瞑想をはじめてからは、鬼和尚と出会う前も入れると10年以上になると思いますが、ずっと続けていたわけではありません。

>観察する心と、思考する心の区別がついていない気がします。
↑この点については、浮かんでは消える思考、雑念=「心」と、それに気付く「意識」というように言葉を変えてみるとわかりやす気がします。
意識とは思考だけでなく視覚、聴覚その他、それがあることに気付いてる意識であり、瞑想で無思考に近い状態になっても、その状態を観ている意識の存在は確かにあるでありましょう。思考や感覚等内容は次々に変わっても、常にあるのが無色透明な気付いている意識・・・といった感じであります。

とは言え私自身、その思考と意識は別のものであると感じても、その境界線があいまいであり、またその意識が自分であるというように感じている現状なのであります。
で、極力無分別の観察、言葉による分析を排した観察ができたらなと思ってるとのであります。
(´・(ェ)・`)ゞ

496避難民のマジレスさん:2016/08/17(水) 15:33:49 ID:O3BQV4t.0
>>491
鬼和尚さん、ありがとうございます。
納得しました。
数息観が必要な理由がわかりました。
できるだけだけ数息観も行おうと思います。

497避難民のマジレスさん:2016/08/17(水) 15:34:39 ID:O3BQV4t.0
>>494-495
参考になりました。
ありがとうございます。

498避難民のマジレスさん:2016/08/17(水) 16:29:58 ID:6ZZgOq8Y0
鬼和尚様

龍樹は悟っていますか?大悟徹底していますか?

最近の多くの人はサマーディを悟りと呼んでしまっているように思います。

499避難民のマジレスさん:2016/08/17(水) 17:15:23 ID:NEAViX7o0
>>495
お返事ありがとうございます。
> 浮かんでは消える思考、雑念=「心」と、それに気付く「意識」というように言葉を変えてみるとわかりやす気がします。
読んではっとしました。漠然とですが何かに少しだけ近づけた感じがします。
貴重なアドバイス本当にありがとうございました!

500鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/17(水) 21:41:14 ID:30Lz1sus0
>>492 それが投射なのじゃ。
 内容の無い器の意識でも自分のイメージと名前を投射することで自分と認識するのじゃ。
 それが確かに観えるまで精進あるのみなのじゃ。

>>493 それは無我と考えただけなのじゃ。
 自我を観察しなければ無我には至れないのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。
 
>>496 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>498 悟っていないのじゃ。
 止観もわかっていなかったのじゃ。
 そうじゃ、サマーディと悟りを同じと思ってしまっているのじゃ。
 そこから更に自我を観る観照を経て、認識をも滅せ無ければ真の大悟徹底とはいえないのじゃ。

501避難民のマジレスさん:2016/08/17(水) 22:02:30 ID:LC3de7YgO
>>500
(*´(ェ)`*)ゞ鬼和尚、ありがとうございます。
>それは無我と考えただけなのじゃ。
で、ありますよね。
昨夜は良いひらめきだと思ったのでありますが、考えただけど済むわきゃないですよね。
極力思考介在させないで、観察に没入すべく精進するであります!

502鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/18(木) 21:26:30 ID:30Lz1sus0
>>501 そうじゃ、実践によってのみ人は進歩していくのじゃ。
 またおいでなさい。

503避難民のマジレスさん:2016/08/20(土) 09:06:49 ID:czRftzgI0
大悟徹底に至った者は死後もはや地球人や高次の異星人として転生する必要がなくて、そのまま神ないし仏になリ、人間を指導したり、見守ったりするのでしょうか?

504鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/08/20(土) 21:55:39 ID:30Lz1sus0
>>503 人として生きたり、転生するというのも幻想であったのじゃ。
 常に変わらぬ意識だけがあると言えるものじゃ。
 やがて全ての衆生はそこに還っていくじゃろう。
 それしかないのであるから確実なのじゃ。
 それまで見守るといえば見守ることにもなるじゃろう。

505鬼ふぁn:2016/08/21(日) 00:54:07 ID:L7mAX/Uw0
ストレスによる頭のもやもやは泣けばスッキリします。
胸のもやもやは笑えばスッキリします。
下半身のもやもやはオーガズムでスッキリします。
チャクラとか丹田とかそういうのは仏教の話にあまり出てこないような気がします。

506鬼ファン:2016/08/21(日) 01:03:18 ID:L7mAX/Uw0
先走って書き込みしてしまいました。

オーガズムはなんだか大切で本質的なことのような気がします。
仏教でそういう話題はあまり出てこない気がするのですが。
オーガズムというか、そういう発散?カタルシス?について何か教えてもらえないでしょうか。

すごい ふざけたことなんですが、わたくし性的な興奮が高まると、ごめんなさいと謝り続けるのですが関係あるのでしょうか。
少し妄想が入ってるかもしれません。語りたい尋ねたい年頃です。よろしくお願いします。


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