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長谷川テルに対する評価
1
:
悠々
:2006/09/20(水) 08:53:23
昨今、長谷川テルを反戦エスペランティストとして好意的な
評価を与えているのが主流のようだ。彼女は夫のいる中国
に渡り、夫と共に抗日運動に加わって対日放送に従事していた。
『中国の勝利が明日のアジアの鍵』と日本のエスペランティスト
に働きかけていた人だ。当時の日本人は彼女を売国奴と呼んで
いた。中国側から見れば、格好のお役立ち人材だったかもしれ
ない。中国の勝利を願って行動していた彼女がどうして反戦家
なのか。彼女の行動の目的は何であったのか??
日本人の眼から見た冷静・常識的な再評価を与えておくことは、
日本のエスペラント運動を正道に戻すために必要なことだと思っ
ている。
2
:
エスペロ
:2006/09/20(水) 11:39:12
『未来をひらく歴史』(高文研)にも長谷川テルに関する記述があります。
おそらく、一部のエスペランチストが同書のエス訳を思い立ったのは、
このためかと思います。
ところで、長谷川テルのことですが、当時、中国国民党中央宣伝部国際宣伝処が
「対敵宣伝」を行なっていたようです。具体的には、パンフレット、宣伝ビラ、放送などを
通じて中国国内の日本軍や日本人居住者に対し対日(反日)宣伝をしていたようです。
長谷川テルは、このうちの「放送」を通じて、対日(反日)活動をしていたと
思われます。テルは、中国の勝利を願っていたのでしょう。これでは、「反戦活動」ではなく、
「対日戦争に勝利するための活動」となります。
日本のエスペランチストが長谷川テルを「反戦活動家」として高く評価しているのは
不思議です。私などは、テルは単なる反日活動家と見ています。
ともかく、悠々さんの言われるように、日本人の眼から見た冷静・常識的な再評価を
与える必要があると思います。
3
:
樂々
:2006/09/20(水) 12:23:51
長谷川テルはエスペラントに何の貢献もしてません。エスペラントを使っての
活動にも見るべきものはありません。彼女を反日活動の一点だけでエスペラント運動の
偉人として褒め称えるのは日本のエスペラント運動がいかに狂っているかの証左でしかないでしょう。
4
:
やぱーの@管理人
:2006/09/20(水) 18:33:33
数年前、関西の某左翼系エスペラント機関誌に「エスペランチストは長谷川テルの精神を受け継ぎ広めなければならない。」などというたわ言が記事になっていたので、「なぜエスペランチストは左翼運動に加担しなければならないのですか?それとも売国運動をしろと言うのですか?」と投稿者に質問しました。
「あなたは言いたいことをハッキリ言う人ですね。わかりました。後日お答えします。」と回答がありました。
一年経ち、二年経ち、三年経ち、その方は亡くなりました。
カッコウつけて思考停止していない人からの説明ができないことをするなって!と言いたいですね。
5
:
エスペロ
:2006/09/23(土) 07:52:43
>>3
悠々殿
そうですね。テルは、わが国のエス運動にどれくらいの貢献をしたというのでしょう?
それをエス運動の偉人として評価するのは、本当におかしいですね・・・
6
:
やぱーの@管理人
:2006/09/23(土) 17:07:19
あちこちのエスペラント関係のHPを見たら、長谷川テルのことを学習したり
結構人気があるようですね。
しかし、冷静に考えると「反戦エスペランチスト」ならぬ、ただの「反日エスペランチスト」です。確かに。
逆に中国人エスペランチスト女性が日本人男性と結婚して、中国軍側に戦争をしないよう放送していたら反戦エスペランチストになっていたでしょうか?
それだけのことです。思考停止はやめて、冷静に考える習慣をつけましょう。
7
:
エスペロ
:2006/09/24(日) 08:24:44
テルを評価するエスペランチストには、「日本は中国に対して侵略戦争をした」との
大前提があるようです。
でも、日本は本当に侵略戦争したのでしょうか?
日中戦争は宣戦布告なき戦争です。1937年7月7日の盧溝橋事件後、日中間で停戦協定が結ばれました。
しかし、中国側はこの停戦協定を守らず、テロ行為に走りました。最も酷いのは
7月29日の通州事件です。260余名の日本民間人が虐殺されました。
日本側にも、軍部が独走したという面があるのですが、日中戦争の主たる原因は
中国側の協定違反です。また、背景としては、国民党、共産党などが互いに争って内戦状態に
あった当時の中国情勢があります。
長谷川テルという日本人女性の中国での活動は、角度を変えて再考した方がいいと
思います・・・
8
:
北辰
:2006/09/24(日) 08:27:57
CXU NE ENIRAS? PARDONU, MI PROVU REFOJE.
HISTORIETO DE JAPANA LITERATURO
> 長谷川テルはエスペラントに何の貢献もしてません。
> エスペラントを使っての活動にも見るべきものはありません。
??? テルがエスペラントで発表した文は
Verkoj de Verda Majo に収録された分で A5版477頁あります。
私もあちこちに文を出したことはありますが、及びもつきません。
日本在住時代に発表された文を除けば348頁ですが、
あの困難な時代の中国で、戦火に終われて移動しながら、
よくもこれだけ書いたもの、と思います。
あなたはこの事実を知らない? はずはないでしょうね。
知っていて「何の貢献もしてません」とする根拠は?
テルの何かを読んで「無価値」と判断されたのなら、その文を教えてください。
一つ二つの作品でその作家の価値がわかるものでもないが、
私の場合、彼女の
HISTORIETO DE JAPANA LITERATURO
で、おおいに助かりました。上記の Verkoj では25頁の分量ですが、
Revuo Orienta に当時出たものだそうです。
古事記、万葉集から始まり、やまと、平安、鎌倉、江戸時代、近代、の
多くの作品を挙げて、その内容まで解説してあります。
文通相手から日本文学についての質問があったとき、何度かこの
HISORIETO のあちこちを「盗用」させてもらったものです。
少なくとも私の文通には大いに貢献してくれた人を
「見るべきものなし」と言われるのは残念ですね。
これ以上に価値ある日本文学解説をご存じか、と思われるのですが、
教えていただければ幸いです。私も見落としが多いと思いますので。
これ以外中国での文も、あの厳しい時代の中国現地に生きた日本女性が
見た記録としても貴重なものが多いと思います。
9
:
エスペロ
:2006/09/24(日) 08:40:40
北辰様、了解しました・・・確かにテルはエスで多くの文章を遺している
のですね。
私が問題にしているのは、テルを「反戦活動家」として持ち上げるエス界の
長谷川テル観です・・・
>戦火に終われて移動しながら...
具体的には、どういうことですか?
10
:
樂々
:2006/09/24(日) 21:45:55
長谷川テルがエスペラントで著作したことは知ってますが、それが
どうしたんですか。一つか二つ読めば十分ですよ。En Ĉinio Batalantaと
Flustr’el uraganoはつまらないが素晴らしい著作は他にあるとおっしゃ
るのなら別ですが。
テルが日本文学史の研究者としての評価を得ていたとは初耳ですね。
外国人に日本文学を教えるなら本物の日本文学研究者の著作を
利用していただきたいものですね。あるいはテルの日本文学史がそんなに
素晴らしいものならぜひとも日本語に訳して(もう日本語訳が存在するのならなおさら)
日本文学史の専門家(エスペランティストと左翼は除く)に示して評価を求め
てください。
11
:
北辰
:2006/09/26(火) 00:54:17
エスペロ様
> > 戦火に追われて移動しながら...
> 具体的には、どういうことですか?
「テルの生涯」や彼女自身の文にあるように、上海が日本軍に占領されて
香港へ脱出、その後広東、漢口へ。漢口陥落後重慶へ -- と移っています。
樂々 様
> テルが日本文学史の研究者としての評価を得ていたとは初耳ですね。
研究者と言えるかどうか。しかし奈良女高師(今の奈良女子大ですか)は
女子教員を育てるところ、日本文学の一通りは学習したはず、日本文学史の
本や講義録から自分なりに編集するくらいできたでしょう。エスペラント訳は
よくできています。彼女の23才のときの発表ですね。
外国人に日本文学のあれこれを説明するのに丁度いいくらいのサイズになってます。
> 本物の日本文学研究者の著作を利用していただきたい
エスペラントになっていたら使えますね。どんなものがありますか。
VIVANTAJ SOLDATOJ (生きてゐる兵隊/石川達三)の全訳、A5判124頁は
力作。当時の検閲をパスして出たはずだったが、石川が見てきた中国での
日本軍の残虐行為も隠さず書いてあったため発行の翌日発売禁止。しかし
けっこう海外にも出ていたのですね、テルの手元にも届いたのですから。
軍隊経験のない女性の訳だから?もある。通じるけれど。慰安所も何ヵ所か
でるが amuzejo では「娯楽施設」? ま、同じようなものですか。
12
:
エスペロ
:2006/09/26(火) 06:17:03
北辰様、ご返信ありがとうございます。
>「テルの生涯」や彼女自身の文にあるように、上海が日本軍に占領されて
>香港へ脱出、その後広東、漢口へ。漢口陥落後重慶へ -- と移っています。
そうですか。・・・日本軍の「侵略」に追われて・・・と読み取れますが、それで
よろしいですか?
>VIVANTAJ SOLDATOJ (生きてゐる兵隊/石川達三)の全訳、A5判124頁は
>力作。当時の検閲をパスして出たはずだったが、石川が見てきた中国での
>日本軍の残虐行為も隠さず書いてあったため発行の翌日発売禁止。
石川達三氏。たしか、文芸春秋か中央公論の特派員として南京戦を
取材していたのですよね。当時、日本からは、百数十名の取材陣が南京に滞在
していました。その中には、石川達三氏の他にも、大宅壮一、西條八十、林芙美子らの高名な
文化人もいました。これらの人たちも、「日本軍の残虐行為」について書いている
のでしょうか?
>慰安所も何ヵ所かでるが amuzejo では「娯楽施設」? ま、同じようなものですか。
兵士たちはお金を払って遊んでいたのです。長谷川テルも、そのことを知っていた
から、konsolejoとは訳さなかった・・・まさか、それから何十年後に慰安婦問題が
こんな大きな問題になるとは、テル自身も予想しなかった・・・
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