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佛教の經典・祖録・禪語等の保管庫
37
:
安堂
:2012/11/15(木) 01:50:19 ID:dQGgUa0s0
禅定には、有種子三昧と無種子三昧がある。
有種子三昧は、輪廻の原因が残る三昧であり、
無種子三昧とは、輪廻の原因が無い三昧である。
有種子三昧は、尋伺の有無で、四つに分れる。
第一には、ヴィタッカが残った、有尋定であり、
第二には、ヴィタッカが消えた、無尋定であり、
第三は、ヴィチャーラが残った、有伺定であり、
第四は、ヴィチャーラが消えた、無伺定である。
たとえば、鐘を鳴らすと、後まで響くよう、
ヴィタッカ、尋とは、鐘を鳴らすことであり、
ヴィチャーラ、伺とは、後まで響くことである。
たとえば、馬に乗るとき、乗り続けるよう、
ヴィタッカ、尋とは、馬に跨がることであり、
ヴィチャーラ、伺とは、乗り続けることである。
無伺定を繰り返すと、内なる清澄が生じる。
それは、サットヴァが、優位になった状態で、
その中から、直観智、プラジュニャーが生じる。
この直観は、具体的であり、個別的である。
サットヴァに基づく行は、他の行を抑え込み、
純粋なるサットヴァに導く、性質を有している。
そして、最後に、このサットヴァも越えると、
一切の心の作用が消滅して、無種子三昧となる。
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