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鬼和尚に聞いてみるスレ part3
407
:
避難民のマジレスさん
:2014/04/01(火) 00:54:34 ID:XpOqqj3k0
おぬしは後三時間で死ぬ!!
などと言われれば誰でも驚き恐れるじゃろう。
日頃忘れている死というものを間近で感じるからなのじゃ。
そのように大抵の者は死から逃避し、日頃は忘れてしまっているものじゃ。
しかし死ぬという事は生きていれば必ずやってくるものじゃ。
いずれは最初のわしの言葉は、誰にでも本当になるじゃろう。
もしかするとそれは今かも知れんのじゃ。
ここまではいいきっかけだが
今の肉体や思考や感情や自我はいずれ捨て去らねば成らないのじゃ。
もはや後三時間で死ぬ者が、肉体や思考や自我などに執着していれば、死苦の他に執着による苦も負う事になるじゃろう。
自我は悟りを得なくとも、いずれは捨てなくてはならんものなのじゃ。
そうであれば今捨てる事で不死の境地への道が開かれるのならば、速やかに手放すが良いのじゃ。
自我を手放すことに恐れが生じれば、いつでもそれが後三時間で捨てなければならんのかも知れんと思うが良いのじゃ。
自我を手放すとは捨てなければならんものを、今捨てる事なのじゃ。
そうすれば恐れを克服して無我に至るじゃろう。
さらに無我を認識するものも厭離すれば、真の悟りに至るじゃろう。
そうすればもはや一切の苦は無く、死もまた無く、一切が一つである喜びが常に感じられるのじゃ。
一切の仮設された観念から解放され、為すべき事も為すべき己も無いのじゃ。
修行者はその境地に至るまで日々精進するのじゃ。
ここからが酷い。
そもそも自我が様々な執着であり、自我に対する執着などあり得ない。
それは自我がとある思考を自我と勘違いしているだけだ。
>>そうすれば恐れを克服して無我に至るじゃろう。
正に鬼和尚は克服、している。
つまり抑圧していると自己申告している。
執着が無ければ恐怖は発生しえない。
発生してしまったらおしまいだ。
>> さらに無我を認識するものも厭離すれば、真の悟りに至るじゃろう。
ばかばかしい、そんなもの欲望を膨らますだけの戯言だ。
どうせ死ぬということを思い出せ、今死ぬということを思い出せ。
数十年後死ぬのなら今まさにその死を生きてみようではないか。
それだけでいいのだ。
そのきっかけが全てだ。
そうなったらどうなるというのは夢をはぐくむだけだ。
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