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お気に入りのローマ皇帝2
1
:
カイザー
:2004/04/18(日) 01:31
旧スレが1000を超えたんで新しくスレッドを立て直してみました。
ローマ皇帝となってますが、まあローマに関する話題なら何でもOK
です。
素人の雑談以上のことを求められても対応出来ないんで、はじめに
おことわりしておきます。
いるのかどうか分かりませんが、ROMしてたけど、途中から書き
込みにくいと思っておられるお客様がおられたら、これを機会にカ
キコして頂けると嬉しいです。
40
:
カイザー
:2004/06/12(土) 16:48
ローマ以外では血縁者がいなくても無理矢理に遠縁を探し出してくるんですが、
別にローマはそうじゃないですからね。ただの人が本当に皇帝に成り上がれる
というのは、やはりローマ独特のシステムでしょう。
仮にローマが血縁をあくまで重視するシステムであれば、ネロが死んだ時に
ガルバが新皇帝となるのではなく、何としてでもユリウス朝の血縁を探して来
たことでしょう。血縁に拘った世界では、こういう時にこそ(例外もいっぱい
ありますが)無能な傀儡国王が誕生する訳です。
少なくともローマは王朝が滅んだ時に、傍系の実力があるかどうかも分からな
いでくの坊ではなく、その時の実力者が帝位をつかむことが出来るというシス
テムがあるからこそ、水準の高い皇帝が揃っているのではと思っています。
カエサルって、能力がどうとかはおいとくとしても、普通にイヤな奴だと思う
んですよね。人をバカにしてる人間は、誰からも好かれることはない。
ただ、こういうのはいいとか悪いとかいうことじゃなくて、カエサルの個性な
んでしょうが。事実に即したカエサルは、それはそれで魅力的な人物だとは言
えるでしょうけど、欠点も美点も併せて描かれたカエサル像というのはあんま
り見ないんですよね。
軍人皇帝時代にカエサルがいたって、意外と役に立たないような気もするんで
すけどね。カエサルの戦った戦争って、どれもこれも勝てて当たり前なのばか
りだというイメージが。
かなり偏見入ってる気もしますが。
41
:
マッティアス
:2004/06/12(土) 22:38
カエサルが勝って当たり前の戦争をしたということについては、おそらく塩野さん流
に言えば、しっかり現状を見据えるカエサルの冷徹さ、ということになるかと思いま
すが。多分、攻め込まれる戦争はあんまり得意ではなさそうですし、生きてパルティ
アに行っていたら、どうなっていたかはわかりませんよね。
カエサルって多分ナポレオンと似たタイプで、兵士の近くで指揮を執って初めて強い
カンジがするんですよね。だから、あんまり大軍同士の戦いになっていくつも軍が
分かれる戦いには向いていない気がします。まあ、アントニウスとか部下にも戦争は
うまい武将はそろっていたわけですが。ラビエヌスはパルティアに行っちゃいました
もんね。
欠点も美点も併せて描かれたカエサルといえば、パスカル・キニャールの『アルブキ
ウス』がなかなかそれっぽいです。わりにスエトニウスの印象に近いですが、自分の
世界観・自分イメージに囚われていた英雄としてのカエサルがイイカンジで。
オクタウィアヌスもイイカンジにまとめられていました。美男でちょっと下世話で。
42
:
カイザー
:2004/06/15(火) 00:54
まあ、確かに私もカエサルが勝てるような状況を構築した過程を、全否定はし
ないですけどね。三頭政治の一角を占めてガリア遠征の司令官になったことだ
けでも、並大抵のことではないんですからね。
でも、別段、有能とされる色んなローマ皇帝達の業績を凌駕するとかは、全く
感じないなあとも、同時に思ってしまうんですが。
悲惨な戦力で戦功を挙げまくったのは、ベリサリウスが筆頭でしょうね。
新兵を押しつけられて、ホスロー1世のペルシア軍や東ゴート王国に勝利し続
けたのは、マジで信じがたいです。
しかも、皇帝ユスティニアヌスが「調子にのんなよ」とかいったら、ナルセス
に新兵→熟練兵にレベルアップした配下の兵士を引き渡しちゃうんですからね。
カエサルだったらぶち切れて反乱してるの、間違いなしです。
多分、ベリサリウスの方がおかしいんですけど(笑)。
43
:
マッティアス
:2004/06/15(火) 23:38
ベリサリウスの方がおかしいとは思いますけど、アグリッパもアウグストゥスにそんな
ことを言われたら、ヤケになってティベリウスかマルケルスに軍団引き渡して、引き
こもり始めそうですよ。ちょっとマルケルスに嫌がらせされてレスボス行きしたくらい
ですから。
カエサルについては変革期の一端を担った英雄としては高く評価してます。(←本気)
でも、トップとしての努力というか、まあ皇帝というものが本当にただの議員には手の
届かない時代になる前だけで比較すれば、ドミティアヌスと同じ過ちをしている部分が
あるんですよね。共和政末期と言えば、ドミティアヌスよりも風あたりはキツかった
はずなのに。
44
:
カイザー
:2004/06/16(水) 00:44
ベリサリウスの凄いのは、ナルセスに直参の兵力を奪われた後に、まだブルガ
リアとかペルシアで戦功を挙げてるというのに集約されるでしょう。
ちょっとうろ覚えだったんで、ギボンをぱらぱらと見返してたんですが、
ペルシア→ニカの乱→アフリカ(ヴァンダル)→地中海(ヴァンダル、東ゴート)
→アフリカ(ムーア人)→イタリア(東ゴート)→ペルシア→イタリア(東ゴート)
→ドナウ(ブルガリア)
という感じで、全く休みなく戦場を駆けめぐってたのを再確認して驚いていま
す。
小規模な戦いは私も知らないですが、上記の戦場では全てローマを勝利に導い
ているというのは、ベリサリウスでなければなしえなかったことでしょう。
私もカエサルを評価してないなんて言わないですよ。例えば、マッティアスさ
んのお好きなドミティアヌスとカエサルを比べるなら、カエサルの方が歴史的
には重要な人物だと即答する程度には評価しています。
いや、別にケンカを売ってるんじゃないんですが(笑)。
45
:
マッティアス
:2004/06/16(水) 21:45
当然、ドミティアヌスよりはカエサルのほうが重要ですよ。そこを混同するほど溺愛
していないので(←かなりアヤシイ)。ただ、他の議員達に気を使わなきゃならないの
に、完全に見下していて嫌われちゃったという過ちが共通してますよね。
スッラとか第二次三頭政治のように、政敵37564(←頭ワルイ)のほうが、怯えられて
も憎まれないですよね。なんて言うか、そのほうが同格になりうる存在として恐れら
れてるんだなあ、つうカンジで。“恩赦”ってのは自分が圧倒的優位に立っているの
でなければ(特に精神的に)、絶対できない相談ですからね。もうちっとポンペイウス
側についた人物を罰した方が良かったんじゃないかな、とか。変に周囲の嫉妬を買う
ようなことを好んでやる傾向がカエサルにはあって、そこが寛大というよりは自己中
心的であり、ナルシスティックで同時代の同資格の議員階級の人々に嫌われたんだと
思ってます。
ドミティアヌスの場合は元首政が成り立ってからで、元首という立場だったんで、話
はまた違ってくるんですが。この人の場合は実力主義傾向が強くて、何でも自分でや
りたがりすぎるところが、家柄の良い年長者に嫌われたのだと思います。もうちょっと
なあなあができれば、あと10年くらい生きられたかも知れないのに(苦笑)。
ベリサリウスについてはよく知らないのですが、この人は政治的野心とかってなかった
んですか?それともそんなことに関わるヒマもないほど戦争ばっかり押し付けられて
いたんですか??
それにしても、マジで戦争上手なんですね。練兵技術も優れているっぽいし。すごいな。
諸葛亮の知能を持った趙雲?←どういうイメージなんだか(爆)。何にしても、カエサル
よりも軍事的能力においては上っぽいですよね、この人。
46
:
カイザー
:2004/06/20(日) 23:49
ベリサリウスには野心らしきものは、なかったんでしょうね。一介の兵卒から
ユスティニアヌスとテオドラに引き立てられたという恩義に忠実だったのでし
ょう。
それでも、ヴァンダル王国を滅ぼした時にカルタゴの玉座に座ったのをちくら
れたり、ラヴェンナを占領した時にコンスタンティノポリスの代官を追い返し
たりとか、中途半端にユスティニアヌス1世の猜疑心を刺激したりはしてまし
た。
失脚した時には、これまでベリサリウスを弁護していて妻アントニアの親友で
もあった皇后テオドラが死去していたため、ユスティニアヌス1世にいじめら
れて財産を没収されてしまうことになります。
カエサルだって、ユスティニアヌスみたいに、適当に気にくわない部下の2、
3人でも粛正しとけば良かったんでしょうね。
無実の罪とかじゃなく明らかに有罪な人間を罰するのは当然であって、何でも
かんでも無罪放免にしてちゃねえ。
47
:
マッティアス
:2004/06/21(月) 00:36
カエサルの場合、ルビコン越えを決意した時、元老院でカエサルの味方に立ったのは、
アントニウスとクリオくらいで、あとは保留(あるいは棄権)かカエサルを国家の敵と
見なすカンジだったんでしょう?(条件付ではあるけれども)
まあ、粛清するとなると元老院総入替えぐらいの勢いで粛清しなきゃならないから、
どこで線引きするかとか難しかったかも知れませんが、主だった人々だけでも罰したり
しとけば良かったんですよ。少人数を犠牲にする事で、許された人々も納得したのでは
ないかと思いますね。
ベリサリウスがユスティニアヌスの猜疑心を誘った行動は、野心的というよりは軽率
だったんですね。いっそ野心があれば、生き残れたかも知れないのに、もったいない。
48
:
カイザー
:2004/06/26(土) 23:32
カエサルに限らず武力で政権を奪取したらやりすぎなぐらい敵対者を粛正して、
自派だけで周りを固めるべきなんでしょうね。スラもそうですし、コンスタン
ティヌス1世なんかもリキニウスら競争者の一族は根絶やしにしてましたしね。
もちろん、それで必ず安定政権を築けるということもないんですが。
マウリキウスを惨殺して帝位に就いて暴政を布いたフォカスとか、ブルガリア
の支援で復位を果たして復讐の鬼となったユスティニアヌス2世なんかは、や
りすぎて逆に反乱を誘発して失敗に終わってますしね。
49
:
マッティアス
:2004/06/28(月) 23:33
一応カエサルも自派の勢力拡大のために議員席を増やしたり、ガリア人に市民権を
配りまくったりしてるんですけどね。圧倒的多数の反対派の議員達をそのまま、って
いうのは本当に彼らの力なり誇りなりを軽く見すぎですよね。
カエサルの寛大さを持ち上げる塩野さんですが、スラのことも結構気に入っていて
評価してるんですよね。多分、“王”にでもなる気でなければ、スラのやり方が一番
徹底していて、すごい。
粛清がすぎると逆に反乱を誘発し易い、というのも確かにありますね。加減は難しい。
カエサルの場合は、殺さないまでも所払いにするくらいのことは、何人かの議員に
対して行ってしかるべきだったと思います。
コンスタンティヌス大帝の場合、多分性格的に怖すぎるのと、キリスト教徒をのさば
らせた関係で、あんまり好きではないのですが。政治力とかはすごいんですよね。
基本的にはリアリストだし。最期の時に洗礼を望んだ、というのはエウセビウスの
作り話か、すべての罪を赦される洗礼を“最期”にすることで、その前はやりたい
放題に粛清とかしまくる、という計算だったのかなあ、なんて。
50
:
カイザー
:2004/07/04(日) 23:14
コンスタンティヌス1世はローマ史どころか世界史的にも超重要な人物だと思
うんですが、何故かメジャーになりきれてないんですよね。カエサルに注目す
るより、こっちだろうと思うんですが、手頃な資料とかも少ないんでしょうねー。
コンスタンティヌスに一族根絶やしにされたリキニウスも、ガレリウスやディ
オクレティアヌスといった前任者の一族を皆殺しにしてるんですよね。
ギボンのヘラクレイオス朝辺りの記述を読んでると、皇族の目を潰したとか舌
を切断したとかサラッと書いてあってギョッとします。とりあえず皇帝に即位
したら、理由がなくても兄弟の目を潰して後顧の憂いを断つことが必須だった
ようです。
まあ、トルコの軍勢を目の前にして、身内同士の内紛を繰り返していたパレオ
ロゴス朝もどうかとは思うのですが。
51
:
マッティアス
:2004/07/04(日) 23:58
内紛ていうか血族の争いって、ものすごい憎悪が働いているので、敵よりも憎いんですよ。
第1回十字軍の成功だってセルジュクの分家や本家の戦いとか、そっちにかまけていて、
あんまり本気でイスラム側が相手にしなかったからですもん。
コンスタンティヌスはローマに限らず、その後の西洋史の流れをも形づくってしまった
超重要人物ですよね。確かに。
とはいえ、ローマで一番史料が充実しているのって、共和政末期〜五賢帝の時代なん
ですよね?タキトゥスやスエトニウスほど使える歴史書もないらしいですし。
そうなると、重要なのにあんまり書けないから、注目されにくいんですよね。
コンスタンティヌス朝にもキリスト教の影響を受けない、同時代の歴史記述が現存すれば、
もうちょっとメジャーになれた気がします。
52
:
カイザー
:2004/07/11(日) 22:31
ヘラクレイオス朝も地中海世界の支配者がローマ→イスラムへの移行したとい
う凄まじく重要な時代だと思うのですが、死ぬほどマイナーですよね。
ローマ側の視点がそうなのは致し方ない気もしますが、ウマイヤ朝とかのイス
ラム側の情報だって日本じゃ全く知られてないんですよね。ローマ側が滅亡寸
前で、ロクな資料もない暗黒時代だというのは分かるんですが、イスラム教徒
ってあんまり年代記とかの資料を残したりしないもんなんですかね?
セルジュク朝って、マリク・シャーの時代が最盛期だと世界史の授業で習った
記憶はあるんですが、具体的な情報ってあんまり分かってないんですよね。
ルム・セルジュク朝ってイル・ハン国が成立した頃まで健在だったと思います
が、本家よりも長命だったんですか?
53
:
マッティアス
:2004/07/12(月) 22:29
ルーム・セルジュク朝は細々と12世紀末まで生延びていましたよ。ほぼオスマン朝が
小アジアに進出するのと入れ替わり。一応、オスマン朝の伝承によると、ルーム朝の
スルタンから権力を委譲されたということになっており、オスマン朝はセルジュク朝
の後継者なのだと主張していたわけですね。
ルーム朝は第1回と1001年(全滅)、第3回の十字軍とも関わっていた筈です。本家は
確かサラディンの頃にはまだあったと思うんですが、いつまであったのかよくわかって
ないです(爆)。
イスラムってそういえばあんまり年代記ってない気がしますよね。少なくとも、邦訳は
されてない。カザン・ハンがモンゴルの歴史残したくらいですよね。
イスラムは、でも結構すぐに分裂しちゃったりする国家が多くて、かなり地方分権な
印象があるので、統一的な記録ってオスマンとかペルシアとかしかなさそう。
旅行記とか医学書とか個人の伝記なんかはあるし、洋書に「十字軍のアラブ史家」とか
いう研究書があるくらいだから、普通に同時代の歴史書はあるはずなんですけどね。
54
:
カイザー
:2004/07/18(日) 17:18
ルム・セルジュク朝は、第4回十字軍後にニケーア帝国の帝位を巡る内紛に巻
き込まれて戦争して、初代ニケーア皇帝のテオドリス・ラスカリスに負けたり
なんかもしてますね。
手元にある、オスマン朝の本には、確かにセルジュク朝の臣下だった一部族が
オスマン朝を築いたというように書いてますね。伝説というか、普通の事実っ
ぽい表現ですが、信憑性は薄い情報なんでしょうか?
私には、良く分からない・・・。
イスラムの歴史書って、イブン・ハルドゥーン(であってました?)の「世界
史序説」が、文庫になってるのは見覚えがありますね。どの辺りの時代につい
て書かれた本なのか、良く知らないんですが。
ラシード・ウッディーンの「蒙古集史」なんかにも、イスラム史についての記
述がバッチリあったりするんですか?
55
:
マッティアス
:2004/07/19(月) 16:54
オスマン一族がルーム朝の臣下というか保護部族のような扱いであったのは事実です。
でも、ルーム朝スルタンに権力を委譲されたというのは、伝承です。西ローマが滅んで
しまった際に、どこかの保護国家が自軍を率いて国家を建設して、我こそがローマの
継承者なるぞ!最後の皇帝に頼まれたのじゃ!!と主張しつつ、東帝国併合を目論むのに
近いカンジだと思ってくだされば。
そういえば、ハルドゥーンの息子やらラシード・ウッディーンなんていましたね。邦訳
も出ていたような気がしますが、読んでません。←イスラム専攻のくせに(爆死)。
ルーム朝なりセルジュク本家なりの通史とかあったら読みたいなあ、とはずっと思って
いたんですけどね。
56
:
カイザー
:2004/07/21(水) 22:54
私は根本的に分かってないんですが、オスマン朝がセルジュク朝に禅譲を強要
したとかいうこともなく、何ら関係のない所でルム・セルジュク朝は滅亡して
るという解釈でいいのでしょうか?
そういえば、フラグがアッバース朝を滅ぼした後に、マムルーク朝にカリフの
親戚が亡命してきて、その後もカリフ位が継承されてた筈ですが、この辺の事
情って胡散臭いもんなのか、まあ納得しといてもOKなのか、どうなんでしょ
うか?
それと、まだ気になるのはカリフという地位はオスマン帝国の崩壊と一緒に現
在は消滅してるんですか?
世界史の授業で習った通り一遍のことは覚えてるんですが、理解したというの
とはまた違うんですよね。イスラム史の歴史小説だって、読み物としては十分
成立しそうだけど、まずないですからねー。
本当に日本ではイスラム史の普及率は低いと思います。
57
:
マッティアス
:2004/08/05(木) 12:22
>オスマン朝がセルジュク朝に禅譲を強要したとかいうこともなく、何ら関係のない
>所でルム・セルジュク朝は滅亡してるという解釈でいいのでしょうか?
そういうカンジだったと思います。10年くらい前に講義で聞いた内容なので、記憶が
曖昧ですが、オスマン一族にはルーム・セルジュク滅亡当時にはそこまでの力はなか
った気がするんですよね。
マムルーク朝が亡命してきたアッバース朝のカリフ一族を保護していたのは、多分、
間違いないと思うんです。アッバース朝がオスマン朝に滅ぼされた時点までは一応、
アッバース家のカリフがいたはずなので。
とはいえ、歴史教科書でいうところのオスマン朝スルタン・カリフ制がすぐに始まっ
たみたいな記述はちょっと違って、オスマン朝が称号にカリフを用いるようになった
のは、本当に末期の19世紀に入ってからのことらしくて。まあ、だからスンニ派では
もう長い事カリフっていうのは(すでに十字軍時代以前から)ただのお飾りで権力など
なくしていましたからね。実は結構どうでも良かったのではないかという気がします。
イスラム史の歴史読み物は多少はあるはずなのですが、あんまりメジャーじゃないで
すよね。せいぜい、イラク戦争の時にちょっと増刷されて店頭に並んだ程度で。
でも、出版元を考えると、ローマ関連の岩波文庫の本より売れてるのではないかとい
う気もしないではないです。
58
:
カイザー
:2004/08/08(日) 11:20
私が言ってるマムルーク朝保護下のカリフが胡散臭いというのは、フラグがア
ッバース朝を滅ぼしてバグダード住民を皆殺しにした何年か後に、最後のカリ
フの血縁者がエジプトに現れたというのが、眉唾というか、自称アッバース家
の人間みたいなイメージがあったもので。
マムルーク朝に、フラグのバグダード占領以前から、この人物と顔見知りがエ
ジプトに何人かいたとすれば、間違いないんでしょうけど、さすがに詳しくは
知らないもので・・・。
アメリカの同時自爆テロとかアフガニスタンやイラクでの戦争を契機に、イス
ラム関係の読み物は確かに増えてきましたね。と、言ってもウマイヤ朝とか、
アッバース朝とかの私がとりあえず調べたいなと思っている時代は、サラッと
流されてばかりなんですけどね。
まあ、現在の中東情勢にダイレクトに繋がる情報はオスマン末期ぐらいをスタ
ートにしといて、それ以前は軽く紹介という扱いで不都合ないとは思います。
全然、読む暇もないのに、コンスタンティヌス大帝の分厚い本(ブルクハルト
の和訳)が、売っていたので、衝動買いしてしまいました。いつか、HPを更
新する時の先行投資です。
・・・・いつになるか、分かりませんけど(汗)
59
:
マッティアス
:2004/08/17(火) 12:06
コンスタンティヌス大帝といえば、確かエウセビウスの本も邦訳出ましたよね。
訳者が秦剛平氏なので、読みにくくはないと思うので、気になっています。
中東の歴史とかいっても、どうしてもヨーロッパがらみでないと分量割いてもらえない
んですよね。サラディンとかアイユーブ朝が比較的詳しく書かれるのは、やはり十字軍
と戦ったからだし。ダンテ以降、キリスト教世界でも扱いがいいけど。
本当は、同じヨーロッパでも、コンスタンティノポリスとの絡みでルーム朝とかオスマン
朝初期とかももうちょっと詳しく書いたものがあってしかるべきだと思うんですよ。
とは言っても、本当に第二次大戦後の中東情勢につながる部分でもなければ、大概の人
にとってはどうでもいいんでしょうね。うう・゜・(ノД`)・゜・
60
:
カイザー
:2004/08/22(日) 22:10
コンスタンティヌス大帝の本は、読もう読もうとは思ってるんですが、仕事が
忙しすぎて・・・。ギボンの図説付きの要約本も売ってたんで、そっちも気に
はなっているのですが。
マイナーイスラム史の中では、デリー・スルタン朝の情報なんて、私は全く知
らないですからねー。
奴隷朝の初代君主がアイバクという名前だとかいう話を世界史の先生が話して
たのを聞いた記憶が微かにあるだけで、ロディー朝とかサイイド朝なんて、本
当に名前しか知らないんですよね。
西欧史でも、ブルグント王国とかランゴバルド王国のことを調べようと思って
も、ろくな本がないですよね。西ゴート王国とかフランク王国なら、断片的な
情報はそれなりに見ますが、まとまった分量の記述を読もうとしても、そんな
のないですからねー。
神田の古本屋にでも行けば、あるのかもしれませんが。
61
:
マッティアス
:2004/09/27(月) 14:42
ご無沙汰してしまいました。神田か早稲田は何かありそうな気がしますね。
今度東京にゆっくり来られる機会があれば、ご案内しますよ?
イスラム関連の本をとっても久し振りに読んでいるのですが、奴隷王朝もそうだと
思いますが、実はマムルーク朝も初期は何とか正統な勢力だとアピールするために
相当な苦労しているんですね。
イスラム世界とローマの似ているところは、奴隷だったり黒人だったりしても、
3代経れば白人自由市民と同格の市民権を得られたというあたりですね。
でも、実は奴隷身分でも、イスラム教徒ってそこそこ人権あるんですよね。保護さ
れているっていうか。自由民ほどの人権がない代わりに保護されてるという。
刑罰が奴隷は軽いんですよ。そこはびっくり。
あと、イスラム世界の元奴隷と元主人の関係は、ローマのパトローネス関係と酷似
しているみたいで。ローマ関連の本を読むようになって、学生時代よりイスラムの
本が理解できるようになったという、微妙な事態が起こっています。
ローマ話じゃなくってすみません。
62
:
カイザー
:2004/09/30(木) 17:49
本当に久しぶりですね。もしかして、マッティアスさんに嫌われてしまったの
かと、涙、涙の毎日でした。(ウソ)
神田の古書街には、昔、一回だけ行ったことがあります。見物だけで、何も買
いませんでしたが。大阪では梅田にカッパ横町という古書街があるんですが、
地方の人は絶対に知らないだろうなあ。店舗の数もさほどではないですしね。
東京、また行きたいですねー。
奴隷って言っても、アメリカの黒人奴隷みたいなイメージは、世界的にはポピ
ュラーじゃないんでしょうね。
奴隷と自由民の行き来が可能であるパターンと、黒人奴隷みたいに未来永劫永
遠に奴隷というパターンと二通りがありますよね。日本の部落差別なんかだと、
後者のパターンの奴隷(というのも語弊があるかもしれませんが)と言えるの
かもしれません。
63
:
マッティアス
:2004/10/04(月) 23:05
PC新しくなって、とりあえず安心して来られるようになりましたよ〜。
梅田の古書街ですか。気になりますね。収入ができたら行ってみたいですね。
東京ではまあ、神田が一番大きな書店街ですが、個人的には早稲田が一番好き
です。価格が手頃で。古書街は大抵、学生街にあるせいか、日曜・祝日は休業日
であることが多いのが難点ですが。
奴隷もそうですが、宦官も中国圏と地中海世界では違いますもんね。ハレムの
番人イメージがあるわりに、イスラムとかビザンツでは、軍人職に就くことも
あったといいますが。
ビザンツ、もといコンスタンティノポリスのローマ帝国では、宦官って普通に
使われていたんですか?キリスト教世界だとハレムも何もあったもんじゃないと
思うんですけど。何で必要だったのか、すごく気になっているんですよね。
64
:
カイザー
:2004/10/05(火) 21:52
カッパ横町は別に大したことないんですけどね。
一昔前は、大阪球場に古本屋街というか、古本屋さんが集合してるテナントが
ありました。今は、大阪球場そのもが解体されちゃってるので、日本橋の方に
丸ごと移転してます。あんまり流行ってなさそうで、いつ潰れるんだろうとか
思ってます。
宦官も本来は奴隷の一種ですよね。秦の趙高みたいに位人臣を極めたりとか、
曹操の祖父にあたる曹騰(ちょっと字が怪しい)みたいに養子縁組で家名を存
続させたりなんてことまで出来るのは、解放奴隷と似てると言えば似てますね。
そういえば、ローマの宦官って志願制なんでしょうかね?以前、調べたいなと
か思ったことはあるけど、良く分からない。東ローマ時代の宦官将軍ナルセス
は、元々手織物とかしてたんだそうです。
65
:
マッティアス
:2004/10/07(木) 21:28
ローマ時代の宦官については、『大航海』No.7「去勢の歴史」にあったコラム
程度しか知らないのですが。そこで取り上げられていたのが、コンスタンティ
ヌスに仕えたエウセビウスと、東ローマ時代では宦官として初めてコンスルに
就任したエウトロピウス、ナルセスの3人でした。
もちろん、将軍になったナルセスにも驚いたのですが、宦官でコンスルって…
という衝撃のほうが大きかったです。
しかし、ローマの宦官って本当にどういうシステムで入っていたんでしょうね。
特にキリスト教化されてからのほうが、謎が多いです。それ以前だと、奴隷で、
多くは色子として売られていたわけでしょう?
66
:
カイザー
:2004/10/07(木) 22:59
3人ともローマ人の宦官としては有名人・・・というか、私もこの3人ぐらい
しか名前の思いつく宦官はいません。後は、スポルスぐらいかな?
エウトロピウスは、テオドシウス1世に取り入って栄達した佞臣ルフィヌスを
追い落として、エウドクシアをアルカディウスの皇后に擁立したことにより権
勢を奮った人物ですね。結局は、同志の筈のエウドクシアの差し金で失脚する
んですが。
この辺の宮廷の陰謀劇は、ゴチャゴチャしてるんですよねー。
エウトロピウスによって追い込まれたルフィヌスは、スティリコの密命を受け
たゴート人部将ガイナスによって暗殺され、この事件以降アルカディウス帝は
スティリコを危険視しこのガイナスに命じてスティリコの謀殺を企み、西ゴー
ト族とも妥協的な和睦を結んで援軍としてペロポネソス半島に滞在していたス
ティリコの西ローマ軍を追い返したりといった感じです。
67
:
マッティアス
:2004/10/10(日) 00:58
え〜と、名前は覚えてないんですけど。エラガバルスの母、ソエミアスの愛人
やってた宦官もいましたよね。やはりそれなりに権勢ふるっていた。
シリアの神官の家系だから、セウェルス朝には宦官が結構いそうなイメージが
あるんですよ。奴隷とかじゃなくても、キュベレー信仰をしている人々の中に
は、去勢者って何人かいたはずだし。それを揶揄した歌をユウェナリスが作っ
ていたしなあ。
それんしても、いつからローマ人は宦官なんか使うようになったんだろう?
エジプトやオリエントの影響?ギリシア人は宦官なんか使ってましたっけ??
ふと気になってしまいました。
68
:
カイザー
:2004/10/11(月) 21:43
ちょっと前に発売した「ローマ帝国衰亡史」の新しい訳本を買ってみたんです
が、ユスティニアヌス朝までしか収録されてないというのは、どういうことな
んですか!?(ノ ゚Д゚)ノ ==== ┻--┻
いや、まあ一冊でギボンを全部読めると思うのが間違ってるんですが。私はち
くま文庫版を全巻持ってるんで、実害はないと言えばないんですけどね。
ギリシアでも、宦官はいたのかもしれないですね。少なくともセレウコス朝の
宮廷とかには、絶対いたでしょうね。
でも、マケドニア支配以前のアテネとかテーベだと、どうなんでしょうね?ペ
ルシア戦争以降なら、いてもおかしくないような気はするのですが・・・。
69
:
マッティアス
:2004/10/31(日) 16:28
宦官って、ちゃんとそれが常備されてる国じゃないと手術の技術が低くて死亡率
異様に高いんですよね。だからギリシアとか、アレクサンドロス以前にはあまり
居て欲しくないです。怖いから。古代エジプトでは生存率10%以下ですよ。
ペルシアはちゃんと技術もってそうなので、セレウコス朝とか他のマケドニア系
王国もその技術をちゃんと継いでくれてそうですよね。
イスラム関連の本で昔思ったのですが、ローマの宦官もユダヤ教徒に手術させた
のでしょうかね?割礼がある国(宗教)ではそのテの技術が発達しているから、
とかいういい加減な記述でしたが。
ちなみに、中国よりインドのほうが去勢手術の生存率・予後治療はしっかりして
いたらしいです。
70
:
カイザー
:2004/11/02(火) 23:06
それだけ死亡率が高い宦官に志願する人がいるというのも、平和な日本に住ん
でる私には理解しづらい所です。昔、読んだ本に清代の宦官手術は成功率が高
かったというようなことが書いてあったような覚えがありますね。古代は、本
当に酷いもんだったんでしょうね。
日記にも書いた「古代地中海世界の統一と変容」に、ヘラクレイオス朝やイサ
ウリア朝の宦官の名前なんかが載ってました。ユスティニアヌス2世の腰巾着
みたいなのとかいたそうですが、やっぱりローマの宦官の出身地だとか志願制
のんか強制なのかとかは、書いてなかったように思います。
まだ、全部読んでないんですけどね(汗)。
74
:
名無しさん
:2020/05/25(月) 19:34:48
パックスロマーナについて
https://world-zatsugaku.com/pax-romana/
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