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鬼和尚に聞いてみるスレ part6

539鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/02/29(月) 21:19:13 ID:9JVC/W.c0
>>539 そのようじゃ。
 語源として破壊するという意味があるから、元々世間は在るものが破壊されていく所じゃと言っているのじゃろう。
 無常とかじゃな。

>>535 観念ではない意識も確かに在るものじゃ。
 それが観念を抱けば苦を持ち運ぶ者になるのじゃ。

 それは自らの意志で出来るものじゃ。
 手を見て爪が汚いとか気づけば、それが観察による気づきなのじゃ。
 観察しようとする強い意志があれば自我も観ることができるのじゃ。

>>536 よいことじゃ。
 後一歩進むのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>538 そうじゃ、報いじゃ。
 やめたらよいのじゃ。
 これからは人に与える事を実践するのじゃ。

540535:2016/02/29(月) 23:58:29 ID:Z1Py.7dI0
>>539
お答えありがとうございます
自分にはまだよくわかりませんがお答えを参考に地道に精進したいと思います

541437:2016/03/01(火) 09:15:53 ID:5LmyN94o0
和尚さま
観念から離れた認識があるのを見ました
観念が認識に付随して起こるのを見ました
そして観念もまた認識されうるものであると見ました
もろもろのチャクラへの意識が邪魔になるので空観してみたら良いことがありました
やはりチャクラは意識にも関わっているのですね

542避難民のマジレスさん:2016/03/01(火) 12:34:10 ID:56d.D3n60
鬼和尚、
苦滅の法により苦はだいぶ厭離できるようになったのですが、快をもたらす観念の厭離にてこずっています。
おそらく良いと認識している自我の部分を破壊することを避けているのではないかと思うのですが、何かヒントがありましたら、お教えください。

543437:2016/03/01(火) 17:00:18 ID:5LmyN94o0
和尚さま
日常生活でふいに思考が止まるような瞬間が結構あるんですが、大丈夫でしょうか

544鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/01(火) 21:20:25 ID:9JVC/W.c0
>>540 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>541 良かったのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>542 そのような自我の働きによって快楽の厭離を阻む仕組みをも観察してしまうのじゃ。
 観察そのものになりきり、自我を超えた作用に進むのじゃ。
 今までの精進があれば出来るじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>543 それでよいのじや。
 誰でも思考はたびたび止まっているものじゃ。
 それが観察できるようになっただけなのじゃ。
 恐れずに進むのじゃ。

545避難民のマジレスさん:2016/03/02(水) 12:51:19 ID:OnIK5E9A0
鬼和尚さま

自分の性質、性格に適した師、本、瞑想メソッドを判断するにはどうすれば良いでしょうか。
世の中には瞑想、禅、ヨーガ、祈念等、様々な修行法があり、その修行法も教える師によってまた異なると思いますが、
何を基準に自分に適するそれらを判断すれば良いでしょうか。

546避難民のマジレスさん:2016/03/02(水) 13:38:30 ID:OnIK5E9A0
>>545
ちなみに私はエニアグラムの性格診断では観察者らしいです。

547437:2016/03/02(水) 17:33:36 ID:/.0K61Zw0
和尚さま
頭がおかしくなったかもしれません。
何故か何でもないことで、笑いが止まらなくなりました。
電信柱を見て笑ってしまうレベルです。

548避難民のマジレスさん:2016/03/02(水) 20:34:26 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)ゞ
「解脱」という言葉は、仏教では一般に輪廻からの解脱を意味しているように言われますが、観念からの開放と言い換えても良いのでしょうか?

549鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/02(水) 21:23:37 ID:9JVC/W.c0
>>545 実践してみて楽しく続けられるのが自分にあった方法なのじゃ。
 楽しく続けられるならば長く実践していけめのじゃ。
 無理にやっても続かなければ意味が無いのじゃ。
 日々続けることで自分でも思わなかった程の境地にも到達できるのじゃ。

>>547 頭に気が上っているようじゃ。
 冷やすとよいのじや。
 胸に集中するとか、気が足まで下がっていくイメージを思い浮かべるのじゃ。
 いろいろ試してみるのじゃ。

>>548 それでもよいのじや。
 見解は自由なのじゃ。
 実践によって証明するのじゃ。

550437:2016/03/02(水) 21:35:53 ID:qp2uMkD60
>>549
ありがとうございます。
かねてより額のチャクラに違和感があり、さらに先日には頭頂のチャクラから気が入ってきたので頭に気が上っているといわれてハッとなりました
また、頭から気が入った影響で尾てい骨に刺激が入ったのでクンダリニー昇るかと思いました
慧眼恐れ入ります。
なんその法とかですね。

551避難民のマジレスさん:2016/03/02(水) 22:54:18 ID:LC3de7YgO
>>549
鬼和尚、ありがとうございます。
見解は自由、言葉は方法を伝えることが出来るのみ。
頑張ります!(´・(∀)・`)/

552避難民のマジレスさん:2016/03/03(木) 08:40:02 ID:rGa2MTIo0
>>549
ありがとうございます。

553避難民のマジレスさん:2016/03/03(木) 13:06:47 ID:dQsdOM9E0
心と呼吸のリズムには相関関係があるという話を聞きました
悟った人は心が動かないので、呼吸も一定ですか?

554鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/03(木) 21:26:09 ID:9JVC/W.c0
>>550 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>551 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>552 どういたしまして、またおいでなさい。

>>553 そうじゃろう。
 早くすることも出来るのじゃ。
 遅くすることも出来るのじゃ。
 自在なのじゃ。

555避難民のマジレスさん:2016/03/04(金) 19:49:40 ID:amws/c7g0
いつも教えていただきありがとうございます。
これまでご指導を受けたり試行錯誤してみたりしましたが、
いまだに感情の観察がどういうものか、掴めません。
なので、物体の観察をもっとやってみようと思います。
そこで質問なのですが、

1.観察の対象は自分の体である手がよいのでしょうか?
それとも無機物でもなんでもよいのでしょうか?

2.観察の対象を決めたら、しつこく同じものの観察を続けたほうがよいのでしょうか?
それともいろいろなものを観察してもよいのでしょうか?

556鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/04(金) 20:12:41 ID:9JVC/W.c0
>>555 1 手がよいのじゃ。
 何度も観察して自分の手という感覚が無くなれば厭離できたのじゃ。
 
 2 自分のものという感覚がなくなるまで手を観察するのじゃ。
 自分のものという感覚がなくなれば足とか腹とかを観察すると良いのじゃ。
 顔とか首は鏡を使うと良いのじゃ。
 全身観察して自分のものという感覚がなくなれば、肉体を己と思う謬見が無くなったのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

557避難民のマジレスさん:2016/03/04(金) 20:47:24 ID:amws/c7g0
>>556
ご教授ありがとうございました。
質問が多くて恐縮です。

1.手を観察するにあたり、手は動かさずに凝視すべきでしょうか?
それとも動かして舐め回すように観察すべきでしょうか?

2.自分のものでないという感覚は、
観察をやめたあとも持続するものでしょうか?

558437:2016/03/04(金) 22:07:47 ID:QK9IoOxY0
和尚さま
日頃お世話になってます
頭に気が上りすぎている状態も楽になりました
最近では習慣や記憶、感情が己であるという謬見への気づきが得られました
ありがとうございました

559437:2016/03/05(土) 08:55:15 ID:5LmyN94o0
それら謬見が苦を生んでいるのがわかり、完全にではないですがそれらの謬見の一部から解放され、少し楽になったかと思います。

この世の人間は皆苦しむものですが、釈尊の慈悲と叡知に触れる方がひとりでも多くあればと思います。

560鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/05(土) 21:27:12 ID:YbzAtmTM0
>>557 1 どちらでもよいのじゃ。
 動かしても動かさなくてもよいのじゃ。
 好きなように観察するのじゃ。

2 続くのじゃ。
  新しい習慣が根付くまでそれは続くのじゃ。

>>558>>559 良かったのじゃ。
 さらに精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

561避難民のマジレスさん:2016/03/05(土) 23:08:09 ID:amws/c7g0
手を動かして観察すると、自分の意志通りに手が動いている気がして
自分のものであるという感覚が強化されるように思います。
単純ですが難しいです。頑張ってみます。
ご教授ありがとうございました。

562鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/06(日) 20:58:11 ID:9JVC/W.c0
>>561 なぜ思い通りに動くと自分のものと感じるのか、その原因も観察してみるのじゃ。
 わかれば他の肉体の部分も同じように厭離できるじゃろう。
 そのように進むのじゃ。

563避難民のマジレスさん:2016/03/07(月) 19:43:53 ID:AiCTbs1Y0
鬼和尚さま

鬼和尚さまは自分以外の悟った人と直で会ったことがありますか?
もし会ったことがあれば聞ける範囲でどうだったのかお聞きしたいです

話は前後しますが、鬼和尚さまも修行している頃は師匠を探したり、自称悟った人の話を聞きに行ったりしたのでしょうか?
それともサイの角のようにじゃないですが、一人で修行したのでしょうか
釈迦もよき友人を持てと言ってますが、共に歩んだ友人の方には鬼和尚さまのように悟ったりした方もいるのでしょうか?

564避難民のマジレスさん:2016/03/07(月) 21:05:26 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
鬼和尚が言葉が伝えることができるのは方法だけと仰り、その言葉で伝えていただいた修行を少しづつでも実践してると、本当に苦しみが少なくなってきて、一つでも実感できるともっともっとと追求したくなり・・・歩みは遅くとも、さぼってばかりいたとしても、何とか鬼和尚が生きてる間に一歩でも近づきたいと思うであります。
(´・(ェ)・`)/

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/07(月) 21:27:18 ID:9JVC/W.c0
>>563 ないのじゃ。
 
 それもないのじゃ。
 経を読んだりしていたのじゃ。
 誰もいないのじゃ。

>>564 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

566避難民のマジレスさん:2016/03/07(月) 22:25:14 ID:vhqXi4pM0
いつも教えていただきありがとうございます。
アラヤ識に気づくためにはどのような方法が最適でしょうか?

567563:2016/03/07(月) 23:33:09 ID:AiCTbs1Y0
>>565
鬼和尚さま
お答えありがとうございます。

今回のお答えも含め鬼和尚さまのお話を聞いてると、ほんと悟った人というのはなかなかいないようですね。

釈迦の当時の話を読んでると弟子たちが悟ったりけっこうな数の悟った人がいたみたいですが、
あれは小悟ぐらいの人も含めてるのでしょうか

仏典結集には阿羅漢が集まったようなのでお釈迦さまと同じ境地に達した阿羅漢が当時は相当数いたのでしょうか
だとしたら何故当時と現代と悟りやすさが違うのですかね。

当時と現代では人々の観念の多さや素直さなどが違うのでしょうか
それとも業や行いなどで、悟れる人がお釈迦様と同じ時代に集まって生まれたのでしょうか

568避難民のマジレスさん:2016/03/08(火) 15:20:53 ID:uGIhZuLw0
和尚さま

娘(17)に子供ができてしまったようです。
初めはちょっと何言ってるのかわからないという感じで
いやいやいやいやおまえは馬鹿かと言ってたのですが、

私自身が仏教思想でもあるため降ろすことは候補になく
かといって年端もいかぬ子供がそんな責任を背負えるのかと考えると
これも良しとは言えず。

ほとほと困り果てそれでも思案していると、これはどうあっても詰んでいると気づいたあたりで、
それならいっそ楽しんでしまえばいいんじゃねってなって、妙に楽観視している自分がいるのですが、

こんな感じでもよろしいのでしょうか。

569鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/08(火) 22:44:20 ID:9JVC/W.c0
>>566 それにはやはり集中力と観察力を養う止観の法しかないのじゃ。
 この文字を文字と認識する素早い心の働きが阿頼耶識の働きなのじゃ。
 無意識のうちに高速で働く阿頼耶識に気づくには心を止め、心をありのままに観察する止観の法より最適な法はないのじゃ。

>>567 みんな悟っていたじゃろう。

  元々インドには修行者が多かったのじゃ。
 弟子たちもお釈迦様に会う前から修行していた者が多かったのじゃ。
 舎利佛や目連は死を超える境地を求めて修行し、大迦葉も自分の教団を持つ者であったのじゃ。
 瞑想によって集中力があれば観察も容易になるのじゃ。
 心がコントロールできるからのう。
 基礎ができているから悟りを得るのも容易になったのじゃ。
 しかし実はお釈迦様が生きていた時期に悟っていたのは16羅漢だけであったというのじゃ。
 
>>568 そうじゃ、楽しんだらよいのじゃ。
 子供は宝じゃというのじゃ。
 宝ができたのであるから楽しいのじゃ。
 一緒に育てたらよいのじゃ。

570避難民のマジレスさん:2016/03/08(火) 23:16:19 ID:uGIhZuLw0
>>569
和尚さま、お返事ありがとうございます。

孫ができるのもまた一興、なんて言ってたら、
周りから非難の声を浴びせられて
自分の感覚がおかしいのかなと疑の念が浮かびつつあったのですが、
おかげさまで自信が持てました。

この際だから、周りが羨むくらい楽しんでみようと思っております。
(ただ今のところ、相手方の親御さんは反対なさっているようですが)

ありがとうございました。

571563 567:2016/03/08(火) 23:31:04 ID:AiCTbs1Y0
>>569

鬼和尚さま
お答えありがとうございます。

なるほどたしかにお釈迦さまの弟子になったのは当時の瞑想トップエリートですし悟れて当然みたいなものですね。
ただお釈迦さまが生きていた時期に悟っていたのが16羅漢だけというのは意外に少なかったです。
そうなると死後、仏典結集のとき阿羅漢が500人集まったというのも誇張なんでしょうか

ちなみにクリシュナムルティなどが仏陀のエネルギーがどうこうと語った話もあるようですが、
ああいうのはどういう意味ですか?
お釈迦さま、あるいは悟って死んだ者のエネルギーなりなんなりが現代に影響を与えるということはあるのでしょうか?

572避難民のマジレスさん:2016/03/09(水) 19:50:00 ID:amws/c7g0
>>569
ご教授ありがとうございました。
私は浅学なもので、使う言葉を間違えてしまったかもしれません。
私の気づきたいのは、ひとによって首のうしろや胸あたりにあると感じられるという
ひたすら観るだけの意識のことでした。
毎日数息観をしていますが、やりかたがまずいのか自分の進歩が感じられません。

573鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/09(水) 20:29:39 ID:9JVC/W.c0
>>570 そうじゃ、楽しんで育てるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>571 そうじゃろう。
 昔の話は誇張が多いからのう。
 50人もお釈迦さまの死後に悟っていればよいほうなのじゃ。
 
 お釈迦様のエネルギーが残るとかそのような事は無いのじゃ。
 督励のために言ったのじゃろう。

>>572 そのような意識は確かに感じられるものじゃ。
 しかし集中によってそれを感じるまでに至っていなければ無意味なのじゃ。
 首や胸に集中してそこだけに感覚があると、脳の思考が静まっても意識は在ることがわかるのじゃ。
 自分とは思考であるとか目や耳などの頭部の感覚に主体を投射していればなかなか気づくことも出来ないのじゃ。

 そのような時も観察によって自らの主体が何であると感じているのか、気づけば変化するじゃろう。
 気づくことで進歩していくのじゃ。

574避難民のマジレスさん:2016/03/09(水) 20:54:32 ID:LC3de7YgO
>>573
(;(へ);)えっ!
2500年で50人でありますか・・・・
龍明には無理でありますね

575避難民のマジレスさん:2016/03/09(水) 20:57:44 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)ゞもしかして、500人集まったのではなく、50人くらいでしょうということでありましょうか?

576避難民のマジレスさん:2016/03/09(水) 23:32:28 ID:NIN2I9Bk0
鬼和尚様
自分はお腹に大きな空間がある様な感じで集中しています。その空間に入り込んで行くと宇宙空間の様なんとも表現の出来ない場所です。
こんな感じで日々坐禅をしていますが、どうなんでしょうかアドバイスがございましたらよろしくお願いします。

577571:2016/03/10(木) 00:17:50 ID:AiCTbs1Y0
>>573

鬼和尚さま
お答えありがとうございます。

釈迦の存命時やその後悟った人が思ってたより少ないのでちょっとショックでしたが、
だからといってどうすることもできませんし、地道に精進したいと思います。
ありがとうございました。

578避難民のマジレスさん:2016/03/10(木) 21:03:38 ID:s.P4fB3A0
鬼和尚、質問です。

和尚のブログに「もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、
同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。 」とありますが、

この”気付く”は現在進行形で幾つもの雑念が観えるということでしょうか?
それとも、意味が判る、理解できるということでしょうか?

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/10(木) 22:05:14 ID:9JVC/W.c0
>>574>>575 そうじゃ、結集に集まった者たちなのじゃ。
 後には1250人の阿羅漢になったというのじゃ。
 おぬしもできるじゃろう。

>>576 それでよいのじゃ。
 思考が止まり、意識があると気づけば集中は完成なのじゃ。
 囚われなければ集中する対象はなんでもよいのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>577 そうじゃ、おぬしも出来るじゃろう。
 またおいでなさい。

580鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/10(木) 22:07:41 ID:9JVC/W.c0
>>578 瞑想している時等に全て同時に感じられるのじゃ。
 一度気づけば日常でも感じられるじゃろう。
 意識も肉体も同時にいくつもの仕事をしているからのう。
 それに気づけるようになるのじや。

581578:2016/03/10(木) 22:44:19 ID:s.P4fB3A0
>>580
お答えいただきありがとうございます。
理解できました。
実践します。

582避難民のマジレスさん:2016/03/10(木) 22:58:40 ID:amws/c7g0
>>573
ご指導ありがとうございました。
コツコツ数息観を続けます。

583避難民のマジレスさん:2016/03/10(木) 23:27:25 ID:NIN2I9Bk0
思考が止まり、意識があると気づけば集中は完成なのじゃ。
 囚われなければ集中する対象はなんでもよいのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。
鬼和尚様お答えありがとうございます。何事にも囚われず精進します。

584避難民のマジレスさん:2016/03/11(金) 04:26:52 ID:ObI.o8W.0
いつもお世話になっております
観察のヒントを下さい
喉と胸のあたりに緊張感があります
物音がうるさかったりすると、このあたりから「うるさいな」など思考が出てくるように思います。
外出したりすると、このあたりがまわりを注意したりしてるような気がします。
不安なことがあると、このあたりが不安になります。
就寝前、寝ぼけてる時は、このあたりは緊張が薄くなっています。
感情と思考が関係している気がしますが、感情思考は脳みそがやってることなので、観察が間違ってるんじゃないかと思ったりもします。
いつも漠然とこの感覚を観ようとしますが、いまいち進展がありません。
なにかアドバイスおねがいします。

585避難民のマジレスさん:2016/03/11(金) 12:04:06 ID:DR8a3KFQ0
>>544
ダンマパダの
31 いそしむことを楽しみ放逸におそれをいだく修行僧は、微細なものでも粗大なものでもすべて心のわずらいを、焼きつくしながら歩む。ー燃える火のように。
ですね。
苦滅による快適な状態に安住していました。
やはりこのまま本当のことが何も分からずに死にたくはないので、苦・快関係なく気づいた時には常に本心を観察しつづけようと思います。
励ましてくださり、ありがとうございました。

586437:2016/03/11(金) 13:29:20 ID:5LmyN94o0
和尚さま
どうしても自我があるという謬見はある程度は薄くなりましたが、どうしても防衛反応みたいなものがあって外界の影響から肉体、精神を守ろうとするような潜在意識が自我を強固にしているようですが、何か解決策をご教授願いたいです。

あと、集中の行が結構苦手です。

587鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/11(金) 21:05:32 ID:9JVC/W.c0
>>581 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>582 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>583 どういたしまして、またおいでなさい。

>>584 それは間違いではないのじゃ。
 感情などは脳よりもむしろ肉体で感じることが多いのじゃ。
 肉体の反応が感情として認識されるのじゃ。
 肉体の反応を変えれば感情も変化するのじゃ。
 そうであるからその観察は正しいのじゃ。

 世間の常識などには囚われずに自分の感じたままを受け入れるのじゃ。
 その矛盾に戸惑っている今の自分も観察してしまうのじゃ。
 そうすれば先に進むことも出来るようになるじゃろう。
 恐れずに進むのじゃ。

>>585 そうじゃ、日々修行を続ければ悟りは向こうからやっくるじゃろう。
 またおいでなさい。

>>586 その防衛反応を詳しく観察してみるのじゃ。
 それもまた自我ありという観念から来ているものであるから、自我の反応を観察する役に立つのじゃ。
 自我があるという観念から、自我を防衛しようとする観念が起こると観察するのじゃ。
 自我があるという観念がなければ、自我を防衛しようとする観念も無いと観察するのじゃ。
 それができれば消えるじゃろう。

 集中もまた観察によって進んでいくじゃろう。
 自我が忘れられただけでもサマーディに自然に入れるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

588584:2016/03/11(金) 21:16:37 ID:ObI.o8W.0
>>587
鬼和尚さんありがとうございます。
この緊張が解決できれば、いろいろとイージーモードになる気がします。

>肉体の反応が感情として認識されるのじゃ。

参考になりました。自分で確かめます。

589437:2016/03/11(金) 21:55:14 ID:5LmyN94o0
>>587
仰られる通り観察がある程度進んでから、集中の行も微々たるものですが進歩がみられました。

ありがとうございます。
観察の行とは修羅道のようなものですね。

590避難民のマジレスさん:2016/03/11(金) 23:07:23 ID:LC3de7YgO
こんばんは(´・(ェ)・`)/鬼和尚。
以前、oshoの信心銘をくれた人から今夜は、oshoの十牛図とクリシュナムルティの瞑想録をもらいました。
まず、十牛図から読みはじめます。

クリシュナムルティは子供の頃読もうとして、わかりやすいのに難解だという印象でしたが、今読んだらどんな印象か楽しみであります。

591素人A:2016/03/12(土) 07:40:08 ID:DS8MQdvg0
人間代表の韓国プロ棋士は2連敗して今日負けたら棋界のオマケとなる。もう勝てるのか勝てないのかアルファあはヘボ位
てを打つ手ばかりと批判されて楽勝だとか言われても何か数えると人間土地の大きさで負けているわからん理解出来無い
強いのかでも負けているので強いんだろうプロの人もそう言っているしコンピューターソフトは自分で学習して自分で
判断して強くなるシステムという今まではプログラマーがあれこれ考えて強くしていたけどあまり強くなかつたけど
急に来た。もう人間何やっても叶わない時がドンドンくるしロ没ともドンドン来るでも人間のいいところは愚かさというか
動物てき煩悩とその上の智慧を両方もつ人々だし良いとこあるんだけど合理的な悟り能力だけではなく愚かさがあるから
人間◎だし、これからおまけとして生きていけるのだろうかロ没とが坐禅すれば雀も泣かない完璧な坐禅はよそうムダも
取り入れる世界になるのだろうか先は止そう出来無いけど長生きして見届けたい楽しんでいるのか?悲しい正解を

592鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/12(土) 20:51:11 ID:9JVC/W.c0
>>588 そうじゃ、自ら確かめるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>589 そうかもしれん。
 初め厳しいがあとになるほど楽になるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>590 善かったのじゃ。
 学ぶのも修行なのじゃ。
 またおいでなさい。

>>591 マシンに負けないように精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

593避難民のマジレスさん:2016/03/13(日) 15:12:05 ID:SPtIooco0
アルファ碁が人類最強棋士に完勝し続けています。
このアルファ碁はただのプログラムですが
アルファ碁に人間と同じような意思を持っていると思ってしまうことが
認識の錯誤でしょうか?

594鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/13(日) 19:48:39 ID:9JVC/W.c0
>>593 そうじゃ、自らの意思を投射してしまうのじゃ。
 そこに主体や自我があるとさえ思うのじゃ。
 一切が本来無我であるが自我かある者が見れば、自我があると錯誤するのじゃ。

595<削除>:<削除>
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596<削除>:<削除>
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597避難民のマジレスさん:2016/03/14(月) 18:02:22 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚は綺麗な異性を見たらセックスしたいと思いますか?

598避難民のマジレスさん:2016/03/14(月) 19:46:56 ID:.IZiI4JQ0
鬼和尚は悟っていて自我がないので、誰にも自我を見ないのでしょうか?

599鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/14(月) 21:59:31 ID:9JVC/W.c0
>>597 わしは何も思わないのじゃ。
 誰を見ても骨の塊を見るようなものじゃ。
 
>>598 そうじゃ、本当は無い自我に振り回されている人間が見えるのじゃ。
 それ故に人も簡単に悟れると思うのじゃ。
 実際はかなり難しいと知識によってわかるのじゃ。

600素人A:2016/03/15(火) 07:44:28 ID:DS8MQdvg0
鬼和尚さん名探偵の推理する映画を見ているとき隣で前に見た人がのこつていて
自慢げにこの人が犯人でこうなつてこうなるとかぶっぶっ言うのが聞こえたら
波乱万丈も無くドキドキも消えてドラマでも無いしNさんお早う

601437:2016/03/15(火) 19:50:57 ID:5LmyN94o0
和尚さま
精神的に塞ぎ混んでいるときは、行にやる気が出るのですが、幸福なときはあまりやる気がでないのですが、和尚さんはこういう人の性質をどう対処されていましたか?

602鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/15(火) 21:02:43 ID:YbzAtmTM0
>>600 期待が外れたからじゃろう。
 期待しなければ期待はずれも無いのじゃ。

>>601 そのような者はむしろ瞑想の楽しみを知るがよいのじゃ。
 サマーディにまで達すれば瞑想はこの世の何よりも快いものとなるのじゃ。
 あまり執着してはいかんがのう。
 執着すればそれも囚われとなるのじゃ。

603避難民のマジレスさん:2016/03/16(水) 07:01:59 ID:wIJQTbV60
鬼和尚さま

仏教でよく慈悲といいますが、完全に悟った者にも慈悲の思いは生じるのでしょうか。
悟った者が対象に対して何か生じるのは少しおかしな気もしますが、
だとしたら、慈悲というのは、自他のない状態、無我であること、その状態で相手に接すること、みたいなことでしょうか。
それとも慈悲という何らかの想念?などを指しているのでしょうか。

慈悲の瞑想などありますが、あれは自我の観念や執着が少なくなるのにいい瞑想だと思いますが、
あくまで悟りに至る方法で、悟った状態(涅槃)とは関係ないものでしょうか。
それとも慈悲と涅槃は関係する(同じ?)ものでしょうか。

604避難民のマジレスさん:2016/03/16(水) 13:50:28 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、宗教人は私も含めて兎に角頑固ですが、ある程度の信念がないと
我を取り除くのも困難ですし、もうわけが分からなくなりそうです。
実践が全てと分かっていてもです。自分が情けないであります。

605避難民のマジレスさん:2016/03/16(水) 14:54:04 ID:rjrCqQY20
未だに進展のない私の愚痴、これこそ自我の葛藤ですね。

606避難民のマジレスさん:2016/03/16(水) 17:01:34 ID:uGIhZuLw0
和尚さま

よく悟った人の周りに動物が集まっている絵などを見かけますが、
実際のところ動物が寄ってきたりするのでしょうか。

また逆に、道を歩いていて犬に吠えられたりしますか?

607避難民のマジレスさん:2016/03/16(水) 19:31:36 ID:bg7sLMDw0
鬼和尚は腹が立ったりしないんですか?

608鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/16(水) 20:37:09 ID:9JVC/W.c0
>>603 自他の無い所に慈悲はあるのじゃ。
 自分の手が痛ければそれを庇うように、自分と他人の区別が無ければ他人の苦を自分のものと感じるのじゃ。
 既に自分は無いが言葉の主語として自分というのであるがのう。
 そしてその苦を滅しようとするのが慈悲による説法などの働きになるのじゃ。
 おぬしも一つでも苦を滅してわしを楽にするのじゃ。

 慈悲の瞑想は直接涅槃には関係しないのじゃ。
 善事と同じく環境を良くするためなのじゃ。
 慈悲のあるものに福楽は引き寄せられるのじゃ。
 修行の役には立つのじゃ。

>>604>>605 考えれば思考によって迷いが起こるのじゃ。
 考えなければ思考による迷いは無いのじゃ。
 思考し過ぎることも又迷いの元になるのじゃ。
 全く考えないのも悪いがのう。
 思考を尽くしたら止めるのも賢者の道なのじゃ。

>>606 不殺傷を長年実践すると生き物に慕われるというのじゃ。
 それを表現したのじゃな。

  わしにはえさを欲しがる動物はよってくるのじゃ。
 えさがないとわかるとどこかにいくのじゃ。
 犬はほえたりするのじゃ。
 
>>607 もはや腹も立たないのじゃ。
 腹の立つことなどないのじゃ。
 常に心は空なのじゃ。

609避難民のマジレスさん:2016/03/16(水) 21:32:02 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、思考に気付いているどころか、しっかり取り込まれてしまって情けないです。
考え過ぎて泥沼になることはお陰様で回避出来るようになりましたが、油断すると昔の癖が。
下手な考え休むに似たり、初心に帰って出直します。お騒がせ致しました。

610避難民のマジレスさん:2016/03/17(木) 00:50:42 ID:wIJQTbV60
>>608
お答えありがとうございます。
やはり自他の無さが慈悲ですか。
自分が悟ることが唯一すべきことというのがあらためて身に沁みますね。
自分や自分自身でもある鬼和尚さまや万物のためにも苦を滅していきたいと思います。

611避難民のマジレスさん:2016/03/17(木) 09:09:53 ID:uGIhZuLw0
>>608
和尚さま、ありがとうございます。

動物もまた囚われの身であるということですね。
なるべく慕われるよう精進しようと思います。

あと>>570の後日談ですが、
その後、相手方の親御さんも了承してくださり、
今はそれとなしに両家とも盛り上がっている次第です。

その間、自他とも心境の変化を観察していたのですが、
現実を受け入れないと苦しみが生じ、
受け入れると苦しみから解放されるということがわかりました。
なにかしらの不安はあるものの、それぞれが前向きで事を進めている状況であります。

ありがとうございました。

612避難民のマジレスさん:2016/03/17(木) 19:13:53 ID:ObI.o8W.0
いつもお世話になってます。集中について質問おねがいします。

私は数息観するときは、鼻先に集中してるのですが、
最初は目で見るような感じで、鼻先を観ようとするのですが
だんだん混乱してきて、鼻先で鼻先の感覚に集中するような感じになってきます
なんというか、手を目で観察するのか、もしくは手で手の感覚に集中するかのような違いです。
集中するときの場合は、ひとつの視点?でブレないようにしたほうがいいのですかね。書いてて自分でも混乱してきました。
観察の場合は視点を切り替えたほうがいいのかな?と思ってます
読みづらいですがよろしくおねがいします。

611さんはすごいですおめでとうございます。

613避難民のマジレスさん:2016/03/17(木) 19:47:36 ID:Y5LPInQE0
数息観のことで私も質問があります
鬼和尚さんのブログには【鼻の頭に軽く意識を掛け】と
書いてありますが、これは鼻先を軽く意識する、という意味でしょうか?

614鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/17(木) 21:24:23 ID:9JVC/W.c0
>>609 進歩は常に少しずつなのじゃ。
 それでも進んでいるのじゃ。
 あせらずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>610 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>611 善かったのじゃ。
 執着が無ければ楽なのじゃ。
 またおいでなさい。

>>612 そのままでよいのじゃ。
 それは集中が強くなり対象と一体化する段階なのじゃ。
 混乱ではないのじゃ。

 集中する主体と対象があって集中が行われると思っているからその状態を混乱と思うのじゃ。
 集中する主体と対象が一体化することこそ集中の進歩なのじゃ。
 やがて完全に一つとなれば忘我のサマーディに入るのじゃ。
 それを混乱と思わずあるがままに受け入れるのじゃ。
 心身にいろいろな反応が出るかもしれんがそれも受け入れて進むのじゃ。

>>613 そうじゃ、そのような感じなのじゃ。
 あまり強く集中しようとし過ぎると目が寄って頭が痛くなったりするのじゃ。
 軽く意識する位でよいのじゃ。

615避難民のマジレスさん:2016/03/17(木) 22:07:09 ID:LC3de7YgO
>>614
>集中する主体と対象があって集中が行われると思っているからその状態を混乱と思うのじゃ。
 集中する主体と対象が一体化することこそ集中の進歩なのじゃ。
 やがて完全に一つとなれば忘我のサマーディに入るのじゃ。
←鬼和尚、これスゴくわかりやすいです!
ありがとうございます。
クリシュナムルティの瞑想録、1/3くらい読んだであります。Kの本は瞑想の方法を説明してないという趣旨の論評がありますが、むしろ「止観」の「観」の具体例を詳細に示してくれてるようにような気がしました。
ありのままとはどういうことなのかを説いてるように思われました。

616避難民のマジレスさん:2016/03/17(木) 22:37:58 ID:LC3de7YgO
2ちゃんで話題の公案でありますが、公案とは観念を破壊するための手段であるという説明を鬼和尚がされていたような記憶があるのですが、実際答のない問題を集中して考え続けることにより、観念思考の向こう側へ突き抜けるための修行方法をとの理解で良いのでしょうか?
答えがあるなら観念の破壊に使えないような気がします。
一切答えはないのであれば、師匠が弟子に公案を提示し、弟子が何らかの答えを捻りだして答えたとして、その答の内容により悟っているかどうかを判定できると言うことはあり得ないような気がします。
(´・(ェ)・`)ゞ

617612:2016/03/17(木) 23:49:50 ID:ObI.o8W.0
鬼和尚さんありがとうございます。

618437:2016/03/18(金) 00:38:41 ID:bxznaW7w0
和尚さま
座る行の快楽が分かるようになってきました。しかしながら快楽がまだ荒いようです。

619437:2016/03/18(金) 00:41:17 ID:bxznaW7w0
また魔境におちる修行者にたりないものは善行でしょうか。
真理に対する謙虚さでしょうか。
善行は修行の助けになりますか。

620避難民のマジレスさん:2016/03/18(金) 20:07:33 ID:czRftzgI0
和尚さんみたいに悟ったとしても、死んで再び生まれ変わりそれまでの記憶がなくなると、また一から厳しい修行で悟り直さなければならないことになります。
完全に悟って解脱するまでそれを繰り返すのですか?

和尚さんは独身ですか?

621避難民のマジレスさん:2016/03/18(金) 20:42:54 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚

どうしたら、物事を自分で判断できるようになるでしょうか?
誰か権威がいないと、大事な決断ができません。
例えば、今も鬼和尚に相談していますが、鬼和尚のような存在が無くても
生きていけるようになりたいのです

622鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/18(金) 22:23:00 ID:9JVC/W.c0
>>615 善かったのじゃ。
 クリシュナムルティの語ったことはすべて観察なのじゃ。
 観察というものがどのように行うべきか語ったが、その通りに出来る人間は少ないものじゃ。
 集中が無ければ観察も出来ないのじゃ。
 
>>616 それでよいのじゃ。
 
  本来は言葉による答えではなくいろいろ試したりするのじゃ。
 さらに別の公案を聞いたりするのじゃ。
 言葉につられると悟っていないとわかるのじゃ。

>>617 どういたしまして、またおいでなさい。

>>618 >>619 善かったのじゃ。
 続けていれば落ち着くじゃろう。

 老病死の苦を本当に超えたいと思う熱意なのじゃ。
 それがなければ修業の途中で魔境に陥るのじゃ。
 善行も助けになるじゃろう。
 環境がよくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

623鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/18(金) 22:31:43 ID:9JVC/W.c0
>>620 わしのように悟ったならばもはや生まれかわらないのじゃ。
 わしは無上正等正覚を得ているからのう。
 わしは独身なのじゃ。

>>621 独りになるとよいのじゃ。
 アメリカ原住民は三日間一人で山の中に入る成人儀式をするのじゃ。
 そうすると自分で決断するしかないから、何でも自分で決断できる大人になるのじゃ。
 おぬしも独りで生きてみるのじゃ。

624避難民のマジレスさん:2016/03/18(金) 22:59:34 ID:ssGY2bA60
鬼和尚様、金とプライドの執着を消すにはどうすればいいでしょうか?
人間は大体この二つに苦しんでいる気がします。

625避難民のマジレスさん:2016/03/19(土) 19:46:32 ID:czRftzgI0
和尚さんのように完全に悟った人を百点とすると、あと一歩の98点、90点の悟りで亡くなった人も生まれ変わって悟りを0からやり直しになるのですか?
だとすると、そこまでの悟りに到達できない凡人が悟りを求めるのは無駄ではないのですか?

和尚さんのように悟りたい人や悟った人が独身なら、世の中の精神性が高まって悟りたい人や悟った人が増えると
独身である人が増えて人口が減り、最終的に地球に人がいなくなるような気がするのですが?

626鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/19(土) 21:57:19 ID:9JVC/W.c0
>>624 それもまた原因から観察すれば消えるじゃろう。
 金に執着するのは貧窮の恐れの他に自分のイメージを悪くする恐れもあるじゃろう。
 プライドへの執着はやはり自己イメージが悪くなるのを恐れているからというような事からじゃろう。
 そのような原因に気づき、全体から観察すれば執着もなくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>625 そこまで行ったならば生まれ変っても悟りを得るのは容易になるじゃろう。
 前に行ったことは到達しやすくなるからのう。

 いずれは人もいなくなるものじゃ。
 悟りを得て永遠の安楽に到達していなくなるならば善い事なのじゃ。

627624:2016/03/19(土) 23:54:31 ID:ssGY2bA60
鬼和尚様ありがとうございます。
教えて頂いたことを実践してみます。

628鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/20(日) 20:53:06 ID:YbzAtmTM0
>>627 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

629避難民のマジレスさん:2016/03/21(月) 20:33:13 ID:fVpo49MA0
鬼和尚さん こんばんは。お久しぶりです。

この間、坐禅をしていた時に、「己」がなく有り無しでもなくなんと言うか…「本当に、ただ、あるだけ」と言うものを一瞬感じました。言葉や感覚では絶対に説明できないものだと思いました。

良い悪いの次元では、無いと思いますので、お聞きするのも、おかしいのですが、これは良い傾向なのでしょうか? また、色々見聞きして頭で理解してるだけの擬物なのでしょうか? 鬼和尚さんのお話を聞きたいです。

630鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/21(月) 20:51:48 ID:9JVC/W.c0
>>629 それもまた気づきの一つじゃろう。
 感じたならば確かに進歩なのじゃ。
 囚われれば観念への執着になるじゃろう。
 囚われずに進むのじゃ。

631避難民のマジレスさん:2016/03/21(月) 21:08:24 ID:fVpo49MA0
>>630

ありがとうございます。囚われずに進みたいと思います。

私はまだまだ、集中力が続かなくて感覚や感情に囚われてしまいますが、精進していけば、本当に鬼和尚さんが仰る通り意識さえもなくなると感じました。

今後も精進していきます。これからも、色々教えてください。よろしくお願いします。本当にありがとうございました。

632437:2016/03/21(月) 21:23:57 ID:C1TeM5GU0
和尚さま
肩こりや首のこりはどうやって解消されてますか

633避難民のマジレスさん:2016/03/21(月) 22:58:23 ID:amws/c7g0
いつも教えていただきありがとうございます。
ゲームに集中して時間が短く感じる。瞑想に集中して時間が短く感じる。
この2つの集中の違いについて教えて下さい。
そして前者は無益あるいは害悪でしょうか?

634避難民のマジレスさん:2016/03/22(火) 18:48:21 ID:tHj0j65Y0
囚われないってのはなかなか難しいですね。
すでに記憶となって再現しようという気持ちが起こったりします。
結局所有しようとするんだなと思いました。

635避難民のマジレスさん:2016/03/22(火) 19:36:15 ID:czRftzgI0
私はまだ自我を忘れるという経験がありません。
もしかして自我を忘れるというのは、瞑想によって聴覚・視覚・触覚などの肉体的感覚から精神を切り離して意識だけに集中するということですか?

636鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/22(火) 22:17:09 ID:9JVC/W.c0
>>631 どういたしまして、またおいでなさい。

>>632 ストレッチやマッサージをするのじゃ。
 日ごろから運動をするとよいのじゃ。
 ブリッジとかもよいのじゃ。
 ヨーガや気功法などもよいのじゃ。
 いろいろ試してみるのじゃ。

>>633 それほど違いは無いのじゃ。
 好きな事ならばそれが悟りに繋がることもあるのじゃ。
 それが道というものなのじゃ。
 茶が好きならば茶道により、武が好きならば武道によって悟りに近づくことも出来るのじゃ。
 それも集中に差異が無いからなのじゃ。

637鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/03/22(火) 22:22:23 ID:9JVC/W.c0
>>634 そうじゃ、自我かあれば何もかも自分に結びつけて解釈するからのう。
 自分が見られればもはや囚われないことも容易になるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>635 意識だけではないのじゃ。
 感覚の一つに集中しても忘我は訪れるじゃろう。
 ただひたすらに集中することで我を忘れる事もできるのじゃ。
 自分を失うことの恐れや、不安があるならば忘我も難しいのじゃ。
 それも観察すればなくなるじゃろう。
 あらゆる障害を越えて進むのじゃ。

638避難民のマジレスさん:2016/03/22(火) 22:48:11 ID:LC3de7YgO
>>637
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、こんばんは。

>自分を失うことの恐れや、不安
と、「無我」に至りたいという執着と、どちらが障害として大でしょうか?


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