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鬼和尚に聞いてみるスレ part3
1
:
1
:2014/03/06(木) 19:25:34 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
2
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/06(木) 21:04:39 ID:RqjHb0Jg0
___
,;f ヽ
i: i ありがたやありがたや
| | ///;ト,
| ^ ^ ) ////゙l゙l;
(. >ノ(、_, )ヽ、} l .i .! |
,,∧ヽ !-=ニ=- | │ | .|
/\..\\`ニニ´ !, { .ノ.ノ
/ \ \ ̄ ̄ ̄../ / .|
3
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/06(木) 22:19:29 ID:NpBkhqbI0
↓以下は人生相談板からの転載ですが、普段鬼和尚がおおっしゃっていることとの共通性を感じ、興味深く思いました。
ちなみに中村天風は悟っていたのでしょうか?
≪中村天風「成功の実現」より ≫
自分の体が痛いとか、かゆいとか、不愉快だとか、 あるいは腹が立つとか、悲しいとか、恐ろしいとかいう感覚や感情、
そのどれでをも、今後はだよ、たとえば腹がへった感じであろうと、あるいは痛みであろうと、 怒りや悲しみや憎しみというような一切の感情を、 ちょうど自分以外の人が感じているように、客観的に考えるようにしろっていうんだよ。
まだわからない?
もっと噛んで含めるように言おうね。
自分の腹が痛いのを、隣のおばさんの腹が痛いように感じなさいっていうんだよ。
鳩が豆鉄砲くらったような顔して私の顔見てるが、
よく考えなさい。
ここが難しい哲学なんだから。
感覚とか感情とかいうものは、実は実在意識がそう感じるからそう思うのですよ。
いいかい。霊魂という気体には、そういう事実は少しも感じてないんだよ。
痛い、かゆいというのは実在意識が、 神経を通じて実在意識にそれを感じせしめているから感じるだけで、 感じなければ思わないんだから。
*****
さあ、この人間の心理現象のなかに存在するデリケートな消息を考えると、 いま私が言ったように、すべてを客観的に考えるという特定意識を習慣づけなさい。
言葉が難しい?
何でもいいから、自分のことを第三者の立場に立って考えるように習慣づけなさいっていうんだよ。
すると、心の統御上、まったく格段の相違ができてくる。
私がこうやってあなた方に話をしているときに、 「ああ、天風が今ここで一生懸命こういうことをしゃべってるわ」 と、もう一人の自分が脇で見てる気持ちでおしゃべりしてるんですぜ。
こういう心がけを実行すると、 自分の生命の道具である心や肉体と、ほんとうの自分とを混ぜこぜにしなくなるんです。
いつも截然としてほんとうの自分をぴたりと守って、 心を積極的に完全に生きられるようになれるんだよ。
実際ですよ、 こうした特定意識で人生に生きてこそ、いつも頼もしい積極的な人生に生きられるんです。
そしてほんとうの幸福なものになれるんです。
4
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/07(金) 00:12:01 ID:WL2yRwjAO
数息観三百回終了
やはりアーナパーナ法的な観察と集中を一緒にやる数息観だと20回でも結構辛かったのですが
呼吸を数えるだけの数息観に切り替えたら、百回、二百など余裕で出来ますね。
千回や二千回でも続けて出来ると思います。
と言うか、物の数を数えるのと変わらないのだから、出来て当たり前かもしれないですが
それとも全くやったことが無ければ意外と難しいものなのでしょうか
さとおき、アーナパーナ的な数息観に比べて、楽に出来るので気持ちがスッキリしますね
息を数えている途中、イメージが浮かんできました。卑屈な自分のイメージですね。そのイメージと息を数えている自分と二つに分離した感覚がありました。
息を数えている自分が、イメージの自分を見ている不思議な感覚です
普段はイメージの自分と自分は分離していないので、それがイメージであると言う感覚すら無いのですが、明確にそれ(日常的自我)はイメージであると言う感覚がありました
アニメのキャラみたいな感覚でした。
『サザエさん』の「磯野くん」を見ているみたいな感覚で自分を見ていました。
5
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/07(金) 00:21:39 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚のブログの数息観をおさらいしようと思って改めて読んだら
《 更に修行を重ねれば、雑念と集中する意識を二つとも、意識出来るようになる。行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。
そのような時も、雑念を無視しておれば、やがて雑念は消え去り、深い無念無想の状態に入れる。
もっと行が深まれば、意識は二つだけでなく、同時に幾つもの雑念があることに気付くじゃろう。
人間はもともと同時に幾つもの事を考えておる。(略》
とありますね。
潜在意識にブログの内容が残っていたのかもしれないが、確かに呼吸に集中する自分とイメージの自分の二つを意識しておりました。
意外と自分でも気付かず修行が進んでいたのでしょうか
6
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/07(金) 01:14:01 ID:WL2yRwjAO
呼吸を数えると自然にトランス状態に入っていきますね。
異論な観念や意識がポツッ、ポツッと花開いていく感じがします。
単に集中力をつける技法と言うだけでなく
心の深い部分にアクセスする技法でもあると思うのですが
いかがでしょうか
数息観を続けていれば自然に深い意識に入って行けるように思いますが、心の観察をするにあたって数息観を一端止める必要があるのでしょうか
数息観を続けたまま、現れてくるものを観察し続ける方法でも良いのでしょうか
或いは、観察は自我を見るのが目的なので
息への集中は無用ですか?
しかし、自我と言うのは、浮かんでくるイメージに過ぎないのではないでしょうか
むしろ数息観をしてる方が、トランス状態に陥り、自我なるものや他我(他者のイメージや記憶)が浮かび上がってくるような感じもします。
7
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/08(土) 00:16:37 ID:iV9YIG0s0
Aviraエンジンを搭載するセカンドオピニオン用ウイルススキャナー「Avira PC Cleaner」
メインのウイルス対策ソフトの誤検知や検知漏れをチェック
「Avira PC Cleaner」は、“セカンドオピニオン”として役立つウイルススキャン・駆除ツール。Windows XP以降に対応するフリーソフトで、編集部にてWindows 8.1で動作を確認した。
常用しているアンチウイルスソフトが安全なアプリをマルウェアであると誤検知したり、逆にマルウェアを安全なアプリであると見逃してしまうことはありうる。
そんなとき、異なるアンチウイルスソフトで二重にチェックできれば、多少なりとも安心できるだろう。
「Avira PC Cleaner」のダウンロードが完了すると、利用許諾への同意が求められる。
ここで[OK]ボタンを押して次の画面へ移り、[Scan System]ボタンを押せばウイルススキャンが始まる。
この時“Full Scan”というチェックボタンをONにすれば、クイックスキャンではなくより詳細なウイルススキャンが行われる。
1. 利用許諾に同意
2. [Scan System]ボタンを押す
3. ウイルススキャンが始まる
4. ウイルススキャンの成功。マルウェアが発見されなければこのような画面が現れる
なお、本ソフトはシステムに常駐しないため、リアルタイム検出や振る舞い検知といった高度な機能を備える本格的なセキュリティ製品に取って代わるものではないので注意。
あくまでもメインで利用する本格的なセキュリティ製品の補助として使うものだということは忘れないでほしい。
ソフトウェア情報
「Avira PC Cleaner」
【著作権者】Avira Operations GmbH & Co. KG.
【対応OS】Windows XP以降
【ソフト種別】フリーソフト
【バージョン】-(14/02/18)
URL
Avira Antivirus Software Solutions for Home and for Business
http://www.avira.com/en/index
AVIRA News - Avira Offers Free PC Cleaner to Global Market
http://www.avira.com/en/press-details/nid/922/news/avira-pc-cleaner
8
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/08(土) 18:20:56 ID:1/XG4j0Q0
鬼和尚、
集中の行には以前、数息観の習熟段階表を示していただきましたが、
もしできましたら観察の行でも、縁起の法の習熟段階表を書いていただけませんでしょうか?
9
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/03/08(土) 20:43:46 ID:kaXJvxhM0
>>1
ご苦労さんなのじゃ。
>>3
悟っていないのじゃ。
サマーディまでは到達したようであるがのう。
霊魂とか意識に我というイメージを投射しているのじゃ。
>>4
そうじゃ、やっていなければ難しいじゃろう。
集中力が身についていないからのう。
>>5
そうじゃ、進んでいたのじゃ。
進歩は自分の知らない所で来ていたりするのじゃ。
>>6
心の深い部分にも入れるじゃろう。
本人が恐れていなければのう。
そのまま観察が出来れば観察すると良いのじゃ。
あまりに集中して観察すらも出来ないならば集中を弱めるのじゃ。
10
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/03/08(土) 21:09:56 ID:kaXJvxhM0
>>8
観察の道では偶然でも一瞬自我が観察できたならば、直ぐに無我になる事もあるものじゃ。
それ故に正しい道とか、誰もが通る段階とかは無いのじゃ。
それを理解した上で、一応の段階を描いておくのじゃ。
① 初心では苦を滅する法を習って縁起の法を体得するのじゃ。
② 次には肉体や心の働きを縁起によって観察し、自我の起こるさまを観察するのじゃ。
③ 自分が最も自分を感じる肉体や心の働きを知り、それを縁起によって良く観察するのじゃ。
④ それがよく観察されれば観照が起こり、自我が観察されて厭離されるじゃろう。
⑤ 無我になった後に、そのような縁によって起こる心の働きそのものを観察するのじゃ。
それが阿頼耶識なのじゃ。
阿頼耶識が観察されて厭離されれば真の悟りに到達するのじゃ。
誰もがこのような過程を経る訳ではないが一応の目安として知っておくと良いのじゃ。
11
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/08(土) 22:41:50 ID:Ixi5VWxw0
>>10
ありがとうございます。
一応の段階でも、分かると励みになります。
目安ということで、囚われないようにして精進します。
それで、早速苦滅を積極的にしようと思い、試みたのですが
一つ質問ができました。
私は、約束は守らなければならないという観念を持っており、
約束を守れない時に苦しみが起こるのですが、
この苦は約束を守ることに役に立っているように思えます。
その苦を厭離すると、ますます約束が守れなくなるのではないかと
不安なのですが、かまわず厭離してしまって良いものでしょうか?
12
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 13:34:39 ID:WL2yRwjAO
己を意識するとまずイメージや思考が現れます。
これはイメージだな
これ思考だな
と、意識して否定、意識して否定、意識して否定していくと
否定(分別)している主体があることに気がつきます
これがアーヤラ識ですか?
13
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 16:48:36 ID:zXulYfnQ0
鬼和尚、
前スレ
>>877
で、阿頼耶識に意識を置くことについて
> 役に立つ境地では在るがのう。
と書かれておりましたが、何に役に立つのか当時は分かりませんでした。
最近観察をしていて気づいたのですが、阿頼耶識に意識を置いていると、
言葉無しの観察がやりやすいように思います。
鬼和尚が「役に立つ」と書かれたのは、このことだったのでしょうか?
それとも、何か他にありますでしょうか?
14
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 17:53:16 ID:WL2yRwjAO
肉体や感覚や思考その他に自我を投影してないかどうかをチェックする方法はあるでしょうか
私は観察の法をするときまずは肉体の呼吸からはじめます。
そして全身を観察する
この時、肉体が消滅したとしたらどのように反応するかを観察します
恐怖が観察されなければ肉体に自我は投影されていないと判断して良いのでしょうか
次に、もし感覚が無かったら、もし思考が無かったら、もし感情が無かったら、もし意識が無かったらと一つ一つ観察していき、恐怖や不安を微塵も感じなければそこに自我は投影されていないと見て良いでしょうか。
恋人や家族、妻や子供などの他者との関係性を想起して
それらが失われたと仮定しても恐怖や不安が無ければ、
そこに自我は投影されていないと見て良いでしょうか
また、財産や名誉、地位や才能と言ったものが
失われたと仮定して
不安や恐怖が起こらなければ、それらに自我は投影されていないと見てよいでしょうか
15
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 18:02:22 ID:WL2yRwjAO
肉体が失われたと観念的に仮定するのと
実際に腕一本、切り落とすのとでは
やはり意味合いが違うでしょうね
観念的には、私は肉体に自我を投影していないように見えるのですが
だからと言って、崖から飛び降りたりは出来ません。
と言うことは肉体が破損することを恐れていると言うことです
つまりなんだかんだ言って肉体に自我を投影していると言うことではないでしょうか
それは一つには現代の共同幻想、肉体=精神と言う観念を信じているからでもあると思います。
肉体と精神がイコールではないと見ることも出来ますが結局それも観念です。
肉体を観察していると、呼吸や血流によって伸縮する物体に感じられてきます。
でもそれも「そう見えるだけ」と言う可能性を否定できません。
意識と物体が分離していると信じるとそう見えるし、信じないと別に見えると言う事実があります
16
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 18:23:08 ID:WL2yRwjAO
肉体を観察すると、自分とは異質な何かに見えるのは心理的な錯覚現象であり一時的な異常心理と心理学者や医学者は言うと思います。
もし肉体=精神=自己と言う観念が無かったらと仮定したら、(略式
つまり、何かに自我を投影しており、その何かの成立基盤としての肉体と言う観念がある限り、間接的に肉体を失うことにも抵抗感を感じると言うことかと思います。
唯物論を完全に否定できない限りは、肉体に対する執着は残ると思います。いくら観察を通して肉体が自我とは別の肉の塊に見えたとしても
唯物論と言う共同幻想がある限り、それが錯覚である可能性を捨てきれないと思います。
もし唯物論と言う観念が無かったらと仮定することは出来ますが、それはあくまで苦を滅却する為の方便であり、真理とは限らないと言う考えが生じます。
17
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 18:31:54 ID:WL2yRwjAO
もし国家が唯物論に囚われてなければ介護保険法の点数に瞑想とか座禅と言う単位が含まれていてもいいと思うが、信教の自由の問題もあるにせよ
唯物論だけは信仰とは考えていないから、国の福祉計画も「長寿」を目的にする訳ですよね
唯物論の自明性の中で現代人の社会生活は営まれている。
では、真実はどうなんだと言うことを、疑いようもなく確かめる方法はあるのだろうか
例え、肉体が、自我とは関係の無い単なる物理的存在であると観察されたとしても
「そう見えるだけ」の可能性は捨てきれないのではないでしょうか
18
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/03/09(日) 18:54:33 ID:KBWPDCSA0
鬼和尚
映画を見ている最中に、あることに気付きました。
それは、自分が様々なことを創造していて、自分で自分を規制し、規定しているということです。
これまで当たり前のようにやってきたあらゆることは、自分でそのようにしてきた、ということです。
例えば、映画を見ている自分は、映画を見て楽しんだり批評したりしている自分を創造し、自分はそのようにして休日を過ごすものだと規定しています。
それらに特に意味はありません。
それらによって自分で自分を縛り付けています。
だから今後はそれらを全て止めてしまえばいいのかとも思いましたが、それは創造の中身が違うだけであり、止めるという創造をしているのであり、特にこれまでとの違いがないようにも思えます。
今後どのようにすればよいのか、アドバイスをお願いします。
19
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 18:57:10 ID:WL2yRwjAO
「観察によって真理に到達することは出来るのか」
この問題を解決するにはまず、観察を観察しなきゃならないと言う事になりますよね
また、医者も裁判官も行政官も民衆も、唯物論の自明性の中で日常を生きているので、このような「精神⊂肉体は本当か」みたいな問いは、社会を不安に陥れる、ある意味では反社会的な問いかけだと思うが、やはり避けては通れないし、修行する上でもこの問題が解消されないと先に進めないが、真実は悟らないとよくわからないと言うパラドックスがある
20
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/09(日) 19:07:14 ID:WL2yRwjAO
逆に言うと唯物論と言う信憑が悟りを阻んでいる。
肉体が詳細に観察されても、その観察結果自体が根元的には肉体の機能によるものではないのかと言う観念を退ける方法が無い。
もしこの観念が無かったら、楽でたのしいかもしれないが、楽しい事が、真理とは限らないと知恵が言う
実際に肉体を消して確かめなければ真実はわからない。
肉体が生体機能を確実に停止した後も、精神活動が残るならば、それが確認出来るならば
唯物論は間違いと言えるが、その報告は肉体が無いとできないと言う意地悪な仕組みになっているw
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