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鬼和尚に聞いてみるスレ【1】

403避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 07:13:59 ID:WL2yRwjAO
実際鬼和尚も人にアドバイスをしたりして助けている訳ですよね
もし鬼和尚が霊体になって肉体の軛がなくなれば阿弥陀如来みたいな存在になりませんか?

404避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 18:14:22 ID:DgJcAPNs0
歯痛に塩が効くというのは初耳でした。これは試してみると面白そうですね。

鬼和尚さんは、空無辺処と非想非非想処というものを体験されたことがありますか?
お釈迦様は、この2つを悟りとは異なるものとして退けたそうですが(Wikiの知識です)、
実際はどのようなものなのでしょう?解説していただけたらうれしいです。

405避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 18:45:31 ID:Nfac3xok0
墓はなく、位牌も仏壇もなく、経も唱えず、盆の行事もしない、それでいいでしょうか。

406避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 19:26:14 ID:UhmOwN.E0
鬼和尚様
禅宗の方などに多い発言ですが、
「喜怒哀楽もある、全てこのまま」のような悟りはどうなのですか?
それに関して、仏陀も弟子が亡くなったとき泣いて悲しんだ、みたいに説明することも多いですが、
鬼和尚様は喜怒哀楽は生じない(意志によって生じさせることできる)という説明ですよね。
自分はサマーディくらいには何度か入り、喜怒哀楽が全く生じないような状態に数日いたこともあります。
全てが歓喜であると同時に慈悲である状態など、いくつか体験しました。
その後、自分の状態を振り返り、仏典を読み返しましたが、
そういった生じるものが全てなくなるまで悟りではないように解釈しています。
禅宗の説明を聞くと、肉体や現実に即して、喜怒哀楽の反応も生じるように説明しているように思いますが、
肉体の瞬間的な反応は生じても、とても喜怒哀楽まで生じるという表現は大げさな気がします。
自分の肉体の反応も、どのようにとってもいい他人の身体の反応のように観るようになると思いうのですが、
そのへんを説明していただけますか?
禅宗などでいう、「喜怒哀楽もある、全てこのまま」とはそういう意味での発言でしょうか

407避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 19:29:59 ID:UhmOwN.E0
つづき
それとも、禅宗が現実に即すことを選んだのでそういう状態になっているだけで、
修行者が、その状態を悟りだとみなすのは少し違うのでしょうか?
このあたりに関して鬼和尚様のご意見を聞かせていただけますでしょうか。

408避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 19:50:18 ID:WL2yRwjAO
神や仏に頼らず運命を肯定する法をお教えください。

409鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/08/29(木) 19:53:42 ID:kaXJvxhM0
>>397 仏教には悟りへの方法があり、理論があり、苦を滅する道があるのじゃ。
 それ故にわしも説くのじゃ。
 そうでなければわしには用なしなのじゃ。

 キリストは悟っておらず、神を信じていたユダヤ教徒なのじゃ。

>>398 正確に伝えるためなのじゃ。
 正確に言うならば雲の上に世界を作ったひげのじじいはいないのじゃ。
 それはおぬしの心によって創られたものなのじゃ。

>>400 そうじゃ、続ければいつか悟りは向こうからやってくるじゃろう。
 またおいでなさい。

>>401 神と言うのは居ても居なくても、おぬしには全く関係無いのじゃ。
 アウシュビッツでも広島でも何万という人が苦しみ助けを願っても、それは現れず、何もしなかったのじゃ。
 全知全能ならば人の苦を知り、助ける事も出来る筈であるが決して現れず何もしないのは何故じゃろう?
 それがいつも子供の頃に助けてくれた親のイメージを投射した幻想に過ぎないからなのじゃ。
 幻想に人を好くうちからは無いのじゃ。
 現実に人を救えるのは自分自身だけなのじゃ。
 幻想の神を捨て、現実に自分を救うことが、賢者と目覚めた者によって説かれた道なのじゃ。

>>403 自分が自分を助けようとしなければ誰も助けにはならないのじゃ。
 百万の仏陀と言えども自ら助かる気のない者を助ける事はできないのじゃ。

410避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 20:04:39 ID:WL2yRwjAO
神を信じている人の論理は先にも言ったように、我を捨てて神を受け入れることで神と自己の矛盾がなくなり、神の受け皿となって行為すると言う事で、決して、なにもしないと言うことではなく
無為に徹することで
内なる神の意識を働かせると言うことだろうと思います。
つまり鬼和尚が説いていることともそんなに矛盾していないと思います。
悪徳にまみれた自己イメージで行動するよりは、善の象徴である阿弥陀如来の慈悲を受け入れ、阿弥陀如来のイメージが精神の隅々に行き渡っている人の方が慈悲深い行動を自然に取ると思うし、人生もうまくいくのではないでしょうか

411鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/08/29(木) 20:29:40 ID:kaXJvxhM0
>>404 何でも試してみたらよいのじゃ。
 空無辺処は空間の意識を認識している状態じゃ。
 非想非非想処は想いが無く、想いでないものもないという状態じゃな。
 それは瞑想によって到達する境地であるから、正確にどこからが非想非非想処で空無辺処ではないとかいえないものなのじゃ。
 瞑想をしていればそのような感覚があると気づくだけなのじゃ。

 そのような瞑想にのみ没頭すれば、観察することが無く、むしろ逆にその境地に辿り着いた己を誇る気持ちが現れて字が肥大に陥ったりする事もあるじゃろう。
 小悟で傲慢に成るのと同じなのじゃ。
 
>>405 おぬしがそれでよいと思えば良いのじゃ。
 花や樹木に墓も位牌も仏壇も無く、経を唱えず盆の行事もしないが年々芽が出て咲くのじゃ。
 
>>406>>407 そうじゃ、肉体の反応以外なくなるのじゃ。
 そのような禅の教えは本来の己の感情を認めるためのものじゃろう。
 人は日常では大抵感情を誤魔化して生きているからのう。
 ありのままの感情を認めなければ己も見えないのじゃ。
 十牛図で言えば牛の足跡をみつけるようなものじゃ。

>>408 自分を自分の主とするのじゃ。
 何が起きても自分の責任として受け入れるのじゃ。
 自分の所為と思うのではないのじゃ。
 自らの力で処理する覚悟で実践し事に当るのじゃ。

412避難民のマジレスさん:2013/08/29(木) 21:01:18 ID:UhmOwN.E0
>>411
ありがとうございます。
禅に関してですが、よく自分を忘じきる、景色だけになるというような表現をしますね。
対して、マハルシなどは、現実はスクリーンだという言い方をします。
禅ではスクリーンと観る自分を分けるな、仏教での悟りはスクリーンだけになることというように、
アドヴァイタと仏教の違いを語るようにも思います。
鬼和尚様は観察という表現もされますし、アドヴァイタ的な言い回しも多いように思いますが、
自己を忘じる、景色だけになる、あるいは、アドヴァイタでいうスクリーンを見てる側になることに関して、
説明いただけますか?
それらは同じことの異なる視点からの表現ですか?
それとも、別の状態を表しているのでしょうか?
鬼和尚様ならどのような表現になりますか?

413避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 00:24:26 ID:LC3de7YgO
>>409
ありがとうございます。たいへん心強いです。感謝いたします。今夜三日ぶりに熱感が戻ってきました。その熱感を放っとくと後まで残るようなので、今度から収功の所作も取り入れようと思います。

414避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 01:00:11 ID:WL2yRwjAO
雲の上のひげのじじいを信じるものを馬鹿にするのは簡単だが、彼が信じているのは仮託された表層のイメージではなく、
本質である絶対精神の方だと思います。
鬼和尚は西洋哲学も馬鹿にする傾向があるが絶対精神と言うのは定義上マハリシや鬼和尚が説く「普遍の意識」と同じものと考えて良いと思います。
古来より人々は、絶対精神に神と言う名称を付けて崇拝してきました
仮託されたイメージは様々ですが本質は同じであり、
祈る人には安らぎをもたらしたのだと思います。

415避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 02:16:13 ID:OWFkcfvg0
>>409
鬼和尚さんの言っているイエスや、神というのは旧来の自我によってゆがめられた
キリスト教などのイメージから来るものだと思います。私はそんなイメージを持っているかの
ようにあてはめるのは投影ではないでしょうか?

神は世界を創っていない、幻想とは全く関係ない、というのがイエスの悟ったことだったようです。
勿論神しかない、ということは自分(我、個人、他人、世界)もない。実在、鬼和尚さんの言っている
ただ在る一体の意識、霊しかない。つまりそれが神であり本来の自己だと。
それでなくてもスピリチュアル系などの発展?の貢献もあって自分と離れたどこかの救ってくれる神、などという
イメージを持っている人は少なくなっていると思います。

言葉も形も関係ない、イエスもブッダも鬼和尚さんも私もみんなも実はいない、それ(幻想とは関係ない一体の
意識)しかない、ということをイエスもブッダも鬼和尚さんも言っているのに、なぜ表面上の言葉やイメージで区分け
するのでしょう?
それは幻想を強化している気がします。
無ということを徹底するために神のイメージを撤去する、言葉さえ、という鬼和尚さんの立場上の主張は分かり
ますが。。

416避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 02:44:51 ID:OWFkcfvg0
救われる必要のあると思い込んでいる自分(我)というのは普遍の意識(一体性、神)から離れている、という幻想を見ている
ということで、その自我が、間違った救いや神のイメージを抱くこともある。
イエスや鬼和尚さんが言っているのは、全ての間違い、自我、幻想から、その本来の一体の意識、分離していない
意識に目覚めなさい、ということですよね。同じじゃないでしょうか。
その過程で自我が本来の自己に明け渡すとき、自分(我)より大いなるもの、という意味で神(我ではない自分)を信じる、
という言葉になったりする。

417避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 03:07:24 ID:OWFkcfvg0
>イエスもブッダも鬼和尚さんも言っているのに
ブッダがそういったかは分かりません。すみません。

418389:2013/08/30(金) 05:47:35 ID:FolTiOC.0
>>396
ありがとう、ありがとう

419避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 06:05:51 ID:WL2yRwjAO
修行の到達点である無認識とは痴呆とはどう違うのでしょうか
客と主人を区別出来ないと仕事も生活も成り立たないのですが

420素人A:2013/08/30(金) 10:54:26 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん私は何気なく眺めていると.あっと言うまに答えが.目の前?から出る
のですが.あまり考えていないので日本語が無茶苦茶出鱈目になるのですか.正しい
日本語にすると色々疲れるのでそのまま書き込む時が何故か冴えている?私が直すと
何か感じが違う?日本語ぐちゃぐちゃでもしょうが無い。すいませんもう答えが。
でも聞いてほしい

421避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 21:03:58 ID:NpBkhqbI0
これだけやってれば悟りが開けるという瞑想を教えてください。

422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/08/30(金) 21:05:32 ID:kaXJvxhM0
>>412 禅の言うのは十牛図の返本還源じゃな。
 記憶に依存した認識も無ければ世界の在りのままの姿が見えるのじゃ。

 マハリシは普通の人が見る現実はスクリーンの上の影でしかないと言ったのじゃ。
 意識がスクリーンであり、現実はその上に浮かぶ影なのじゃ。
 影が無くなればやはりありのままの世界が見えるのじゃ。
 普通の人間の意識の仕組みを表しているのじゃ。
 
 わしならば記憶に依存した認識が無くなり、本来の認識によって世界の在りのままの姿が見えると言うじゃろう。
 可能な限り正確に語るのじゃ。

 
>>413 そうじゃ、何でも試してみるのじゃ。

>>414>>415 なにやら混乱しているようじゃ。
 イエスは本当にそんな事を言っているじゃろうか?
 
>>418 どういたしまして、またおいでなさい。

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/08/30(金) 21:11:20 ID:kaXJvxhM0
>>419 痴呆は記憶が働かないのじゃ。
 普通の者は記憶に使われているのじゃ。
 無認識に至れば記憶を道具として使えるのじゃ。

>>420 それでよいのじゃ。
 言葉になる前の直感を捕まえるのじゃ。
 それが深甚なる観察になるじゃろう。

>>421 観察すると良かろう。
 己をどこまでも観察していけば自然に悟れるのじゃ。
 マハリシのように最後まで追及すれば悟りは来るのじゃ。

 集中でも悟れるが対象の無いサマーディにまで行かなければならないのじゃ。
 それには才能と時間が必要になるのじゃ。

424避難民のマジレスさん:2013/08/30(金) 22:04:28 ID:LC3de7YgO
>>422
ありがとうございます。
より瞑想が深まる座りかたを工夫してたら、たまたま臍下丹田の熱感があらわれ、求めて得られるものではなかったので、嬉しくもありました。しかしそれをいじり回すことに夢中になってしまうと、瞑想がそれこそ迷走してしまうのではないかとも思いましたが、今のところ意外に自分の中にそういう欲求が起こってきません。
『熱感』の取り扱いについて、① それを生じさせるために特別なことはしない。普通の腹式呼吸と正しい姿勢を整え維持することのみを考える。 ② 熱感が生じてきたら、呼吸に集中し観察するのと同じように集中し観察する。呼吸は安静になると微弱になり、時々見失い、呼び起こすために働きかけてしまったりするが、熱感はあるがままを観察する対象として最適な気がします。

425避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 01:27:05 ID:8a6bCf4A0
観察が大事ということですが、観察もせず、特に思考もせずという状態でいるのは観察とは別物でしょうか?いわゆるぼーっとしているような状態です。
これでは修行になりませんか?

426避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 06:57:28 ID:voIG27As0
>>422
禅やマハルシの話ありがとうございます。
言葉上では理解できますが、真意が体得できてないので、鬼和尚様の言葉も含め、
参考にしながら進みたいと思います。

ちなみに、釈迦が弟子を亡くして泣いた話などは鬼和尚様はどう捉えてますか?
後代の大げさな誇張でしょうか?
それとも、それは悟ったものであれ、自然で当然の反応でしょうか。
あるいは、そうでなくてもよいけれど、そういう身体表現を釈迦が選んだのでしょうか。
鬼和尚様の意見を聞かせていただけますか?

427避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 07:06:40 ID:WL2yRwjAO
自我を滅すると何か良いことがありますか?

428避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 07:28:03 ID:WL2yRwjAO
苦を滅するのなんて簡単じゃないですか
要は気にしなきゃいいんですよ
何が起きても気にしなきゃいい。
こんな楽な事は無いですが、世間的には単なる無責任者、大馬鹿、フーテン野郎でしょう
苦を滅する方法なんてみんな知っているのだが
人間としてのプライドや責任があるから黙って苦を受け入れているんでしょう
お釈迦さまみたいに子供が生まれても放置してりゃ「楽」なのかもしれんが、世間の人は責任感があるので、
働いて養育費を稼いでいるのでしょう

429避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 15:17:41 ID:Nfac3xok0
霊が見える人がいますが、霊が見えるのも観念によるものなのでしょうか。

430鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/08/31(土) 20:28:21 ID:kaXJvxhM0
>>424 姿勢が正確で、下腹に力が掛かると自然に熱が発生するのじゃ。
 その熱が背骨を上昇してサマーディに入るのじゃ。
 しかし、集中力が無いと意識が無く寝たのと同じになってしまうのじゃ。
 集中力も必要なのじゃ。

>>425 ならないのじゃ。
 寝ているのと同じなのじゃ。
 集中するか観察するかどっちかをしてみるのじゃ。

 全く何もしないという行もあるが普通の人間には困難なのじゃ。

>>426 嘆く事は出来たじゃろう。
 人に説法をするために仮に自我を保っていたであろうからのう。
 そのような時には自然に感情も出るものじゃ。
 それをあえて止める必要も無いから止めなかったのじゃろう。

>>427 不安が消え、恐れも消えるじゃろう。
 それらは記憶から自我に投射されていたものであるからのう。
 過去に孤独や恐怖があると、それが自我に起こりはしないかと不安や恐れになるのじゃ。
 不安や恐れが無ければ、自然に心は安らぎ、静まるのじゃ。
 そして真の悟りへの道も開かれるのじゃ。

>>429 今生きている人が見えるのも観念であるように、霊も観念なのじゃ。
 生死に関わらず人は観念の中に生きているものじゃ。
 霊も生きている人も同じなのじゃ。

431避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 20:50:37 ID:Nfac3xok0
もしもヒトが種として別のものに進化したとするならば、そのとき悟りや仏の智慧はどうなるでしょうか。

432避難民のマジレスさん:2013/08/31(土) 22:57:21 ID:LC3de7YgO
>>430
ありがとうございます。
『熱感』を止観の行の中で積極的に位置付けて行くことにします。
今朝は熱感を感じませんでしたが、夜は感じました。先日初めて感じた時は、発生後しばらくしてから拡大して、鳩尾まであがり、更に胸から喉辺りまで上がってからつまってしまいました。背骨を辿る感じはありませんでした。今夜は臍下丹田から尾てい骨に降り、そこからの上昇をイメージしてみましたが、そこにとどまり続けました。

433避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 04:15:00 ID:Eeq.xRdA0
>>430
なるほど、釈迦の嘆きに関して、ありがとうございました。
お聞きしたことを参考にしながら、今後も修行させていただきます。

434避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 09:21:34 ID:WL2yRwjAO
悟りとは、例えれば将棋やマージャンに熱くなっている人が「あ、単なるゲームだった」と気付く事だとすると
豊臣秀吉や将棋の羽生名人とかは最も業が深い人間なのでしょうか
それともある程度悟っているので、人生や将棋の勝負に強いのでしょうか
悟りを開いたお釈迦さまや鬼和尚がガチで将棋やマージャンに取り組んだとしたらやはり抜群に強いのでしょうか
それとも意外と大したことが無いのでしょうか

435避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 09:34:01 ID:kmIvPjik0
鬼和尚、何もやる気の起こらない60歳の年金生活者に喝をいれてくだされ。

436避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 19:51:11 ID:RqjHb0Jg0
心の観察というのが分からなくなりました
観るのと味わうのは違いますか

手の観察ならしわとか指紋とか観れますが
怒りは怒りでしかなくこれ以上掘り下げようがありません
怒ってるなー自分すげー怒ってるなーと感じる以上に何かできますか?
心を観るというのはどういうことでしょうか

437避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 20:20:16 ID:V8M.lreU0
鬼さんあっしに名前つけておくんなまし

438鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/01(日) 20:39:12 ID:kaXJvxhM0
>>431 もし本当の意味で正しい進化をしたならば、悟りを得ることはより容易くなっているじゃろう。
 サマーディに到達する事も容易であり、そこから先に行く事も簡単になっているじゃろう。
 平等智などは生まれながら持ちっているかもしれん。
 それが苦を少なくする正しい進化の方向と言えるのじゃ。

>>432 熱にばかり意識が行くと消えるかも知れん。
 むしろ正しい姿勢を続けることに留意するのじゃ。
 そうすればやがて熱が昇る時にも役立つのじゃ。

>>433 どういたしまして、またおいでなさい。

>>434 そのような勝負事は知識や技や観察や運なども必要になるからのう。
 強い者はそれなりの勉強や努力をしているものじゃ。
 気づく事だけでは勝てないのじゃ。

 なによりも勝つという強い意志がなければ勝てないのじゃ。
 悟ってしまえば勝ちたい欲がなくなる故に強くならないのじゃ。
 強い者ほど囚われが多いとも言えるかも知れん。

439避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 20:59:52 ID:WL2yRwjAO
と言う事は悟るとむしろ社会的には落伍者になる可能性も高い訳ですか

何の為に修行しているのかわからなくなってきたわ

ある程度煩悩が無いとむしろ生きづらいんじゃないですか?

私は世間的な欲が少ないのか車とか野球とか普通の社会人の常識が全く欠落していて苦労しています。
悟りを開けばこう言う興味ない事にも対応出来るのかと思いましたが
そうでもない訳ですか

440鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/01(日) 21:08:54 ID:kaXJvxhM0
>>435 そのような年ではそろそろ逃れられない寿命が迫っているのじゃ。
 これからは後10日で命が終ると想って修行に励むと良かろう。
 そのような覚悟で修行に励めば本当の死が来たと時も後悔しないのじゃ。

>>436 その怒りなども起こってからそのままでいる訳ではないじゃろう。
 何かの原因で怒っても、時間が経つと静まってきたりするのじゃ。
 そのように時間と共に怒りが、静まってきているのを観察するのじゃ。
 大きな怒りから小さな怒りへと変わっていく事を確かめるのじゃ。
 そうすれば怒りが変化していくものと気づくのじゃ。
 他の感情でも変わるのを観察してみるのじゃ。

>>437 おぬしは龍の如き広大な心である龍広じゃ。
 龍広よ、修行に励むのじゃ。

441避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 21:11:13 ID:WL2yRwjAO
囚われがあった方が良いとはおもわなんだ
囚われが無くなったら駄目じゃん
修行したら駄目じゃん
強力な囚われを作るにはどうすれば良いのでしょうか

442鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/01(日) 21:12:40 ID:kaXJvxhM0
>>439 お釈迦様は国や妻子を捨てて、死ぬまで乞食僧だったのじゃ。
 しかし、天上天下で唯独り尊い者だったのじゃ。
 
 社会的な欲が無いなら、むしろ苦は無い筈なのじゃ。

443避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 21:17:09 ID:WL2yRwjAO
本人に苦は無いけど、世間的には精神病じゃないですか

444避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 21:19:58 ID:WL2yRwjAO
お釈迦さんがコジキが出来たのは周りの生活者が支えていたからであり、もし皆がコジキになったらお釈迦さんが農業しなきゃならないか
みんな餓死しますよ
日本の未来はブータンみたいな国ですか
それもどんなもんかなと

445避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 21:30:59 ID:WL2yRwjAO
大悟語徹底したら何事もやる気がなくなりホームレスになると言うのは嫌だな。
ホームレスになる嫌悪感が一般人の悟りを阻むと思います。
この恐怖から脱却させないと衆生は悟れないと思います。

446避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 22:20:22 ID:Nfac3xok0
日常、仏陀に出会うことはできるでしょうか。
もしも仏陀に出会うことができたなら、その人が仏陀であるとわかるでしょうか。

447避難民のマジレスさん:2013/09/01(日) 23:16:54 ID:rv7HtzzQ0
>>439

あなたは狂気に巻き込まれたくない。
その程度の正気しかないということです。
ブッダでもない限り普通そうです。
欲が少ない人ほどこの世では苦労します。
でも、欲が無く目覚めているわけでもない。

煩悩が本当になく目覚めていれば、全く影響を受けずこの世の狂気と共に生きることができます。
世界に溶け込めます。

その上でどういう生き方をするか、教えるか教えないか、教えるにしても
世間と溶け込む教えにするか、出家する教えにするか、その人の個性と、その時代の人々の状態次第です。

448避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 05:16:09 ID:WL2yRwjAO
悟った人は何が楽しいのでしょうか
サッカーを見ても野球をしても映画や小説を見ても無感動であれば
いきてても仕方がないのではないでしょうか
それは本当に幸せなんでしょうか

449避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 06:33:07 ID:LC3de7YgO
>>430
ありがとうございます。
股関節や足首の柔軟性を高めるストレッチを行い、いつもと逆の足組のハンカフザで今朝は座れました。無理せず柔軟性を高め、骨格矯正を行いたいと思ます。
集中力を高めるためには、意思力も大切ですが、正しい姿勢を探り当て、維持することがすごく有効であると実感します。

450避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 18:54:15 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚

集中と観察は何が違うのですか?
何かを観察しているとき、たいていは集中しているのではないですか?

451避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 19:06:25 ID:T/mZz86.0
鬼和尚の言う悟りを得た場合、周囲の人間も含めてハッピーエンドになると言っていいの?
鬼和尚が悟った結果、不幸になる人はいなかったのですかね。
結果的に、周囲の者も含めて、喜ばれるというならば、悟りを目指す価値はありますが
単に、自分だけ楽で、周囲の者が不幸になるようなものだと、二の足を踏むのも仕方がないと思います。

452避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 19:08:58 ID:NpBkhqbI0
具体的にいうと、鬼和尚の親や兄弟、親戚、友達、彼女、職場の上司、部下、同期なども
鬼和尚が悟ったことで、幸せになっていますか?
それとも不幸のどん底ですか?

453避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 19:49:06 ID:V8M.lreU0
>>440
後生大事にするでおま。頂戴した名に恥じぬよう修行するでおま!

454鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/02(月) 19:57:38 ID:kaXJvxhM0
>>443>>445 お釈迦様は自らその道を選んだだけなのじゃ。
悟れば自由意志でなんでもてきるのじゃ。
悟ったから酢屋になつたりタバコ屋になった者も居るのじゃ。
 
 
>>446 おぬしが十分に学び、そしてその知識にも囚われていなければ、仏陀に会い、判る事も出来るじやろう。
 学んでその知識に囚われ傲慢に成れば、却って仏陀にあっても判らなくなるのじゃ。
 ここにもそのような者が出没しているのを見ればわかるじゃろう。

>>448 そのようなものに感動するのは、日常が不安や苦によって苛まれているからなのじゃ。
 良く観察してみれば一つの球を何人も追いかけておかしな遊戯なのじゃ。
 不安や苦を忘れるためにそのような遊戯に熱中するのじゃ。

 瞑想をすれば人を超えた喜びがあるものじゃ。
 仏陀はそれにさえ囚われ無いのじゃ。

>>449 おぬしにはその道があっているようじゃのう。
 ヨーガなども参考にすると良いのじゃ。
 呼吸法を試してみるのじゃ。

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/02(月) 20:14:46 ID:kaXJvxhM0
>>450 集中は心のコントロールをするためのものなのじゃ。
 集中力が無いと観察している途中でよけいな雑念が湧いて観察も出来ないのじゃ。
 もし数息観などの集中の瞑想をしていなければ、観察することも容易ではないのじゃ。

 普通の人間はほとんど観察が出来ないのじゃ。
 集中力が無く観察力も無いのじゃ
 観察するために集中力が必要なのじゃ。

>>451>>452 例えばおぬしが悟りを得たとしても、他人は幸福にも不幸にもならないのじゃ。
 なぜなら人は自ら幸不幸を選び、志向するものであり、他人が自分の意志で幸福になったり不幸になったりするのを、目覚めた者は妨げたりしないのじゃ。
 昔、ナポレオンが国を征服して奴隷を解放したら逆に奴隷に反抗されたと言う事があったのじゃ。 
 そのように人は幸福を求めるように、不幸をも求め執着するものじゃ。

 お釈迦様でさえ自分は道標に過ぎないと言われたのじゃ。
 人が自らを救う道を示すのが目覚めた者なのじゃ。
 
>>453 そうじゃ、龍広よ頑張るのじゃ。
 またおいでなさい。

456避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 20:28:45 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚の世界観ってやたら自閉的だけどもさ
普通「いい人」の周りの人間は心が安らいだり、幸せな気持ちになったりする訳じゃないですか
お釈迦さまのケースでも、五人の旧友がいっぺんに悟りを開いたり病気が治ったり家庭崩壊が救われたりしている訳ですよ
結局は本人が幸せになったとも言えるが、その誘因を作った釈迦には周囲の人間の苦悩をやわらげる巨大な影響力があった訳でしょう
少なくともお釈迦さまは存命以来無数の人間に敬愛されてきた訳だしね
鬼和尚の悟りも全人類に祝福されるようなそう言うものであってほしい訳ですよ。

457避難民のマジレスさん:2013/09/02(月) 22:34:48 ID:Nfac3xok0
>>411

>>405です。

物心ついたころから、墓というものやシステムについて違和感を持っていた。
親に連れられて何度も祖父の代や誰だか知らない親戚の墓参りに行ったが、違和感が強く、心ここにあらずだった。
親が墓地のある区画を示して
「ここが私たちの入るとこ。あんたもその先もずっと入れる。」
と私に言ったが、その場所も頭に入ってこない。
お上人さんが墓や仏壇に向かって経を上げるが、こういった行いはほんとに仏教だろうか、と疑問を持つ。
この思いは誰にも言ってない。

私は、自分でそれでよいと思い、実践できるだろうか。

458避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 00:07:06 ID:Nfac3xok0
観察のやり方についてですが、観察の経過なり結果なりを何か(例えば言葉)に表すのでしょうか。

459避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 06:01:13 ID:LC3de7YgO
>>454
ありがとうございます。
ストレッチと書きましたが、実際は以前買った密教ヨーがの本を見ながら片足のバタフライアーサナをやって両足交互にハンカフザができるようになりました。
自分の身体の固さは、滑稽なほどで、開脚などは90度くらいしか開かないし、そこからの上体を曲げることなどいまだ不可能です。修行的には執着しちゃいけないのでしょうが、できなかったことが少しづつできるようにはなることは、嬉しいものです。
プラナヤーマという呼吸法にもチャレンジしてみます。

460避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 06:58:59 ID:WL2yRwjAO
仕事中に出来る修行は何かありますか?

461避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 08:59:50 ID:yn/iwkGM0
>>455
>昔、ナポレオンが国を征服して奴隷を解放したら逆に奴隷に反抗されたと言う事があったのじゃ。 
>そのように人は幸福を求めるように、不幸をも求め執着するものじゃ。

この例だと何が幸福で何が不幸なの?

462避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 12:06:25 ID:RqjHb0Jg0
未知の幸せより良く知った不幸を無意識に選んでしまうこと自分にもあるわ
でも一度知ってしまったら元に戻れないように、悟った人の言葉を100万聞くより
10秒でも悟った感覚を味あわせてもらえば話が早いのにと横着根性が出てしまう
ニコチン中毒者がタバコを吸ってこれぞ至福というような遊びはもうそろそろ止めたい

463避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 18:22:50 ID:WL2yRwjAO
今日、仕事で書類に、「8(はち)」と言う数字を無数に書かなくてはならなかったんだが、
百回くらい書いたところで「あれ?8ってどう書くっけ?」と書き方を忘れてしまった。
こう言う現象を心理学でゲシュタルト崩壊と言うらしい。
鬼和尚が言う観察中の「厭離」と言う現象とかなり共通性があると思う。
しかし精神医学では普通に病理現象として扱われている。
鬼和尚がいくら「わしは悟った」といっても
医者は「うん。病気だね」で片付けられる可能性が高いと思う。
宗教板のご隠居なども鬼の首を取ったかのように
「釈迦の悟りは単なる精神病である」と攻撃してくるだろう。
鬼和尚はどう思いますか?

464避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 19:13:14 ID:NpBkhqbI0
法話をお願いします。

465鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/03(火) 20:38:39 ID:kaXJvxhM0
>>456 お釈迦様のいとこで弟子になった提婆達多は反逆して生きながら地獄に落ちたと言う。
 力があるならば強制的に修行させ、智慧があるなら無理やり説得する事も出来たじゃろう。
 それをしなかったのは自らを主として、自分の意志で決めさせるためなのじゃ。

 幸せになるのも不幸になるのも各自の意志によるもので無ければならんのじゃ。
 そうでなければ幸せになるからサリンをまいても良いだろうと考えるカルト宗教と同じになって仕舞うのじゃ。
 自らの意志によらなければ人は幸せにならないのじゃ。

>>457 葬式をしたり墓を作るのは仏教ではないのじゃ。
 おぬしがそう思うならやらなくてよいのじゃ。
 西洋人は先祖の墓など忘れてしまうがやたらと元気なのじゃ。

>>458 最初のうち、自分が何をしているのかわからなくなるようならば、言葉を使っても良いのじゃ。
 しかし、集中して出来るようになったら、言葉を使うのはやめたらよいのじゃ。
 なぜならば言葉にならない心の動きも観察しなくてはいかんからじゃ。
 言葉に頼っていては言葉を超えた心の働きは観えないのじゃ。
 観察した後にあれは怒りであったとか、言葉や考えになるのはよいのじゃ。

466鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/03(火) 21:02:16 ID:kaXJvxhM0
>>459 何でも試してみたらよいのじゃ。
 何か得るものはあるじゃろう。
 またおいでなさい。

>>460 集中するのじゃ。
 仕事に没頭し、集中すれば集中力が高まるじゃろう。
 呼吸に集中しても良いのじゃ。
 本当に集中したら時間が短く感じるじゃろう。

>>461 ナポレオンにとっては自由が幸福であり、不自由が不幸だったのじゃ。
 しかし、不自由でも食べ物だけは与えられ生きているだけで良いと想う者達も居たのじゃ。
 その者達は不自由が幸福であり、自由が不幸と想っていたともいえるじゃろう。

>>462 姿勢を正しくして座ってみたらよいのじゃ。
 初心の者が姿勢を正しくする事だけに留意すれば、直ぐにでも三昧に到達する可能性が高いのじゃ。
 未だ無心であるからのう。
 慣れて来ていろいろ考えると難しくなってしまうのじゃ。

>>463 何も想わないのじゃ。
 それが起こるのは元々一切に意味が無いからであるが、それを知らない無知な者は放っておけば良いのじゃ。
 自分が何を語っているかさえわからないのじゃ。

467避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 21:44:12 ID:LC3de7YgO
>>466
ありがとうございます。
今夜は、熱感を上半身一周させることができました。臍下丹田に生じた熱感が自然に下に落ち、背中にまわりましたが、背骨に沿って上がって行くのを想像してたのですが、腰、背中の幅いっぱいに広がった平べったい熱感が少しづつ上がって行く感じでした。頭頂部はすんなり越えました。眉間から下に抜ける時に少し震えましたが不快感はありませんでした。
多分20分くらいで一周したと思います。

468鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/03(火) 21:51:09 ID:kaXJvxhM0
>>464 全てのものは本来名前が無いものじゃ。
 人が勝手に名前を与え、記憶によりイメージをも与えただけなのじゃ。

 例えば道端に転がっている固い物を石と呼ぶ。
 しかし、それは名前がついたから石になって存在した訳ではない。

 名付ける前からそこにあったものなのじゃ。
 人が名づけようかと名付けまいと関係なく在り続けるものじゃ。

 しかし、人が名付け、それにイメージを与えると石と言うものとしか想う事が出来なくなるのじゃ。
 名前からイメージが想起され、投射される故に、石は石としてしか認識できなくなるのじゃ。

 人間も同じように鈴木家の一郎とか名付けられると、自分は鈴木一郎としか思えなくなるのじゃ。
 記憶から過去の体験のイメージが投射され、そのような経験をした鈴木一郎であると言う固体認識がなされるのじゃ。

 それが自我というものなのじゃ。
 本来の名付けられないものの状態を忘れた習慣による謬見なのじゃ。

 観察やサマーディなどによって名前が同一化できなくなると、本来の名前の無い状態が見えるのじゃ。
 名前や過去の記憶からのイメージが己であると言う謬見が止まり、真実の姿が垣間見えるのじゃ。
 
 修行者は自我とは名前とイメージでしかないとしり、恐れを超えて行くのじゃ。

469避難民のマジレスさん:2013/09/03(火) 22:05:57 ID:yn/iwkGM0
>>466
ようするに幸も不幸もその人の価値観次第って事かな。

>>468
言ってることは分かるんだけど、それをしてたら社会生活に支障が出るんだよね。
人間にしろ道具にしろ名前を付けて役割を定めてるから物事が円滑に進むんでしょ。

470・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ:2013/09/04(水) 00:18:32 ID:fX34j9Yw0
>>468 おに さん

いのちの名前~平原綾香 with 久石譲 - 48件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=iViw8U6_mn4&list=RD02B68jjHk3Xlc

471・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ:2013/09/04(水) 00:31:55 ID:fX34j9Yw0
.ブッダの真理の言葉 第1章〜第26章 通読 - 2:16:21
http://www.youtube.com/watch?v=cQ0Wp_yT3hQ

472・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ:2013/09/04(水) 00:36:09 ID:fX34j9Yw0
ブッダの真理の言葉 ダンマパダ - 26件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=tyileAIs280&list=PL-1lf5hs7tMrkPn9_Oq01LECyyMhz4X36

473・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ:2013/09/04(水) 01:22:35 ID:8KwfB2fY0
.【FULL】観音経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 日蓮宗法華経 お経 - 15:01
http://www.youtube.com/watch?v=eHnudlLg1F8
.真言宗智山派 護摩修行 - 10:00
http://www.youtube.com/watch?v=WNP23chNClk
Okyou Bukkyou Hotokesama ; お経 ご詠歌 仏教 - 35本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=AhYBSqeyj4s&list=PL06C0ACC46677C002
酒井雄哉二千日回峰(道遙かなり)_ ^ 10件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=SKcie3yOZ0I&list=PL7D66E240708B27F0
.大峰千日回峰・塩沼亮潤大阿闍梨 - 58:36
http://www.youtube.com/watch?v=ppiFT0wYbNw
日本宗教の映像資料 - 103件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=twiBbKx2INQ&list=PL096EA9AF2F4A8392
ぶつ - 119件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=IdinNrWFUME&list=PL82149F8D5C6483BD
.曹洞宗大本山總持寺 朝課  - 48:13
http://www.youtube.com/watch?v=BBF2q0p9pdg
.チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra) - 9:34
http://www.youtube.com/watch?v=xXgvRvHoqAI
サンスクリット般若心経  - 6件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=8kZc9ne6v2s&list=PL3849492C301B5E17
.雅楽への誘い 1300年続く宮廷楽団 宮内庁楽部 Invitation to GAGAKU(Japanese) - 20:00
http://www.youtube.com/watch?v=blm9BrnEl9U
雅楽 - 26件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=blm9BrnEl9U&list=RD02blm9BrnEl9U

474避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 06:05:07 ID:9q4Ybj3s0
鬼和尚、延命治療についてどうお考えですか?
現在母は89歳、10年前から認知症で施設にお世話になっていました。
このたび腎盂炎で熱が下がらず、3ヶ月前から病院に入院しています。
もう何もわからない状態です。
目は開けていても、呼びかけても反応がありません。

延命治療はしないつもりでしたが、病院に入ると医者が次々と治療を持ちかけて
きます。口から物が食べられないので栄養補給の点滴、貧血なので輸血。
今回は手足がむくんできたので点滴がしにくくなり、鼻からチューブを入れて
栄養補給してはどうか、と言われています。

家族としては少しでも長生きしてもらいたい、でも本人が嫌がるような延命治療は
避けたい。私はもうどうしたらよいか、わからなくなりました。

475避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 06:22:36 ID:WL2yRwjAO
いい年しても親と暮らしていると子供の自我が生じて思考パターンや行動がついつい子供のようになってしまうようだ
会社に行くと上司との関係で従業員の自我が生じる。
自我は他人の心の中にある。(他人の心も自分の心だしても)
このように自我が発生する瞬間を何度も観察しているが
自我が消える訳ではなく、会社に行くとやはり従業員の自我が発生するし
親と合うと子供の自我が発生する。
弟と合うと兄の自我が発生する。
実際に合ったり場に足を運ばなくても心の中で思っただけでもそれに応じた自我が発生するのが見てとれる。
しかし悟りが開けているとは思えないし、やはり自我は生じてくる。
と言うか自我が生じないと困るので自我は生じる
自我を生じさせないで「おう!社長、元気か」などと言ったら普通に首になるのだから、自我は必用な訳だ。
つまり苦を滅却させる為には、自我を滅却させても駄目で、会社との関係で言えば自我を強化させる事が必用なのではないですか?
それが幻想であることは十分承知なのだから執着すると言うことはまず無いと思う。
イカダの喩えで言えば、イカダは川を渡るために必用だが、余りに貧弱であれば、水没してしまい用を満たさない。
いずれ棄てるにしても、世渡りが出来る程度に強固で無くてはならないのではないだろうか

476避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 06:35:54 ID:WL2yRwjAO
殆どの大多数の人は、自我が弱くて苦しんでいる。従業員と言う自我が作れず、つい遅刻したり、
課長や社長と言う自我が作れず、部下に舐められたりして苦労している訳だ。
従業員でも課長でも社長でもいいが、はっきりとした自我を作らないと、そもそも世渡りが出来ず、世渡りが出来ないと修行もしていられない
お釈迦さまみたいにホームレスになれば良いが、お釈迦さまの場合は側近が一緒に修行に付き合ってたり父親の後ろ楯があったりと
「セレブホームレス」なのだから同列に考えてはいかんと思う。
一般人は社会人の自我と家庭人の自我を両立させることが世俗での使命で、自我を消す修行より優先される。
自我を消している場合では無いのだ。
つまり自我の消し方講座と平行して自我の作り方講座が必要であり
子供が自立する年になっても親の自我に執着して子供をスポイルしたり
社長になっているのに課長の自我が出てしまう場合もあるので自我を消す技術も必要だが、どっちも必要ではあるまいか。

477避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 06:58:18 ID:WL2yRwjAO
岩波文庫の浄土三部経を読むと阿弥陀如来は瞑想用のイメージ仏であると書いてあったと思うが、実在すると言う人もいる。
フロイトのように神や仏は幼児期の親子関係の再現だと言う人もいる。
ヘーゲルは神は民族精神の反映であると言っていたと思う。
何であれ、自我は何かの支えが必要である。
私は阿弥陀さんのちの子供ですと言う自我があった方が世渡りはしやすい
ワシは山○組の若衆やと言う自我も幻想だが、こう言う自我よりは阿弥陀さんの子供と言う自我の方が自他に迷惑をかける確率は低いと思う。
島○伸介も、自分のバックにはヤクザがいると考えるよりは阿弥陀さんがいると考えた方が、周りも自分も幸せにしたんじゃないかと思う。
今も昔も、一般人には、念仏を唱えるくらいがやっとと言う面もあるし

鬼和尚にも念仏も一つの方便としての評価をしてもらいたいと思う。

478避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 07:06:23 ID:WL2yRwjAO
つまりどうせ、社会を生きる上で自我が生じるのであれば最も凡用性の高い自我
つまり超慈悲深い万能の仏との関係で生じた自我に乗って世渡りした方が「楽」なようなのだ。
そうなるとますますその自我を消すのが難しいと言うのも一理あるが、ブラック企業の社員の自我が生じるリスクもあるので、もっと良い方法が無い限りは、よりマシ自我に乗るしかないとも思う次第です

479避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 10:31:18 ID:9q4Ybj3s0
鬼和尚さん、人生相談の方にも来てください。

480避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 19:00:55 ID:WL2yRwjAO
今日、上司に「お前、暗いんだよ。もっと明るく話せよ!」と言われたんだけど、わかっちゃいるけど、気がつくといつものテンションになっちゃう
よくも悪くもいつものテンションが楽なんだ
自己イメージが暗いんだよ
その結果苦しんでいる。
彼女も出来ずらいし
上司にも怒られるし、
こんな自我に執着してもいいこと無いのに
鬼和尚を見習って意志の力で勤勉で明るくてユーモアがあって慈悲深いキャラクターを演じてみればいいのかな
出来るだろうか
キャラを持続させるコツを教えてください。
暗い性格を作っている記憶から順観逆観すればいいのかな
そして楽しい記憶を捏造するとか

481避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 19:30:05 ID:WL2yRwjAO
大体、暗い性格でも無きゃ悟りを開こうなんて思わないよ
「明るい」「明るい」と百回言えば明るくなると言う人もいるけど
そんなことしてること自体が暗い人だしな

482避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 19:43:45 ID:tHj0j65Y0
生きていく以上さまざまな問題に直面するのが普通でそれをストレートに表面に出してしまう奴もいるし
あくまでそういう問題はないように振る舞い、振る舞わなきゃいけないと思ってるような奴もいる。
表面的に明るいようなやつが意外にも自殺しちゃったりするし一概なことは言えないが。

483避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 19:57:14 ID:V8M.lreU0
鬼さん鬼さん。坐るときの手の組み方はどないしたらいいんでっしゃろ?

484避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 20:01:13 ID:tHj0j65Y0
ここは専用スレだった。失礼しました

485鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/04(水) 20:33:38 ID:kaXJvxhM0
>>469 名前が無ければ幸不幸も、社会も無いのじゃ。
 それこそが本当に実際的な事なのじゃ。
 あるがままの現実に対応するのであるからのう。

>>474 延命は治療ではないのじゃ。
 治療とは病を治す事であるから、延命だけでは治療とはいえないのじゃ。
 医者は薬や器具を使えば保健が下りて儲かるから勧めるだけなのじゃ。
 
 本当はもはや医学では助からないと判れば、家で自然に死を迎えるが良いのじゃ。
 それもまた誕生と同じ自然の働きであるからのう。
 もはや治療ではない延命は止めるというとよかろう。
 
>>479 さっき来たのじゃ。

>>480 無罪の七施のうち和顔施をしてみるとよかろう。
 いつも笑顔で居るのじゃ。
 そうすると特に話さなくとも明るく見られるのじゃ。
 喋らないと威厳もつくのじゃ。
 やってみるのじゃ。

486鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/04(水) 20:35:20 ID:kaXJvxhM0
>>483 自分にあったやり方で良いのじゃ。
 禅のように前で組んでもよいのじゃ。
 腹が出ていて前で組むのが苦しければ膝の上においても良いのじゃ。
 いろいろ試して自分にあったやり方を探すのじゃ。

487避難民のマジレスさん:2013/09/04(水) 23:17:53 ID:Nfac3xok0
以前と同じような出来事があっても、それに対する自分の反応や対処が以前とは変わってきていることがわかります。
鬼和尚と対話していることの効果のように思います。

488避難民のマジレスさん:2013/09/05(木) 09:14:11 ID:yn/iwkGM0
質問じゃ無い、個人の感想みたいのは控えましょう。

489避難民のマジレスさん:2013/09/05(木) 19:22:00 ID:WL2yRwjAO
修行に励みたくなる法話たのむ

490鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/05(木) 21:05:28 ID:kaXJvxhM0
>>487 修行の成果じゃろう。
 実践した者だけが進んで行くのじゃ。

491鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/05(木) 21:44:47 ID:kaXJvxhM0
>>489  およそ人がある事をしたいと思っても出来ない大きな理由は二つあるのじゃ。
 一つはそれをするのに恐れや不安があるためじゃ。
 もう一つは能力が無いからなのじゃ。

 恐れが無くなり、能力が高くなれば人が行う大抵の事は出来るようになるのじゃ。
 修行すれば恐れや不安は無くなり、能力も高まるのじゃ。

 その結果大抵の事は出来るようになるものじゃ。
 喩えば人が車を運転したいとか思っても、恐れがあり、運転能力が無ければ出来ないのじゃ。

 修行によって恐れが無くなり、能力も高くなれば運転できるようになるのじゃ。
 そのように実現したいと思って居ながら、出来なかった多くの事も、修行によって心を整える事で出来るようになるのじゃ。

 人の存在は心が主であり、心によって肉体は動かされているのじゃ。
 それ故に心を制する事が出来れば、多くの事が可能になるのじゃ。

 心を直接に扱う修行はただ悟りを得させるだけでなく、多くのことも可能にしてくれるのじゃ。
 実践する者は自ら体験してそれを知り、更に修行に励むのじゃ。

492避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 12:27:31 ID:WL2yRwjAO
その「修行」とは具体的に何ですか?
数息観とかですか?

493避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 19:46:34 ID:NpBkhqbI0
法話を乞います。

494避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 20:09:40 ID:WL2yRwjAO
座禅時は何も考えないで座った方がいいの?
それとも心の反応の因果関係を考えた方がいいの?

495避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 20:10:07 ID:LC3de7YgO
今日突然気分が塞ぎこみ、いたたまれない気持ちにおそわれました。
混乱しつつも心を観察するチャンスだと思い、その気分をあえて解消しようとせず、じっくり見つめてみようとしました。混乱した心をそのまま感じ尽してみようとしました。
そうしたところ、瞑想中に雑念を消すのと同じ要領であっさりと安定を取り戻してしまいました。
観の行を行おうとするのであれば、安定を取り戻してもなお、不安の原因とかを深く掘り下げてみた方がよいのでしょうか?

496避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 20:14:59 ID:WL2yRwjAO
結局、肉体は自分ではないが、それでも我々が宿命として肉体から離れて生きていく事が出来ないのであれば、それは「凖・自分」だよな。

取り替えられるならいいが、大抵は取り替えられないからね

ハゲはハゲとしてチビはチビとして生きていかなくてはならないし、
その責任まで負わせられる。

497避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 20:17:37 ID:WL2yRwjAO
修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ‥

オウムは最悪だがこのマントラだけは効果あるんじゃないか?

498避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 20:19:40 ID:yn/iwkGM0
スレチだよ

499鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/09/06(金) 20:40:35 ID:kaXJvxhM0
>>492 心をコントロールするためには数息観をするとよかろう。
 心にある不安とか恐れとかの障害を取り除くためには観察すると良かろう。
 
>>494 集中する時は考えないのじゃ。
 観察する時も考えないのじゃ。
 志向を離れるのが修行なのじゃ。

>>495 その苦を滅するためならば、原因を探し、追求したらよいのじゃ。
 原因から結果が起こる事を観察すれば二度と混乱はしなくなるのじゃ。
 意志によって使い分けるのじゃ。

500避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 21:44:05 ID:LC3de7YgO
>>499
ありがとうございます。
わき上がる不安や恐怖心に意識を向けることにより、心の混乱を鎮め、安定を取り戻すことはできますが、そういった苦を滅することはとても難しく感じます。原因が例えば失職することや死ぬことだったりする場合、原因がわかってもその原因を取り除くことはできないが、今この瞬間にないことを妄想して苦しむことはないといった理解でよいのでしょうか?

501避難民のマジレスさん:2013/09/06(金) 21:50:33 ID:RqjHb0Jg0
何をするでもしないでもなく気が枯渇する日がランダムに訪れます
原因あるのでしょうけどさっぱりわかりません
何のやる気も起きず鏡を見ると顔色が悪くて生気がありません
宇宙には無尽蔵にエネルギーがあるはずなのになぜ気が枯渇するんでしょう
山や海に行くと元気になるのですが頻繁に行ってられません
何か健康法があったら教えてください

あと悟った人はエネルギーが枯れることはないのでしょうか
それとも体調不良になってもそれを苦にしないのでしょうか

502避難民のマジレスさん:2013/09/07(土) 04:52:40 ID:WL2yRwjAO
寝て起きる瞬間を観察するのは修行になる?
今、寝て起きる瞬間、記憶を探り自分が誰か思い出す瞬間が見えたが、自我が消える訳ではないな


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