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鬼和尚に聞いてみるスレ part2

1:2013/10/08(火) 07:12:09 ID:WL2yRwjAO
ここは鬼和尚限定の質問スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争はアウトです

ルールを守って使用しましょう

524避難民のマジレスさん:2013/12/31(火) 18:15:17 ID:XpOqqj3k0
>>519

貴方、知恵ないでしょw
出来もしないこと、ありもしないものを語ってるのは滑稽どころか憐れですらある。

貴方の感情の動きは幼稚な子供のものでしかない。

あなたは、あなたの言う宗教用語に目をくらまされる気の毒な人としか交流できない。

あなたは、世間の人と世間で付き合う時頓珍漢なことして、失敗続きで、馬鹿にされてるでしょ。

知恵なんてどこにもないでしょ。

貴方の言ってることではなく、あなたの感じてること、やってること、普段やってるであろうことに目を向けると、、
子供の自我が、無自我の体験をして何か自分が特別になったという幻想にしがみついて周りの失笑を買ってる姿が見える。

525鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/31(火) 20:39:40 ID:kaXJvxhM0
>>521 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。

>>522 最初は自我による思考をするのじゃ。
 慣れてきたら無我による思考にするのじゃ。
 それは身体を操作するのと同じなのじゃ。
 
 ダンスでも体操でも最初は一つ一つ教わった通りに自分で確かめながら動きを覚えるじゃろう。
 動きを体で覚えてしまえばもはや考えずに無意識に動いたほうが良く動けるのじゃ。
 志向も最初は間違えないように一つ一つ筋道を確かめて習うじゃろう。
 全ての要素を覚えてしまえば無我によって自由に思考を働かせれば、より良い智慧が浮かぶのじゃ。
 2ちゃんねるの書き込みもそのようにして智慧を働かせて書いているのじゃ。

526鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/31(火) 20:46:30 ID:kaXJvxhM0
>>523 アートマンは元々無によってのみ現されるものなのじゃ。
 多くの学者達は勘違いしておるがお釈迦様こそアートマンを本当に理解し、説いて居るのじゃ。
 認識できる全てはアートマンであり、そのアートマンは無によってのみ現されると観想した時、迷妄を離れたブラフマンが全ての事象として顕現するのじゃ。

527避難民のマジレスさん:2013/12/31(火) 23:22:43 ID:4UCH3jwY0
鬼和尚さん
今年はありがとうございました。
鬼和尚さんに観察の方法などを教えていただけたことも感謝していますが、
もうひとつお礼が言いたいことがあります。
鬼和尚さんのおかげで、頭痛になることが少なくなりました。
頭痛の原因が首にあるという他の方への回答を見てから、首を冷やさないように首にタオルを巻いて寝ることと、
圧が分散する枕を使うことを試してみたら、本当に頭痛が減りました。
子供のころからの悩みだったので、とても感謝しています。
ありがとうございました。
鬼和尚さんも良いお年をお迎えください。

528龍華:2014/01/01(水) 00:11:21 ID:kl1CR23s0
あけましておめでとうございます
昨年も皆様には大変お世話になりました
本年もよろしくお願いいたします

今年も悟れますよう

529龍昇:2014/01/01(水) 00:34:54 ID:nxQ7UtQo0
あけましておめでとうございます
昨年は大変お世話になりました
みなさま良い一年になりますように

530素人A:2014/01/01(水) 08:08:00 ID:G5HiNwNQ0
新年と言っても何が昨日と変るのだろうか?そうだ珠にはお日様見よううす曇だけど山に挟まれて黄色のお日様が出ている。
べつにお変わりは無く毎日出るのはお決まりの信念。骨はコツコツだ私もお決まりで変る輪わけは無く進歩も無くまあええか
でこつこと在る苦だけはお決まりな野鴨。今ひまで元旦だから妄想に瞑想して頭の盆脳から黄色い太陽いれて小周天で遊ぼう
もうそそうしたら簡単に廻るけどきつと足玉までつづかない。嘗てに回っている善く輪空内もののにはかなわない鴨。何か
書初めも下らない。とにかく明けましておめでとう。?何がめでたいのか私は善く輪空内

531素人A:2014/01/01(水) 08:28:22 ID:G5HiNwNQ0
あれ張り間違えた新年から鬼さんに謝る。避難所に貼り直し増す。ところで
最新物理学ではヒックス粒子が発見されたとか?其れは重い出を持つ粒子で
宇宙が出来始めは粒子たちは思いでも無く自由にあ軽く宇宙自由を飛び回つ
ていたとか?其れがヒックスにひつかかつて重いでが出来て色々な星も生まれ
地球もうまれ万有引力に左右される宇宙が出来たとかなんとか??後万ブラフマン
で何か宇宙理論東洋哲学をぱくつたのかと思うけど?

532善聖 ◆rgBot67fe.:2014/01/01(水) 15:38:08 ID:EUJYIxW20
明けましておめでとう御座います

良い年になりますように

533避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 18:21:49 ID:P.PEnNUg0
>>525 ありがとうございます。
>>522 想像していたより、自我を使わないでも様々なことが
できそうですね。とすると、自我を使う必要があるのは、
これまでに熟練していない技能を新しく学ぶ時くらいで
しょうか? 

悟りを得た人がどんな時に、仮の自我を使うのかが知りたいです。

534避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 18:24:18 ID:/rI00YOw0
>>526
なら鬼和尚は、ブラフマンの存在を認めてるという事ですね。

535鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/01(水) 20:07:03 ID:kaXJvxhM0
>>527 あけおめことよろなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>528 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>529 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>530 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>532 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>533 そうじゃ、新しい事を学ぶ時や人と話す時やなれない事をするというような時には自我も使うのじゃ。
 本来無数の選択肢がある世界で習い性と成った性質によって、選択を行うのじゃ。
 それもまた人を知るためなのじゃ。

>>534 わしはブラフマンを知っているのじゃ。
 古代インド人が何を目的にブラフマンという言葉を使い、それによって何を達成しようとしていたかを知っているのじゃ。
 お釈迦様もまたブラフマンを知り、勧請を受けたのじゃ。

536避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 21:00:20 ID:pwM0EAio0
あけましておめでとうございます。いつもありがとうございます。
>>511
自我は目覚めや正気の反対方向?の性質(自己憎悪、怒り、分離、破壊的、恐れ、死など)を持っていますが
それを余すことなく自我は自我らしく生き切るということは結局自我の死のように感じられないでしょうか。とんでも
ない苦を通らないと実質目覚められないということでしょうか?そんな実感もありますが。
鬼和尚さんはそうではなく、出し切る必要はなく観察することで厭離すると言われていますね。

537避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 21:28:18 ID:pwM0EAio0
自分=自我であれば自我を滅するのに観察することを自我が邪魔をして正確には不可能。
観察=明け渡しの視点であれば、自我がだいぶ死に絶えていないと観察自体難しいような感じもありますが。
両方が混然一体としてもがきながらいくような感じにならざるを得ないような気もします。
やろうとする、観察しようとする、という努力も自我を生き切ったことにはならないでしょうか。結局出来ないわけで。
やるだけやらないと死ねないといった感じですか?

それを十字架の道、(自我側からすると)、と表現されたりする。苦行的な。(自我の性質が苦だからそうなってしまう)
それを反対方向から行くメソッドとか教えがありますよね。幻想だ、と。でも自我として生まれてきている以上、実践して
みるとそれだけではすまされない。そんなスムーズにいくわけがない。どうなんでしょう。

538避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 21:42:15 ID:pwM0EAio0
目覚めは恩寵ですよね。

539避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 22:41:36 ID:Elpwrbn.0
>>535 ありがとうございます。
人と話すことは、熟練しても自我が必要になるということでしょうか。
それは、自我が無いと相手に共感したり理解するのが難しいからですか?

また、2行目の
「本来無数の選択肢がある世界で習い性と成った性質によって、選択を行うのじゃ。」
が、私には理解が難しかったです。下記のような理解で正しいでしょうか?
衆生の心を知るために、覚者が仮の自我を使うことで、本来は無数にある
選択肢の中から、敢えて記憶に依存した選択を行うことがある。例えば苦滅の検証など。

540避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 00:43:49 ID:XpOqqj3k0
>>536

≫それを余すことなく自我は自我らしく生き切るということは結局自我の死のように感じられないでしょうか。

ご理解の通りなのでしょうけど、あまり賢いと、仕掛けが働かない。
結局そういう理解はわたし、あなた、自我のもの。
賢いことは困ったものですが、賢さゆえに賢さの無意味を知るとも言われます。

≫それを余すことなく自我は自我らしく生き切る

余すことなく自我が自我として生きるには、相当の意識がいります。
というのも人は1つの自我を持っておらず、ばらばらに各部分が分断されているからです。

自我の一部分、ひとかけらとsて生きる我々は、いつも他の自我の部分と戦っています。
その内戦で本当の苦しみに気づかずにいます。

≫苦しみを通り抜けなければ

自我の全容に気づくということは、とてつもない矛盾に気づくということです。
苦しみを通り抜けるというより、苦しんでる事実に覚める、という方が近いのかもしれません。
この分裂と「苦」に直面することを避けて統合された人間はいなかったOSHO
喜びの深さはその人が経てきた苦しみの深さと同値であるグルジェフ

瞑想の道では不可避化と思います。
愛と検診の道だと違うのかもしれませんが、やはり、、、苦しみと無縁ではいないような、、。
ただ、強調しないんだと思います。
喚起と感謝の方を強調する、、が、苦しみが無いわけでもない。議題にしないだけ。

≫自分=自我であれば自我を滅するのに観察することを自我が邪魔をして正確には不可能。

それを理解してゆく道が宗教における観察するということかと思います。
最初はいわゆる観察から入るしかないんです。
でも、同時に、いかにそれが不可能で、自分=自我なので不可能で、でも、観察、瞑想からしか入れなくて、、、。
鬼和尚の言うことも部分的には一緒です。
付随する仕掛けや、誘導する方向が、祖師たちと異なるだけです。

観察することが不可能で、どんなに観察しても動意もならないと理解するために観察はあるといえるかと思います。
この辺奇跡の探求に詳しいかもしれません。

≫幻想だ

我々はこれを事実と正にみなしている。
が、祖師は幻想だと仰る。
幻想であることを確認しよう、というのは瞑想ですが、
自信が幻想に嵌ってることをほっぽりだして、これが幻想である、というのは邪道です。

幻想と言ってるのは祖師で、我々は事実とみなしている。
この現実関係を見失ってるところから始まるので初手から間違っています。
見失っているというか、見失って逃避するために誤用してるので目論見通りともいえます。

いろんな道がありますが、それはいろんな道がいろいろな脱線をしてるということでもあると思います。
脱線してなければ何でもいいと思います。

541避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 00:47:44 ID:al3KkTas0
>>535

自我があったら新しいことには対応できないし、今目の前にいる人の事実にも向き合えない。

覚醒があれば、事実をあるがままに受け取り、そして、今までになかった新しい対応を取る。
過去の経験や知識の力は刈りつつも、それに束縛されるのではなく、それを使って、新しい事実に向き合って、
新しく創造をする。

自我にはそれはできない、過去の経験の範囲で目の前の事実を解釈して、それに元ずいた、古い反応をするだけです。

貴方は自我にどっぷりつかっているから、自我を知らない。
自我を持ってすらいない。

542避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 09:09:06 ID:tsdMVz5g0
>>535
ブラフマン(=アートマン)が我々の正体だという解釈で良いのかな。
全てを捨てても消滅しないものがブラフマンという事でOKですか?

543避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 15:24:43 ID:jfWCoXjM0
http://www.youtube.com/watch?v=J4MBDAGiOXQ(エックハルト・トールの動画です)

1エックハルト・トールは悟りの何合目あたりにいますか?彼が悟りと言っているのは小悟のことであり、彼は小悟の境地にいるのでしょうか?

2エックハルト・トールの境地より先はありますか?あるならば、どうやってそこに辿り着くのですか?また、それはどのような境地ですか?

544避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 18:40:59 ID:XpOqqj3k0
>>536

自分を変えようとしている欲望に気づく、ということとあるがままの欲望に覚めつつそれに生き切る、ということはおなじことかもしれません。

人は自分を変えようと四苦八苦しているものだから。

それが無駄とか、あるがままを受け入れるとか、言葉では何とも言えるけど、
事実問題として変えようとしてしまっているから。

それそのもののしっぽを掴む。

自分を変えようとするのが当の自分なのでどうしようもない。

ただ覚めていれば、自分が求めていた、過去の束縛されない今新しく知恵を生む出す自分であれるのだけど、
理攻めでそうなろうとすると、そうなろうとする自分が古い自我だから、古い欲望と、外部から持ってきたり創造の内戦になってしまう。
その内戦こそ自我なのだけど。

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/02(木) 20:45:42 ID:kaXJvxhM0
>>539 そうじゃ、人は話をする時に自我を持つ者に共通の認識を通して話をしているものじゃ。
 それが無いと所謂禅問答のように他人には理解不可能な話しになってしまうのじゃ。
 
 そのような理解で良いのじゃ。
 
>>542 そのような理解で良いのじゃ。
 いずれ自ら知る事が出来るじゃろう。
 
>>543 一瞬忘我に入っただけなのじゃ。
 そこから自我を完全に滅する無我になり、さらにその無我を認識するものを滅しなければ成らんのじゃ。

 瞑想し、自らを観察する事によってそこに辿り着くじゃろう。
 そこまで行けば一切の苦は無くなり、平安と静寂があるのじゃ。
 死は無いと知り、永遠の意識が全てであると感じる事も出来るのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 21:35:10 ID:XpOqqj3k0
>>545

以上全部自我が見る夢です。

無いという夢、平安という夢、認識者を滅するという夢。

夢見る自我は何も変わらない。


なること、すること、得ること。
そういう文脈でしか論じてない。

単語が何であろうと関係のない話。

547避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 08:40:00 ID:aqEyZ8OU0
>>545
とういう事は、ヒンドゥー教の悟りと仏教の悟りは同じという事ですね。
まあ宗教問わず、悟りが違うものであるはずは無いですよね。
ありがとうございました。

548避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 11:40:44 ID:rjrCqQY20
明けましておめでとうございます。

>>535鬼和尚さん

ブラフマンは神道で表すところの天御中主之大神様のことではないのでしょうか。
日本の家庭では神棚と仏壇が祀られていますが、梵我一如をそのまま表しているように思いますが
私にはそれぞれの宗教の歴史や成り立ち、それらへの縄張り意識が薄いので、怒りを覚える方がおられるかもしれませんが…。

549避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 11:59:31 ID:rjrCqQY20
>>535>>545でした。

550避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 12:10:40 ID:aqEyZ8OU0
>>548
怒りは覚えないけど、それは梵我一如とは全く違いますよ。

551避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 13:28:32 ID:rjrCqQY20
>>550
そうですね。
それぞれの心のあるがままに、そう感じるのは私の心であって
全てがそうであるはずがない、そうであってはならない、そのはずでしたね…。

552避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 13:53:21 ID:aqEyZ8OU0
>>551
それぞれの心とかそういう事じゃ無くて、根本的な勘違いをしてますよ。
もちろん私も体感してるわけじゃ無いですけど、梵我一如を体感出来ないまでも
意味くらい調べてみればどうですか?

553避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 14:10:34 ID:rjrCqQY20
すみません。
私はけっこう以前から悟り=梵我一如と感じているのですが、また悟りにおいてはヒンドゥー仏教に変わりはないと思っています。
しかし最近になって、全ては繋がっているのだから、何かしらの意味があるはずだと感じているのです。
それぞれの意味を知って、なお感じる何か、これは私だけが感じることなのでしょう…。

554避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 14:17:34 ID:rjrCqQY20
神道によれば、私たちは全て神の御霊分なのですから。

555避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 14:32:29 ID:aqEyZ8OU0
私は神棚と仏壇を一緒に祀ってるのが梵我一如を表してるという事に対して
それは梵我一如を表してる訳じゃ無いと言ったまでです。
神棚や仏壇を祀る事と梵我は全く関係ないですからね。

ブラフマンと天御中主之大神が同じあってもおかしく無いと思いますよ。
名称は何であれ、両者とも宇宙の根源みたいなものでしょうから。

556避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 15:33:48 ID:fYq5qVNQ0
>>545
悟りを得た人がどのような時に仮の自我を使うかに
ついて、理解を深めることができました。
ありがとうございました。

557避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 18:25:44 ID:Bwz0R3.60
白隠禅師『坐禅和讃』


衆生本来仏なり       水と氷の如くにて
水を離れて氷なく      衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして   遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て    渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて   貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は     己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は   称嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
その品多き諸善行     皆この中に帰するなり
一坐の功を成す人も    積みし無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき   浄土即ち遠からず
辱くもこの法を        一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は     福を得ること限りなし
況や自ら廻向して      直に自性を証すれば
自性即ち無性にて      已に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ    無二無三の道直し
無相の相を相として     往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として     歌うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく     四智円明の月さえん
この時何をか求むべき   寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国        この身即ち仏なり

558鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/03(金) 20:55:31 ID:kaXJvxhM0
>>547 同じなのじゃ。
昔はバラモン教といったのじゃ。

>>548 違うのじゃ。
 ブラフマンとは別の観念なのじゃ。
 ブラフマンには人格も神格も無いのじゃ。

>>556 どういたしまして、またおいでなさい。

559避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 01:11:06 ID:Bwz0R3.60
>>558 おに さん

滝と小鳥のさえずり - 3:00:00
http://www.youtube.com/watch?v=AilNwuAPZ2E
せせらぎ - 3:00:00
http://www.youtube.com/watch?v=c4AIZcmb23s
夜通し焚き火 "Bonfire all night long " - 8:00:00
http://www.youtube.com/watch?v=jrQrewgC4fM
Nature sounds - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=JD727wIPL1I&list=RD8OXrY1WN93c
Nature sounds - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Zxc9pA643f0&list=RDJD727wIPL1I
Nature sounds - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=weepXYF6fmU&list=RDZxc9pA643f0

560避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 01:48:54 ID:Bwz0R3.60
食物連鎖シミュレーション  v2.61 (11/10/10)
食物連鎖の生物バランスを数量の視点で学習・実験

ソフト種別
フリーソフト

対応OS : Windows XP

作者サイトからダウンロード 

食物連鎖の生物バランスを学習・実験できるソフト。

仮想世界に生息する生物の種類と、その捕食・被食の関係を4種類から選択したうえで、各生物の特性をパラメーターで指定すると、時間経過によって変化する各生物の個体数をシミュレートしてくれる。
仮想世界には、植物の草原と1種類の草食動物を基盤に、2種類の肉食動物やもう1種類の草食動物を生息させることが可能。
草原は面積と成長速度を、各動物は初期個体数や寿命、移動能力、生殖能力をパラメーターで指定でき、肉食動物には捕獲能力も指定できる。
シミュレート中は、ゲーム風の画面で仮想世界を描くと同時に、各生物の個体数が折れ線グラフで表示され、いずれかの生物が絶滅してもシミュレートを継続することもできる。

作者名 突田 行生 氏

公式サイトhttp://www.eonet.ne.jp/~yo2kuda/

561そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/04(土) 02:27:51 ID:ohA0SgL20
鬼和尚
私には自分が言語を失うことに対する恐れがあるように見えました。

それは、ライナスの毛布のように手離し難いものです。
身につけた習慣を手離すことに対する恐れです。

それと同時に、孤独に対する恐れもあるように見えました。
言語を失うことは、表現手段の一つを失うこことです。
表現手段が失われれば、例えばここのような掲示板でも、他者とのコミュニケーションができなくなります。
また、自分自身との対話もできなくなります。
他者からも、自分からも孤独になることに対する恐れです。

562避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 07:56:23 ID:YWqLYYqo0
>>545 人は話をする時に自我を持つ者に共通の認識を通して話をしているものじゃ。

自我を持つもの同士でも、コミュニケーションが成り立たないことがあるのは、
互いの認識が異なるためでしょうか?

とすると、話をするときに相手がどのような認識をするのかを
理解すること、つまり個我によって異なる、縁起のパターンを
理解することが、人間理解の核心になりますか?

563避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 09:59:51 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん>>548です。

質問に答えて下さりありがとうございます。
いつか一度は伺いたい事柄でありましたので、思い切って人目に触れるような場所に書き込んでしまいました。
ブラフマンは宇宙の根本原理であって人格神ではない。
そして天之御中主大神さまも、おそらく人格神ではあられないと感じていたからです。
しかし私たちが人格というものを頂いている以上、大神さま以降のどこかで人(神)格を備えた存在が分霊された。
それに似せて私たちは存在しているのではないのかと妄想していました。
全ては一つの意識であっても、人格を持つ人間の夢を見るための雛形があったのではないのかと思ったからです。
いずれにしても、そんなことは私などの思案の他、分かるべくはずもない事でした。

今年は新たな思いを込めて久しぶりに神社に詣でましたが、ニ礼二拍手一礼に拘りすぎて
肝心の感謝の心は何処へやら、家には神棚もないので改めて心の中の神仏さまに感謝しました。
ありがとうございました。

564避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 20:40:22 ID:NpBkhqbI0
クリシュナムルティは、あらゆる恐怖の原因は思考と時間であると述べていますが、
鬼和尚も同意見ですか?

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/04(土) 20:44:46 ID:kaXJvxhM0
>>559 聞きながら座ると良いのじゃ。
 たばこをやめるのと早寝早起きと親孝行は今直ぐでも出来るのじゃ。
 実践すると良いのじゃ。

>>561 自分とのコミュニケーションが本当に言葉によっているのかよく観察してみるのじゃ。
 それはむしろ本当の観察を妨げているかも知れん。
 自分のイメージを保たせるために言葉を使っているのかも知れん。
 言葉によらない本当の自分を観てみるのじや。

>>562 そうじゃ、同じ言葉を使っていても微妙に言葉に対するイメージが違う事も在るのじゃ。 
 特に自己イメージは他人が持つ自分のイメージとは違うものじゃ。
 
 その理解は人間を理解するのにも役に立つじゃろう。

>>563 どういたしまして、またおいでなさい。

566避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 21:18:34 ID:pEe1v5Oo0
>>565
>>562 です。理解理解と繰り返し、核心という観念に囚われるところでした。
実践に戻ります。お答えくださり、ありがとうございました。

567そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/04(土) 21:23:23 ID:ohA0SgL20
>>565
ありがとうございました。

568避難民のマジレスさん:2014/01/05(日) 02:02:50 ID:Bwz0R3.60
NHKミニ英会話 - 31件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=ZenK8kKUtpQ&list=PLD9CDA60F387B40B6
リトル・チャロ 21件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=V1nqYMtOk_8&list=PL74E58BA1F73983DE
英語 リスニング 122本ノック - 118件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=z3y5qUNqhg8&list=PL2EBDA8D1F17E820A

569避難民のマジレスさん:2014/01/05(日) 15:08:32 ID:oTGHTjYs0
数息観をすることで、どうして無我に至れるんですか?
それと、その無我というのは数息観をしている間の一時的なものですか?
それとも、数息観を終えた後も自我が起こらずに、ずっと無我のままなのでしょうか?

570避難民のマジレスさん:2014/01/05(日) 15:44:50 ID:oTGHTjYs0
無形無相の意識を、できるかぎり心に保ち続ける瞑想法で悟ることはできますか?
それとも、その意識を意識している主体を探るほうが良いのでしょうか?

571鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/05(日) 20:06:48 ID:kaXJvxhM0
>>566 そうじゃ、実践が全てじゃ。
 またおいでなさい。

>>567 どういたしまして、またおいでなさい。

>>569 自我を認識する能力が停止するからじゃ。
 完全に観られれば常に無くなるのじゃ。
 完全でなければ一時的に停止する忘我の状態になるのじゃ。
 その忘我がサマーディと言われる状態なのじゃ。

>>570 主体を探すのじゃ。
 それが出来れば瞑想すらも不要なのじゃ。
 マハリシは瞑想も知らなかったがひたすら死なないものを求めて悟ったのじゃ。
 死によって消え去るものを捨て、ひたすら不死の意識を求めるのじゃ。

572避難民のマジレスさん:2014/01/06(月) 10:42:36 ID:gOqWUDAs0
おにさん私は何も水此処に飛び込んで彼方此方貼り付けるだけなんだけど
何故か何処でもジクゾウパズルの画にハマル?自分では何でか不思議に思うけど
外の人が見たら変な画我はまつてまあ良い風景にならない鴨?とは全然私は思わない

573避難民のマジレスさん:2014/01/06(月) 17:15:35 ID:7N6JkJH60
鬼和尚、
心の観察が、とてもつらいのですが、このままつらい原因も含めて、
勇気を持って観察し続けるしかないのでしょうか?

一方で数息観をすると、以前は言葉の思考だったのが、
最近イメージ優位になっていて今はそのイメージに巻き込まれがちです。
イメージを流せるようになるという当座の目標があり、しかも頭も気持ちが良いので、
どうしても観察よりも集中の瞑想に
偏りがちになってしまいます。

集中の瞑想と観察の瞑想のバランスも含めて、何かアドバイスいただける
とありがたいです。

574鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/06(月) 20:23:16 ID:kaXJvxhM0
>>572 不思議な事じゃ。
 その原因を探して見たら良いのじゃ。

>>573 少しずつでも観察を続けたらよいのじゃ。
 苦しい時こそ修行も進んでいるのじゃ。

 人によって集中と観察に向きがあるのじゃ。
 集中が主になるようにしてもよいのじゃ。
 集中している心を観察するのも良いのじゃ。
 そのような自分にやり易い工夫はいつでもやってみたらよいのじゃ。

575避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 03:42:33 ID:Bwz0R3.60
怒らない猫 ~ Baby bite cat's tail ~ - 1:15
http://www.youtube.com/watch?v=SYLj372c-zM
.眠くても優しい猫 - 1:29
http://www.youtube.com/watch?v=2iS-2uMvHi8
約100年前の見世物小屋で働いていた女の子 - 2:29
http://www.youtube.com/watch?v=L-dAlvTPAqM
.見世物小屋 - 8:48
http://www.youtube.com/watch?v=gPB4tiOuNXU
.歴史上の謎の多い人物とは? - 3:51
http://www.youtube.com/watch?v=9XHvTpFgHuc
.般若心経の現代語訳が素晴らし過ぎた件 - 3:32
http://www.youtube.com/watch?v=QQBy1LA1uIU
般若心経. 現代語訳 - 5:29
http://www.youtube.com/watch?v=E_SgUM2NhM0
.般若心経 「超訳」 - 5:36
http://www.youtube.com/watch?v=fAqqpMnbmp0
.心説般若心経 長尾弘先生講演 - 1:50:40
http://www.youtube.com/watch?v=1jNQM5GhYmI
.般若心経清新版 - 7:30
http://www.youtube.com/watch?v=5VKSZArL9UE
.15_0 宇宙論における般若心経研究 - 26:25
http://www.youtube.com/watch?v=kIKR1UUtxKE
Japanese Vajrayana/Shingon - 68件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Urg73jrCBdI&list=PLF25A6030ABA6A7E6
そうだ、京都行こう (秋冬) Kyoto Tourism Clips ~Autumn and Winter~ . - 15:00
http://www.youtube.com/watch?v=yZDnfnbI2Ow
そうだ、京都行こう (春夏) Kyoto Tourism Clips ~Spring and Summer - 12:13
http://www.youtube.com/watch?v=TVIu0dA7FJE
Kyoto Campaign, そうだ 京都、行こう。 - 70件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=ZgGRq6x4w6c&list=PL0B02EDE4CC3AE2EB

576素人A:2014/01/07(火) 08:52:46 ID:gOqWUDAs0
和尚さん蟻我糖 今の思いつきは?私は気まぐれや偶然や駄洒落出鱈目等.何でも前に出たものはデーターものは
馬鹿にしない大切に思うからか?良くわからないけど大切に思えばなんでも答えてくれる師。そんなものあてには
ならないと思えば.まあ友ではないと答えは無いの鴨。雨がフルカラー虹が出るで。

577避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 13:18:51 ID:zz3du5Nk0
>>574
心の観察がつらいのは、観察しているようで、
いつの間にか、苦しみに同化しているのが原因と気づきました。
苦しみに同化していることに気づいたら、呼吸に集中すると、
苦しさは遠のいていきます。

鬼和尚のご指摘のとおり、観察と集中を分けすぎていたのが
心の観察がつらくなる要因でした。
また自我が、観察されるのを様々なやり方で避けさせようとしているようです。

できるだけ楽しめるように工夫して、観察も続けようと思います。
ありがとうございました。

578避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 15:05:46 ID:aqEyZ8OU0
他スレで「悟りを開かないと自我のフィルターが掛かってモノを見てるわけだから
凡夫に正見は無理。」という書き込みを見たのですが、これにつてどう思います?
正しい事というのは人によって違うから、私は一理有ると思ったけど。

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/07(火) 20:13:20 ID:kaXJvxhM0
>>576 どういたしまして、またおいでなさい。

>>577 良かったのじゃ。
 それも気づきなのじゃ。
 そのようにして気付きながら修行は進んで行くのじゃ。
 またおいでなさい。

>>578 対象との厭離が出来れば正しい観察なのじゃ。
 それが本当の正見なのじゃ。
 それは悟れば捨て去られるべき法である故に、悟りを開いた者には不要なのじゃ。

580避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 20:26:02 ID:aqEyZ8OU0
>>579
それだと何かを見る度に時間が掛かってしょうがないですね。
まあ凡夫が自我のフィルターを外すにはそれしか無いかも知れないけど、
八正道の中で言ってる正見って、観察の事なんですかね?

581避難民のマジレスさん:2014/01/08(水) 18:50:57 ID:oTGHTjYs0
感情や感覚や思考や想念なら観察できますが、自我を観て自我を厭離するというのがわかりません。
自我というのは、朝起きたときに現れる「自分という意識」のことでしょうか?
もしそうなら、自我の生成を捉えるチャンスというのは少ないのでしょうか?

582避難民のマジレスさん:2014/01/08(水) 19:19:48 ID:oTGHTjYs0
「悟った人にも思考は起こるが、彼はそれを気に留めない(重要視しない?)」
という言葉を耳にしたことがありますが、この意見は正しいものでしょうか?

583鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/08(水) 20:40:28 ID:kaXJvxhM0
>>580 そうじゃ、観察なのじゃ。
 正しい観察によって気付きも起こるのじゃ。

>>581 そうじゃ、正にそれなのじゃ。
 そのように朝起きる時に忘れていなければ観察する事も出来るじゃろう。
 普段でも何かに集中していたり、逆に放心して忘我の状態になることも在るのじゃ。
 その時に何かのきっかけで自我が起これば、観察するチャンスなのじゃ。
 一休が烏の鳴き声を聞いて悟ったとか言うのは、そのきっかけによって自我の生起を観察できたからなのじゃ。

>>582 正しいのじゃ。
 無我による思考はもはや智慧と呼ぶべきものとなっているがのう。
 智慧さえも目覚めた者には不要なのじゃ。
 衆生のためにはなるがのう。

584避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 08:36:31 ID:LC3de7YgO
>>583
観察して厭離すべき対象である自我(自分)と観察者としての自分と、自分が2人に分裂した瞬間を経験することになるのでしょうか?
観察者としての自分のことは自我ではなくなんと呼べばよいのでしょうか?
観察者の意識を消して無我に達するまでの間、自我に代わってその観察者の意識が自分になるのでしょうか?
観察者の意識を厭離できなければ、また自我が復活するのでしょうか?

585避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 10:11:46 ID:aqEyZ8OU0
>>583
だとしたら、正見ひとつ出来るように成るにも膨大な時間が掛かりそうですね。
普段モノを見るときに、自分に都合の良いように見ていないか疑うようにはしてるから
とりあえずはそれを続けてみますよ。

586避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 12:31:55 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚、
観念による好き嫌いに、苦滅の法を試してみたところ、
その好き嫌いをなくすことに成功しました。

ある食べ物だったのですが、食べたくない心理的原因(過去の記憶でした)を
観察し、もし、その原因が無ければ食べたくない気持ちが消えることを観想しました。
その後、その食べ物は特に意識すること無く、美味しく食べられています。

そこで気づいたのですが,苦滅の法で滅することができるのは苦だけではなく、
どのような縁起の鎖でも、観察さえできれば、断ち切れるのではないでしょうか?
もしそうだとすると、かなりの自由を手に入れられるということになります。

587避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 12:35:03 ID:aqEyZ8OU0
美味しいって言うのも観念のような気がするけど。

588避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 12:45:20 ID:voZzV2fs0
鬼和尚
喩えるなら机の引き出しのようなものが、私の中にありそうです。

引き出しはたくさんあります。
引き出しの中には、記憶や思考(のパターンのようなもの。以下同じ。)がたくさん入っています。
引き出しが開くと、記憶や思考が飛び出してきて、それを使って考えたり思ったりします。
それは、論理的であったり、感情的であったり、とりとめもなかったり、さまざまです。
引き出しが閉まると静寂になります。
記憶の再生がなくなります。
感情も起こりません。
それは、己を見て見ぬふりをすることや、押し殺すこととは違う感じです。

引き出しはおそらく自我と呼ばれる者が作ったのでしょう。
彼が、外部からの刺激を認識としてかき集め、それらをため込んでは引き出す、ということを繰り返しているのでしょう。

これまでの私は、引き出しの存在に気付いていませんでした。
引き出しの開け閉めのコントロールは、自我のなすがままだったと思います。
ほとんどの場合開けっ放しになっていて、記憶や思考が溢れ出続けていたのでしょう。

今は引き出しを意図的に閉めることが出来るようです。
ただし、すぐにまた開いてしまいますが。

589避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 17:32:18 ID:LC3de7YgO
>>584
鬼和尚がブログで説明されていること、・・・自我を観察することにより観察の主体と客体の自己同一化の働きを破壊するとのことですが、自己同一化の破壊が起こるまでの間=厭離して無我を体得できるまでの間は、観察者=観察対象=自我であろうかと思うので、無我を体得し、更に観察者の意識も厭離するためには、いわゆる『人格』を分裂させるべく心に働きかけるように取り組むべき…ということなのかな? と思い、>>584 の質問になった次第です。

590鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/09(木) 19:56:35 ID:kaXJvxhM0
>>584 分裂しないのじゃ。
 自我が観念でしかなかった事に気付くのじゃ。
 
 観察者としての自分というものは何とも呼ばなくて良いのじゃ。
 それは無いものであるからのう。
 観察しているのは阿頼耶識なのじゃ。

 もはや自分と呼べるものは無いのじゃ。
 それは観念でしかなかったのであるからのう。
 阿頼耶識は自分ではないのじゃ。

 そうじゃ、阿頼耶識が残っていれば自我もまた復活するじゃろう。
 未だ薫習が残っているからのう。

>>585 そうじゃ、やってみるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>586 そうじゃ、苦だけでなく心の障壁も全て厭離出来るのじゃ。
 最後には己という認識さえも厭離するのが縁起を観る法なのじゃ。
 日々実践して習熟すれば己も厭離できるようになるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

591避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 20:00:45 ID:lO4vh4/Y0
自我を観察していても、果てしなく続く虚無を見ているような感覚です。
どこにも取り付く島がないのですが、何かアドバイスいただけないでしょうか?

592鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/09(木) 20:31:45 ID:kaXJvxhM0
>>588 それは自我の作ったものではないのじゃ。
 自我が投射されているだけなのじゃ。
 観念でしかない自我は本当は何も出来ないのじゃ。
 自我とは関係なくさまざまな心の働きやパターンが起こるのをみてみるのじゃ。

>>589 分裂はしないのじゃ。
 自我が観念でしかない事をみるのじゃ。

593鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/09(木) 20:37:14 ID:kaXJvxhM0
>>591 そのように観難い心の働きや自我を観るためにお釈迦様は縁起の法を教えたのじゃ。
 心の働きは縁起によっている故に自我もまた縁によって起こるのじゃ。
 十二因縁はその参考に成るものなのじゃ。
 感覚から執着が起こり、執着から苦が起こり、その苦に自我が投射されて起こるというように、次々に縁起して自分という感覚が起こる事を観察するのじゃ。
 それが縁起の法なのじゃ。

594避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 20:41:17 ID:Bwz0R3.60
国定忠治 たっぷり 5時間 - 5:10:06
http://www.youtube.com/watch?v=M-NjP8VuGAU

595そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/09(木) 21:11:22 ID:ohA0SgL20
>>592
ありがとうございます。

>>588です。名前を忘れていました。

自我という言葉を使ったのがよくなかったのかもしれません。
見えたことを言葉に表す段階で、見たことと言葉の乖離が起きたのかもしれません。
言葉にできることがなくなりつつあり、ここに書き込めることが少なくなってきます。

596避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 21:37:41 ID:LC3de7YgO
>>590 >>592
ご説明いただきありがとうございます。
アラヤシキに付きネットで調べてみました。
ア-ラヤシキ の主体という概念はそもそも無いとしることが、観察する意識の厭離であり、悟るということだという理解でよいのでしょうか?

597避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 22:55:26 ID:Bwz0R3.60
古今亭志ん生(五代目) 蒟蒻問答 - 23:58
http://www.youtube.com/watch?v=UMoUrWpLzC8
六代目春風亭柳橋 - 蒟蒻問答 - 25:03
http://www.youtube.com/watch?v=r3VIyDSAMic
.蒟蒻問答・古今亭志ん朝1 - 35:13
http://www.youtube.com/watch?v=Ktt8ARuLys4
.正蔵 死ぬなら今 - 24:36
http://www.youtube.com/watch?v=upHxQeN4CdE
.文楽 心眼 - 21:46
http://www.youtube.com/watch?v=moycA_gbhbE
.「坊主の遊び」古今亭志ん朝 - 29:16
http://www.youtube.com/watch?v=LXBtcXB8sU8
豊志賀の死:古今亭志ん朝 - 1:11:51
http://www.youtube.com/watch?v=jQavdL1N8cM
「野ざらし」 古今亭志ん朝 - 18:23
http://www.youtube.com/watch?v=c4Adl_Ad1Fw
.落語 「死神」 三遊亭圓生(六代目) - 53:02
http://www.youtube.com/watch?v=5b9y5qHjY0E
立川志の輔 「死神」 - 43:21
http://www.youtube.com/watch?v=Ovf539MGbcA
.柳家権太楼 死に神 - 36:02
http://www.youtube.com/watch?v=-ge5MzTDJZQ
.死神 (誉れの幇間) 三遊亭金馬 - 27:51
http://www.youtube.com/watch?v=OfPoFLK3I0g
懐かしの落語会 - 35件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=oDu7W9BOevw&list=PLBCC49DC077C93B1C
名作落語 14 
http://www.youtube.com/watch?v=hJF_P-L9x70&list=RDorw_VMq6QlY
名作落語 09 - 49件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=pxQbAaGVQ3Q&list=RDhJF_P-L9x70
河内音頭  京山幸枝若 (河内十人斬り・他) - 3:00:54
http://www.youtube.com/watch?v=P7fto-L1H1o

598そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/09(木) 23:52:41 ID:k/7CfM/.0
鬼和尚
言葉を言葉だと思っていました。

599避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 12:07:58 ID:r3AXvjuU0
>>590
目標を達成するのに妨げとなる心の障壁を全て消すことができるとは、
苦滅の法は、悟りを得ていない人にとって最強の自己コントロールの技ですね。
しかもさらに、その技自体が悟りへの渡し船となるとは、
さすがお釈迦様が、最も優れた真理と説かれただけのことはあります。
これからも精進します。ご回答ありがとうございました。

600避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 12:43:00 ID:r3AXvjuU0
鬼和尚、
集中の瞑想に励んでいるのですが、気が遠くなるような
状態をそのまま気にせず続けていたところ、言葉とイメージが
現れても、焦点を結ばないというか、はっきりしない状態に
なりました。さらに、体の境界もあやふやな状態になり、
そこで、嬉しさに続いて、得意になっている自分の感情を
観察したところ、元に戻ってしまいました。頭の中心には
温かい感じと、快がありました。

言葉やイメージがぼんやりとしていたのは、呼吸への集中が
深まって、それらを観察し得なかったのか、それとも
自我の働きが弱まっていたのか、あるいは他の理由なのか
が知りたいです。

もう一点、これら全体が、サマーディを求める心が創り出した
幻想なのか、それとも真正なものなのかを判断する方法が
ありましたら、お教えください。痛みすら瞑想中に心によって
創られうると分かり、本物は何かを確認することが難しいと
感じています。

601避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 16:22:49 ID:wAZuhk5M0
自我の生起を観察してみました。自我は後になって現れるものだったんですね。
自我というものは、対象に憑依しないと現れることができない幽霊のようなものでしょうか?
感覚、感情、思考、想念やこの世界は、自我が口を挟まなければ、
何が起ころうとそのままで何の問題もないのではないでしょうか?

602避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 17:00:29 ID:wAZuhk5M0
記憶に依存しない認識とは、記憶を持たない生まれたての赤子の認識ということでしょうか?

認識というものは、
「ドン!(音です)」→振動をただ振動として感知するー→「音だ」とわかるーー→「うるさい」と思う
この初めの→の部分の働きのことを指すのでしょうか?それともー→もーー→の部分の働きも認識でしょうか?

鬼和尚が言われている”認識を厭離する”とは、
このような働きも対象がないと存在できない一時的なものであると気づくことでしょうか?

認識を滅すると、世界は一様であり差異は認められなくなるのでしょうか?

603鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/10(金) 20:41:37 ID:kaXJvxhM0
>>595 
 言葉の無い観察に入っていくのじゃ。
 またおいでなさい。

>>596 主体という概念を厭離しただけでは未だ無我による小悟なのじゃ。
 阿頼耶識そのものも観察して厭離しなければ真の悟りではないのじゃ。
 阿頼耶識はただ記憶に依存した認識である故に、自我が無くなれば容易に滅する事も出来るのじゃ。

>>598 それも気づきなのじゃ。
 
>>599 そうじゃ、一切の障害を滅して進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>600 集中によって言葉とイメージを結びつける分別の働きが止まりかけたのじゃ。
 そのまま続けてよいのじゃ。
 自我の働きは無いのじゃ。

 瞑想中にはさまざまな怪異な現象なども現れるが、その一つ一つに意味は無いのじゃ。
 あっても無くても同じなのじゃ。
 瞑想中に現れる一つ一つの現象に囚われず、ただひたすらに集中すればサマーディは向こうから現れるものじゃ。
 それまで精進在るのみなのじゃ。

604鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/10(金) 21:18:56 ID:kaXJvxhM0
>>601 そうじゃ、自我は心の働きに投射される観念に過ぎないものじゃ。
 自我が投射されなければ苦しみさえも無に等しいものじゃ。
 始めから全てには何の問題も無いのじゃ。

>>602 記憶の種子の無い赤子の認識は悟りの認識に近いが、やはり薫習はあるものじゃ。
 阿頼耶識は分別と記憶による照合を行うのじゃ。
 それを行わないのが本来の認識なのじゃ。

 それも気付きの一つではあるがそのように気付くとは限らないのじゃ。
 認識が記憶に依存していると気付くこともあるじゃろう。
 気付きも言葉で限定されるものではないのじゃ。

 そうとも言えるのじゃ。
 しかし言葉で現されるような在りようではないのじゃ。

605避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 22:22:05 ID:LC3de7YgO
>>603
ありがとうございます。

ネットで調べてみました。↓
『唯識では,無始以来の人間の業は阿頼耶識にプールされ,その阿頼耶識が生死輪廻の主体となると考え,無我説に抵触することなく生死輪廻の機構を巧みに説明』・・・・と解説されていました。
唯識思想、阿頼耶識、輪廻という概念を用いずに、悟りを説明することは不可能でしょうか? 。

606避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 10:12:15 ID:aqEyZ8OU0
何日か前、食べ物の好き嫌いを観察したら原因が滅して以後は美味しく食べられるようになった
という書き込みがあったのですが、美味しく食べられるというのは観念では無いのですか?
美味しいという観念も五蘊・十二処・十八界の範疇で、当然縁起の法で滅せられるものですよね。

もの事をありのまま見るには自我を滅するしかないし、自我が無くなれば
全ての苦から解放されるのは理解できます。
ただそれと同時に、楽しい、嬉しい、美味しいなどの世間的にはポジティブと言われている観念も
全て消えてしまうのでは無いのですか?

ポジティブな観念も滅しないと悟りには至らないけど、ネガティブな観念だけを滅する為に
縁起の法を利用する事も出来るというなら、まあそれに越した事は無いし
ポジティブな観念もいずれは苦に変わる事に修行を続ければ気づくから、まずネガティブなものから
滅していったほうが理に適っているという事なんでしょうかね。

ただ悟ったら世界が輝いて見えるとか、素晴らしい世界が待っているなんて事もなく、
淡々と日々の生活を過ごしていくような気がするんですよね。
まあ苦しい事が無いだけで十分なんでしょうけど、過度に期待してる人も多いような気がします。
結局そういう期待が悟りを遠ざけるのでは無いのでしょうか。

607避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 12:37:14 ID:7rD9T5220
>>603 ありがとうございます。
瞑想中に起こったことは、瞑想中にはスルーできてましたが、
瞑想後に、あれこれ思考して囚われていました。
今後は瞑想後も気にしないようにしたいのですが、
一つだけ追加で質問をさせてください。
もしサマーディが現れれば、それは本人にはサマーディだと
分かりますか?

608避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 16:12:32 ID:PoOqi1b.0
鬼和尚、
観察と気づきとの関係について、教えてください。
観察によって何かを観ても、気づきが無い場合もありますか?
それとも、正しく観察すれば、必ず気づきがあるものでしょうか。
というのも、観察は能動的にできますが、気づきは他任せというか、
どこかからやってくるような感覚があります。

苦滅の法を試していて、成功した場合には、「そうか!」という
ような気づきが伴っていますが、何回か同じように対象を観察して、
それで初めて気づきが現れることもあるように思いましたので。

609避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 16:35:11 ID:Bwz0R3.60
古今亭志ん生 「怪談阿三の森」 - 55:05
http://www.youtube.com/watch?v=Cs_ac_K3VdU
古今亭志ん生 - 200件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=-0GVTduiPLE&list=PLB43FE0867B789EFD

610避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 20:39:34 ID:wAZuhk5M0
悟りとは明確な理解のことではないでしょうか?

611鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/11(土) 20:46:07 ID:kaXJvxhM0
>>605 出来るじゃろう。
 阿頼耶識とは現代の言葉で言えば、記憶に依存した認識なのじゃ。
 それが記憶から自我という観念を創り上げるのじゃ。
 観念でしかない自我が苦の原因となるのじゃ。
 集中と観察によって自我を滅し、認識を記憶の依存から解き放てば真の悟りが得られるのじゃ。

>>606 それは観念ではなく感覚である事もあるじゃろう。
 体は本来健康に良いものを美味しく感じるものじゃ。
 味覚とはそのためのものともいえるのじゃ。
 今の肉体に合う物を美味しく感じ、害のあるもの不味く感じるというのじゃ。

>>607 必ず気づくじゃろう。
 我を忘れ、快が生じ、寂静が起こるのじゃ。
 光り輝く世界の真の姿が垣間見えて、自他の無い一切が一つの境涯を味わえるのじゃ。
 それによって死の恐れも無くなり、安心するじゃろう。

612鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/11(土) 21:09:02 ID:kaXJvxhM0
>>608 あるじゃろう。
 心に恐れがあって逃避して対象を本当に観察して居なかったり、自己同一化が強ければ気づきも起こらなかったりするのじゃ。
 原因が間違っていたり、複数あっても正しい気づきは起こらなかったりするのじゃ。
 常に集中して真摯に詳細に観察しなければいかんのじゃ。

>>610 違うのじゃ。
 理解や知識だけでは失う事も在るのじゃ。
 真の悟りとは観察による気づきによって自我を滅し、認識をも滅する事なのじゃ。
 それによる変容は本来の認識に回帰する事であり、永遠に戻る事は無いのじゃ。

613避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:29:11 ID:ZPFk8Jag0
サマーディってそのときだけのものなの?
例えば瞑想しているときにサマーディになって、瞑想終わって1時間後にはいつも通りになってた。とかもあるの?

614避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:38:15 ID:LC3de7YgO
>>611
ありがとうございます。
> 『阿頼耶識とは現代の言葉で言えば、記憶に依存した認識なのじゃ。
 それが記憶から自我という観念を創り上げるのじゃ。』
ここで仰られている 阿頼耶識とは、主体のない意識・・・「全体(あるいは宇宙)」の意識のようなものであり、その 「全体」の記憶に依存した「全体」の認識 であり且つ「部分」である「自我」も「阿頼耶識」を共有するという仮定を前提におくことにより、本来言葉にできない「悟り」を想像してみる…イメージをつかむ試みであるとの理解でよいのでしょうか?

615避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:48:20 ID:/3RaFYDk0
>>611
確かにそれだけのことが起これば、間違いなくサマーディに気づけそうですね。
懸案が解決しました。瞑想中も瞑想後も囚われず、精進します。
ありがとうございました。

616避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:56:59 ID:/3RaFYDk0
>>612
気づきが起こるまで、本心から逃げずに粘り強く、観察につとめ励みます。
ありがとうございました。

617避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 00:43:11 ID:Bwz0R3.60
無門関 第二則 百丈野狐

 百丈和尚、凡ソ参ノ次イデ、一老人アリ、常ニ衆ニ随ッテ法ヲ聴ク。
衆人退ケバ、老人モ亦退ク。
忽チ一日退カズ。
師遂ニ問フ、面前ニ立ツ者ハ、復タ是レ何人(ナンピト)ゾ。

 老人云ク、諾、某甲(ソレガシ)ハ非人ナリ、過去迦葉仏ノ時ニ於テ曾テ、此ノ山ニ住ス、因ミニ学人問フ、大修行底ノ人、還ッテ因果ニ落ツルヤ也タ無シヤ。
某甲対(コタ)ヘテ云ク、不落因果ト、五百生野狐身ニ堕ス。今請ウ和尚、一転語ヲ代ッテ、貴(タット)ムラクハ野狐ヲ脱セシメヨト。
遂ニ問フ、大修行底ノ人、還ッテ因果ニ落ツルヤ也タ無シヤ。

 師云ク、不昧因果。

 老人言下ニオイテ大悟、作礼シテ云ク、某甲已ニ野狐身ヲ脱シテ、山後ニ住在ス、敢テ和尚ニ告ス、乞フ亡僧ノ事礼ニ依レ。

 師、維那ヲシテ白槌(ビャクツイ)シテ衆ニ告ゲシム、食後ニ亡僧ヲ送ルト、大衆言議ス、一衆皆安シ、涅槃堂ニ又人ノ病ム無シ、何ガ故ゾ是ノ如クナルト。
食後ニ、只師ノ衆ヲ領シテ、山後ノ巖下ニ至リ、杖ヲ以ッテ一ノ死野狐ヲ跳出シテ、乃チ火葬ニ依ルヲ見ル。
師、晩ニ至ッテ上堂、前ノ因縁ヲ挙ス。

 黄蘗便(スナワ)チ問フ、古人錯マッテ一転語ヲ祇対シテ五百生野狐身ニ堕ス、転転錯ラズンバ合ニ箇ノ甚麼(ナニ)トカ作ルベキ。
師云ク、近前来、伊(カレ)ガ與ニ道ハン。

黄蘗遂ニ近前シテ、師、一掌ヲ與フ、師、手ヲ拍ッテ笑ッテ云ク、将ニ謂ヘリ胡鬚赤ト、更ニ赤鬚胡アリ。 』


 無門関 第二則 百丈野狐 

これは、色即是空は、空即是色と返す、と言っている。

618避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 09:46:26 ID:aqEyZ8OU0
>>611
だからその感覚も五蘊・十二処・十八界の範疇なのだから、悟りに至るためには
縁起の法で滅せられるものですよね。
それとも悟った後も美味しいとかそういう都合のいい感覚の方だけは残るという事ですかね。
都合のいいものだけを滅せられる素晴らしい法なんて有るとは思えないんですけど。

619避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 18:09:00 ID:wAZuhk5M0
サマーディの間は自我が忘れられるようですが、
その他の、感情や感覚や思考といったものも忘れられるのでしょうか?
それとも、それらの働きは一時的に機能しなくなるのでしょうか?
そして、サマーディの間に機能しているものは何なのですか?

ヨーガでは、サマーディに入って何日間も座ったままでいる人もいるようですが、
サマーディに入り、そのまま出られなくなるということはありますか?
それとも、サマーディに入ったり出たりするのは、意志によってコントロールできるのでしょうか?

620鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/12(日) 20:37:37 ID:kaXJvxhM0
>>613 そうじゃ、知識は増えるが認識はそのままなのじゃ。
 苦はそのまま残り、些細な事で怒ったり、悲しんだりするのじゃ。
 人によって元に戻る時間は違うがのう。

>>614 違うのじゃ。
 阿頼耶識は個人の記憶に依存しているのじゃ。
 それ故に人は自分が記憶している事しか認識できないのじゃ。
 阿頼耶識をも滅した後に真の悟りが得られるのじゃ。

 自我は記憶から起こる観念でしかないのじゃ。
 何かを共有したりは出来ないのじゃ。
 知覚対象に投射されているだけなのじゃ。

>>615 そうじゃ、精進するのじゃ。
 またおいでなさい。

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/12(日) 20:44:55 ID:kaXJvxhM0
>>616 どういたしまして、またおいでなさい。

>>618 感覚をそのように観察するのは、自我の投射から厭離させるためなのじゃ。
 感覚は認識と共に記憶に依存しなくなるだけで滅する事は無いのじゃ。
 悟った後も感覚はあるものじゃ。
 肉体によいものを食べさせれば肉体は喜び、うまいという認識を得るじゃろう。

>>619 思考などは止まるのじゃ。
 感情や感覚は残っているのじゃ。
 一時的に止まるだけなのじゃ。
 阿頼耶識は未だ機能しているのじゃ。

 インドではサマーディに入ったまま死んだ者が何人かいるというのじゃ。
 快が大きい故にそのまま帰りたくなくなるのじゃろう。
 意志や習慣によって出入りできるのじゃ。

622避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 22:15:39 ID:aqEyZ8OU0
>>621
なら肉体に悪いものを食べたら不味いという認識を得るって事ですよね。
ようするに感覚は消えないが、美味い不味いに囚われなく成るだけって事かな。
まあ私もそりゃあそうだと思いますけど、良薬口に苦しなんて言葉も有るくらいだから
体に良い物が美味いは限らないとも思いますよ。
ましてや観察で美味い不味いの味覚が変わるというのもおかしな話ですよね。

623避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 00:13:29 ID:LC3de7YgO
>>620
ありがとうございます。
歴史を振り返ってみると、ブッタもキリストも実践しただけで、何も書き残さず、宗教は実践者から影響を受けた人が、何とか伝えたいと切実に追求した結果結実し固定化したものかなと思いました。実践しない人が理解しようとすると思い切り違う方向に向かってしまうのかなと思いました。
座って、集中して、観察して、自分で経験することがすべてだと言い残してくれた先人に感謝したいと思いました。
ありがとうございますm(__)m


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