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なぜエスペラントは普及しないのか?

12松戸彩苑:2008/01/12(土) 15:37:47
>>11 の続き)

それからもうひとつ、ミーちゃんというのは、努力するのが好きではない。ということは、ほ
んの少々の努力をしても、すぐにその結果が明らかにならないと決して次の少々の努力
もしない。ミーちゃんは「重要な社会問題」や「人類の平和」や「イデオロギー」のために、
新しい言葉を覚える努力なんてしない。いかに、エスペラントが人類の共通語として中立
であり、そういう中立語がこれからの人類には必要であろうとも、目先のよろこびや目先の
結果、効果をミーちゃんは求める。エスペラントを覚えて、それを旅行先のエスペラント国
で使ってみて、すぐに目の前に水が出てきたり、ほしいモノが目の前に出てくるなら、ミー
ちゃんはそれを覚えるが、それができないと関心をもたない。

勿論、エスペラント国はないが、世界中にエスペランティストはいる。そのひとたちと会えば、
他のひとが驚き、うらやましがるような、エスペランティスト同士の通じ合いがある。しかし、
それは意志的でなければならぬ。エスペラントを覚えること自体、最初から意志的であり、
思想的である。エスペラントを学習すること自体がひとつの思想の表明となる。また、共通
語への強い思想があってこそ、エスペラントを使い切るまでの学習がありえる。これは、エ
スペラント自体の強さであると同時に、ミーちゃんに対する拡張作戦というより、ミーちゃん
への認識不足をあらわしている。人間は、意志的な人間や思想的な人間ばかりではない。
実際には、英語よりもエスペラントの方が、文法も発音も簡単である。それなのに、エスペ
ラントに興味を示すミーちゃんはいない。

これにはいくつか理由があると思える。勿論、エスペランティストでないわたしの推測を出な
いから、見当はずれかもしれない。以下のような邪推をご容赦ねがいたい。

エスペラントを学び使うことが意志的であり、思想の表明をするといったことと矛盾するが、
はたしてエスペランティストすべてがそうであるかどうか。むしろ、青春期の好奇心や、少々
変ったホビーとしてエスペラントに出会って熱中したために、エスペラントを使いこなすまで
にはなったが、趣味の同好会意識から出られぬひとも稀にはいるかもしれない、ということ。
しかしそのひとたちは、マニアックに学んだために実力はあるから、それが逆に同好会意
識を強めることになるかもしれぬ。そういうひとにはミーちゃんを思想的にまきこむオルガナ
イザーとしての力はない。

またその逆に、エスペラントを学ぶことを平和運動とか平和主義と結びつけすぎて窮屈なも
のにしてしまい、ミーちゃんが旅行英語に示すような単純な興味を軽蔑し、問題にしなさすぎ
るのではないかと邪推する。エスペラントを学べばこれだけ現実的トクになるという風なミー
ちゃん向けの宣伝を今まで見たことも聞いたこともない。

(同書130〜134ページ)


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